2017年05月02日

プライ1回目の「詩人の恋」

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シューマン:詩人の恋 op.48
リーダークライス op.39

ヘルマン・プライ(バリトン)
カール・エンゲル(ピアノ)

(EMI ドイツ輸入盤)



両曲ともプライの得意レパートリーだが、この曲の録音としては最初のものになる。
プライとエンゲルのコンビでは、60年から70年代半ばまでEMIエレクトローラ系、テレフンケン・デッカ系、フィリップス、バスフ等に主要なリートの録音を行っていた。
しかし、2人のステージ共演は数えるほどしかなかったというから、意外である。
残された録音のどれもが後年のホカンソンとの共演よりも良さげに聴こえ、これはエンゲルのリズムのメリハリと推進力の賜物なのだろう。
プライの個性的なリズムや歌い癖をものともせずに、実にうまいバランスで押し出してくる「合わせる能力」の高さ。この世代の「リートに取り組んでいるピアニスト」の中ではピカイチだったと思われる。

62年頃に録音されたと思われる、この「詩人の恋」は一般的な改訂版を使用し、すべてオプションの高い音を選んでいる。各曲の移調の選択に問題がなくもないが、それはそれとして割り切って聴くほうがいいだろう。それはバリトンが歌うときは宿命的な行為なのだ。
にもかかわらず、このプライの録音は発売当時、専門家や研究者の間で話のネタにされていた。彼の人気が上がってからは議論にもなり、中には「プライの無知の象徴・勉強不足」のように言う評論家まであらわれた。多くは他の歌手を褒める根拠にアンチに利用されたわけだ。
クラシックとはなんとメンドクサイ世界。本質はそんなことではなく、表現も含めて何を聴き手に伝えるかなのだが、そっちが置き去りになることが多く、未だに進歩がないのが残念だ。

テンポは遅めながら、緩急の差が大きくエンゲルはテキパキ進める感じなので、体感速度は速い。
また、1曲の中でのテンポの揺らし幅が、後年より大きくなっている。
第1曲の後奏でテンポを一段と落し、第2曲を限界まで間をあける…静寂がそのまま心の深くにしみこむような響きの余韻を味わえる。
ただ、60年代のプライは発声に少々のロスがあって、またリズムが流れやすかった。
日本の音楽雑誌では、音程の不安定さがたびたび話題になったが、実際はそちらよりもこの発声のムラのほうが気になることがあった。
ただそれも、感情の起伏の大きな歌では「表現」となっていて、他の歌手では味わえないスリリングさがあり、大きな魅力だった。
「私は恨むまい」の艶やかで朗々としたA音!
そして、言葉にこめた細やかな感情は、単純な喜怒哀楽ではない複雑な「愛」を伝えているようだった。
片思い→成就→破局→怒り哀しみ→放心→回顧→昇華
そう分類してステレオタイプに描くのではなく、クララとの恋の成就にあえてこの曲を書いたシューマンの複雑な不安心理を探るかのように歌い進めている。
ディースカウのように詩に対する分析的な姿勢ではなく、また、この前のハンプソンのような怒りと愛の告別でもない。
あくまで1人の迷える青年のポートレートのようだった。
安定感を加えた10年後のフィリップス盤、さらに10年後、一段と落ち着きと深みを持ったDENON盤(どちらもホカンソンとの共演)と、すべて違ったアプローチで残してくれたことに感謝したい。

アイヒェンドルフの詩によるリーダークライスも、伸びやかに歌っている。
通常ならハイネによるop.24と組み合わせるものだろうが、この頃はそちらはそれほど歌っていなかったようだ。
本人もニヒルで屈折したハイネの世界より、民謡風の言葉とメロディに溢れたこちらのほうが自分に合っていると思っていたのだろう。
プライが愛したドイツの森の風景描写、伝説、そして静かな心象風景。それを克明に描き出す12曲の絵巻物。
声の艶とパワーも充分に生かせるリート集なので、プライにはうってつけ。こちらもほぼ10年ごとに録音を残してくれている。

ドイツ輸入盤のLPはこれ。
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(columbia-EMI  LP ドイツ輸入盤)
他にケルナーも加えた2枚組や、「詩人の恋」とケルナーから9曲を組んだものも出ていた。
なお、このジャケットは国内盤にも使われたことがあった。

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(東芝 LP 国内盤)
こちらは初期の国内盤LP。半透明赤の、いわゆる赤盤。
CDと、輸入盤LP、国内盤LP、それぞれ音の印象がだいぶ違う。
どれもそれなりの良さがあり、また物足りなさもある。
CDなどはそれこそ再発売の度に大胆にリマスターされているのだが、どれもあまり良い状態とは思えない。
LPの音からはどんどん遠ざかっているようだ。
マスターは…というより現場の音はどうだったのか聴いてみたい。
艶やかなプライの美声はどうやら当時のメディアには収まりきらなかった。
もともと収まりきらなかったものはいくら化粧しても無駄なこと。
録音元のレーベルはすでになく、移動したマスターテープも年月の経過と共に確実に劣化していく。
プライが現代の人ならどんなに良かったろうか。
ああ、もったいない、とつくづく思うのだ^^;

posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(12) | プライ

2017年04月22日

祝進級すぺしゃるにがり

今回の「にがりの会」は進級祝い企画としてのスペシャル版・・・といっても作って食べるだけなんだけどね^^
にがりの会自体は中学生以上対象ながら、今回は先日の合宿参加の小学生2人も加わってちょっとだけ賑やかだった。

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クレープを作ろうということで、材料は持ち寄り。

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まあ、途中焼肉パーティ状態にもなったり。そこが食材持ち寄りの楽しいところ。
「なんでタレがないのっ!」ってそもそも焼肉は想定外だし^^;
(あ、小中高生の皆さん、「そもそも」は「元来」「元々」「最初から」と言う意味ですよ。「基本的に」なんて意味はないですからね!!間違って覚えないこと!)

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賑やかに食べて、新学年スタート。みんな楽しき1年を!


posted by あひる★ぼんび at 23:45| Comment(0) | 劇場

2017年04月19日

ギロヴェッツの三重奏曲

音楽に求めるものは人それぞれだが、自分は「心の安定」のひとつの材料として聴いている。
ただ、特効薬ではないので、聴けば必ず安定するというものではないし、必ず「癒される」わけでもない。
しかし「聴く気がおきない」という時は、心がかなり荒み弱っているというバロメーターのように感じたりもする。
今、忙しさと諸々のことで、それこそ聴く気がおきない状況…なので少々記事も気が入らないのだが、なんとなくかけた1枚が意外にも楽しめたものだったので、とりあえず記事にしておこうと思う。

アダルベルト・マティアス・ギロヴェッツはボヘミア地方の生まれ。
本名はヴォイチェク・マチヤシュ・イーロヴェッツという。
1763年生まれだが、1850年まで生き、地元で父親から音楽の手ほどきを受けた後、パリ、ロンドンで研鑽しつつ活躍した。
その後ヴィーンに定住し、宮廷副楽長、楽長として長く活躍した。
歴史的には1789年のフランス革命、その後のナポレオンの登場と失脚、反動・・・とヨーロッパ各国は大きな渦の中であり、モーツァルト、ハイドン、そしてベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン…なんと多くの作曲家の生涯をカヴァーしていて、その変遷を肌に直に感じていたことだろう。
ギロヴェッツ自身はハイドンに強い影響を受けていたようだが、モーツァルトは彼の作品を高く評価していたという。ちなみにショパンがヴィーンでデヴューした時に弾いたのはギロヴェッツの協奏曲だったし、そのショパンを最大の激励と賛辞をもってヴィーンの楽壇に紹介したのはギロヴェッツだった。
自作曲がハイドンの名で出回ってしまったり、本人の承諾なしで楽譜が販売されたりと、少々不幸な事件にも遭遇しているものの、比較的安定した環境で人生をおくれた恵まれた生涯だったと言えるかもしれない。
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ギロヴェッツ:ピアノ三重奏曲集
ソナタ変ホ長調op.23-2
ソナタ変ロ長調op.28-1
ソナタニ短調op14-2
ソナタイ長調op12-1

トリオ・フォルテピアノ
(NCA membran ドイツ輸入盤)



ここに集められた曲は、50曲近くある彼の「ピアノ三重奏曲」の中からの4曲。
正式名称は「クラヴサンまたはピアノフォルテの為のソナタ、ヴァイオリンまたはフルート、チェロのオブリガート付」という、なんだか少々長い題名の曲だが、モーツァルトやベートーヴェンの「ヴァイオリンソナタ」も大体こういう題がついているから、これが当時のこの種のスタイルの楽曲の慣習的な表記だったわけだ。ここではフォルテピアノ、ヴァイオリン、チェロという標準的な「ピアノ三重奏」編成をとっている。
全体はハイドン的な穏やかな雰囲気だが、各所にベートーヴェンを思わせるフレーズが出てくる。
彼の曲はどの曲もこの時代の平均的な手法で書かれ、とても聴きやすい。
それを平凡と言ってしまえばそれまでだが、二流ローカルな音楽に聴こえないのは、技法がしっかり身について感性と一体化しているからだろう。
激動する社会の中でうまく立ち振る舞い、広い見識が柔軟な感性を生んだようで、硬直しない自由な気分を感じる。
幻想、夢想はまだ薄いが、まもなく花咲くことになるロマン派音楽の萌芽も匂わせている。
ギロヴェッツだけがそうだった、というわけではなく、正に激動の時代の文化が生んだその典型のひとつといえるだろう。
演奏のトリオ・フォルテピアノは全員女性で、グループ名通りピリオド楽器による素朴な響き。豊穣な響きのモダン演奏とは対極だが、妙なアクセントをつけず、過剰な装飾もいれず、素直に楽曲の魅力を伝えてくれている。
疲れた体に邪魔にならない演奏だった。
後期古典派や初期ロマン派の音楽が好きならば必ず楽しめると思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:20| Comment(0) | 音楽

2017年04月16日

合宿まとめ実行委員会

2017年春の合宿、先々週無事に当日を迎え、すごせたようだ。

合宿のしおりにあるタイムテーブルはこんなふう。
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ほとんど完璧に予定通りに実行され「楽しかった」というまとめになって、良かったと思う。

規模の小さな温泉宿で、人数も少ないから、すべて小さくまとまってしまいがちだが、そこは流石ベテランのなおちゃんやけっけ、そして静かに(卓球に^^)情熱を燃やすまゆちゃん、サポートの大人たち・・・参加者ひとりひとりのエネルギーの集積で、なかなか楽しい場が作れたようで、本当に良かったと思う。

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奉仕とか義務感ではなく、実行委員自身も楽しみながら、他のメンバーのことを考えて企画を実行する、それはなかなか経験できないこと。
この行事の経験が、これからの劇場の活動にそして普段の学校生活に、何らかの刺激と活力になっていけばいいなぁ、と思う。
次は夏のキャンプ。対象人数が減っていることだけが不安だけれど、ぜひそちらも成立させたいものだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:26| Comment(0) | 劇場

2017年04月10日

今年も桜咲く

戦前に戻りそうな変な数々の法律、連続する変な事件、そしてそれらに対する変な報道姿勢。
そんな「3H」で、自分たちのこれまでの「常識」はいとも簡単に覆され書き換えられていくようだ。
場の「空気」に弱く、周りに迎合しやすい日本人の気質。とにかく日本の未来が心配。

そうだね、けれど、心配は心配のままに流れてしまう。
僕達は何より皆、忙しすぎるのかもしれない。
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今年も桜は咲く。
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月も桜も、きっと人の世のことなど何も知らぬよ、と言うだろう。
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posted by あひる★ぼんび at 23:37| Comment(0) | 日記

2017年04月04日

サカルトヴェロの仄かな光と影〜カンチェリの音楽D

グルジアと呼ばれていた国が「ジョージア」に変わり、最近はマスコミでもそう表示するようになった。
ロシア読みが英語読みに変わったところで、その国家のアイデンティティの行き場所はどんなものかと疑問になってしまうのだが、まあ、本人たちがジョージアと呼んでくれという希望なのだから、いいのだろう。
サカルトヴェロという元々の呼称はまた陰になるわけだ。
考えてみれば「日本国」だって、ニッポン、あるいはニホンと呼ぶのは日本人だけで、国際的にはジャパンとかハポンとかヤーパンと呼ばれている。だが、戦勝国米英の呼ぶジャパンに嫌悪感を持つ人などそうはいない。他国から直接の侵略支配を受けた経験のない国らしい柔軟性なのだと思う。

ギヤ・カンチェリはサカルトヴェロ(今後、このブログではジョージアではなくそう書くことにする!)の代表的な現代作曲家のひとりだ。
これまでもこのブログで何度も取り上げてきた。
宗教性薄く、政治思想性薄く、実験音楽要素も薄い。
ある意味、同世代の、また居住地域の音楽には珍しいスタイルだと思う。
実際は映画などの娯楽サブカルチャーとは密接な位置にいる人で、そのつもりならいくらでも「売れ線」音楽が作れそうな人なのだ。しかし商魂見え見えのわかりやすい音楽&セールスを展開する道を選ばなかった。ソ連→ロシアに支配された国にいた為というのも要因ではある。それもあって、屈折した感覚と、その謎っぷりが魅力なのだ。初期から現在まで、そんな謎オーラを発散させ続けているのだ。

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カンチェリ:
キアロスクーロ
トワイライト

ギドン・クレーメル(指揮&ヴァイオリン)
パトリシア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
クレメラータ・バルティカ
(ECM ドイツ輸入盤)




題名が示すとおり、バロック時代へのリスペクトを仄かに感じる(ただそれは気分だけの話で音楽的にはいつものカンチェリそのものだが…)「キアロスクーロ(明暗対比)」と、
病気療養中、窓外のポプラの木々を眺めることで着想を得たという「トワイライト」…
以上、ヴァイオリンと室内管弦楽による新作2曲で構成されたアルバム。
相変わらず断片的にわかりやすいメロディを散りばめ、ゼロと100の音量差を演出した音楽だ。
ただ、フルオーケストラではないので突然の轟音に肝を潰しそうになることはなく、安心して音に浸れる。
動乱の祖国から西側オランダに移住し、しばらくになったわけだが、すっかり心の安定を得たということだろう。
相変わらず暗色の哀しげなフレーズに埋められているものの、かつてのような死の影や苦みは幾分薄らいだ気がする。
つまり軋むようなグロテスクな音列で吠えてしまうことがなくなった。安心なような、残念なような…^^;
両曲とも静寂とその音列が醸し出す幽玄が楽しめる音楽だ。
カンチェリの「どの曲も金太郎飴」という感覚に特に嫌悪感がなければ、ペルトやタヴナーなどの宗教的な気分とは異なる独特の浮遊感も心地よい。
カンチェリのスペシャリストと言っても過言ではないクレーメルと彼の楽団も、ツボを心得た演奏を聴かせる。鋭角的で斬新なアプローチで知られる女流コパチンスカヤの参加も嬉しいが、小さな毒サソリがコブラの群れの中に混じったところで特別な凄味はなく、むしろ至って清冽な印象だった。
それでも、久々に程よい「カンチェリ毒」が楽しめた1枚だった♪

posted by あひる★ぼんび at 23:38| Comment(0) | 音楽

2017年03月30日

フィリップス「プライ・リートエディション」〜第2巻

ディースカウは60年代終わりにDGにシューベルトの男声用リートの全曲録音を実行し、それがワールドリリースされるや否や「シューベルトのスペシャリスト」と見なされるようになっていた。まだ若さを残したディースカウにとっては意欲的な挑戦、ステージ引退直後の大御所ムーアにとっては芸術の集大成。
当時、評論家も、研究者も、同業の歌手達もこの全集を聴き込んだことだろう。
当然、プライもしっかりと聴き、研究したはずだ。
プライはシューベルトを愛好しリスペクトしていたが、「シューベルト歌手」と呼ばれることを恐れ、嫌っていた。
それは自由な魂の「うたびと」であり続ける為の彼のポリシーでもあったのだろう。
まして、このフィリップス・リートエディションの場合、全体枚数の制約もあったと思われる。
全体の助言者、音楽学者ハンス・ゲルハルト・リヒトホルン博士との合議によって、曲目はかなりスリムにまとまった。

そのリートエディション第2巻。題名は何の捻りなく「フランツ・シューベルト」。
これはプライ自身が最も望んだセット、このエディションの中核だった。

「膨大なシューベルトのリートからほんの数枚分選べと言われても難しい。だからここには私が普段からコンサートで披露しているものを入れた。それらは考え抜いて決定し、長年歌いこんだプログラムだ。私のリサイタルに来てくれる人と、このセットを手にする人はほとんど共通していることだろう。それでも、この中から聴き手はきっと新しいものを受け取ってくれるはずだ。私自身が歌いながら多くの喜びと共に新しい発見をしたのと同様に。」

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プライ・リートエディション第2巻
「フランツ・シューベルト」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア/レオナード・ホカンソン/
ヴォルフガング・サヴァリッシュ/
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス LP8枚組 ドイツ輸入盤)



ジャケットのデザインは第1巻や事前公開された広告写真から変更され、大きくHERMANN PREYと表記されている。
内容は
「様々な詩人によるリートT」(ホカンソン)
「美しき水車小屋の娘」(ホカンソン)
「冬の旅」(サヴァリッシュ)
「白鳥の歌」(ムーア)
「ゲーテの詩によるリートとバラード」(エンゲル)
「シラーの詩によるリートとバラード」(エンゲル)
「様々な詩人によるリートU」(エンゲル)
・・・という大まかなくくりにまとめられている。
これらはエディションの計画具体化直前の1971年から1973年に録音され、すべて単独で発売された。この巻の場合「分売」という表現はふさわしくないかもしれない。
このエディション自体が本家オランダフィリップスではなく、分家のドイツフィリップスのローカル発売だったため、オランダ&インターナショナル向けの規格番号を打った買いやすい単独アルバムも必要になったようなのだ。
日本はヨーロッパ諸国以上にリート愛好者が多かったので、本来ならまとめて出しても良かった筈だが、ばらばらのままで結局実現はしなかった。
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内容についてはこれまでにも度々取り上げているので、全ては書かないが、気負わず自然な歌を聴かせる為に、1曲1曲、彼がどれだけ歌いこんだか考えると、決して聴き流すことができない特上の「宝箱」に仕上がった。
特にエンゲルの逞しいピアノに支えられた作品はプライも生き生きとたっぷりと声を響かせている。
対してホカンソンとの録音に少々ムラを感じるが、あるいは他のレコーディングの合間をぬっての取り組みだったのかも…と思えた。実際、この頃プライはTV収録や他社録音を掛け持ちすることがあり、スケジュール調整を当時快く受けてくれたホカンソンとはどうしても「合間」になってしまったのだろう。
歌劇場音楽監督も務める多忙な指揮者サヴァリッシュや大御所ムーア、ステージの共演すら全く実現しなかった人気のエンゲルらとは、多少差別化が起こってしまうのはやむをえなかったのだとも思う。
とはいえ、アンサンブルの質が低いとか、そういうことではない。シューベルティアーデの気分に相応しい親密な雰囲気はホカンソンとの共演に特に感じる。
選曲として、シラーだけで1枚分入れているのはプライらしい。大バラード「潜水者」は派手目の間奏を挿入したD.77とD.111の折衷版。曲自体が巨大なので、とりあげる歌手自体は少ないが、曲の面白みを伝える妥当な措置として、プライはステージでも常にその版で歌っていた。
構成力とバランスが勝負のそういった大作に対しても、無理に感情を押さえて理性的に捉えるなどという不自然な瞬間はない。
また、全てに共通して、楽譜のバージョンに拘りすぎることもないのにも好感がもてる。
つまり、プライのいつもの長所がシッカリと生かされ、誠実にシューベルトの業績を歌い上げようとしているのが明確だ。
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プライ・リートエディションVOL.2
「フランツ・シューベルト」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア/レオナード・ホカンソン/
ヴォルフガング・サヴァリッシュ/
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス 6枚組 ドイツ輸入盤)




CDは8枚のLPの面割をつめて6枚にしている。リーフも、アーティストの写真や各詩人肖像画、プロフィールをカットしている。
これでは資料的価値が下がり、少々読みにくく、曲の並びがつまってしまった為、LPで聴きなれた身には聴き辛い。
プライが描いたコンセプトを破壊してまでコンパクトにする必要も感じないのだが…無視されずにCDセット化されたのは喜ぶべきだろう。現在は製造されておらず、中古在庫とダウンロードのみだが、いずれオリジナル通りの復活を願いたい。

posted by あひる★ぼんび at 23:40| Comment(8) | プライ

2017年03月18日

合宿実行委員会 本番前ラスト?!

合宿本番2週間前にして、もしかして最終実行委員会???
やっと参加予定者の顔ぶれが見えたところで、あとは当日・・・って、すごい大胆な気もするけれど、実行委員会がナビゲーターになって、実際の内容は参加者の考え方で決まるというのもありなのかもしれない。
特に、「お客様」を作らない観点では。
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真剣であります。

今年はキャンドルファイヤーがない。その分一発芸(かくし芸?)大会。ただ、いつも入るダンスの話が全くなかったけれど、大丈夫なのかな。当日突然言い出しても音源準備がなければできないわけで。(逆に音源さえ持っていけばどうにでもなると言う意味でもある^^)
楽しい合宿になるといいなぁ。
実員、いつものメンバー、初めての子、それぞれにとって。
posted by あひる★ぼんび at 23:38| Comment(0) | 劇場

2017年03月17日

グラフェンザールのプライ

プライは地方の合唱団のコンサートにゲスト出演することが度々あった。
彼自身、専属レーベルも専属劇場も持たなかった強みで、大規模なクリスマス等のイベントや音楽祭のガラコンサートにとどまらず、地方都市の小さなコンサートにも参加していた。
それはキャリアのある歌手にしては珍しいことかもしれないが、音楽都市ザルツブルクやバイロイトよりも、田舎町バートウラッハでの演奏会を大切にしていたように、晩年に近づくにつれてその傾向は顕著になっていたようだ。
商業性を意識せざるを得なかった大規模音楽祭のプログラミングに乗るより、自分の芸術性を発揮できるのはそちらだと実感していたのだろう。

sil-pre.jpg1979年グラフェンザールコンサートより
シューベルト:森の夜の歌〜男声4部合唱と4つのホルン
        酒の歌〜バリトン、合唱とピアノ
        おやすみなさい〜バリトン、合唱とピアノ

ヘルマン・プライ(バリトン)
ミヒャエル・クリスト(ピアノ)
ツォーラーナルプ・バリンゲン・ジルヒャー合唱団
ヨゼフ・ケストル(指揮)
(MAS 7in.LP ドイツ輸入盤)


これもそんなコンサートの演奏記録。1979年6月24日ホーエンツォーレン城グラフェンザールでの収録。
シューベルトのこういった作品は純粋なピアノ・リートに比べると演奏機会が少ない。
当然、録音物も少なくなる。
少人数であっても合唱が加わるということは、独唱者側の通常のリートリサイタルではプログラムが出来ない。そうなると、合唱団のコンサートの中に組み込まれることで披露の機会を得るしかないわけだ。
このコンサート全体のプログラムは不明だが、A面の「森の夜の歌〜ザイドルの詩による男声4部合唱と4つのホルンの為の」も、B面、プライが加わった「酒の歌」「おやすみなさい」の2曲も珍しい曲目なので、かなり意欲的な内容だったと想像出来る。
カステッリの詩による「酒の歌」は「酒」が題材だが、題から想定される酔っぱらい気分とは対極のきわめて真面目なリート。
ロホリッツの詩による「おやすみなさい」は「うるわしき夜」と訳され重唱曲集などに時々出てくる作品。
両曲ともプライ自身、他ではあまり歌っていないようで、歌い崩すことなく慎重に歌い進めている。
深い声のバリトンと男声合唱によって歌われるシューベルト晩年の音楽は格別の雰囲気を持つ。これも名演だと思う。
この盤は合唱団の自主制作盤らしく、MASという規格品番以外、レーベルもわからない。
7インチドーナツ盤だが33回転。この回転数のドーナツ盤は日本ではレコード全盛期でも滅多に見かけない規格だった。
現代のようにCDが簡単に作れる時代ではなかったので、有名アーティスト参加の「公式の自主制作盤」=「結構な貴重盤」ということになるだろう。
当然収録時間は短いが、聴いた充実感はしっかりと残る。フルサイズのLPの存在はわからないが、あったら是非聴きたいものだ。
このいかにも最低限の保守条件を満たしただけの簡易なジャケットは購買意欲をそそるものではないが、
プライはここに収録された曲については他に公式録音を残さなかったので、大変に貴重なものだ。

プライは70年代後半フィリップスとの契約を終えると、以降はEMI系(エレクトローラ、インターコード等)、RCA系(オイロディスク、DENON等)に数点録音した以外はメジャーレーベルへ録音しなかった。その分、こういった自主制作盤への参加と、放送局企画への録音が増えている。
それらは「存在」はわかっていても現実的には入手が出来ないものばかりなのが残念だ。
最近、改めて思う。ひとりの歌手の芸術の足跡を追うだけで、無限の広がりがある。
まだ全貌はわからないし、知る術もない気がしている。「偶然入手する以外に方法のないもの」ばかりなのだ。
さらに没後20年ともなると、淘汰も起こってしまうものなので、その辺がとても恐いのだが、遺族近親者=フローリアンあたりがまとめてくれたらいいのに、とひたすら願うばかりだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:27| Comment(10) | プライ

2017年03月06日

ZDFの「イタリアのトルコ人」

「イタリアのトルコ人」はロッシーニが1814年に発表したコミカルなオペラ。
大当たりした「アルジェのイタリア女」の2匹目のドジョウを狙ったようだが、失敗とまでは言わないまでも不発となってしまったということだ。
題名の「トルコ人」はじめ、多くの出演者のキャラクターがステレオタイプに作られ、全体がドタバタしたコメディだが、その中に「文化史」や、それ以上に「哲学」を見出す愛好家もいたようだ。
結局、ロッシーニの死後は上演回数がいよいよ減り、この作品が再び着目されるのは1960年代後半から1970年代になってからだったという。
そういったディスカバリー・ロッシーニとも言えるフィルムがこのZDF制作のドイツ語版「イタリアのトルコ人」テレビエディット。ベルリンRIASの協力、レンネルトの企画である。
ZDF(第2ドイツ放送)は日本で言えばEテレのような公共放送局で、教育番組や各ジャンルの音楽番組も積極的に制作している。
これもその1つ。60〜80年代、このシリーズは名作オペラを放送時間に合わせて巧みにエディットして(とはいえ作品によってはほぼ全曲だが)スター歌手を揃え、立派で楽しい「オペラ映画」を生み出していた。
テレビ放送の全盛期にこういったものが日常的に作られていたというのが、いかにも「ドイツらしい」と思う。

TurcoinItalia.jpgロッシーニ:イタリアのトルコ人(ドイツ語版TVエディット)
ヘルマン・プライ
バリー・マクダニエル
インゲボルク・ハルシュタイン
ルドルフォ・ダラポッツァ
RIAS室内合唱団 ベルリン放送交響楽団
ジュゼッペ・パターネ(指揮)
ヌンティオ・デル・ベッラ(チェンバロ)
(ZDF DVD-R ドイツ輸入盤)



序曲をカットし、いや、それはフィナーレの後の出演者クレジットのバックに数分流れるわけだが、いきなり狂言回しにあたる「詩人」の独白シーンで始まる。
プライはその詩人役で、実質主役。歌い、語り、お得意の顔芸(!)で各場面で巨大な存在感を出している。
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演出としてその視点が一貫しているので、詩人の存在は狂言回しどころではなく、全てを食って、物語自体が彼の妄想であるかのような状況に感じさせる。
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一応主要な場面は網羅しているが、細かいカットがある。その分、物語の展開と設定を補足する場面が追加され、レシタティーヴォ部分はドイツ文化に適合した風情に加工され、エンタメ性が強調されているのは「テレビ放送」を意識してのことだろう。
その辺は以前紹介の「ドン・パスクワーレ」と同様だ。
とにかく楽しい。ってか、騒々しい^^;
とにかく男声陣がハイパーなコメデイアンっぷりなのだ。
ダラポッツァのアルフレート的お馬鹿キャラ作りも秀悦だが、トルコ人役のマクダニエルの美声が良かった。プライの1歳下のアメリカ人だが、歌手人生のほとんどドイツで送ったバリトンだ。中低音の深い響きと、テノールのような輝かしく滑らかな高音を持っていて、プライとはまた違った魅力ある声を聴かせている。
顔芸のほうもプライに負けていない^^;
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何より出演者全員が屈託なく楽しそうなこと。
こういう作品をリアルタイムにテレビ視聴していたなら、オペラ愛好者は増えまくるに違いない。
オペラは芸術であり最高の娯楽なのだ。それが実感できる作品だった。
この盤は残念ながら放送原盤の製品化ではなく、オンエアの録画のコピー資料である。したがって画質はまるで良くないが、音質は鑑賞に支障はない。

以前youtubeに上げた人がいて視聴可能だった。このブログでも取り上げたことがあった。
あれが消されてから最近は見かけないなぁ…。
posted by あひる★ぼんび at 23:38| Comment(2) | プライ