2021年07月11日

92回目のバースディ

プライは1929年7月11日ベルリンの生まれ。
preyはドイツ語としては「獲物」「狩猟」を意味する語だが、姓としてはそれほど多くはなく、外来姓の可能性が高い。―ey の語尾自体がドイツ語的ではないのだが、例外的に、富豪や貴族の家系は語尾に―eyをつけることがあった。オランダやベルギーあるいはイタリアの有力一族がドイツに根付いた、その子孫の可能性も高い。
実際、代々プライ家が経営する大規模精肉商社はかなり羽振りが良かった。
プライの父は「どんな道でも究めればよし」ということで、息子が音楽の道を歩むことに反対しなかった。・・・というより、そもそも商人になる為の実業学校ではなく神学関係のギムナジウムに入学させている時点で、息子には自由な道を歩んでもらおうと思っていたのだろう。激動の時代や、ナチスの不穏な動きの中で、息子が歩むべきはどういう道か・・・
プライは、父のことはそれほど多くを語っていないが、偉大な父親だと思う。

プライの人生は決して順風満帆ではなかったはずだが、堂々と生き、
音楽の道を究めた。

prey-porss.jpg

プライは80年代ごろから、シューベルト最晩年のホルン助奏付リート「流れの上で」を度々ステージに上げるようになっていた。レルシュタープの詩による9分位の作品で、主要なメロディは前年に亡くなったベートーヴェンの英雄第2楽章をベースにしているとも言われている曲だ。
「1828年の作品集」として「白鳥の歌」と組み合わせたり、近い時代の作曲家達の器楽オブリガート付リートとまとめてリサイタルを組むこともあった。
荒波に翻弄され、葛藤しつつ、やがて大海に出て天空に輝く星を見る、まさに人生のメタファー。
プライが晩年に近づくにつれこの曲を歌うことが増えたのは、作品の核心への共感が大きかったのだろう。

http://ahirunooto.sakura.ne.jp/d943.mp3
ピアノ:レオナード・ホカンソン ホルン:クラウス・ヴァーレンドルフ
1981年10月10日バートウーラハ (HMT81-2とHMT84-1の2種の現地限定アルバムに収録)
(mp.3対応のブラウザの方はそのまま聴くことができると思います)

どちらのCDの裏ジャケもピアノはヘルムート・ドイチュになっている。
しかし実際はこの日の演奏会はホカンソンだった。
ドイチュは82年からこの音楽祭に参加している。別日に同曲を共演していた可能性もあるが、それよりは、このCD自体が1982年や84年の演奏会からの音源を数曲加えた編集盤で、それらはすべてドイチュが弾いていることからくる誤りだったのだろう。
ちなみに中面の曲目表記はホカンソンになっている。おそらくこのCD製品化には複数のテキスト編集者がかかわっていたのだろう。受け手の自分たちは表示されているデータを信じるしかないわけだから、正確な記録を心がけてほしいものだ。
posted by あひる★ぼんび at 22:18| Comment(0) | プライ

2021年02月28日

97年日本でのシューベルト連続演奏会

https://www.youtube.com/embed/SMf99RKsAas
(消去されました)

1997年1月〜2月、プライは来日公演を行い、シューベルトの作品を連続演奏した。
前年末あたりから、体調不良を実感していたようだが、シューベルトイヤーを記念したこの企画は実行された。
「冬の旅」のオーケストラ版のドイツ圏及びワールドツアーと同時進行で、
明らかに体力を消耗させていたが、
それでもそこまで無理をしたのは意識的か無意識か、タイムリミットを感じていたのだろう。
70歳を前にした単純な焦りとは異なるのは明白だった。

この演奏会の3大歌曲部分はNHKが記録編集し、テレビ放映された。
したがってyoutubeでは所詮違法アップロード、遅かれ早かれ間違いなく消されるものである。

当時も、今も話題になる「白鳥の歌」のミスはオンエア時には修正されている。
終演後、倒れこんだプライに、NHKが編集用素材の部分的な撮り直しを要求した話は以前もここでとりあげた。この放送に関しては、ホームビデオに残した人も多かったと思うが、命の灯火を燃やしつくすように歌ったステージの記録である。ぜひ早期に製品化を望みたい。

4月追記:案の定、動画は削除されたようだ。
逝去した人は、そのままでは「過去の人」になってしまう。記録された映像や録音物は「存在していたこと」をリアルに感じさせてくれる唯一のタイムマシン。
製品化が無理でも、本当に、図書館的にでも閲覧可能なライブラリーを構築して欲しいものだ。

posted by あひる★ぼんび at 14:21| Comment(2) | プライ

2021年02月18日

若きドミンゴとプライのボエーム

2021年3月2日をもって「さくらのブログ」新規アカウントの受付を終了いたします。
パーソナルホームページに続き、いよいよブログの時代も終わりなのかな。
情報発信の主軸の移動は時代の流れには逆らえないわけで。
さくらがサービスを継続してくれる限り、ここは続けるつもりだが、以前の3つのサーバー会社のように「突然消去終了」もあるから油断できない。それらは有料無料関係なしだった。業界の常識なのか?

+++++++++
1970年代、若きプライとドミンゴの共演。ドイツ第2放送のTVオペラ番組。
プッチーニの「ラ・ボエーム」である。
これも多くの作品と同様、作曲者のコンセプトを損なわない程度に、ストーリーや登場人物を省略し、そこはナレーション等で補っていた。
これより以前の「ラジオオペラ」と同様にオペラの本質には「娯楽」があることを理解させてくれるシリーズだった。プライは常連だったが、ドミンゴはちょっと珍しいかもしれない。
元バリトンのドミンゴと、テノールも歌えるプライの音域はそれほど遠くないはずだが、モーツァルトやドニゼッティのアンサンブル曲が得意だったプライに比べ、ドミンゴは声の存在感と艶を優先していて「合わせ」が苦手なのがわかる。


https://www.youtube.com/watch?v=SWjYYRP0Bes

人生においても「一途な愛妻家プライ」と、現在「多数のセクハラ訴訟を抱えるドミンゴ」では生き方も大きく違ったようだ。いやまあ、そこは価値感の違いであって、彼らが生み出す音楽の質とは関係ないのかもしれないが^^;
そんな二人の歌の共演が映像で残っているのは貴重だと思う。
(映像として知られているプライのアイゼンシュタイン、ドミンゴ指揮の「こうもり」は楽しかった)
posted by あひる★ぼんび at 19:39| Comment(6) | プライ

2020年07月11日

プライの誕生日

1929年7月11日、プライはベルリンで生まれた。
父の名はヘルマンプライ、祖父の名もヘルマンプライ。
どうやらプライ家の家督継承者の名は代々へルマンだったようだ。
ビスマルクを信奉する、大きな精肉商社を営む厳格な父と、音楽好きの優しい母。
学齢になるとすぐに全寮制の名門校に入学し、神学やラテン語、そして音楽を学んだ。
やがてドイツは思想も価値感もナチス党に独占され、彼も自動的にヒトラーユーゲントに所属させられた。
しかし父へルマンはアンチヒトラーで、息子に届いた召集令状を握りつぶし暖炉にくべてしまったほどだった。終戦間際だったからまだ良かったが、へたをすれば逮捕厳罰だったろう。

プライは芸術家として芸術のために歌ったのではない。
音楽への限りない愛情の具現。
常に聴き手に喜びや感動を与えられる歌い手を目指した。
聴き手の裾野をひろげようという努力は、テレビや音楽映画出演。リサイタルの構成や編曲による普及の工夫など、それこそ人生の最後までその方針は曲げなかった。
多分、父譲りの頑固さ--

ヴォルフ「あばよ!」
https://www.youtube.com/watch?v=fDsz2pSRtec

posted by あひる★ぼんび at 13:03| Comment(9) | プライ

2020年04月04日

プライ晩年「水車小屋」ギター新編曲の試み

19世紀始め、対ナポレオン戦争後の反動期。文化芸術活動の社会的な制約は凄まじいものがあったようだが、それでも市民階級のエネルギーは充実しはじめていた。フォン・ヴェーバーやシュポア、そしてシューベルトのリートの数々は中流市民階級の「社交場の気楽な音楽」として、ギター伴奏でも楽しまれていた。
ピアノに比べ音量のないギターは歌手側にも負担は小さく、伴奏・歌唱、双方それなりの難易度調整が容易だったのだろう。
そういった多くの編曲は出版されることなく、あるいは正確に記譜すらされずに消費・消滅したようだが、いくつかは現在も聴くことができる。
プライは、「ギター・リート」については、70年代のフィリップスリートエディションではジルヒャーのみとりあげている。
彼は、「ギター・リート」が、ビーダーマイヤ―時代の流行やシューベルト音楽の受容を考えるうえで重要であると捉えていた。
しかし、現代人が音楽ホールのコンサートで聴くのに適しているかは別問題だとわかってもいた。
ピアノの深い表現力に比べ、ギターはあまりに貧弱だった。
音符を音価通りにただ弾いたのでは、ピアノリートの芸術性には届きようもない。
プライはしばらくこのスタイルに手を出さなかった。
80年代になると、シュライアーが名ギタリスト・ラスゴニックと、エレクトローラに「美しき水車小屋の娘」全曲、アルヒーフにフォン・ウェーバー、カプリッチョにロマン派リート集…と、ギター・リートを数多く録音しはじめる。
他の歌手もコンサートでとりあげることがあり、プライは目ぼしいものは聴いていたようだ。

1994年、プライはギタリストベンジャミン・ヴァデリィとニューヨークで邂逅、新しい意欲に目覚めることになる。
それはまさに「シューベルトのリートをビーダーマイアー時代の流行スタイルでステージに上げること」だった。
ギタリスト・ヴァデリィの覚書によると、プライとの最初の出会いの時、とりあえず持って行った3曲「野ばら」「夜曲」「漁夫」を初見で合わせ、最初の2曲をすぐに気に入った様子だった。しかし「漁夫」は「フラメンコ風」に再編曲することを希望したという。
「私はピート・タウンゼント(元ザ・フーのロックギタリスト)と共演している君のステージに感銘をうけたんだ。ぜひああいうスタンスでシューベルトをやってほしい。世の評論家が色々言ってくる?そんなことは君は気にしないでいいよ。」
こうして、95年のニューヨークのシューベルティアーデで共演し、高評価を得ている。

1997年、「美しき水車小屋の娘」のギター版をバートウラッハのステージに上げる計画を立てた。
そのプロジェクトの練習時、一般的に入手できる楽譜で歌い始めたプライは10曲目まで極めて上機嫌だった。
ところが11曲目で急に「×××」←ロックミュージシャンが言いそうなかなり汚い罵りのあと、歌うのをやめたという。
ピアノパートをできるだけ忠実にギターに移植した場合、中央のキイを動かすと、ピアノでは可能でもギターではできないことが多い。厚みを得るためにギターの中低音を多用すると、圧倒的に音域が不足し、上げると軽くなりすぎる。高声よりに書かれたオリジナルゆえの不整合。この曲でそれが顕わになったのだという。
すぐに楽譜を探し、試行錯誤の編曲作業が始まった。
この版はバートウラッハで初演され、大成功だったという。
Ben&Prey.jpg
ヴァデリィの話では、バートウラッハで印象的だったのは、プライはステージに上がる直前に「またあとで会いましょう」と言ったのだそうだ。
これから共演するのに何故?と思ったが、すぐに理解した。
プライはステージに踏み出した瞬間から粉ひき職人になっていて、最後の拍手の後に「やっと戻ってきた」。
そして最後に「何て素晴らしい旅だった」の一言…。
こういったプライの音楽に対するストイックな情熱、ステージでの「憑依」に大きな衝撃を受けたという。

プライは、この版をより磨き歌いこみ、自然なものにすることや、オケ版「冬の旅」のワールドツアー、そしてオケ版「白鳥の歌」の構想を実行に移すことなど、いくつものプランを練っていたという。
しかし、圧倒的に時間が足りなかった。
最後の一連のプロジェクトのひとつだったこの演奏、録音か映像が必ず残されいると思われる。
できることなら、視聴してみたいものだ。

posted by あひる★ぼんび at 22:43| Comment(6) | プライ

2020年02月24日

思い出のレコードからG〜プライのパイロット盤

あっという間に2月も終盤。
またまたこのブログの更新が滞っていました^^;
新年のご挨拶もせず、申し訳ない・・・

*********

これはここでも何度か話題に出したことのある販促盤。中学時代に買った。

pl-prey-ms.jpg

 シューマン:「詩人の恋」
 マーラー:「さすらう若人の歌」

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン(ピアノ)
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(フィリップス LP 国内盤)




「詩人の恋」は超がつく有名曲だから、楽譜が入手しやすい。リート鑑賞入門者にとっては最適な教材といえるだろう。しかしもちろん、シロウトが本格的に歌うのは無理で、即座にシューマンの技法に色々な意味でノックアウトされる。
「さすらう若者の歌」も、カラフルで描写的な音色が音楽自体の難解さを超越している。民謡風の佇まいなのに、歌と管弦楽のバランスは複雑で、声も楽器パートの1つと思えるほど、縦の関係が重視されている。

この盤を買ったのは、高校受験の年だった。
音楽を聴きこんだりドイツ語を読みとる努力をする時間があるのなら、受験に役立つ勉強をするべき、という時期だったのだが、両親は何も言わなかった。
19世紀ヨーロッパの芸術や文学への興味はすでに自分を飲み込んでいた。だからすぐに「詩人の恋」は詩を暗記してしまった。「さすらう…」の詩はハイネに比べると散漫な印象で、韻や語の選び方が独特で覚えずらく、あえて深入りしなかった。あとで知ったが、この詩はマーラーが「こどもの不思議な角笛」の延長のようなスタイルで創作したものらしい。今読むと、かなり名作コラージュになっていて、若きマーラーの文学的な「憧れ」の具現のようにも感じる。

この盤は購入後間もなくから高3ぐらいまで、多くの友人や先生に貸し、随分あちこち旅をしていた。
その為、さすがに盤面が荒れてしまい、数年ののちに買い直したほどだ。
なぜ、この盤だったか。それなりの理由がある。このホカンソンとの「詩人の恋」は「リーダークライスop24」やシューベルトリート選集と組み合わせたレギュラー盤も出ていたのだが、それらはどれも最後の第16曲がB面になっていて、不自然だった。片面に全曲収録したのは、この販促盤だけだった。30分越えのカッティングは音に影響するものだが、曲の一貫した流れを断ち切らない為には絶対に「これ」だった。

言うまでもなく「詩人の恋」も「さすらう若者の歌」も恋のときめきと破局、昇華を描いた作品。
「詩人の恋」の原詩「抒情的間奏曲」の主人公の年齢設定はわからないが、作品自体がハイネ26歳前後なので、だいたいそれぐらいの主人公ということだろう。
「さすらう若者の歌」は原題がLider eines fahrenden Gesellen「ある遍歴職人の歌」。
Gesellenということは、主人公は徒弟は終えていて、おそらく20代前半ということになるだろう。
両曲とも、つきまとう死の影やどこか老成した悟りを感じるのは時代性だと思う。

以前、このブログで「詩人の恋」はシューマンの「冬の旅」と書いたことがあった。
それはハンプソンによるこの曲集の初版「20のリート」についてである。
ハンプソンは実に苦々しく厳しい解釈を聴かせてくれた。
しかし、ここでのプライの歌唱には、そういった悲壮感や諦念はどこにもない。喜びも悩みも悲しみも前向きに描き出されていて、生命力に溢れている。
遅いテンポと丁寧な発音で、歌い飛ばすことなく物語を噛みしめていて、とても素直に聴こえる。
こういった、死や不幸の予感を排したまっすぐな雰囲気には賛否もあろうが、当時のプライの、他者には(先輩ホッターにも、比較されがちなディースカウにも)真似できない美声歌手プライの個性だった。当時の彼の歌は、素直なシューマンとか、親しげなブラームスとか、いつも独特なアプローチになっているのだ。
また、この盤は録音も残響の具合がソフトで美しく、程よい空気感が心地よい。

225939ss.jpg
あとひとつ、演奏とは関係ないが、同梱封入の「フィリップスベスト100選」のカラーリーフが、なかなか良い。
あの頃はなんでもなかった広告の、小さな懐かしいジャケット写真の数々が、素敵な思い出を呼び起こしてくれ、45年の年月を遡らせてくれるのだった。
posted by あひる★ぼんび at 00:48| Comment(4) | プライ

2019年10月17日

コルンゴルトの死の都

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897- 1957)が、ベルギーの詩人ローデンバックの「死都ブリュージュ」を原作とした脚本に付曲したもの。作曲家が23歳の時の作品である。
モラヴィア生まれのコルンゴルトは、幼少期から天才少年として評判を呼び、発表する作品はどれも高評価を得ていた。1938年にアメリカに亡命するまで、ヴィーンを中心に活躍を続け、数々のオペラを発表した。
その一つの頂点が「死の都」である。
1930年代以降、ナチス政権下での彼は、ユダヤ系であるせいで弾圧を避けることが出来なかった。
亡命以降はハリウッドで活躍。映画音楽作曲家として名を馳せることとなった。
亡命にあたり、多くの作品を失ったわけだが、それらの多くは支援者によって復元や修復がなされ、消滅を免れた。この不幸中の幸いは、当時人気の作曲家だった所以と言えるだろう。
しかし戦後、純音楽作曲家としてヴィーンで復権をはかるも、すでにその音楽は「時代遅れ」であり、ドイツ文化圏では映画音楽は下流とみなされていたこともあり、ハリウッドでの高評価に反して黙殺に近い仕打ちをうけてしまう。
失意と苦悩の中、再びアメリカに戻り、1957年に脳出血で逝去。なんとも寂しい人生の終わりだった。

「死の都」のストーリーはこんなふう。
第1幕
*若者パウルは、愛妻マリーを失うが、その死を受け入れられない。
パウルはマリーを偲び、自宅に「名残部屋」を構え肖像画や遺髪などを陳列している。
*友人フランクはパウルに現実の生を考えろと説く。しかしパウルは「マリーはまだ生きている!」と言い張り「街でマリーに再会した。じきにここに来るだろう」と言う。
*間もなく、若く美しくマリーそっくりの踊り子マリエッタが家を訪れる。
*パウルは彼女のことをマリーと呼ぶ。事情のわからぬ彼女は否定。
*マリエッタは誘惑するように歌い踊るが、やがてマリーの肖像画を見つけ、自分はその代わりなのだと悟り、家を出て行く。
*亡妻への思いとマリエッタへの興味に心を引き裂かれるパウル。
*マリーの肖像画から彼女の亡霊があらわれ、「私を忘れないで」と言う。その後すぐにその姿はマリエッタに変わり「自己を失わず自分の生き方を通しなさい」と諭す。
<第2幕>
*マリエッタの家の前を徘徊するパウル。
*友人フランクが現れる。彼もマリエッタの虜となっていた。フランクが彼女に受け入れられた証として見せたマリエッタの家の鍵を、パウルは奪い取る。
*マリエッタが舞台仲間たちと通り沿いの水路に船で現れる。彼らはパウルのことを皮肉りはしゃいでいる。
*彼らは『悪魔のロベール』の稽古をはじめる。マリーの清楚さをマリエッタに重ねていたパウルは、不貞娘を演じようとすマリエッタを諌める。そんなパウルを囃し立てる舞台仲間たち。
*マリエッタは「これはパウルとの個人的な問題だから二人だけにしてくれ」と言う。
*マリーの幻影を打ち消すことに執念を燃やすマリエッタ。
*ついにパウルは誘惑に負け、彼女と一夜を共にしてしまう。
<第3幕>
*勝ち誇った様子のマリエッタ。パウルは誘惑に負けた自分を恥じる。
*マリエッタは、パウルの目をさまそうとマリーの遺髪を持ち出し、からかうようにてもてあそぶ。
*激嵩したパウルは遺髪の束を奪い返し、その遺髪でマリエッタを絞め殺してしまう。
*我に返ったパウルは、マリエッタの遺体にすがり、つぶやく。
「彼女も本当にマリーそっくりになってしまった」
・・・
*家政婦ブリギッタが「お客様がお忘れ物の傘を取りに戻られました」と告げる。
*パウルはふと目を覚ます。マリエッタの姿はどこにも見当たらない。ずっと幻を見ていたのか?
*ついにパウルはマリーとの思い出のつまった街と屋敷を離れ、新しい暮らしへ踏み出すことを決意したのだった。

まさかの夢オチ物語!!
どこからがパウルの幻想なのだろう?不安定な世相を反映したような奇談であり、オカルトっぽさもある。
映像作品としてうまく演出すれば「世にも奇妙な物語」風に面白いものができそうだ。
この作品は大戦をはさんで、上演はほとんどなくなっていたが、1970年代にコルンゴルト復権の機運が盛り上がり、1975年6月にラインスドルフが全曲盤を録音すると、ぼちぼちながら再演にとりくむ劇場も出てきた。
ただ、積極的に取り組まれないのは、Rシュトラウス風の大きく構えたオーケストレーションに加え、楽器の種類の多さと、パウル役の歌手の力量が極端に要求される為、難しいからだろう。そんな難しさがある割に、作品自体は求心力が幾分不足していて、割にあわない。そうなると今後も残念ながら頻繁に舞台にかかる作品にはならない気もする。

tote.jpg
コルンゴルト:『死の都』全曲
 ルネ・コロ(パウル)
 キャロル・ネブレット(マリエッタ/マリー)
 ベンジャミン・ラクソン(フランク)
 ヘルマン・プライ(フリッツ) 他
 テルツ少年合唱団 バイエルン放送合唱団
 ミュンヘン放送管弦楽団
 エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)
(RCA CD2枚組ドイツ輸入盤/LP3枚組米国盤)



ラインスドルフによる世界初の全曲録音。
ラインスドルフはこういった「知られざる作品」を絶妙なバランスで聴かせるのが得意だったようだ。
このブログでも先にシューマンの「ファウストの情景」(2度録音)やコルネリウスの「バグダッドの理髪師」をとりあげているが、どれも歌手達がマエストロを全面的に信頼してついてきているのがわかる演奏になっている。
コロとネブレットはこの難しそうな役を見事に、そして甘美に演じきっている。また、プライはパウルをおちょくる役として第2幕にちょっとだけ登場する。彼の声で有名な「ピエロの歌」が聴けるのが嬉しい。

posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(2) | プライ

2019年10月07日

ベーマーヴァルト♪

久々の更新。
本格再始動まではもう少しかかるかもしれないけれど、まずは軽く^^

プライは冗談好きで基本「上機嫌」ながら、気性の変化が激しく、癇癪持ちと言われていた。
地雷、起爆スイッチが多い性格は厄介な気もするが、クレンペラーやシューリヒトとも関係が良好であったというから、年長者に可愛がられるタイプだったのだろう。
しかし、近い世代となると様相は変わり、共演の多かったHシュタインとは何度か大喧嘩もしているし、ブレンデルやバイロイトのヴォルフガング・ヴァグナーとは険悪だったわけで、まあ、全部含めて人間プライの面白さだと思っている。
さて、そんな中でのカール・ベーム。
気難しいとか、とにかく偏屈な老巨匠と、アーティストの間でも一般聴衆からも捉えられていたベームだが、プライとは生涯良い関係を築けていた。共演も数多く、モーツァルトのフィガロ役は彼の推薦あっての成立であったとも言われている。
(喉への負担が大きいとして、それまで歌ってこなかったこの役のオファーを断らなかったのは、本人の意思を越えた大きな力が働いたと想像できる)

ベームの誕生日を祝う公開放送のVTRがあったので貼っておく。1979年8月27日のものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=TXHxf7MWZpk
(youtubeなので消えてしまっていたらごめんなさい。)
若干、画像に乱れがあるが、アコーディオン弾き語りの姿は貴重な映像だ。
デビュー前、連合軍キャンプ(主にソ連)で日銭を稼いでいた頃の姿がどんなふうだったか、ここから想像するのも楽しい。
曲は「ボヘミアの森深く」の替え歌。
ボヘミアの森=ベーマーヴァルト(ベームの森)
若々しいプライ、そして元気そのものの笑顔のベーム。
翌年、日本でのフィガロ公演のベームに比べてもとても若く見える。
幸せで楽しい時間は人を輝かせるものなのだと、改めて思った。

もうひとつ。
オペレッタの巨匠、ロベルト・シュトルツと共演した番組。
慈しむような優しいシュトルツのピアノにのって、プライは持ち前の温かい声に憧れをいっぱいにこめて歌っている。世代差も格の上下もない、音楽へのひたすら深い愛情を感じる演奏だ。
「父の家の前に菩提樹が立っている」

https://www.youtube.com/watch?v=Tk2HKw62fpU

父の家に菩提樹が立っている
家の前にはベンチが置いてある
私がそこに立つとき
菩提樹は再び音を響かせる
親愛なる懐かしい古い歌
私は夢の中でいつもそれを聴いた・・・


ここでの2人は、大巨匠と若手歌手というより、本当の父子、祖父と孫、といった感じに見える^^


posted by あひる★ぼんび at 23:05| Comment(3) | プライ

2019年07月11日

プライ生誕90年。栄光のミサ。

今年はヘルマン・プライの生誕90年メモリアル。
しかし、大きな動きは見えていない。残念に思う。

1929年、ベルリン。ヘルマン・オスカル・カール・ブルーノ・プライは生まれた。
世界大恐慌からナチス台頭に至るヨーロッパ激動期だった。
決して名家出身ではなかったが、ビスマルクを信奉する強い個性と意思を持った父親と、代々築かれたプライ家の経済力の豊かさで、安定した幼少年期を過ごすことができた。
息子を「ビスマルクの出身校」にとにかく入れたかった父親は、プロテスタントの全寮制ギムナジウムに入学させている。プライ家の宗派は、特に自伝には明記されていないが、この「入学」をめぐる書き方が、本来の家柄はカトリックだったのかもしれないと思わせた。
また、通常、商家であれば、子の進路はギムナジウムではなくハウプトシューレ(実業学校)を選択する。屠殺精肉業は、根強い職種階級が出来ている戦前ドイツでは下に見られがちだし、同業者にはユダヤ系も多かったようなので、あるいはそういった身分の負のスパイラルを抜け出させる機会と考えたのかもしれない。
半ば無理やりインテリ階級のエリート校に息子をねじ込んだ押しの強い父は「地域の食を牛耳っている」大物オーラを振りまいていたのではと想像出来る。なにしろ息子に来た召集令状すら破って燃やしたほどの明確なアンチヒトラーでもあり、よくナチスに疑義をかけられなかったものだと思う。
但しそれは平和主義・博愛主義とかではなく、ビスマルク時代のドイツ帝国への愛国心の強さがそうさせていたようで、純粋な愛国者であったようなのだ。そのへんは国防軍の貴族出身の上級将校に多いタイプのようだった。この頑固な父と、音楽好きの母、敬虔な全寮制名門校での生活、そこでの聖歌隊への参加を通して、少年プライの人間性は作られていったようだ。

pucci-simone.jpg
プッチーニ:ミサ・ディ・グローリア(4声のミサ曲)
フィルハーモニア管弦楽団
アンブロジアン合唱団
クラウディオ・シモーネ(指揮)
ホセ・カレーラス(テノール)
ヘルマン・プライ(バリトン)
(エラート LP/CD 国内盤)


通常通りの「グローリア」のテキストによるプッチーニのこのミサ曲は、故郷ルッカのアントニオ・パッチーニ音楽院の卒業制作として1880年に作られた。学校や聴衆の評判は良かった。しかし、プッチーニ自身は不納得だったようで、出版や演奏を禁じてしまい、長らく埋もれた曲となった。全曲の再演は1951年、出版は1974年である。
プッチーニの一族は代々教会音楽で名の通った家柄だった。当然その界隈の人は期待したはずだが、プッチーニは教会音楽の世界を探求せず、芸術より娯楽に近い「オペラ」に手を染めたのだった。一族の異端児となるには強い心の葛藤があったことだろう。
音楽院に提出してしまった作品のなで回収する意味はなく、ゆえに破棄しなかったが、まもなく動機や主題を「エドガール」や「マノン・レスコー」に転用し、有効活用している。
完璧に磨くのではなく解体した…いよいよ、教会音楽家の世界とは決別することを示したわけだ。

この曲はキリエ〜グローリア〜クレド〜サンクトゥス・ベネディクトゥス〜アニュスデイという標準的な5章からなるが、グローリアとクレドだけで全体の半分を占める「頭でっかち」構成になっている。
再演後一般には「ミサ・ディ・グローリア」の名で知られるようになっていった。プッチーニ自身がつけた「4声のミサ曲」という題はあまりにも味気ないから、まあ、それは別に良いだろう。しかし演奏禁止曲を無断で再演したのは良いことではない。出版については遺族の承認を得たようだが・・・。

曲は穏やかで、後年のプッチーニを彷彿させる美しいメロディも持つ。録音としては出版時期1974年頃に同じエラートにコルボによる盤がある。
シモーネのこの盤は1983年である。1975年にはインバルがフィリップスに録音し、コルボは1993年再録音している。その後はパッパーノが録音したりと、「宗教曲」と考えたら、中々の「人気曲」といえるだろう。
カレーラスもプライも、宗教曲らしい敬虔で丁寧な歌い方だ。ラテン語歌唱なので、スペインテノールとドイツバリトンが並んでも違和感は小さい。直感的に音楽の芯を捉え、万全に学習してから、自信を持って感情を乗せて歌うプライのスタイルはいつも通り。それほど歌い慣れていないこういった曲でも、少年期からラテン語を学んだ彼ならではの自然な言語感覚で聴くことができる。


posted by あひる★ぼんび at 22:34| Comment(2) | プライ

2019年06月21日

ガスパローネ!

プライは1975年をもってフィリップスでの一連の録音を終えると、以後、劇場契約と同じように録音に関しても「スポット」的なフリーな状況になろうとした。
この頃、過剰な仕事量が彼の神経を蝕んでいて、晩年のヴンダーリヒと同様、「やめたい病」の兆候もあったようだ。
その辺を自身も危惧していて、1977年には半年の休業とレパートリー精査を試みている。ただ、精査と言っても「リート・オペラ・宗教曲」を中心において、「テレビ出演・ポップス」は制限しよう程度の大雑把さで、音楽界を爆走するヘルマン機関車のダイヤはさほど変化ない状況だったようだ。
彼自身は「冬の旅の精神が自分の気質だ」とか「孤独だ」という発言することがしばしばだったが、結局のところ実際は彼の中のフィガロやパパゲーノ的な楽天性が彼を救っていたようにも思える。
プライはロルツィング、ミレッカーなど多くの「ロマンテイック・オペラ」の全曲盤を60年代半ばからEMIに録音していた。
「ガスパローネ」についても、60年代にすでにハイライトの録音はしていたものの、全曲録音は行われず1982年にEMIに戻ってからとなった。
バイエルン放送局の企画であり、おそらく恒例として映像作品も作られただろう。

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ミレッカー:「ガスパローネ」(全曲)
ヘルマン・プライ(エルミニオ)
アンネリーゼ・ローテンベルガー(カルロッタ)
ギュンター・ヴェヴェル(司法長官)
ヴィッリ・ブロクマイアー(ジンドルフォ)他
バイエルン国立歌劇場合唱団 ミュンヘン放送管弦楽団
ハインツ・ワルベルク(指揮)

(EMI LP/CD 2枚組 ドイツ輸入盤)


ガスパローネは実在したとされている盗賊。1830年、243人殺害の容疑で収監されている。
ミレッカーのこのオペレッタはこの人物がらみではあるが、ガスパローネ自体は登場しない。その伝説を使って騙しあいがくりひろげられるドタバタ喜劇である。
1884年初演、ヴィーン、ベルリン、ニューヨークで大ヒット作だったと伝えられている。

あらすじはこんな風。

物語の舞台はシチリア島。世間は大盗賊ガスパローネの噂でもちきりだった。
お金持ちの未亡人カルロッタと司法長官(市長)の息子シンドルフォとの結婚が進められている。
しかし、実はこの司法長官、息子の幸せなどどうでもよく、カルロッタの財産だけが目当てだった。
そこにやってきた謎の異邦人エルミニオ。
彼は居酒屋主人とその従兄弟がガスパローネの名を利用して密輸を企てているとつきとめた。
2人は「エルミニオこそがガスパローネだ」と司法長官に讒言、それによる報奨金をせしめようとする。
エルミニオは、その悪党2人に「ガスパローネの犯行と見せかけてカルロッタの馬車を襲えば、きっと儲かるよ」とそそのかしをかける。
「ガスパローネがカルロッタを襲って全財産を奪った」と思った司法長官は、無一文には用がないと、さっそく息子の結婚を取りやめにする。
そして裁判。
そこでエルミニオは自分は総督(国王代理人)であると明かす。
居酒屋主人は妻に免じて罪を許し、その従兄弟は報奨金詐欺と強盗の罪で監獄送り、司法長官は家政婦との結婚を条件として不問とすると裁定。
そしてエルミニオはカルロッタと結ばれ、めでたしめでたし(?)

つまり、一番の悪党は権力をかさに金持ちの未亡人をせしめるエルミニオなのだが、「めでたしめでたし」ならそれでいい、というタイプのナンセンス劇。長官の息子の扱いも酷いものだ。
こんなストーリーでも大ヒット作というのが、この時代らしい。
例によって、プライたちは実に楽しげにこの作品に取り組んでいる。
高貴さもあり、いい人っぽく、でも詐欺師のようでもある、そんな役をやらせたら、この世代ではプライの右に出るものはいないだろう。
しかしできれば60年代、若き日に入れてほしかったと贅沢なことを考えてしまった。
盤はLP、CD共に数種類のリマスターが出ている。幸い、ワーナーに変更後もそのまま存在しているのがありがたい。

posted by あひる★ぼんび at 22:21| Comment(4) | プライ

2019年03月09日

プライのダルベール

世界を舞台に活躍するプロフェッショナルの歌手は、法律はもちろん、その業界のルールの中で生きるしかない。趣味で歌うとか、酒場でちょっと歌って小銭を稼ぐのとは違う。
音楽業界は完全に「契約ビジネス」であり、権利関係の重なり合いの、複雑な構造の中に置かれるのだ。

プライはその辺の感覚が少々ラフだった。もちろん、破綻するほど大きく踏み外すことはなかったわけだが、ベルリン音大の退学事件も、最初の2つ以降は特定歌劇場と専属契約を避けるようになったのも、大手レーベルとの長期契約を避けたことも、彼の元来の自由人の気性がそうさせたようだった。

プライは1952年、ベルリンとニュルンベルクのコンクールで優秀な成績をおさめた。
結果、ヴィースバーデン・ヘッセン国立劇場と契約を成立させることができた。
この声楽コンクール優勝はドイツ語圏の新聞等にかかれたので、プライ自身は当然「スター誕生」を意識したようだが、実際は、契約のきっかけにはなったものの、中での「扱い」には何のメリットもなかった。
当時の彼は当惑し、落胆したようだ。学歴やコンクール入賞歴が関係ないのは歴代の大歌手や偉大な先輩ディースカウを見れば明らかなのだが、身に滲みたのは、実際に仕事をはじめ、新人の痛みを経験してからだったろう。
日本では現在でも学歴・入賞歴・師匠が重要視されるが、ドイツではまるで事情が違うようだ。
歌劇場では新人青二才相応の役しかもらえず、リートリサイタルやレコーディングも劇場支配人の許可が必要だった。1年たたずに移籍したハンブルクでは、ダルベールの「低地」や、ローカルオペラのいくつか、メジャー作品ではプッチーニの「外套」、「ボエーム」や「トゥーランドット」の端役など、与えられた機会をこなしていく日々を5年ほど続けることになる。
53年にはコロンビア・エレクトローラと契約を結んだ。
順調な滑り出しではあったが、バリトンに回ってくる役は限られ、仕事を選択する自由も制限されるのが、彼を精神的に消耗させていたようだ。
当然、プライは違反ギリギリの綱渡りをいくつか試みてもいた。その辺は自伝にくわしいが、真実はあんな気楽な話ではないと思われる。
ただ、その性格からか、契約劇場の支配人の理解も得られたのは幸運だったろう。
以降、プライは特定劇場と契約することなく、フリーランスとして長い歌手人生を送る。
「いかなるときにも自由に、人々に喜びを与える歌手でありたい」をモットーに世界を羽ばたき続けたのだった。

ダルベール(1864−1932)はイタリア系フランス人の血統を持つスコットランド生まれの作曲家。本名をウジェーヌ・フランシス・シャルル・ド・アルベールという。オイゲン・ダルベールとしてもっぱらドイツで活躍し、作品は現在では限られたものしか聴く機会がないが、交響曲、室内楽、20作を越えるオペラまで、あらゆるジャンルの作品を数多く残している。また、ピアノの腕はすさまじく、ヴィーン公演を聴いたブラームスを驚愕させたということだ。大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスは彼の弟子である。
ダルベールの「低地」は大ヒット作ではあったが、大戦時にヒトラーのお気に入りだった為に、戦後は「上演されない、録音されない」ものになってしまった。
そのせいか、プライのスタートを飾る作品にもかかわらず、当人の録音は残されていない。
現在ではドイツ国外を中心に再演される機会もでてきたが、当のプライはすでに鬼籍の人となってしまった。

プライが残したダルベール作品としては「門出」という1幕物オペラがある。

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ダルベール:一幕のオペラ「門出」
  ヘルマン・プライ(ジルフェン)
  エッダ・モーザー(ルイゼ)
  ペーター・シュライアー(トロット)
  フィルハーモニア・フンガリカ
  ヤーノシュ・クルカ(指揮)
(EMI ドイツ輸入盤)




ダルベールがアウグスト・フォン・シュタイゲンテシュという人の台本に作曲し、1898年に発表した作品。
6分の導入曲と40分の本編からなる、オペラというより演奏会の為のナンバーといった感じだ。
出演者もバリトン・ソプラノ・テノール3者だけである。
また、明快な音楽で、対訳ナシでも、充分楽しめる親しみやすさがある。

物語は…
ジルフェンとルイゼは倦怠ぎみの夫婦。しかし、ジルフェンは妻の浮気が心配で、ちょっとした旅もすることがなかった。この夫婦が醒めていることを知ったトロットは、ルイゼをものにしようとジルフェンに旅を勧める。ジルフェンはトロットの計略にいち早く気づき、乗ったふりをして様子を伺う。
さっそくトロットはルイゼを誘惑する。しかしルイゼは決してのらなかった。
ルイゼの変わらぬ貞操を知ったジルフェンに愛情が蘇る。二人はシャンパンを交わして夫婦の絆を確かめ、改めての門出を祝う。
そうして、トロットは寂しく去っていくのだった。

プライがこの作品を実際のステージで演じたかどうかはわからない。
聴く限り完全に自分の物としているのがさすがだ。ダルベール作品との相性の良さを感じた。
作曲年代よりいくぶん古風な序曲、続いて、重唱と独唱がバランスよく配置されている。
前半、ピアノ伴奏のみで進行するルイゼの場面は、甘く、美しいリートを聴くようだ。
この曲にはセリフも綿密なレシタティーヴォもない。ヴァグナー風に、途中のきれめがないので、一曲の長大なオーケストラリートのようにもきこえた。
この時代の作品にありがちな楽譜保存上の欠落、あるいは企画との関係で、たまたまカットして録音したのかもしれない。また、もしこれを実際に舞台上演するなら、何らかの演劇的な補足演出が必須になるだろう。
録音は1978年1月。
フィリップスとのエディション契約終了後、再びフリーとなったプライが古巣で行った仕事のひとつだった。
亡命ハンガリー人のオケ、フィルハーモニア・フンガリカとの共演というのも珍しい。
LPはQS4チャンネルだった。CD時代に入ってまもなく、EMIのライセンスを受けたCPOからCD化されている。また、のちにEMI名義に戻して廉価ボックスにも加えられた。

posted by あひる★ぼんび at 21:13| Comment(2) | プライ

2019年03月03日

ローカルオペラとプライ

ダルベールの「低地」、クロイツァーの「グラナダの夜営」、ネスラーの「ゼッキンゲンのトランペット吹き」。これらはプライが「ヘッセン国立劇場」や続く「ハンブルク歌劇場」の専属バリトンとしてスタートを切った時期によく歌っていた作品だった。

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クロイツァー:「グラナダの夜営」から3場面
ネスラー:「ゼッキンゲンのトランペット吹き」から4場面

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヘルガ・ヒルデブラント(ソプラノ)
ベルリン交響楽団、ベルリン・ドイツオペラ合唱団
マルティン・ミュルツァー(指揮)
ヴィルヘルム・シュヒター(指揮)  
(DACAPO LP 西ドイツ輸入盤)



これはクロイツァーとネスラーの抜粋が収められたレコード。
1957年にエレクトローラからリリースされたモノラル盤LP(ただし持っているのはダカーポレーベルの再発盤)である。
「グラナダ」のうちの2曲は、同時期にピアニストとしてブラームスの「民謡集」と「厳粛な歌」の名盤を生み出したミュルツァーが振っている。2曲だけなのは、おそらくこの彼との共演録音自体が「7インチ盤AB面」としてのリリースを想定したものだったのだろう。
あとはすべてシュヒターが受け持っている。
この盤の録音は、レコード時代から現在まで、何度も色々なコンピレーションに顔を出す録音なので、1曲1曲の貴重さは薄いかもしれない。しかし、独立してこの流れで聴くことでの「楽しみ」が貴重だと思えた。

プライはこのデビュー時期のレパートリーを晩年までないがしろにすることなく、歌い続けた。
その名が世界的になったことで、ローカル劇場以外では上演されることがなかったこれらの作品も忘れ去られずに済んだのだ。これはプライの業績のひとつと言えるだろう。
「グラナダ」も「ゼッキンゲン」も、自らが企画するバートウラッハの「秋の音楽の日」でとりあげている。「グラナダ」は主要ナンバーを演奏会形式で上演したほか、1993年にはケルン放送に全曲を録音し、また、「ゼッキンゲン」は短縮再構成版を上演し、どちらもカプリッチョレーベルからCDとしてリリースされている。ゼッキンゲンの過去記事
「ゼッキンゲン」を完全全曲にしなかったのは、予備知識の少ない多くの聴衆にとっても、とりくむ演奏家たちにとっても、最適な措置だったといえそうだ。いくらなんでも5時間越えのドタバタ劇をそのままやる意味は見出せなかったようだ。文献的価値ではなく、娯楽として受容されてきた作品が、最も輝ける最善の形を模索した結果だった。

プライはロルツィング、ミレッカー、ネスラー、クロイツァー、マルシュナーなどのローカルオペラを、生涯をかけて積極的にステージにあげ、レコーディングしている。ディースカウは「きわめてローカルで、芸術的に全く取るに足らない」として積極的には取り組まなかったが、プライはどうやら難しい理屈ではなく「とにかく好き」だったようで、愛情を込めて歌い続けていた。この辺はブロードウェイやロンドンのミュージカル作品を好んで歌った感覚と繋がっていそうだ。
来日時のインタヴューでも「ロマンティックオペラは日本人にお勧めです。きっと気に入って頂けると思います」と事あるごとに語っていた。実際、抜き出して歌われるナンバーは、ポピュラーソングを思わせる甘さや切なさを含んでいる。そんなプライの熱意にもかかわらず、日本ではステージは実現しなかったし、企画してみようという体力ある企画会社はあらわれなかった。リサイタルプログラムすら、ヴィーンオペレッタのナンバーどまりだった。残念なことである。

ダルベールについてはそのうち別にとりあげたい。

posted by あひる★ぼんび at 12:25| Comment(2) | プライ

2019年02月15日

プライのTV公開収録とPV

プライは、1968年、テレフンケン=デッカから出したいくつかの「E&U音楽」アルバム
(「祝祭的な夜をプライと共に」等)
にあわせて、宣伝用PVを作ったり、積極的に公開収録にのぞんだりしていた。

カロ・ミオ・ベン
Leise rieselt der Schnee
https://www.youtube.com/watch?v=Ii0bC-XRg4c


ブラームスの子守歌
https://www.youtube.com/watch?v=IIIBcV_tJoA


最初の動画はアスペクト比が変で、横にのびてしまっているが、若々しいプライが楽しめる。
オケの配置が奇妙だが、あくまで演出で、音声は当時の番組制作の恒例としてアフレコ・アテレコだ。
それより観客の中に^^

ブラームスのほうは典型的PVだが、DVDどころか家庭用録画再生機も珍しかったこの時代、こういうのはどこで鑑賞する為のものだったのだろうか、とても不思議だ。

posted by あひる★ぼんび at 23:17| Comment(6) | プライ

2019年02月01日

カイルベルト、ヴンダーリヒとプライの「千人」

keil.jpgカイルベルト、マーラー交響曲集
マーラー:交響曲第1番(録音:1950)
     交響曲第4番(録音:1967)
     交響曲第8番(録音:1960)
     交響曲「大地の歌」(録音:1964)

シュターツカペレ・ドレスデン(1番)ケルン放送交響楽団(4番)
ヴィーン交響楽団(8番)バンベルク交響楽団(大地)
ヨゼフ・カイルベルト(指揮)
独唱者多数
(memories 4枚組 EU輸入盤)



カイルベルトはロマン派オペラへの造詣が深く、新進の歌手に対してもバックアップを積極的に行っていた。
プライ、ヴンダーリヒ共にデヴューまもなくから彼を信頼し、慕っていて、カイルベルトも彼らの才能に惚れた様で、オペラでの起用も多かった。
のちにプライは回想して述べている。
「カイルベルトはいつも私に好意的でした。共演ではいつでも歌手本位でオケの音を絞り込み、最適につつみこむように導いてくれました。彼とのステージでは声を酷使する心配が全くなかったのです。1968年7月の彼の逝去は衝撃でした。この音楽界にずっといてほしいマエストロでした」

そのカイルベルトはこのスター歌手2人を独唱者に加え、マーラーの8番を演奏している。
1960年6月19日ウィーン芸術週間マーラー生誕100年記念演奏会である。

この時の演奏者は以下のメンバー

メリッタ・ムゼリー(第1ソプラノ、罪深き女)
ゲルダ・シェイラー(第2ソプラノ、懺悔する女)
ヴィルマ・リップ(第3ソプラノ、栄光の聖母)
ヒルデ・レッセル・マイダン(第1アルト、サマリアの女)
ウルズラ・ベーゼ(第2アルト、エジプトのマリア)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール、マリア崇敬の博士)
ヘルマン・プライ(バリトン、法悦の教父)
オットー・エーデルマン(バス、瞑想する教父)
フランツ・シュルツ(オルガン)
ヴィーン交響楽団  ヴィーン楽友協会合唱団
ウィーン・ジングアカデミー  ヴィーン少年合唱団


この年の芸術週間ではクレンペラー指揮フィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会、ワルター、ウィーン・フィルによる告別演奏会も行われていた。そこに祝典演奏としてのカイルベルトの起用。
彼は演奏会ではマーラーをたびたび演奏していたようだが、メジャーレーベルにセッション録音を残していなかった。その為、一般には彼のマーラーをイメージするのは難しいだろう。そんな中ではこのセットにも入っている男声2人版の「大地の歌」は唯一多くの人も聴く機会があった録音だといえる。また音質良好のステレオで残された4番はとても貴重なものだと思う。

ここでのカイルベルトの演奏は、交響曲好きからしたら、随分とオペラよりに聴こえるかもしれないが、これはこれでアリだと思う。たっぷりとした、かなり遅めのテンポ、濃厚な表情付け、声楽パートを際立たせる音量配慮。
マーラーの第8は特殊な位置にある音楽で、どう考えても「全2部構成の祝祭カンタータ」、聖書とゲーテという言語も違うテキストを使ってドラマ仕立てにしているわけで、作曲者が「交響曲」と言わなければ、そう分類されないだろう種類のものだ。当初交響詩として書いて後に交響曲に書き換えた1、2番、実質オーケストラリートの「大地の歌」など、マーラーの交響曲に対する感覚は独自のもので、時代の風潮もあって、かなり斬新で自由なのだ。そんなこともあって、カイルベルトは無理に純音楽的解釈をせず、ここではオペラ的な表現構築が許されるはず、と意識したのかもしれない。
実際、管弦楽、合唱共に演奏精度はそこそこ。古い映画音楽のようなラフさもあるのだが、それがここでは吉と出たようで、ギスギスした所がないことでハレの雰囲気がよく出ている。
モノラルのライヴ録音という音質の不備やテープのヨレを脳内で正方向に補えば、この高揚感はすごいものだと思う。
「千人」でヴンダーリヒを聴けるのはこれだけだが、プライはこのパートを担うことが多く、ドイツのバリトンの中では1、2位の出演回数かもしれない。
CDとして聴けるだけでもツィリヒ、このカイルベルト、ミトロプーロス、ハイティンク、バーンスタイン2種と映像、インバルなど、数多い。(クリップスともやったらしいが聴く機会がない)
この曲、プライの熱演だけでは必ずしも名演とはならない(当然!)わけだが、その声の存在感の大きさはいつもたいしたものだと思う。

「大地の歌」ではヴンダーリヒとディースカウが好演を聴かせている。彼らは同じ頃にクリップスともやっているので、もはやこの曲は得意曲になっていたのかもしれない。
プライはこの「大地の歌」について「この曲はアルトやメゾが歌ったほうが圧倒的に美しいのです。また、亡き子…やさすらう若人…もテキストは男の視点ながら、曲そのものは女声にこそふさわしいと思っているぐらいです」
この発言から考えるに、おそらくプライにも、マーラーブームに乗った音楽祭やレコード会社からたびたびオファーがあったのだろう。
プライは常に自分の声とのマッチ、その音楽のあるべき姿を意識してレパートリーを選んでいた。
その点で「大地の歌」は歌いたいものではい、歌うべきではないと考えたようだ。
それは「良いと思い、歌いたいものは歌う」というポリシーの裏返しでもあろう。
結局、最後まで、彼は踏み切らなかった。
少し残念な気もしている。

posted by あひる★ぼんび at 23:28| Comment(7) | プライ

2019年01月19日

プライとムーアの冬の旅

今年はプライの生誕90年のメモリアルイヤーである。
そのわりには音源発掘、復活情報が少ないのだが、これから少しは期待していいものだろうか。
もはや完全に「ヒストリカル」になってしまった彼の録音は、他の往年演奏家と同様、発掘される音源の素性が見えないという宿命を担う。本人が著作やインタヴューで言及しているものはよいのだが、ほとんどの場合、発売元の情報が全てとなってしまうからだ。
まあ、歌手の場合「声」があるので最低限本人かどうかわかる。
ただ、共演ピアニストは音だけでは判別できないので、言い分を信じるしかないだろう。

さて、これ。
pw1959.jpg

シューベルト:冬の旅 D911(全曲)
   ヘルマン・プライ(バリトン)
   ジェラルド・ムーア(ピアノ)

(JubeClassic)





1959年、ケルンでの録音という「冬の旅」だ。
ピアニストは名手ムーアである。
つい先日2019年リマスターが公開されたもので、表記を信じるならば1959年ケルンでの録音、ピアニストはジェラルド・ムーアということだ。
つまり、プライとしてはエンゲル盤の2年前ということになる。
この時期、2人ともコロンビア=エレクトローラに契約があり、欧米各地で演奏会も開いているから、これもその一環の録音なのだろう。音の様子からして放送用録音と思われる。
資料がないのは本当に困る。クラシック音楽ではそれも重要だと思う。おそらく、これらを聴こうという人は、これを生活の中のBGMとして楽しむわけではない。ある程度、襟を正してしっかり「鑑賞」するものだと思うからだ。今後、配信が主流になるといよいよデータ不備は顕著になるのではないかと危惧している。

ディースカウは戦後すぐからリサイタルで「冬の旅」を積極的に歌い、1950年代にはすでにスタイルを確立していた。それは幾人かの歴史的な歌手のスタイルとも、ヒュッシュの新即物主義的な解釈とも異なるものだった。ディースカウの分析はいつも適確であり、詩人の選んだ語句と楽曲のバランス、時代背景や哲学的な考察から切り込んでいくので、反論反証の隙は少ないのだった。
プライはそのディースカウのリサイタルを学生時代に聴き、強い畏敬の念を抱いていた。
プライはディースカウの真似など不可能とわかっていた。プライは詩人とシューベルトの感情の流れに着目し、テンポ、移調する場合の音の選択などを決めている。
常に世間から比べられるのはしかたないとしても、プライとディースカウは全く違う切り口なのだ。
プライが「冬の旅」をリサイタルプログラムにしたのはデヴューまもなくの1952年であり、「美しき水車小屋の娘」より早い。原曲によりそえば、「冬の旅」は原調は高いながら、声質的にはある程度の年輪が必要であり、対して「美しき水車小屋の娘」は声も若く高い方が良い事は見えていて、本来ならば優先するのは後者だろうと思える。しかし、そちらは最適な移調に苦慮し、披露があとになってしまったようだ。

この演奏を聴いた人は同じムーアのピアノによるディースカウのものとの違いに驚くだろう。
全曲で74分越え、遅めのテンポだが、プライの声が若く瑞々しいので、陰鬱さは全くない。
伸びの良い高音と充実した低音は30歳になったばかりの歌手とは思えない自信と威厳に満ちている。
幾分、響かせすぎているほどであり、この頃の彼が考える「冬の旅」はどのようなものであったか、興味はつきない。
プライは、少なくとも自伝執筆の頃(1981年)までは、「冬の旅」の主人公の設定をミュラーの体験に寄せてはいなかった。
若者であること以外身分職業も不明であるとし、旅に出る発端も追及していない。詩の中で表面化していない歴史的事件、政治信条、宗教や哲学を深読みするよりも、シューベルトの音楽のみをよりどころにその楽曲構成と形式、そして感情の流れに留意したようだ。

ここでのプライの「冬の旅」の主人公は、その姿と身に起こった現象は「傷心の若者」そのものだが、旅を続けるうちに、いつしか神の視点と同化を試み、その御許にあろうとするようだった。
それが「冬の旅」にふさわしいかどうかはわからないが、彼は諦念も失望も無理に織り込まなかったようだ。
感情の流れに不自然さがあっては、すべてがうそ臭くなると考えたのだろう。
後半曲、特に15曲以降の柔らかさは特筆だ。こんな解釈はなかなかないと思う。
多くの歌手では虚脱放心と陰鬱の方向にいく部分で、光を集め、魂はすでに現世を離れ自由を獲得している。
それは宗教曲、バッハの受難曲やミサ曲でキリストを歌うときと同じ佇まいなのだ。
自らが神と同化することで、既に救済されているかのようなのだ。
ライアー弾きの老人すら、どこにも見えてこないが、まるで孤独ではない。
むしろ希望と愛にあふれる道がどこまでも続くかのようだった。
尚、詩の語句選択は基本的にシューベルトの出版譜通り。よく話題になる16曲目はシューベルトの改変だが、20曲目や23曲目はミュラーの原詩という折衷となっている。

明るさがどこか風変わりで、「冬の旅」の一般的な姿からは遠く感じる歌唱ではあるが、またひとつ、興味深い「プライの冬の旅」が加わったことを喜びたい。

posted by あひる★ぼんび at 23:45| Comment(9) | プライ

2019年01月09日

プライとシューベルトの管弦楽版リート

「ヘルマン機関車どこへでも行く」
そんな風に揶揄されるほど、プライはあらゆるジャンルの歌を歌った。
活躍の場もオペラハウスやコンサートホール、教会礼拝堂、学校施設、TVスタジオ、ディナーショー…ヨーロッパ各国やアメリカだけでなく、南米、日本他のアジア諸国、そしてソ連などの東陣営各国、歌える場があるなら世界中どこへでも「爆走」したのだった。

プライはインタヴューで、音楽ジャンルによる声の使い分けについて問われた時、
「マイクの有無で響きを制御することはありますよ。でもチェンジではありません。私はいつでも私。私の声はいつでも私です」ということがあった。
1985年のダフィーによるインタヴューでは
「私はヴェルディのジェロモンを歌うときも、シューベルトの冬の旅を歌うときも基本的に同じです。」
しかし、1990年代の来日時インタヴューでは
「残念なことにオペラ歌手のプライとリート歌手のプライは一緒に来日しません。コンディション維持のためと思ってお許し下さい。」

ポップスやミュージカルを歌うことについては、
「私は良いと思い、歌いたいと思った歌はジャンルに拘らず何でも歌います」
「ただ、それらを歌い続けることはないと思います。私は両方で成功している歌手を知りません。ホフマンやコロもやっていますが、彼らが両方続けるとはきいていません。」

(後にホフマンは病気によるコンディションの都合もあり、オペラをやめポップスとミュージカル専門に転身している)
言葉通り、プライはレパートリーの精査を開始した80年代からは、ポップス系からほとんど手を引いている。歌手としてのできること、やりたいこと、やるべきことを突き詰めた結果だったのだろう。
プライは喉を守ることには神経を使っていた(酒とタバコを除いては^^;)し、声のニュアンスを最大限生かすために、鳴らしすぎる指揮者にクレームしたり、ピアノの上蓋を全閉させていたほどだった。

そんなプライが、どうして、明らかに喉の負担が大きくなる「リートのオーケストラ編曲版」に積極的になったのだろうか。
彼はピアノの音色の色彩感に不足を感じていたわけではなく、オーケストラが万能だとも考えていなかった。
また、プライの場合、レコーディング限定ではなく演奏会でも度々取り上げていたのも特徴だった。

「リートというものは多くの場合、ピアノとの方がはるかに優れているものです。
しかし、様々な観客うちには交響楽団のコンサートだけに行くという人も少なくありません。
そんな彼らが突然シューベルトの歌を聴くのです。これはとても素敵な出会いだと思います。」

一般大衆の音楽受容の現状を意識しつつ、初心の感動と音楽の喜びを大切にした彼らしい言葉だと思う。

ここではシューベルトについて取り上げる。

B 無限なるものに D.291(モットル)
AC 魔王 D.328(リスト)
A 魔王 D.328(ベルリオーズ)
AC 御者クロノスに D.369(ブラームス)
AC 竪琴弾きT「孤独を求める者は」D.478(レーガー)
AC 竪琴弾きU「戸口にて」D.479(レーガー)
AC 竪琴弾きV「涙もてパンを」 D.480(レーガー)
@ さすらい人D493 (D489)(アイスブレンナー)
BC 死と乙女 D.531(モットル)
A メムノン D.541(ブラームス)
BC 音楽に寄せて D.547(レーガー)
BC ます D.550(ブリテン)
A タルタルスの群れ D.583(レーガー)
AC プロメテウス D.674(レーガー)
AC ひめごと D719(ブラームス)
@ 水の上で歌うD774(アイスブレンナー)
B きみはわが憩い D.776(レーガー)
B 老人の歌 D.778(レーガー)
AC 夕映えの中で D.799(レーガー)
B 涙の雨 D.795-10(ヴェーベルン)
BC 夜と夢 D.827(ヴァインガルトナー)
B 全能の神 D.852(モットル)
C おやすみ D.911-1(鈴木行一)
C 菩提樹 D.911-5(鈴木行一)
C 春の夢 D.911-11(鈴木行一)
B 道しるべ D.911-20(ヴェーベルン)
A セレナーデ D.957-4(オッフェンバック)
C セレナーデ D.957-4(モットル)
BC 彼女の絵姿D.957-9(ヴェーベルン)

@ヴェルナー・アイスブレンナー(指揮)ベルリン交響楽団(1968年)
Aゲリー・ベルティーニ(指揮)ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1977年11月)
Bゲリー・ベルティーニ(指揮)ヴィーン交響楽団 (1978年6月)
C岩城宏之(指揮)オーケストラ・アンサンブル金沢 (1995年11月)


プライによるシューベルトのリートの編曲版の最初の録音は
1968年、オイロディスクにアイスブレナーの指揮と編曲で
「さすらい人」と「水の上にて歌う」の2曲だった。
prey47.jpg
ただ、録音が、オケと歌唱をマルチトラックに別々に入れ、ミキシングした、ポップスの形態なので、残響が溶け合うことがない。
同じ頃にテレフンケンにシュヒターと「菩提樹」を録音しているが、これはジルヒャーがメロディそのものを変えた版なので、厳密に「リート編曲」とはいえない。
日本では良く知られた編曲なのだが、長調のメロディのまま陰鬱な歌詞が歌われるのがカオス。この版で堂々と録音した歌手は少なく、意外と貴重だった。
これらの録音はLP時代多数のオムニバスやコンピレーションで使用された。
あの時代、リートファン以外でもあちこちで耳にすることが出来た音源だった。
つまりは「普段リートを聴かない人にも聴く機会を」というプライの意図通りになったのだ。

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70年代には、独RCAに2枚のアルバムを録音する。
編曲はリスト・ベルリオーズ・ブラームス・オッフェンバック・ブリテン・レーガー・ヴェーベルン・モットルなどの大作曲家たち。
指揮はどちらもベルティーニである。
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大作曲家がシューベルト作品をどう料理しているかが注目点で、これは世界中のリート愛好者の間では(静かに)話題にはなった。
公式のセッション録音の題名を並べて気が付くのは、これらすべての曲は、プライ自身が得意としているものだということだ。プライは数十回から数百回、原曲をステージでくりかえし歌っていた。
つまり、プライのレパートリーは歴代の大作曲家が興味を持つほどの「王道」ばかりだったわけだ。
これは編曲版に取り組む上で大きな要素になる。
すべての曲が、原曲を熟知した上で成り立つイメージによって色づけされているので、そのオーケストレーションになった根拠を知ると知らないとでは聴き手の感動にも大きな違いが出てしまう。
原曲を知っていれば、プライがここで用いている声のバランスも考慮しつくされたものとわかるだろう。

こういう「作者以外によるリートの編曲もの」は、ディースカウや同世代の歌手は顧みることがなく、驚くべきことにほとんどの曲は「世界初レコーディング」だったのだ。プライの没後、オッターやクヴァストホフ、エルスナーやプレガルディエンら、意欲的冒険的な演奏家が録音を試みるようになったが、このプライの最初の一歩の勇気は大変なものだったと思われる。
この試み自体はこの時期では「早すぎた」様子だった。

シューベルトが没したばかりの19世紀の段階ですら、こういう編曲に対し「蛇足である」「品位を貶める」…ウルサ方評論家の意見を忖度してしまう傾向が強かった。
その為、そういった批判が長い間に常識化してしまい、評論家はろくにそれを聴きもせずに「邪道扱い」してしまうこととなった。
閉鎖的なクラシックの世界で正当な評価を得られないことがわかりながら、プライはそういうアルバムをリリースしたのだった。それは、プライという歌手がクラシックファン以外にも広くアピールできる、希少なスターだった事もあるだろう。
しかし、そもそも、ブラームスやリストやレーガーらが芸術的な意図を抜きにして「蛇足」をやらかすわけもない。プライはシューベルトと大作曲家たちの腕を信頼して批判を放置したが、これがディースカウだったら数冊本を書いたことだろう。

80年代には目立ったセッション録音はないが、この大作曲家編曲版を音楽祭やリサイタルで取り上げることが度々だった。
ことに「魔王」や「プロメテウス」「御者クロノスに」等ダイナミックな曲はリクエストも多かったようだ。
レヴァインやメータと共演し、公式録音はないがシラーの詩による長大なバラードの編曲版もとりあげている。

90年代、プライはDGの企画で対面した岩城氏や鈴木氏と交流し意気投合、RCA以来のオケリートのアルバムを作った。
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声が埋もれたり、表現が過剰になる、テンポ感がイマイチといった、前回、大編成のせいで起きたいくつかの問題。それらをクリアすべく小編成室内オケの「アンサンブル金沢」との共同作業を成立させたのだ。
この時の邂逅がオーケストラとの「冬の旅」全曲というチャレンジを生むことになったのだ。
「冬の旅」の編曲をした鈴木氏も述べているが、素材の件の曲集は「ビーダーマイアーをはるかに飛び越え、表現主義の領域に入っている」。
これをプライが言うように「現代の手法には感心しない」(ツェンダーやベリオのこと?)「100%シューベルトに寄り添う手法での編曲を望みます」これは至難の業だったろう。
オッフェンバックはフランスオペレッタのアリアの様に料理していたし、モットルはワーグナー風に大編成オケを鳴らし、ブラームスは自分の交響曲を移植した。意外とレーガーやヴェーベルンが自然に聴こえたのは、シューベルトの革新性が彼等の時代とマッチしたし、プライの甘美な歌い口は新ヴィーン楽派以降の音楽とも相性が良かった事もあるのだろう。
しかし目標はあくまで「100%シューベルト」。
いや、だったらそのまま原曲で行けよ!という話だが、鈴木氏は突き放すことなく真摯に対応し、1997年までには全曲の編曲を完成したのだった。
結果、プライは大満足だったようだ。
シューベルト時代では演奏不可能な音があったり、まだ存在しないコールアングレを使ったり、ポストホルンをオーボエに任せたり…とても大胆なのだが、プライは「なんちゃってシューベルト」を求めなかった。「シューベルトだったらこうする」などと考える必要はなかったのだ。
プライが求めていたのは精神的な部分でシューベルトを感じること…という何やら深い哲学か禅のような世界だったようだ。

1997年、完成したばかりのその編曲をもってワールドツアーを試みる。
「幾多の批判に晒されるでしょう。でもやりましょう」
そんな大きな覚悟を持っての取り組みだった。
このツアー計画はプライ自身の体調不良のため縮小を余儀なくされたが、現在2種のライヴCDを聴くことが出来る。
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感情を静かに燃やし、表現の幅の大きなバートウラッハ初演初日公演盤はウラッハの自主制作(EU流通限定)である。

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数日後、内省的で慎重な歩みで歌い進めたミュンヘン公演盤は金沢市の自主制作(日本流通限定)
わずか数日でのこの違いは偶然だけではなく、むしろいくつかのアプローチの可能性追求の試みだったようにも思えた。

プライは堂々とこの「編曲版」を愛唱しインタヴューのたびに「うたごころ」を刺激されていることを公言していたのだった。彼にもう少しの時間があれば、3大歌曲集をすべてオケ版で残したかもしれない。
もちろん、言うだけで、まだ具体的な構想も明確ではなかった様子ではあるが。

posted by あひる★ぼんび at 01:09| Comment(2) | プライ

2018年12月25日

クリスマスの夜に


https://www.youtube.com/watch?v=FjX1I0Gh0V0
Hermann Prey / Vienna Boy's Choir
Tochter Zion, freue dich
Es kommt ein Schiff geladen bis an den hochsten Bord
Es ist ein Ros' entsprungen
Auf dem Berg, da wehet der Wind
Ich steh' an deiner Krippen hier
Lobt Gott, ihr Christien allzugleich


お祭り騒ぎはすっかりハロウィンに奪われたようで、ここ数年はどこも静かなもんだ。
でも、それでいい。

きな臭い話の多くなった世間。
世界が平和でありますように!

Fröhliche Weihnachten!

posted by あひる★ぼんび at 22:59| Comment(7) | プライ

2018年12月24日

魔笛といえばやはり

このブログでも何回かとりあげているが、プライはインタヴューで
「私の中にはフィガロやパパゲーノの気質は全くありません」と、
当り役、はまり役、適役…そう評されるたびに繰り返していた。

多くの聴衆が求めるそれらのキャラクター像に、プライの演技や歌唱はぴったりしている。
そして、それはいつでも本人と役の人格が同一と錯覚してしまう名演技だった。
どんな演出であっても、プライは自身が考えるキャラクター像に繋げていく試行錯誤を惜しまなかった。それ故の「適役」だったわけだ。相手が帝王カラヤンであろうとベームであろうと、結局は自分のペースを通したわけで、大きな「権力者」にそうさせてしまうあたりが、まさに「フィガロ&パパゲーノ」だったのだ。

ポンテやシカネーダが脚本に描き出したそれぞれのキャラクターは、お調子者であったり能天気であったりする。しかしそれは骨子にすぎず「物事がそのように進む為」に必要な条件があることを、プライは気付いていた。物語に描かれていない部分の脳内補完である。
ディースカウはテキストの流れや歴史的背景、作者の哲学から解釈を導き出していくことを常にしていたが、プライはそこに付けられた音楽の色合いと、他の登場人物との「からみ」から分析していたようだ。
プライ自身はいつも言葉足らずで理論的な文章も不得意だったようなので、文献的に残されてはいないが、わずかなセリフの間合いやレシタティーヴォ、歌部分の表現でそれをやってのけたのは正に「うたびと」の真骨頂だった。
時にそれは、プライのフィガロが全くイタリア風でないという批判等、時代様式や慣習から逸脱してしまうこともあったが、完成された舞台に違和感を覚える人は少なかっただろう。
そのことは残された映像やライヴ録音で窺い知ることができる。なにしろ録音から伝わってくる気分が常に楽しげなのだ。

前置きが長くなったが、本題。
プライはパパゲーノ役に関しては全曲盤の公式セッションは1種しか残していない。
プライ自身、「演劇要素の強い魔笛は実演でこそ生きる作品ですからね」ということ言っていたし、上記のようなキャラ表現が生きるのはなんといっても実演である。
実際、いくつか残されたライヴではドタドタ走ったり跳ねたりする音や、観客の笑い声で盛り上がっているのがわかる。それはセッションでは望めないテンションなのだ。
彼はベームとのフィガロのセッションでは立ち位置ラインを踏み越えたり、伯爵パートまで占領してNGを出す大迷惑をやらかしていたようだが、そうなると「魔笛」などではもっと大胆なハプニングもあったかもしれない。

プライ・パパゲーノが聴ける、唯一残されたセッション録音はショルティの指揮である。
それは1969年、ヴィーンにて、当地のオケと合唱団、そして当時DECCAで活躍していた名歌手が集められた記念碑的録音だ。
なんで夜の女王がドイテコムなんだとか、タミーノがバロウズなんだとか、指揮がショルティなんだとか、賛否もあるにはあるが、彼等彼女等が当時かなり推されていたことは事実。
知名度からキャスティングすればファンとアンチが拮抗するメンバーになるのはやむを得なかっただろう。

初期の国内盤LPは厚手ボックスの立派なもので、これはシリーズ化されていた。
ロンドンレーベルは直前に「ニーベルンクの指輪」全曲をリリースしていて、これもその流れと勢いで作られた感がある。

4899bbss.JPGモ−ツァルト:魔笛(全曲)
スチュアート・バロウズ(タミーノ)ピラール・ローレンガー(パミーナ)
ヘルマン・プライ(パパゲーノ)レナーテ・ホルム(パパゲーナ)
クリスティーナ・ドイテコム(夜の女王)マルティ・タルヴェラ(ザラストロ)
ルネ・コロ(武士1)ハンス・ゾーティン(武士2)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(弁者)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ゲオルク・ショルティ(指揮)
(LONDON LP3枚組 国内盤)



このBOXは舞台写真をジャケットに使用しているが、それは日生劇場でのベルリンドイツオペラ1966年来日公演のものであり、重なる出演者はザラストロ役のタルヴェラと弁者役のディースカウだけである。ザラストロ役はグラインドルとのダブルキャストだったようだが、写真はタルヴェラなのだろう。
いずれにせよ、全く異なる演出家・出演者の舞台写真を表ジャケットに使ってしまうあたりは、当時だから許されるようなおよそラフな着想だと思う^^;

プライのポートレート付の解説書・対訳は厚手のしっかりしたもの。初演時の衣装デザインの挿絵など、豊富で楽しい。ちなみに同時期の輸入盤はカラーの図版を使用したものだった。国内LPはこの印刷物から製版していたようで、当然、図版が不鮮明でモノクロになってしまっている。
IMG_4897ss.JPG

CD化は1990年だったが、それも3枚組だった。
CDとLPが同枚数なのは、よくありがちな価格調整のためではなく、むしろLPが詰め込みすぎだっただけのことだ。むしろLPは4枚組のほうが音的にはよいのでは?と思えたぐらいだ。

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モ−ツァルト:魔笛(全曲)
   出演者演奏者はLPと同じ

(LONDON 3枚組 国内盤)





手持ちの盤は、早い時期にCD化されたもののため、マスタリングはぶっきらぼうだ。
全体に乾いた音で、LPの暖かみや細かいニュアンスは伝わりきらない。
解説書も当然小さく、ブルーグレー系インクの為読みづらい。
良いのは取扱いの楽さだけといった感じだ。
度々、リマスタリングされているようなので、新しいものを購入すれば音質はだいぶ違うのかもしれない。

ドイテコムやタルヴェラをはじめ、主役たちの充実のみならず、脇役(とはいえ重要なポイントを担う役ではある)にディースカウやらコロを使っているのが凄い。
セリフも物語が繋がるレベルまで極力収録されていて、これがいわゆる「オペラ」ではなく「歌入りの演劇」(ジングシュピール)であることを実感させてくれる。
ショルティはかなり慎重に進めていて、ロマン派オーケストラ曲に対するような推進力や爆発力を期待してはいけない。彼はアンチが言うほどいつも脳みそを固くしているわけではない。
ヴィーンの頑固な演奏家たちを相手に、よく健闘していると思う。
所々でテンポ感の不一致や乱れも感じるが、そこはそれ、我儘同志の拮抗なのだろう^^;

人気指揮者・人気歌手中心のものは、時間の経過と共に評価が落とされていく傾向があるもので、これも結構そんな評価に晒されている。だが誰がどう評価しようと、自分的にはやはり、これは名盤なのだと思っている。
posted by あひる★ぼんび at 20:11| Comment(5) | プライ

2018年12月05日

上演シーズンはクリスマス〜ヘンゼルとグレーテル

明日、12月6日は聖ニコラスの日だ。
国によって内容に違いはあるものの、だいたい共通して、聖ニコラス=サンタクロースが、良い子にはプレゼントを、悪い子にはおしおきを行う日であり、なんとなくナマハゲっぽい。来訪神のひとつというわけだ。
それが行われるのは明日ではなく5日の夜。つまり今夜である。
決して、クリスマスではない。
クリスマスは静かな祈りの日なのだ。

*********

オペラ「ヘンゼルとグレーテル」は言わずと知れたフンパーディングの名作。
19世紀メルヘンオペラの最高峰のひとつと捉えられている。
物語は冬のものではなく、野いちごの季節の設定なのだが、完成した作品の試演が親類のクリスマスパーティだったこともあって、世間ではチャイコフスキーの「くるみ割り人形」同様、クリスマス時期に上演されることが多い。

グリムがヘッセンの伝承童話から起こした原作は14世紀の子捨て間引きの風習を描き出していて、残酷であり、暗黒的な程の世相を反映している。
グリムは出版する際、19世紀はじめの「常識的許容」まで緩和しているが、19世紀終盤のフンパーディングはさらに完全に換骨奪胎したのだった。
神秘と楽しさの同居した森での生活と彷徨い、そこでの神秘体験、子どもからしたら夢のような「お菓子の家」の存在・・・そういう外郭だけを生かしたわけだ。
登場人物にはキャラクターとしての強い色付けがなく、ヘンゼルもグレーテルも両親も、魔女も緊迫感なく素朴でどこか間抜けである。そういった各役への色付けは演者の演技と全体の演出に丸投げしていて、それぞれをどう描くかは、実際演奏によって様々になっている。
特に両親像は、グリムの原作から大きく離れたキャラクター設定に書き換えられている。

オペラ版の母親は生活に疲れていて口うるさいが、ごく当たり前程度。
父親はそんな母のストレスに気付かない鈍感さだが、根はとても優しい。
当然、2人には子どもを殺そうなどという気持ちはさらさらない。
グリムの毒をすっかり抜いて、フンパーディングは代わりに音楽による幻想性を加えた。

彼の師匠たるヴァグナーは壮大な神話から「ドイツ民族の威厳」を描こうとしたが、フンパーディングはささやかな童話から「ドイツの森の美と神秘」を描いたのだ。
アプローチは違えど、共通するのはドイツと民族文化に対するリスペクトだろう。

プライはLP時代の1974年にセッション録音、1981年には映像作品を残している。
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フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」(全曲)
 ブリギッテ・リントナー(グレーテル)
 オイゲン・フク(ヘンゼル)
 イルゼ・グラマツキ(母親)ヘルマン・プライ(父親)
 エッダ・モーザー(魔女) 他
 ケルン児童合唱団 ギュルツェニヒオーケストラケルン
 ハインツ・ヴァルベルク(指揮)
(EMI 2枚組 ドイツ輸入盤)



通常の場合、ヘンゼル=メゾ、グレーテル=ソプラノで、どちらも大人の歌手があたる。
この録音の大きな特徴は、主役2人に子どもを起用したことだ。
この2人、LPのリーフ写真で見ると年齢的には兄と妹が逆転している。少年がボーイソプラノでいられる年齢(13歳前後)と、少女が技巧的に安定する年齢(16歳前後)のバランスのせいなのだと思う。

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そのほか、2人の精霊も少女ソプラノを起用している。
この「子ども歌手起用」を貴重と捉えるか傷と捉えるかは好みの問題だ。
確かに、名の通ったリリコやコロラトゥーラ歌手と比べたら音程のふらつきや技巧の不完全さはあるかもしれないが、もし映像作品や舞台ならば、きっとベストのキャスティングになる。
この作品で主役の脳内変換が必要なくなるというのはとても画期的なのだ。素朴に見せかけて難度の高い音楽ゆえ、原曲のままの演奏にはそういうキャスティングがなかっただけのだ。
折角の試みなのに、このキャストでの映像作品がない。(あるいは撮ったのかもしれないが…)
いくつかの公演や録音のように、魔女役を男性が演じる奇抜さより、ずっと望ましいチャレンジだと思う。 
ここでのプライはいつもの調子だ。
時々フィガロ時々パパゲーノ。それらは彼の一面にすぎないのだが、彼の「陽」の部分を生かしている。
プライは同じフンパーディングの「王の子ども達」では難しい楽士の役を歌っているが、そちらは「哀」の部分を前面に出している。これについてはいつか書いてみたい。

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LP全曲盤はCDとほぼ近いデザインだったが、
抜粋盤はこんなジャケットだった。
何かの映画か、ドラマからのカットだろうか。
ちなみに全曲盤、抜粋盤ともにクワドロフォニック(4チャンネル)が採用されている。





映像作品はユニテルから。
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フンパーディンク:「ヘンゼルとグレーテル」(全曲)
 エディタ・グルベローヴァ(グレーテル)
 ブリギッテ・ファスベンダー(ヘンゼル)
 ヘルガ・デルネシュ(母親)ヘルマン・プライ(父親)
 セーナ・ユリナッチ(魔女) 他
 ウィーン少年合唱団 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)
(ユニテル DVD EU輸入盤)


演出コンセプトとしてはクリスマス集会での演劇上演。しかし、シーンによって演劇舞台風になったり、映画的だったり、アニメーションのようだったり、何かいろいろ詰め込んだ感がある。
それはそれで楽しいのだが、時代衣装を着た大人の女性(元子ども!)が演じる2人の主役と、現代普段着と時代コス着用の本物のこども達が並んでしまっては、大きな違和感が出てしまう^^;
出演者全員が楽しげで充実した舞台を繰り広げているだけに、この演出が少々仇になっている気がした。
舞台は虚構。そのわかりきった事実をここで鑑賞者に確認させる意味は不明だ。
プライは「もう1人の主役」。
優しい、威厳よりユーモアのある(ちょっとアル中気味の)父親を熱演している。バランス的には、存在感が大きすぎる気もする。それはファンには嬉しいことではあるのだが。
グルベローヴァもファスベンダーも好演。グルベローヴァなど最初こそ「田舎のおばちゃん」なのだが、聴き進めるうちに可愛く見えてくるから不思議だ。
彼女らの技なのか、まさに演劇の神秘である。

YOUTUBEにある全曲の映像はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=JnMEI4aoUfo



posted by あひる★ぼんび at 22:26| Comment(4) | プライ

2018年10月16日

音楽祭のプライI〜「秋の音楽の日」1997より シューベルト最後のミサ曲

ミサ曲第6番はシューベルトが亡くなる年(1828年)に完成された。
ラテン語テキストによるカトリック教会用なのだが、他の彼のミサ曲同様、使っている典礼文に欠落があり、実際の正式のミサには使用できない仕様になってしまっている。
この件については「シューベルトが所持していた典礼文がそうなっていたから」とも言われていたが、初期から晩年まで6曲もあるミサ曲のすべてに欠落があるというのは、意図的であった可能性のほうが大きいだろう。シューベルトは欠落に気が付かぬほど無頓着ではなかったはずだ。彼がテキストの読み込みや語句の検討に神経質だったことは良く知られている。だからこそ多くのリートを生み出せたのだ。また、彼は案外と奔放さと「ロックな気性」も持っていた様子であるから、カットがあるとすればそこには何らかの反骨やポリシーがあったのだとも思う。
彼の性格も、穏やかで繊細、シャイなイメージで伝わっている部分と、作曲依頼に来た楽士に「誰に口をきいている。床に這いつくばれ」とやらかしたショッキングなエピソード、売春宿にはまり性病感染など、まあ、人間的にはギトギトしていた面もあり^^;これらが彼の作品の多面性と感情的な複雑さ、凝縮と分裂の同居の原因だろうと思われる。
正にそういうカオスを形成しているのが最後の数年間の傑作達だった。
このミサ曲もそのひとつだ。荘厳さと、優しさ、哀しさ、色々な感情が交錯しつつ、浄化を目指し、しかし、果たせぬ苦しみも感じてしまう。

プライは1997年、自身が主宰のバートウラッハの音楽祭でこの曲を取り上げている。
バリトン登場はほんのわずかなのだが、この名曲演奏を晩年に残してくれたことを嬉しく思う。もっとも、本人は自分の人生が晩年期に入ったという自覚はなかったろうが、最後の数年間、「シューベルト最後の年」の作品群をリサイタルやコンサートで企画することが度々あり、なにか予感めいたものはあったのかもしれない。
プライはいつまで歌い続けるか問われるたびに「決めるのは私ではありません。神様がお望みになる限りは歌い続けます」と答える敬虔真摯な姿勢だったが、神様は思いのほか早く彼を御許に呼んでしまわれた。

プライが愛した静かな街。そこで過ごした終の秋の1ページ。

YOUTUBEにドイツ第二放送制作の映像(LOFT提供)があったので貼っておく。


https://www.youtube.com/watch?v=Ft27FAG66uo

ヨナス・カウフマンがめちゃくちゃ若い!当時28歳。
彼の活躍場面も少ないが、ファンには貴重な映像だろう。

同じコンサートのCD。ただし資料用非公式盤で、簡易的なCD−R盤である。
ジャケット写真はプライの仮墓標。十字架と花が哀しげだ。
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シューベルト:ミサ曲第6番変ホ長調D950
北ドイツ放送交響楽団、合唱団
シルヴィアン・カンベリンク(指揮)
ユリアーネ・バンセ(ソプラノ) ヘルミーネ・マイ(アルト)
デンファン・デア・ヴァルト、ヨナス・カウフマン(テノール)
ヘルマン・プライ(バリトン)
(資料用非公式 CD-R ドイツ輸入盤)



posted by あひる★ぼんび at 23:24| Comment(4) | プライ

2018年10月09日

プライ&ベルガーのイタリア初CD化

ブログ更新を先月はお休みしました。
復活いたします^^

*******

CD時代も終わろうとしている今ごろになってやっとのCD化。
いよいよ、長い間無視されてきた「名盤」の復活である。

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ヴォルフ:ハイゼの詩によるイタリア歌曲集
シューマン:女の愛と生涯
メンデルスゾーン:歌の翼に、あいさつ
ヴォルフ:郷愁、散歩 レーヴェ:時計、詩人トム
シューベルト:聞けひばりを、野ばら、ロマンツェ
グリーグ:埠頭にて、君を愛す ブラームス:4つの厳粛な歌

エルナ・ベルガー(ソプラノ) ヘルマン・プライ(バリトン)
ギュンター・ヴァイセンボルン、マルティン・メルツァー
ミヒャエル・ラウハイゼン(以上ピアノ)
(Profil 2枚組 ドイツ輸入盤)


プライはデヴュー間もなくからの10年間あまり、自らの声を生かしたレパートリーの拡充に努めていた。この「イタリア歌曲集」もそのひとつ。
彼自身「ヴォルフのイタリアやアイヒェンドルフ作品には若々しい声と甘美で自由な表現が求められている」と解釈していたので、この曲集がメーカーから要求されたレコーディングラインナップにあったことは嬉しかったろう。同時期に録音され、現在はやはり半分以上が埋もれているヴァイセンボルンとの「アイヒェンドルフ歌曲集」と共に、声への自信に溢れ歌う喜びでいっぱいの名盤となった。
現在、この曲集の決定盤として君臨しているディースカウ&シュヴァルツコプフ&ムーアの演奏はプライの盤の数年後に登場している。
それ以前からディースカウはゼーフリートと共演し、録音&コンサートレパートリーとして絶賛されていた。
この曲集には曲順や男声・女声の歌い分けにルールがないのだが、ディースカウの仕事はいつも教科書的に基準とされる傾向があったのは事実。
この「イタリア歌曲集」の録音も、ディースカウとシュヴァルツコプフによる盤の登場をもって、事実上EMIのカタログから引退させられてしまったのだった。
プライはディースカウに「なんでも5年後に真似をする」と言われたというが、実際はメーカーの采配で決まることであり、単一作曲家によるリートリサイタル盤のリリースはプライが先であり、この「イタリア」も「アイヒェンドルフ」も全曲録音はプライが先だった。
だが、おそらくディースカウは他人の録音にはほとんど興味がなく、注意をはらわなかった。
それでも近い後輩の動向へのコメントをインタヴューとかで問われれば、少ない情報から短絡的に答えるしかなかっただろう。
「大先輩の余裕」感覚で、興味本位の世間に対して、気のきいた言葉を用意する努力まではしなかったわけだ。

ここでのプライの歌唱は、若々しい青年そのもので、本当に初々しい。
その若者らしい少々うわつき気味の情熱を、「大人の女性」ベルガーが諭すが如く進行してゆく。
CD化されて、面の切れ目がなくなって、聴くほうとしてはどっぷりとこの歌の世界に浸れる。
「イタリア」どころか「完全にドイツ」なこの歌集を、プライはあるがままに表現し、迷いもない様子。
これまでの資料には1957年と1959年録音2表記があったが、このCDのリーフには1959年9月22〜24日、11月9〜10日と明記されている。
30歳のプライの名唱。ベルガーはこの頃すでにステージから引退していたが、豊かな恰幅から可憐で瑞々しい響きまで自在である。

2枚目は最初にベルガーによる「女の愛と生涯」、続けてメンデルスゾーンの2曲。
こちらも自然な響きで余裕たっぷりの表情。
こんなに聴きやすい曲集だったっけ?と思うほどだった。
ただ、これは編集の問題なのだが、曲間がつまりすぎて余韻がないことと、
時々原盤の状態が怪しい部分がわかってしまうのがもったいなかった。

そのあとはプライの最初期の録音、ラウハイゼンとの4曲が聴ける。特にレーヴェの2曲は初CD化。
52年と53年の録音で、声に頼って幾分抑揚に欠くものの、23歳の若者としては並外れた才能を聴かせている。
55年のロマンツェとグリーグも極めて耽美的。プライ以外には考えられない歌唱である。
57年のブラームスは何度もCD化されている名演だが、「この歌は深刻に歌わねばならない」という先入観を排し、憧れまで感じるものになっている。

今回は久々にワクワクしながら開封し、プレーヤーをスタートさせた。
この盤のリリースを心から喜びたい。
できれば同じヴァイセンボルンとのアイヒェンドルフ全曲もお願いしたいものだ。
posted by あひる★ぼんび at 23:30| Comment(6) | プライ

2018年07月22日

プライ没後20年

プライが亡くなったのは1998年の7月22日。69歳。
今年で20年になってしまった。
プライの最期のことは昨年記事にしたので、ここでは繰り返さないことにする。

自分としては同じ年の2月に母を亡くしていて、自分自身も体調が良くなかった為、大ファンにもかかわらず、この「事件」はあまり心に響かなかった。
どの方向にも心が動かない状態で、実感したのは父(プライのひとつ年下)が亡くなった2001年の秋を越えてからだったのだ。

*****

「ワルシャワの生き残り」はシェーンベルクが朗読と合唱、管弦楽の為に書いた作品。
1947年に完成し、翌年初演している。
テキストは朗読が英語、ドイツ兵のセリフとしてドイツ語、そして男声合唱パートはヘブライ語。
この曲を、プライはコンサートで時折とりあげていた。


https://www.youtube.com/watch?v=rGWai0SEpUQ

この曲のメインは「朗読」なので、語り手は歌手でなくてもいいわけだが、それは音符として厳密にスコアに記されているため、かなりの音楽的素養が必要になる。
また、詩の内容がハードなので、一般的にはレパートリーに加えることなくスルーする同業者も多かったようだ。
しかしプライはこれに複数回とりくみ、特にバートウラッハではシェーンベルク協会協力での公式の放送用録画も残している。

プライは少年時代、ヒトラー・ユーゲントに所属していた。
自分や親の意思ではなく、入団していた少年合唱団がナチスの青少年組織に自動的に組み込まれたためだった。
また、徴兵に関しては、届いた召集令状をプライの父親は息子に渡さず、破棄している。
それは明確な、親としてのナチスに協力しないという意思表明だった。
プライの父はビスマルク信奉者で、「古風なドイツ人」だった。
特に革新的でも、自由主義者でもなく、むしろナチスとは別の意味での国家主義者であり、「ドイツ伝統文化に基づいた帝国」を破壊するナチスへの嫌悪が強かったのだ。
つまり、プライはそんな頑固な父のおかげで、直接的にナチスにかかわることなく終戦を迎えることができたわけだ。
だが、敗戦と共に公開され、情報として押し寄せるナチスの悪行、蛮行は、プライの心の中に「ドイツ人」としての大きな負い目をつくったことだろう。
家庭と学校によって深く根付いた敬虔さ、カトリック・プロテスタント両面から構築された宗教観、そこから見たら矛盾は我慢の限界を軽く超えていたことだろう。

敢えて彼がこのホロコーストを題材にした作品を自らが主催の音楽祭でとりあげた意味は何だったろうか。
彼は、ホロコーストをグローバルな視点で捉えようとはしなかったし、蛮行のすべてを「戦争のせい、ナチスのせい」にするわけにはいかないことにも気づいていたようだ。
プライからは何のコメントも思想表明もないが、ドイツ国外に身を置くことが多くなった頃には、「ユダヤ人」がナチスによってダビデの星を背負されたように、彼も「ドイツ人」という星を背負ったことを実感していたことだろう。
テキストが英語ゆえ、100%の感情を入れることはできない風だし、綿密に譜面に書き込まれた位置に語句を入れると言うのは、ネイティヴではない彼には大変なことにも思える。
苦悩の表情は、ユダヤ人の痛みというより、ドイツ人としての彼の痛み。
聴き手もまた、別の面から聴き取ることになる。
自分らの世代は戦争体験もないわけで、さらに極東に住む自分達はこれをそのまま捉えられるはずもない。
ここに描かれた蛮行を、日本が大陸や東南アジアで行った蛮行に脳内で置き換え、想像をめぐらすことで、痛みの本質を紐解く材料とするしかないのだ。
この曲は、プロパガンダではないが、イデオロギー抜きに、純粋に音楽として捉えるには、あまりにもキツイ。
その辺に無頓着になれるほど、世の中はいまだ平和ではないのだ。


posted by あひる★ぼんび at 23:41| Comment(7) | プライ

2018年07月11日

コルネリウスのオペラ

今日、7月11日はプライの誕生日。
1929年7月11日、出生名ヘルマン・オスカル・カール・ブルーノ・プライはベルリンに生まれた。
また、1925年の同じ日にはストックホルムで、出生名ハリー・グスタフ・ニコラーイ・ゲーダ、のちに万能テノールとして活躍するニコライ・ゲッダが生まれている。

プライとゲッダは時期を同じくしてドイツ・エレクトローラに契約があり、2人が共演したオペラ・オペレッタは数点が残されている。
その中のひとつがこのコルネリウスの「バグダッドの理髪師」である。

カール・アウグスト・ペーター・コルネリウス(1824ー1874)はドイツの作曲家。
グリム、リュッケルト、アイヒェンドルフ、ハイゼなど、著名な詩人らとの交友もあり、彼自身、文学者としても知られていた。
彼の声楽作品のほとんどは彼自身の作詩である。
ヴァグナーやリストと交流があったことも知られる。ヴァグナーの崇拝者と書かれた資料も多いが、直接影響を受ける関係ではなかったようで、特にリストとはソリが合わなかったようだ。
彼らの人柄も音楽も、コルネリウスの詩人肌、真面目で敬虔な性格とは対極にあるようにも思う。

この「バグダッドの理髪師」は1855年頃から書かれ、1858年に初演されている。
着想からして当時流行の異国趣味の中にあり、明らかに大衆迎合の気分もある。
音楽は多彩な表情、豪快さと繊細さの両面を持っていて、宗教的な穏やかなものが多いコルネリウス作品の中では異質な雰囲気だ。
それでも同時代の作曲家達の大規模なオペラに比べれば地味ではあるが、この作品には録音も複数あり、現在でも各国で演奏されている。その事実から考えれば、コルネリウス作品の中では人気作と言えるだろう。

あらすじはこんなふう。
富豪の青年ヌレディンは、マルギアーナに恋をする。
彼女も好意を持っていたので、二人は相思相愛。
マルギアーナの父親がモスクへ祈りに出かけている留守中、親戚ボスターナが、密会の手引きをする。
密会の前に、ヌレディンはヒゲの手入れの為、床屋アブル・ハッサンを呼ぶ。
このアブル、バグダッド一番のおっちょこちょいだった。
アブルは、二人の密会現場にまで顔を出し、そこでおっちょこちょいを発動してしまう。
そしてマルギアーナの父や領主まで巻き込んでのドタバタの末、二人の仲はめでたく認められる…という典型的な「村芝居」ストーリー。

bag-co.jpg
コルネリウス:「バグダッドの理髪師」(全曲)
ニコライ・ゲッダ(ヌレディン)  エリザベート・シュヴァルツコプフ(マルギアーナ)
オスカル・ツェルヴェンカ(アブル)   ゲルハルト・ウンガー(父ムスタファ)
ヘルマン・プライ(バグダッドの領主)    グレース・ホフマン(ボスターナ)
フィルハーモニア管弦楽団、合唱団  エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)
左LP(REGAL2枚組 オランダ輸入盤)
右CD(NAXOS2枚組 ドイツ輸入盤)

この盤が録音されたのは1956年、ロンドンのスタジオ。
指揮はラインスドルフで、彼はかなりマニアックなレパートリーを持っていたようだ。
この盤はシュヴァルツコプフとゲッダをカップル役に起用し、若手スターを集め、いわゆる顔見世盤にもなっている。プライも出演しているが、重要なアブル役ではなく、第2幕後半のほんのちょい役の「領主」である。
それはプライの声質「騎士バリトン」の悲しさと言えるかもしれない。芸達者ぶりが世間に広がり、ブッファで主役を張れると認識されるのは10年以上後の話。この時はまだデヴュー数年のひとりの若手美声歌手にすぎなかったのだ。
もしこれを70年代に再録音したならば、きっとアブル役に昇格できただろう・・・が、まあ、声質的には結局領主なのかな^^;
本人も、自伝やインタヴューでオペラにおいて本来の自分の声質で活躍できる機会が少ないことを嘆いていたぐらいだから、本当に常にいろいろ大変なこともあったことだろう。

プライはコルネリウスのリートをデヴュー直後からリサイタルや録音でも積極的にとりあげていた。
彼の感性にしっくりくる作風と考えていたのだと思う。「クリスマスの歌」や「主の祈り」、数曲の単独リート・・・残された録音はどれもしっとりとしていて、美しい。
何かのインタヴューで、「コルネリウスのリートはいずれ全て歌いたいと思います」と言っていたことがあった。もう叶わないことなのだが、言葉通り、何かの機会に録音、あるいはリサイタルで全てを歌ってほしかったと思う。

去年、ゲッダも91歳で逝去してしまった。今ごろ、天国で何かのオペラで共演しているのだろうか^^
posted by あひる★ぼんび at 21:34| Comment(2) | プライ

2018年06月17日

プライと「美しき水車小屋の娘」

「美しき水車小屋の娘」(正確に訳すなら「美しい粉挽娘」だろうか)は、ミュラーが1820年に出版した詩集から、シューベルトが20篇を選んで1823年5〜10月に作曲した連作リート集。
この「美しい水車小屋の娘」のテキストは、サロンの余興歌芝居の体裁で書かれていて、シューベルトはその前口上と終わりの言葉をカットすることで文学作品かのように見せかけた。
そしてその音楽の素晴らしさで、芸術としてのレベルも格段にひきあげた。
この物語の主人公、水車屋(粉ひき職人)は当時、社会的身分が低く、差別を受ける立場だった。
そして、中流市民階級の「自分達より低い身分、若年の人間の不幸話を娯楽として楽しむ」という歪んだ流行に乗ったありふれた題材ではあった。古今東西、他人の不幸は蜜の味、といったところか。時代はずっと遡るが、シェイクスピアなどの悲劇的作品も同じようなコンセプトを用意している。「ロメオとジュリエット」などは彼自身は「喜劇」とし、あの若いカップルの事件は笑えるほど愚かと考えていたようだ。
ミュラーの死後、彼の文学者としての評価はハンスリックらによって貶められたが、この作品も結局のところ「富裕層文化のあだ花」と言ってしまえばそれまでだったし、シューベルトがどんなに芸術的に解釈して付曲していたとしても、リート歌唱の慣習として、歌手の個人的な即興技巧の披露が優先され、シューベルトの独特の世界観は正しく伝わることもなかった。
死後100年以上を越えた1930年代になって、やっと楽譜を尊重しようという歌手が現れはじめ、それは戦後のリート復興につながるわけだ。
現在、当たり前に聴けるシューベルトの楽譜の再現の歴史は本当に浅い。

プライはデヴュー間もなくからリートリサイタルの常時のレパートリーにこの曲集を加えるべく、学習をすすめていた。
実際に最初に全曲をステージにあげたのは1954年、以来、最晩年までステージで大切に歌い続けることになった。
数多くの名演奏に接することが出来る今ならまだしも、プライの若き日では参考に出来る歌唱は極めて少なかった。それだけでも苦難の道だったと想像できる。
歌手としての個性が世間に知られるようになってから、彼の特質に「美しい水車小屋の娘」は似合っている、と言われることが多くなっていった。
この作品が一般的に、民謡風・田園詩風と捉えられていたからだろう。「若者が片思いし失恋し入水自殺する残酷物語」を花や星や小川で外面を穏やかに装ったりしているこの物語が、ただ素朴な筈もない。
プライは当然、その辺もよく読み込んでいて、ドイツ民謡を歌う時のアプローチとは全く異なるスタイルで取り組んでいる。
彼は、この曲集がテノールの若い声が最も適しているだろうということも承知していて、「最も効果的な響きが得られる」楽譜の移調に苦慮していた様子である。
「この曲集は民謡のような体裁ですが、私はそういったものの難しさも知っています。しかしこれはそれらとはまるで違う次元なのです」
・・・そんなふうに、ドイツ民謡の世界を求めてしまう聴衆に向けて「難しさ」を語ることも多かった。
声とピアノの綿密な関係、音量バランス、センチメンタルに傾くことなく自然に感情を描き出し、言葉に与えられたメロディを歌う。
それが20曲1時間も続くのだから、本当に大変な曲なのだ。

現在聴ける記録物は以下のもの。
prey-mull.jpg
@1971年 TELEDEC カール・エンゲル
A1971年 PHILLIPSレオナード・ホカンソン
B1976年 NPOradio4(LIVE) ジェフリー・パーソンズ
C1978年 u-chicago(LIVE) ミヒャエル・クリスト
D1985年 DENON フィリップ・ビアンコーニ
E1986年 UNITEL(映像) レオナード・ホカンソン



60年代には、ブレンデルとザルツブルクで数回共演している。
この曲集のプライの1回目の録音は、このブレンデルとの共演になるはずだった。
DECCAとの契約で録音編集を済ませ、規格番号まで付きながら、お蔵入りとなってしまった。プライは「ブレンデルとは最後まで共に歌うことが出来なかった。彼は自分のピアノを鳴らす事ばかりに腐心していた。」と回顧している。「冬の旅」と「白鳥の歌」には60年代のセッションがあるのに、これだけがないのはそんな事情である。
その補遺としてエンゲルと1971年に録音する@。
そして同年、フィリップスにはホカンソンとの共演で、「リートエディション」の1枚として録音しているA
これは解釈変更とか、プライ自身の要望というより、録音物の会社間の流用ができなかったという単純な理由だろう。
ちなみにフィリップス国内盤LPに書かれた「1973年録音」はおそらく誤りである。
手がかりになるのはこの「編集指示書」(「好きな色」の指示書)ぐらいなのだが、タイプ打ちされた1971を線消しし、手書きで1973と訂正が入っているのだ。
pro-prey-ph.jpg
この指示書には72年発行と日付されているので、件の録音が73年では「未来の録音物を編集せよ」という指示になってしまい、意味が通らない。矛盾を含みすぎた資料改竄といえそうだ。

その後、70年代は音楽祭出演が多く、世界各地でシューベルト諸作品を歌っている。
1977年の休業を挟む形で、オランダラディオ4Bとシカゴ大アーカイブCに録音が残され、現在も耳にすることができる。
「魔の1977年」を挟んだこの2つの録音はプライの声と解釈の転換期の記録となった。
ライヴなので観客を前にしての高揚感が功を奏したのか、感情の起伏が大きく、勢いの良い部分と弱音のコントラストが鮮やかだ。
それまでのセッションの物より全体的にずっと逞しく聴こえる。どちらも迷いのない堂々としたもので、絶頂期の素晴らしい記録だ。
80年代はDENONの依頼を引き受け、新進ピアニストと共に意欲的な録音を残している。D
この頃には完全に安定したスタイルが出来上がっている。もはや若者の歌ではないが、声は艶を失ってはいない。
まだ若いピアニストを立てるべく慎重になっている感じなのが少々残念ではあるが。
また、ユニテルに映像作品として3大歌曲集を残したE
これがセッションに準じるのかライヴに準じるのか迷うのは、細かい編集がなされていないことだろう。
無観客のヴィーンの応接広間で歌ったもので、完成度としては歌・ピアノ共に「映像あっての」ものだと思う。通常のセッション録音と並べてはいけない気もする。
細かいミスを修正しなかった理由はわからないが、音楽は瞬時に消えて行く本来一期一会のものであると考えれば、そういう方針も悪くはない。
90年代は歌手生活の総括として3大歌曲集を再度セッション録音する着想もあった様ではあるが、もはやプライには時間は残されていなかった。幸い、NHKによって1997年の来日公演は記録されている。いずれかの機会に製品化してもらいたいと思う。
また、録音物として公開されてはいないがシュライアー同様、プライはこの曲をギターでも歌っていた。
これは80年代の終わりから90年代初め、バートウラッハ他のステージで披露している。
資料録音が残っているならいつの日か公開してもらえたらと思う。

posted by あひる★ぼんび at 21:22| Comment(2) | プライ

2018年05月12日

プライ&ラインスドルフのファウスト66年盤

以前、プライとラインスドルフによる「ファウストからの情景」のCDを紹介したが、それはバイエルンのメンバーによる1971年のものだった。
今回紹介するのはそれに先立つこと5年、1966年ボストンでのライヴのLPだ。
当時のドイツオペラのスターを集め、純ドイツ的な色合いの強かった71年盤と異なり、こちらはオーケストラもボストン交響楽団、ソリストもシルズなど、アメリカで活躍する歌手が中心になっている。

schumfau.jpgシューマン:「ファウストからの情景」(全曲)
ヘルマン・プライ/ビヴァリー・シルズ
トーマス・ポール/チャールズ・ブレスラー
ヴェロニカ・タイラー /タチアーナ・トロヤノス
フローレンス・コプレフ/バーチャ・ゴドフライ
ボストン交響楽団・合唱団・少年合唱団
エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)
(メーカー不詳 LP2枚組 米国輸入盤)



音質はかなりしっかりしていて、当時としては優秀なもの。
ただし、盤のデータは極めて貧弱で、共演している合唱団の名称も不明、公演日時もわからない。
レーベル名すらなく・・・つまりこれは・・・海賊盤なのだろうか。
とはいえ、正式な放送用録音・資料音源を用いて原盤を作ったものらしく、ひざ上隠し録り的なゆれやノイズは皆無で、とても聴きやすい。あるいはこの盤自体が、放送に使用すること前提に配布されたものだったのかもしれない。
問題点としては面の切り方がぶっきらぼうなこと。
本来3枚組にすればよいものを、無理やり2枚にまとめている。
前半後半それぞれのラストには盛大な拍手が入っているが、極端に短くいきなり切れたりする。つまり、ほとんど編集していないわけだ^^;

「ファウストからの情景」はかなりの力作だが、それほど知名度があるわけではなく、全曲盤も恵まれてはいなかった。
自分が知る限りこの1966年盤が一番古いものだと思う。
100分の長大な曲なのでSP時代には省みられなかった。
オペラのような娯楽性は低く、ミサ曲のような宗教的な需要もないため、あえて商品として送り出すことがなかったのだろう。
その為、演奏会で聴かない限り、ほとんどの人は耳に出来ない。
その演奏会も、管弦楽、合唱、児童合唱、そして8人〜10人の独唱者が必要になる為、そう機会が訪れることもない。
忘れ去られるのに充分な要素があったわけだ。

そんな曲を2種もリリースしているプライ&ラインスドルフは中々のツワモノだと思う。
近年はシューマンも魅力再発見の気運が高まり、この曲も演奏・録音されるようになった。
ただ多くの演奏家達は、原作の特質からか内容を難しく捉え過ぎているようで、少々硬直気味のものが多いような気がしている。
かのディースカウは、ブリテン盤やクレー盤で歌っているが、やはり考えすぎてしまったようで、成功しているとは思えなかった。原作につきまとう哲学的な議論に寄りすぎ、音楽をそれに従属させてしまった感じがした。
指揮者にとっても、ドラマ的に弱く、音楽の起伏のラインがとり辛いこの曲は、結構難曲なのだと思う。
このラインスドルフの場合は…アメリカで活躍する多くの指揮者同様、楽譜に手を入れ、聴き易くすることを厭わない、その柔軟さが功を奏しているようだ。
ストコフスキーやオーマンディはシベリウスなど大作曲家の管弦楽法にまで改変を施したが、ここではそこまでのことはないまでも、最近の別指揮者の演奏とはまるで別の色合いがあって面白い。
聴いて楽しんでもらえてこその音楽の存在価値。異論もあろうが、ひとつのあり方だ。

さて、特筆すべきはここでのプライの甘美なこと!
彼はファウスト、セラフィムに似通う教父、マリアを崇敬する博士の3役を担当している。
この曲をリリックに、バリトンというよりテノール的な響きで歌っている。
スターの階段を駆け上っていた頃の自信、歌う喜びにあふれた歌唱を聴かせてくれる。
リートよりもオペラ的な表現で、クライマックス前のハープを伴う「夕星の歌」を思わせるソロは71年盤以上にロマンティックに響かせている。
1966年はプライに幾つかの試練(親友ヴンダーリヒの急死、妻と自身の体調不良)があった年である。
この数年後には、無理のないリート的な発声に変化していくのだが、この頃はまだ幾分自分の喉の性能の限界に挑戦するかのような力技が見え隠れしている。ファンには嬉しい30代青年歌手の美声だ。
グレートヒェン役のビヴァリー・シルズも美しく繊細可憐な声だ。彼女も当時アメリカで大人気の歌手だった。
原盤の由来はわからないながら、これは本当に貴重な好演の記録。
今更LPは望むものではないが、公式の製品の発売を願いたいセットだと思った。

posted by あひる★ぼんび at 14:04| Comment(4) | プライ