2018年05月29日

若きホッターの冬の旅

ホッターが歌った「冬の旅」といえばヴェルバとのDG盤とドゥコピルとのSONY盤が有名だろう。
どちらも、元々のホッターの落ち着いた響きの声と、壮年期に入ってからのものということもあり、「冬の旅」は絶望とそこから諦念に至る様子を歌うものという印象を与えるものになっていた。
ところが、本人には諦念などというつもりはないらしく、一貫して「全体が陰鬱で重くなりすぎてはいけない」し、ピアノパートには「豊かな情景描写を要求する」という発言をくりかえしていた。
つまり、彼の声から聴き手が勝手に聴きとってしまう部分が、彼自身の意図とはずれがちだったということだろうか。
この辺は、かつてヒュッシュの録音が、録音条件の関係でテンポを速めて歌い、彼の明晰な発音発声と相まって、絶望感のない文学的な作品に仕上がっていたり、プライのように、自身は「生への希望」を折り込まず、むしろ「冥府への歩み」であるとしていても、聴き手は彼の声質から勝手に希望を見出してしまう、というのと同じだろう。
(ゲルネはインタヴューで「冬の旅」の主人公は死なず、生へ回帰していくと述べているが、実際の演奏は絶望の迷宮から出られる様子がないように聴こえる。それも面白い。)
逆に言えば、もしホッター自身が暗く歌う意図をもったりしたら、この曲集はもっととんでもないシロモノになっただろうとも言えるわけだ。

自分がホッターの「冬の旅」で好んで聴くのは1943年、ベルリン放送による録音だ。
rau32.jpg
ラウハイゼンの芸術bR2
シューベルト:冬の旅(全曲)

   ハンス・ホッター(バスバリトン)
   ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)

(Membran 66枚組 ドイツ輸入盤)



ドイツAEGが開発し、1939年から放送局で正式運用されたマグネトフォンによる録音で、この録音の頃には音質も向上していた。
SPと異なり、収録時間に制限がないので、演奏者の自由な表現が可能になっている。

これは当時ナチスが推し進めた国家プロジェクトである「ドイツリート集大成」の一環としてなされたものだった。
ラウハイゼンの明晰なピアノ演奏と共に、当時35歳のホッターがこの曲を、ある意味「あろうことか」颯爽と歌い上げている。

若者が、社会的疎外と大失恋から街を去ろうとする第1曲が特に秀悦で独特な解釈。
本人は「あの時は感情描写に比重を置きすぎた」と回顧していたようだが、唯一無二の存在価値だと思う。
テンポは普通の歩行速度で始まるが、すぐに足がもつれる。時々、立ち止まりそうになっては気を取り直したように足を進める。
第3節では「Gute nacht 」の語が出るたびに立ち止まりそうになっている(実際にはわずかな呼吸の間と、ピアノのルバートなのだが…)のが、この旅が望んでの旅ではないことを明確にしているようだった。
未練たらたら、後ろ髪ひかれるとはこのことだろう。そして最終節の「sacht,sacht(そっと、そっと)」でまた立ち止まりそうになる…。
この録音では度々この「立ち止まりそうな」部分があり、感情が高ぶるとこの主人公はどうやらそうなってしまうようだ。
ピアノがそのたびに回復を試み、歩みを強制する。
ホッターの当時のこの解釈がどういう根拠でなのかは知らない。
怒りでも恐怖でもなく、何やら大きなものから逃げなければならない強迫観念にとらわれてはいるものの、終始感情豊かだった。
むろん、後のDGやSONY盤のほうが深みを感じる安定した演奏だと思うが、それらとは別の魅力があると思った。

作詩者ミュラーは、プロイセン軍の士官だった。
プロイセン軍は1813年秋、ナポレオンを相手に戦をして、おびただしい死傷者をだしながらもどうにか勝利している。しかし戦争はそこで終結しなかった。
1814年、ミュラーはベルギーに駐留している間、その地の女性(ユダヤ系でナポレオン軍人の妻という資料もある)と恋仲になったようだ。これが元凶でミュラーは軍での立場をなくしてしまう。
再びうごめきだす強敵ナポレオン・・・限界を感じたミュラーは恋に見切りをつけ、名誉を捨て、危険な極寒の雪中をいちかばちか故郷目指して逃げたのだ。
鉄の掟のプロイセンの軍、うごめくフランス軍、捕まれば当然ただではすまない。
どっちにしても地獄なら、未来に可能性のある方を選ぶ…ということだったのかもしれない。
「美しき水車小屋の娘」や、マーラーの「さすらう若人の歌」のようなごく若い徒弟修業者の恋だけでは、この究極の選択は在り得ないのだ。
いずれにしても、結果的にミュラーの脱走は成功した。
直後の1815年、有名な「ワーテルローの戦い」の前哨戦でプロイセンはフランスに壊滅的な大打撃を受けてしまう。それでも余力を振り絞り再び背後から追撃したことが、連合軍大勝利のきっかけになる。
そんなふうに両軍とも絶滅戦の悲惨な状況だったわけで、逃げていなければミュラーは戦死していたかもしれないし、そうなると「冬の旅」も生まれなかったことになる。
何が幸いになったかはわからないが、なぜか重罪に問われることもなく数年で一応の名誉回復も成す。
しかし、過酷な従軍と真冬の山岳縦走でミュラーの体は弱っていたようで、若死の一因になったとされている。
やはり、「冬の旅」は「死の旅」だったのだ。

生の輝きから急転直下、死で完結する「水車小屋」と、永遠の生の彷徨いを歌う「冬の旅」。
厳しさの種類は違うが、「地獄のバリエーション」には違いない。
ミュラーもシューベルトもとんでもないものを残したものだ、と改めて思った。

posted by あひる★ぼんび at 23:07| Comment(4) | 音楽
この記事へのコメント
こんばんは。
深いお話をありがとうございました。
作詞者ミュラー自身が正に冬の旅を体験したのですね。
シューベルトの音楽は、実にミュラーの体験を再現したわけなんですね。
シャガールが言ったとおり、シューベルト
Posted by 真子 at 2018年06月06日 20:35
「シューベルトは奇跡」ですね!

ホッターは希望を、プライさんは冥土への歩みを歌っていたのに、しばしば反対に取られていた、というのも興味深いですね。

プライさんは若い頃から、
その様な思いで歌っていたのでしょうか?
Posted by 真子 at 2018年06月06日 20:41
スマホからコメントしたら変になってしまいました。。
すみません。
パソコンを立ち上げました。

プライさんの晩年のDENON盤は、ややそう聞き取れなくはないですが、1971年のフィリップス盤など声がとても甘く、冬の旅なのにロマンチックでさえありますね。
初めて聞いた冬の旅ということもあって、とても好きな演奏です。
「リートに声は関係ない」と言い切った記事を(ずっと昔ですが)読み、そんな事はないのではないかと思ったことがありますが、こうして見ると声の持つ雰囲気は無視できませんね。
考えるまでもなく、当たり前のことですが(だからこそ、オペラでは声質によって役柄が決まっている訳ですものね)。

ホッターの冬の旅は一枚だけ持っていたと思います。
棚の奥の方にあるので、また出して聞いてみようと思います。

いつもながらの読み応えのある記事で、勉強させていただきました。
ありがとうございます(*^^*)

Posted by 真子 at 2018年06月06日 21:00
こんばんは。

ミュラーは確かに自らの体験を「冬の旅」に詠み込んだわけですが、彼は生への執着が強く、したがってその後の人生も波乱万丈で多様な要素を含んでいます。人物と作品の乖離は否めない感じです。
ホッターもプライも、そんな詩人のことをしっかり学習し、それぞれにアプローチを決めたのでしょう。
プライは自伝でかなり細かに語ってますね。その解釈がいつからなのかはわかりませんが、プライをリートに向かわせたのが40年代末のディースカウのリサイタルの「冬の旅」だったわけですから、負けないように相当深く学んだことでしょう。
これは想像ですが、プライはミュラーにもシューベルトにも一種の楽天性を読み取っていたのではないかとも思えます。陰鬱なだけではない逞しい生命力。ナポレオン戦争とその反動期の殺伐たる時代を自分なりの価値感でもがきながら生きた記録なのですから、物語の結末が不幸でも、力をなくしたらいけない、生命の輝きを曇らせてはいけないと思っていたのでは?
もちろん、同じことは若きホッターの歌唱にも感じました。
Posted by あひる★ぼんび at 2018年06月06日 23:29
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