2017年10月22日

マルタンの音楽A

長い歴史に支えられた西洋の調性音楽のルールは、いつでも音楽に安心感と信頼性を与えるものだった。
近代以降の作曲家が率先して破壊しようとしたのはこの「安心感」だったろう。
創造を生業とする「芸術家」は、いつでも独自性と個性を追求する。
いくら追求しても既成のルールの中ではおのずと限界を感じるもの。
その限界と折り合いをつけながら音を見つけるのが本来のはずだが、壊すことで音楽の新たな展開に結びつくなどと考える時代があった。
それが20世紀だった。
しかし、生み出す意思を忘れて壊す刺激だけを求めるようになると、間違いに気が付く。
これは「逃げ」なのでは? と、その間違いに早々に気付き進路補正をした作曲家もいれば、マルタンのように最初から相応の距離を置いて、表現の範囲として12音技法などを扱った者もいた。
逆に、音楽を数学的に分解してほぼ「ノイズ」までつきつめてしまったツワモノもいた。
実に面白い100年だったと言えるだろう。

このアルバムは前に紹介のものに続く「自作自演集第2集」。
mart-2.jpg

マルタン:
ヴァイオリン協奏曲(1951)
ピアノ協奏曲第2番(1970)

    ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
    パウル・パドゥラ=スコダ(ピアノ)
フランク・マルタン(指揮)ルクセンブルク放送管弦楽団
(VOX-ワーナー LP 国内盤)



ここにはヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲という、大作2曲を収録している。
どちらも古典的なフォルムを持った曲だが、雰囲気そのものは第1集より「あぁ、現代音楽だ」と思えるものだ。
しかしいずれも「前衛」に走ることはなく、12音技法に近い形の音型に埋め尽くされてはいても、調性音楽という最終着地点を持っているのがいかにもマルタンらしい。
実はこれが「聴きやすさ」を生んでいる大きな要素だと思う。

まずヴァイオリン協奏曲。1951年の作品で、初演は翌年に名手シゲティによって行われている。
急―緩―急の伝統的3楽章の堂々たる佇まいだ。当然ながら、印象的なメロディがあるはずもないのだが、気迫で一気に聴かせる曲になっている。
「現代音楽」というくくりにもかかわらず、でこれまでに3回もレコーディングされているということからも、単なる作り手の自己満足ではなく後世に残りうる作品なのだと思う。
ピアノ協奏曲第2番はマルタンがパドゥラ=スコダのために書いた。79歳、1969年の作品。
「親愛なるパウル君―私の篤い友情と深い賞賛をこめて」と、初演の大成功へのメッセージを寄せている。
鋭角的でダイナミックな作品。ここでのパドゥラ=スコダは鮮やかに一気呵成に弾ききっている。
ふだん、ドイツ古典派の音楽をピリオド楽器を使って演奏する大家というイメージがあるのだが、どうやら彼にはもうひとつの顔があるようだ。
「パウル君が弾くのでなければ全く違う曲を作った」というぐらいだから、技巧派ヴィルトーゾの認識が強かったのだろう。
そんなパドゥラ=スコダは先日90歳の誕生日を迎えた。いつまでもお元気でいていただきたい。

現在では自作自演盤もCD化され、気楽に楽しむことが出来る。広く人気が得られる種類の音楽ではないけれど、真面目に生きた作曲家の足跡が消えずにすんだことは喜ばしいと思う。

posted by あひる★ぼんび at 21:10| Comment(0) | 音楽
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