2017年06月26日

プライのヴォルフ・アイヒェンドルフ

山歩きが好きで、ドイツの深い森を愛好したプライは、その風景をふんだんによみ込んだアイヒェンドルフの文学に愛着を持っていた。
その詩が「リート」になる時、より強靭な生命を得たと感じたことだろう。
歌謡性と幻想のバランスの良いシューマンの諸作品と、ドイツ語の響きやその心理の奥を読むような、リートの醍醐味を感じさせるヴォルフの諸作品は特に好きだったようだ。
彼のリート録音の初期のグループの中心にそれらがあったのも納得できる。
プライは1952年にリートリサイタルを開始している。レパートリーは彼の感性にマッチしたシューベルト、そしてレーヴェとシューマンの有名曲。
そこにヴォルフを加えるべく勉強を続けていた。プライとして自然に歌うことのできたシューベルトに比べると、ヴォルフの少々屈折した世界は細かい分析と綿密な練習が必要だったのだろう。

彼はまず、アイヒェンドルフとイタリア、スペインから手を付けている。
このリート・デヴューから60年代初めのプライの歌唱は、幾分声に頼って情緒に流れる傾向があった。
その特徴は、口うるさい評論家の批判のターゲットにされがちではあったが、それは常に「歌を聴く喜び」を与えてくれるものだった。
美声であるからこそ、湧きだす感情や淡いメロディに込めたロマンの香りを感じ取ることができる。
後に声に落ち着きを加えてからは、旋律より言葉の比重が高く演劇的なメーリケへの付曲を多く歌うようになっている。
いずれもプライの甘く若々しく、なおかつ深い声が、かくもヴォルフを深刻さと難解さから掬い上げているのが、作曲家と演奏家の時を隔てた幸福な邂逅と言えるだろう。

ヴォルフはシューマン以上に集中的(偏執的?)な作曲方法をとるのが常だったが、「アイヒェンドルフの詩によるリート集」は作曲時期に比較的幅がある。最初期は1880年、連作集を計画するも頓挫、1886〜88年に再び取り組むが、連作扱いにはしなかった。各曲に気分の共通性はあるものの、有機的に綿密に動機を結び付けたり、調性を綿密に配置して全曲に統一感を持たせる配慮はない。したがって「美しき水車小屋の娘」や「詩人の恋」のように、全曲を通して歌われることが絶対条件ではなく、リサイタルやアルバムでは数曲が抜き出され、自由に配置されることが多い。

プライ1回目の「アイヒェンドルフの詩によるリート集」
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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(18曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
ギュンター・ヴァイセンボルン(ピアノ)

(COLUMBIA 10in.LP ドイツ輸入盤)




収録しているのは、一般的に知られる全20曲から女声用2曲を省いた18曲。
リリースは10インチ(25p)モノラル盤だった。
ジャケット上に録音データがなく、いつ録音されたものか正確には掴めないが、後の資料等から1957年〜58年、ベルガーの歌唱と組み合わせた「イタリア歌曲集」と同じ頃のものと思われる。
50年代は、こういうふうに1人の歌手が1人の作曲家の作品をコンプリート的に録音するというアルバムがやっと登場し始めた時期だった。
ドイツ敗戦で頓挫したドイツリートプロジェクト以来、33と1/3回転12インチ、10インチ盤が普及して実現しやすくなったのだ。
また、天才歌手ディースカウの登場と、すでにピークを過ぎてしまった大御所ラウハイゼンに代わり、幅広いレパートリーを持つムーアや、若手のヴァイセンボルンらが活躍を始めた時期でもあった。
この盤は「イタリア歌曲集」同様、再発売の機会に恵まれなかったようで、他種はまるで見かけない。
まとまった形では埋もれたままで、CD化もされていないのが惜しまれる。

東芝が60年代終わりにリリースした巨大プロジェクト「ドイツ歌曲大全集」のヴォルフの巻の中で、20曲中前半10曲をプライのこの1回目の録音で収録している。「郷愁」以降後半10曲はディースカウの録音を使用している。すでにヴォルフについてもスペシャリストの域だったディースカウを差し置いてプライに占有させるわけにはいかなかったのだろう。
もちろん、ディースカウは非の打ち所のない立派な歌唱なのだが、こうして並べると、解釈と落ち着きではディースカウ、しかし、声の幅や勢いの点ではプライが勝る。
そして全く異なる色彩の風景が広がっているのを感じる。それを実感したセットだった。
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ドイツ歌曲大全集第9巻〜ヴォルフ第2集
〜メーリケとアイヒェンドルフの詩によるリート

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(ソプラノ)
ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
ヘルマン・プライ(バリトン)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ハンス・ホッター(バスバリトン)
(東芝EMI LP4枚組 国内盤)


このBOX以外では、各種のオムニバスやコンピレーションに1〜4曲、バラバラに収録され必ず顔を出す録音だった。そんな「穴埋め素材」のような扱いはCD時代に入っても変わらない。
当時のプライの艶やかな声と率直な感情表現、ヴァイセンボルンの鮮やかなタッチが高評価を受け、愛聴する人も多かったようだ。そんなふうに、演奏の存在価値は誰からも明白だが、この扱いは何か軽く見られているようで、はなはだ残念だ。


同リート集2回目の録音は1968年と70年。ピアノはコンラート・リヒターだった。
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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(20曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
コンラート・リヒター(ピアノ)

(EMI LP 国内盤)





こちらは前回同様女声用2曲を省き、そこに遺作2曲を加えている。
解釈としては基本的な変更はないようだ。美声はそのまま、リズムが流れてしまうことがなくなり、多くの聴き手が期待するプライの姿が明確になっている。
1960年代後半から共演回数が多かったリヒターだが、このコンビでの録音物はそれほど多くなく、リサイタルライヴ盤と名曲集などが短い期間にDECCAに数点残されただけだった。
プライは常に「共に歌うピアニスト」を求めたが、その意味でもリヒターとは相性が良かったようだ。
この盤は「忘れがたき名演奏」として取り上げる評論家も多い。
1971年、2度目の来日記念盤としての「最新録音」のリリースだった。
この日本盤LPのライナーでは「ドイツ歌曲大全集」に収録した旧録音との比較が述べられているが、この新盤を圧倒的に褒めているわりに、あちこちのオムニバス盤で耳にできるヴォルフ録音はこのリヒターとのものではなく、1回目のものが多かった。
充実度ではこの録音のほうが上かもしれないが、若々しい瞬発力と鮮やかさの点からそうなったのだろう。
しかもこの盤がCD化されたのは追悼盤としてが初めてであり、その後の再発もない。
ヴォルフは、日本人にはやはり高いハードルなのかもしれない。

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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(20曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
コンラート・リヒター(ピアノ)

(EMI 国内盤)




音の印象がLPとCDではかなり異なるが、そこは一長一短…マスターは今後劣化していくだろうから、まあこのタイミングでCD化されたのは大きな意味があったと思う。

その後、フィリップスのエディションでも数曲取り上げているが、まとまったものはリヒターとの盤を最後に、晩年になってもついに録音しなかった。
プライは「リートもオペラの各役も、歌うにふさわしい年齢があるものだよ」と言っていたことがある。
プライ自身「ヴォルフのこれらのリート集には若者の声がふさわしい」と考えていたフシがあり、そのため一定年齢を越えてからは歌うことを避けたようだった。
全曲網羅主義でなかったプライらしいと思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:23| Comment(12) | プライ
この記事へのコメント
こんにちは。むしむしする日が増えてきましたね。

リートの中でもヴォルフは「ドイツ語がわからないものは聞いても仕方ない」ような批評を読んだことがあります。
それが追悼盤でこのヴォルフを聞いたときに、そんな評を忘れる位魅了されました。ドイツ語がわかればもっと理解できるのでしょうけれど、プライさんの美声と歌唱はしばしば言葉の壁を崩してくれます。
ヴォルフ&アイヒェンドルフとシューマン:リーダークライス39の世界観は少し似ているように感じます。

ところで、1回目の「アイヒェンドルフの詩によるリート集」の中の5曲は「INTEMSE MEDIA」の”美しいアリアとロマンティックな歌曲”という代の10枚組のCDボックスに入っている録音と同じでしょうか?
録音が1958年でピアニストがヴァイセンボルンになっています。
伸びやかで力がみなぎっていて若々しい悲しみがあっていいですね。
この数曲を聞くと全曲復刻して欲しいと思います。

Posted by 真子 at 2017年06月29日 15:09
こんにちは。ほんとうに、いつの間にか暑くなりました^^;

追悼企画以外で、EMI名義でCD化されているものはすべて最初の18曲からとられています。
一応ステレオ録音だったようですが、マスターの段階でモノラルにおこされ、それがこのLPアルバムとなりました。当時はステレオ再生装置はそれほど普及していなかったためでしょう。
現在、ステレオとして聴けるのはCDになっているその5曲程度です。以外の曲はLP時代も、今も、モノラルを疑似的にステレオ化したものばかりです。「ドイツ歌曲大全集」の中もプライの部分はほとんどが疑似ステレオ。もしかすると早い時期にオリジナルのステレオマスターは失われたのかもしれません。
このヴァイセンボルン盤18曲丸ごとがCD化されないのは、そんな理由で音質が不揃いになってしまう為かな?と思います。
音楽評論家からも評判が良い盤なのですが…もったいないです。
プライが歌うと、そうですね、ほんと美しい表情になります。言葉のアクセントや曲自体の起伏のとりかたが特徴的で、ディースカウと比べると全く違う曲を聴くようです。たぶん「芸術」として聴くならディースカウ。「歌」としてなら断然プライ。双方を耳に出来る自分たちはなんて幸せなのだろうと思います。
Posted by あひる★ぼんび at 2017年06月29日 16:51
こんにちは。

あすはプライさんのお誕生日ですね。
そこで、3年前にCD復刻された「白鳥の歌」と「ヴォルフ歌曲集」にボーナストラックとして入っていた「Rシュトラウス歌曲集」をまとめて、LPの曲順に従ってCDにダビングしました。
明日のお誕生日に聞こうと思っています。

そこでご質問ですが、
「白鳥の歌」の方にに入っている3曲は、ピアニストがカール・エンゲルになっています。
LPと照らし合わせるとこれでちょうど元のLPと同じになるのですが、ピアニストはジェラルド・ムーアの間違いですよね?
録音年月日はどちらも1963年6月4日〜7日になっていますし。

カールエンゲル伴奏のRシュトラウスはデッカの「ザ・シンガーズ ヘルマンプライ」の中にも入っていますが、録音は1962年10月になっています。
シューベルトやシューマン、ブラームス歌曲も同じ録音年月日ですので、こちらはLPとして発売された元は一枚の音源だと思っていいのでしょうか?

Posted by 真子 at 2017年07月10日 12:54
こんばんは。

プライ誕生日企画、いいですね♪
僕は何を聴こうかな・・・明日は残業で時間がなさそう^^;
Rシュトラウスも、プライは得意にしていましたね。
ただ、録音はヴォルフ=アイヒェンドルフ同様、若い頃に集中しています。やはり、曲が持つ華やかさと艶やかさには「若さ」が似合うと思っていたのかも。

「白鳥の歌」のボーナストラックのエンゲルは明らかな間違いで、その通りムーアです。
もう1つのボーナスのシューベルトの流れでそう書いてしまったのでしょう。ちなみにあのシューベルト7曲はシューマンと組み合わせたオリジナルのアルバム「ゲーテ歌曲集」からでした。
それとかぶることない曲目で、シューベルト・シューマン・ブラームス、そしてRシュトラウスを録音したものが、そのご指摘の1枚。
オリジナルは10インチ盤でした。
オムニバス盤の素材として色々な切り取りと組み合わせでリリースされています。後に12インチにまとめられました。
日本盤は・・・「魔王」というタイトルでしたね。リート入門用としての12インチ盤アルバムを成立させる為に抜いたり加えたり苦労の見える盤でした^^
Posted by あひる★ぼんび at 2017年07月10日 22:24
Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag HERMANN PREY♪

こんにちは。今日も暑いですね。
昨日は早速教えていただいてありがとうございます。
きっとそうかなと思ったんですが、あひる★ぼんび様にお聞きするまでは安心できなくて。

>リート入門用としての12インチ盤アルバムを成立させる為に抜いたり加えたり苦労の見える盤でした^
そうでしたか。
そんな苦労せず、オリジナルで再販し続けて欲しいなあと思いますが、売れなくててはいけないし、いろいろむつかしいのでしょうね。


プライさんのRシュトラウスはいいですね♪
艶ややかで甘い声、曲の華やかさに負けないプライさんにぴったりだと私も思います。
フィリップス盤はさらに声がツヤツヤですが、この若い頃の演奏も大好きです。
荒いと感じるところもありますが、こういう若さでもってしか歌えない演奏も魅力的ですよね。

あひる★ぼんび様は今日は残業なんですね(><)
ほん少しでもお時間があって、こっそり聞けたらいいですね(怒られるかな?(^^;)
こうして没後19年経っても、プライさんを語り合える場を作ってくださっていることに感謝しつつ、プライさんをお祝いしたいと思います。

お体に気をつけてお仕事なさってくださいね。

Posted by 真子 at 2017年07月11日 11:48
こんばんは。

昼間の暑さがこたえます。
結局、昨日深夜(というか11日の1:30過ぎ)就寝前にそのリートアルバムを聴きました^^

リートは、日本ではどう考えても特殊なジャンルでしたが、そんな中、美点を見出した方々が業界内にいたのでしょう。
製品として成立させようという努力に頭が下がります。

プライのRシュトラウスは陶酔感もあり、またそこに傾ける愛情を強く感じます。ディースカウのほうが評価がずっと高く、録音数も多い(ほぼ全曲)ですが「どれも空虚で外面的なもの」と言いつつだったことを考えると、何を歌おうとしていたのか疑問になってしまいました。
プライはそういう屈折がないので安心して聴けます^^

素晴らしい「うたびと」の誕生記念日。
時差があるので今でもOK♪ですね。
Posted by あひる★ぼんび at 2017年07月12日 00:17
こんにちは。

お仕事遅くまでお疲れ様でした。
少しくらい時間がずれてもOKですよね。
お祝いしたい気持ちが一番ですもの(*^^*)
>「どれも空虚で外面的なもの」というのは、ディースカウさんの言葉ですか?
それだとショックですね(;゚Д゚)!

クラシックの中でもさらにマイナーなリート、しかも亡くなって何年も経ってからのCD化は本当にありがたかったです。
あの勢いのままもっともっと出して欲しかったなあ。
出して欲しいものばかりですが、ザルツブルグはBOXでぜひ出して欲しいです。

>プライのRシュトラウスは陶酔感もあり、またそこに傾ける愛情を強く感じます
聴いていてうっとりしますよね。心がよろめきます。
昨日は「荒さも感じる」なんて書いてしまいましたが、改めて聴いてみるとフレーズの最後を子音で収めるところや、PPでの歌唱など細やかで優しくて、荒く聞こえたのは有り余る声量・エネルギのせいだと気づきました。
プライさんの歌を聴くのは、理屈抜きで楽しく幸せなことですね。
10日後の命日には何を聴いて偲びましょうか。

Posted by 真子 at 2017年07月12日 11:20
こんばんは。

毎日暑いですねぇ。
今、自宅は外装大工事のため空調を使える時間が限られていて、窓も開けられないので、大変な状態です。
音楽を聴く気力も失いつつあります^^;

現在の自分たちの感覚からすると気がつかないことですが、プライやディースカウ世代にとっては、Rシュトラウスはリアルタイムの音楽であり、評価も確定してはいなかったのです。ディースカウの言葉が辛口&極論になるのは仕方なかったのでしょう。作品への評価は常に演奏する彼ら自身が作るのです。
現にディースカウは「時代遅れのものにすぎない」と評しつつ「イノックアーデン」をテキストの分析と再構築までして「博物館見学以上のものにはなった」と語っていたりします。
彼の言葉はいつもどこか上から目線で毒がありますが、きっと真面目さの裏返しなのでしょう。プライのユーモアとは対極ですが、こうして「新時代」が作られたわけで、それは素晴らしいことだったと思います。

命日までにはプライ記事を1つぐらいは書かなきゃなぁ。

Posted by あひる★ぼんび at 2017年07月12日 22:17
こんにちは。

暑い時期にご自宅の工事で大変ですね。熱中症にお気をつけくださいね。
保冷剤をタオルに包んで首筋や膝の裏、脇(止めるのがちょっとむつかしいけど)に挟んで扇風機に当たると少しはましですよ(*^^*)
冷房で直ぐに喉をやられる私の避暑対策です(*^^)v
私は夏は特にシューマンを聴く気力が失せます。なんでかな。
昨夜はプライさんのベートーベンを聴きながら眠りに就きました。シューマンより夏向きです(笑)

>現在の自分たちの感覚からすると気がつかないことですが、プライやディースカウ世代にとっては、Rシュトラウスはリアルタイムの音楽であり、評価も確定してはいなかったのです。
そうか、そういえばそうですね。30年の年の差をこういう時感じますね。
今、Rシュトラウスの音楽を立派なクラシックと認識しているということは、高い評価を得たディースカウさんの歌唱が「空虚で外面的なもの」から「芸術」に引き上げたとも言えるわけですね。
今日はディースカウのRシュトラウスを聴いてみようかな?
最近ムーアのピアノが気に入っていて、プライさんとディースカウさんの伴奏の時どう違うのかなんて事を聴き比べたりしています。
プライさんは聴き出すと、心を鬼にしなければ彼の声にばかり耳が行っちゃうんですけど。

命日生地楽しみにしています!(*^^*)
Posted by 真子 at 2017年07月13日 12:22
こんばんは。

シューマンはムリになりますか。なぜでしょうね。ピアニストによっては爽やかな感じにもなりますけれど…あの迷走する感情が鬱陶しくなるのでしょうかね。
自分の場合は半端に活発な音楽は避けてしまいます。モーツァルトやベートーヴェンは遠慮してもハードロックやヘビメタはOKだったり^^

ディースカウの功績は大きいです。批判しながらも放り出さなかったのは「開拓」の可能性を見たのでしょう。彼がいなかったらRシュトラウスやプフィッツナー、シェック、ライマンなどの現代リートも聴く人はいなかったでしょう。
プライもディースカウが歌わなかったらそれらを取り上げなかったかもしれません。より自分の特質に合致したロマン派までのリートに集中したかもしれません。
ムーアは共演者によって巧みに表現を変えられる凄さがありますね。
例えば「白鳥の歌」の「わが宿」のディースカウ(EMI)とプライ(PH)。まるで別のピアニストのようです。

ディースカウもプライも個性の強烈な声ですからね。
その個性が心のどこに響くかで印象が変わるわけで。
カウフマンがプライの偉大さのひとつとして「一聴で誰かわかる個性的な声」を上げていましたが、プロ歌手にとってもそれは憧れだったようですね。

Posted by あひる★ぼんび at 2017年07月13日 23:29
こんにちは。

シューマン、なんででしょうね。自分でもよくわかりません(笑)。
でも秋になったら聴きたくなるんです。不思議。

ディースカウさんは「歌う学者」ですね。
声も歌いぶりも本当に個性的ということは「これが好き」という人の心をがっちりつかみますからね。
プライさんは、まずあの美声が誰にも真似できないでしょうし。
うまくそつなく歌う人は増えましたが「彼(彼女)でなければ」という人は減ったように思います(声楽界以外でも感じます)。
Posted by 真子 at 2017年07月14日 09:46
こんにちは。

まさに「歌う学者」ですね。
高度な学歴を持つ機会に恵まれながらそこに直接の価値を見出さなかったプライと、戦争によって専門教育の機会が持てなかったディースカウ。2人とも学歴やコンクール歴ではなく「実力実績」でのし上がったわけですが、音楽への向き合い方が大きく違うのが面白いです。

歌唱法、演奏法が合理的科学的になった現代は、「唯一無二」は生まれにくいのでしょう。クロスオーヴァーの一般化から生まれるものは「奇抜」はあっても表層のみのように感じます。
Posted by あひる★ぼんび at 2017年07月15日 11:08
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