2017年06月10日

ディースカウのDGシューベルト全集

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ。
彼が戦後のドイツ声楽界最大の巨星であったことは誰もが認めるところ。
その大きさを世に示し、実感させた仕事のひとつが「シューベルト歌曲大全集」だった。
ディースカウにはこの全集以前から「網羅主義」ともいえる方針は見えていて、エレクトローラ=EMIにもかなりの録音をしている。彼が特に身構えることなく次々に繰り出す「音の大論文」に、音楽界は驚愕した。そのジャンルが「リート」という特殊なものだった故、世界中の人が話題にするようなことにはならなかったが、彼が生涯に残した膨大な録音と著作は現在も将来も、このジャンルの指針として高い価値を持ち続けることだろう。
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シューベルト:歌曲大全集

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)

(DG 22枚組 国内盤)



さて、このシューベルトだが、アルバムの題名は“Schubert LIEDER”だけ。
シューベルトが書いた膨大なリートのうち、不自然なく男声独唱で歌え、楽曲として完成されたものをほぼ全て収録したわけだが、未完成作品や草稿、異版は省いている。
シューベルトは「最初は書き散らかし、その後に幾度も改訂する」傾向があったので、これは賢明な判断だったろう。その上さらに、ディースカウ自身の基準で「芸術的な価値が低い」と判断したものは切り捨てている。この辺がアンチが嫌悪する部分なのだが、そのことを黙っていればいいものを、彼は必ず著作で詳細に記しているのだ。正直なのか、自分の価値基準に絶対的な自信があるからなのかわからないが、実際の彼の人柄とは関係なく、そういう時の饒舌で強い論調はあまり褒められたものではない。

dfd-sliederLP.jpgシューベルト:歌曲大全集
第1巻「後期の作品」
第2巻「初期・中期の作品」
第3巻「3大歌曲集」

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
(グラモフォン LP 12+13+4枚組 国内盤)



この全集の日本発売盤LPのライナーノーツに寄稿している著名な評論家や演奏家たちは、この偉業を手放しに賛美することはしていない。慎重というか、判断を回避している。そこではこれまでのディースカウの歌唱スタイルを分析したり、レコーディングの記録映像から見て取れるディースカウの取り組み姿勢について感想を述べることに終始しているのだ。この全集が巨大すぎて、発売前のテスト盤視聴で書けることは何もなかったのだろう。1枚ものなら聴かずにただの経験談を書いてもつっこまれないし、既発売盤が少しでもあるなら、そこだけ書けば誤魔化せる。しかし29枚すべて新録音では何を書いても矛盾が起こると感じたのだろう。
そんな、載せなくてもいい文であっても、スペースを字で埋めるのが、日本のレコードライナーの悪しき習慣なのだ。評論家諸氏も気の毒だ。そんなことも考えてしまった。
畑中氏はここに「あまりにもつきつめられ、ひとつひとつの音符への強烈な問いかけが用意されている為、時に息苦しくなる時もあったのは否めない。そんな時、僕はヘルマンプライの少し間の抜けたようなリートを楽しんだものだった・・・」そう書いているが、こんなふうに多くの評論家や演奏家がディースカウを褒めつつも、微妙な違和感を持っているのが垣間見えて面白い。
ディースカウは「多くの聴衆が求めるもの」を排してまでも、シューベルト演奏の基本指針となるような全集を作ろうとした。本人は「そうだ」と言明するはずもないが、作曲年月日順にほぼ全てを収録した編集方針に加え、著作「シューベルトの歌曲をたどって」を読むとそう確信できる。
これはシューベルトに、リートというジャンルに、音楽そのものに対する、彼の強い姿勢のあらわれだった。自分の音楽、解釈への絶対的自信の強固さ。この記事の最初を繰り返すようだが、その自信が曖昧でないことがこの全集の価値を高めているといえるだろう。

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個人的な思い出をひとつ。
僕がこの全集を手にしたのは中3だった。高校合格祝いとして第1巻のLPを買ってもらった。その日から1日1枚、必ず聴いて、ローテーションで繰り返した。
その時の歌唱の印象としては、全体的にテンポが速めで、発音が強く、それが多少荒いのかな?と思った。当時は数曲を除いては初めて聴く曲ばかりだったのであくまで感覚なのだが・・・40年以上たった今でも基本的な印象は変わらない。
第2巻は高2になってから中古で買い、第3巻はエアチェックをテープに録って聴いた。
CD化されてからは当然、すぐに入手した。その時、LPは手放してしまったが、音の微妙な陰影がLPのほうが優れているように感じていて、結局、最近買いなおした^^;
これは自分にはリートを聴く「指針」であり、重要な「参考書」。
好きなのはあくまでプライ。聴いて楽しいのもプライ。
しかし、勉強好きな人だって、勉強のすべてが楽しいわけじゃない。必要と考えるから忍耐強く取り込むのだ。
自分はこの全集を通じてドイツ文学とヨーロッパ文化に興味を持った。
直接的な音楽の力とは違う方向への入口。
今ではディースカウの歌うリートはそんな存在のような気がしている。

posted by あひる★ぼんび at 23:02| Comment(4) | 音楽
この記事へのコメント
こんばんは。

ディースカウさんは偉大な歌手で、とてつもない偉業を残してくれましたね。
歌手の好みは人それぞれでもこれだけは間違いない事実ですね。
絶対的な自信がなければ、こんな大変な仕事に手をつけられなかったと思います。
コンプリートしたくなる性格、というのもあったのでしょうか。

畑中さんはプライさんのレコードにも「ディースカウの場合は・・」なんてよく書いていましたが、ディースカウさんのレコードにもプライさんを登場させていたんですね。
それにしても「ヘルマンプライの少し間の抜けたようなリートを楽しんだものだった・・・」って(笑)
好き勝手書きますね、ほんと。

本題にあまり関係ないところに反応しますが
>1枚ものなら聴かずにただの経験談を書いてもつっこまれないし、既発売盤が少>しでもあるなら、そこだけ書けば誤魔化せる
こういうことあったんですね、やっぱり。
道理でちゃんと聞いたんかい?と思うような評に出くわすはずです。

そして、中三でこの全集を手にされたあひる★ぼんび様はやはりすごい方です!
今回も深いお話で勉強させていただきました(*^^*)

全然違う話なんですが・・、

マーラー:さすらう若者の歌(録音時期:1961年)
ヘルマン・プライ(Br)
ベルリン放送交響楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)

をヤフオクで入手しました。
若き日(30代前半特有)のプライさん!という感じの演奏でした(^O^)
Posted by 真子 at 2017年06月13日 19:02
こんばんは。

ディースカウはいわば「征服者」であり、「支配者」のように思えます。「歌手である前に芸術家でありたい」と言っていた彼にとっては、シューベルトもシューマンもブラームスも自身の芸術を具現化するアイテムのひとつだったのでしょう。
それは不遜にも思えますが、一貫していてブレがないのが凄いです。
また、各巻5日から10日程度で録音を終えているのが驚異です。

畑中氏は比較対象をあげて文を書くことが多かったようですね。しかもいつでも「論」ではなく「感想」。文筆家ではないので良しとされたのでしょう。勝手なことを言っても「個人的感想」とわかるから、そんなに嫌な気はしませんでした。この文にしても「楽しんだ」と言っている…プライが常に目指した「聴衆を楽しませる」意図が伝わっているのがわかります。
…でも問題は、そういった感想を権威的に読んでしまった場合です。ライナーは初心者には最初のナビですから。
(だから自分は高校時代以降はほとんど輸入盤しか買いませんでした。詩の対訳は宝でしたが、評論家たちの聴いたふりばかりの解説文は先入観ばかり入り込みそうなうえ、無駄だと思えました)

ザンデルリンク盤ですね^^
あれはプライの若さがいい感じの盤ですね。
ただ、CD化されてしばらくしてからの廉価盤では第3曲が落ちているものがBOXなどに収録されたことがあったようです。何とも音源管理が杜撰なこと・・・と思えます。良品交換はあったのかなぁ。
Posted by あひる★ぼんび at 2017年06月13日 22:04
こんにちは。

畑中さんは声楽家なので、自分で演奏しない評論家とはまた違った視点をお持ちだったと思いますが、言われてみれば「感想」でしたね。
1990年代にレコ芸に票を書いていた太田さんという方はプライさんのファンのようで「ああ、なんていいんだろう」なんて「感想」があちこちに散りばめられていました(笑)
そう思うと、評をあてにするというのは的の外れたことかもしれませんね。
太田さんの「評」はプライファンの私には心地よかったですけど(*^^*)

ディースカウさんは各巻を5日から10日で録音を完成させているのですか?
何もかもが驚異的ですね。
どこまでも芸術家であろうとしたディースカウと、うたびとであろうとしたプライという二人の歌手が同時期に出てきたことは奇跡だったのかもしれませんね。
確かに畑中さんを楽しませたのだから、プライさんは自分の思う仕事をしっかりとやったということですね。
私も、楽しみ続けています(*^^*)これからもずっと。

「さすらう若人の歌」、まさにその第三曲が落ちているBOXからのバラ売りです(^^;
四曲そろったのを見つけられなかったので、欠けていても聞いてみたいと思い落札しました。安かったし。
それにしても、三曲目が欠けるってどうしたらそんなことになるのでしょうね(。-_-。)
Posted by 真子 at 2017年06月14日 08:51
ディースカウは日夜、作品研究と分析をしていたようですが、演奏時は即興性や感情の作用を否定しない人だったようで、準備の後は一気に仕上げてしまうタイプだったようです。
第1集は1969年2/17〜3/21の5日間で12枚171曲、第2集は1966年12/10、11、13、14、1967年1/6、6/17〜19の8日間で13枚233曲・・・
この全集を聴くとわかるのですが、裏に流れる感情の一貫性が強く、ほとんどが一発録りだったのでは?と思えました。
中3の自分が、初めて聴いた時感じた「荒削りさ」や「テンポの性急さ」はその辺が原因かもしれません。

ザンデルリンクのあのCDの場合は、実際は「フランクと合わせたために収録時間オーバーだった」なのでしょう。放送用録音ならオンエア時間内におさめる為にはあることですが、あの録音自体はLP時代から英米独で何度も再発されているものです(ちゃんと4曲)。
第3曲カットは内容的な整合性はあるものの、ちょっと安易だと思います。現在なら80分収録も可能ですから、カットしないでも大丈夫ですが、数年前の盤ですからそうなってしまったのでしょう。
Posted by あひる★ぼんび at 2017年06月14日 23:42
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