2017年05月13日

フィリップス「プライ・リートエディション」〜第3巻

19世紀は、クンスト・リート全盛期であり、リート歌手にとっては重要な作曲家がひしめきあう時代だった。ナポレオン戦争とその反動による殺戮はヨーロッパを荒廃させたが、征服と解放の繰り返しの中で絶対的な身分制度が揺らぎ、異文化の輸出入もおこった。そういう強い刺激によって芸術は活性化を見たのだ。
しかし、やはり不安定な時代の産物ゆえ、玉石混淆は否めず、多くの作品は時の流れと共に忘れ去られてしまった。
酒場の流行歌や労働歌は常に流れ去るもの。しかし、楽譜として出版された「芸術作品」は、歌ってみようという歌手さえいれば、こうして時を越えて聴くことができるわけだ。
戦後ドイツで最も意欲的な歌手、ディースカウによって同趣向のアルバムは多数、EMIやDGに録音され、愛好家の話題になっていたが、ディースカウの場合、「今さら歌うに値しない芸術価値の低い作品」と判断したものはとりあげなかった。作曲技法上の問題、テキストの文学性・・・彼はかなり厳しい基準を持っていた。ゆえに、とりあげていない作品も多かった。
例えばジルヒャーの作品。シュヴァーベンの宝としてプライは特に愛唱したが、ディースカウはほとんど無視している。また、オペレッタやジングシュピールを多く残したローカル作曲家に対する待遇が、2人では正反対だったというのも面白い。
プライはエディションを組むに当たって、そういったロマン派リートを第1巻とこの第3巻に住み分けさせた。ディースカウの批判の対象になったようなローカル作曲家のものは1巻のほうにまとめ、3巻を一般的に考える大家でまとめている。結果的に賢明なアイデアだったと思う。これによって、ドイツのリート文化がローカルからグローバルへと変化していく過程(実際は同居しているものだが・・・)が見えてくるからだ。

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プライ・リートエディション第3巻
「ロマン派の時代、シューマンからヴォルフ」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア
レオナード・ホカンソン
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス LP8枚組 ドイツ輸入盤)



さて、このLP8枚、CDだと6枚のセット、録音時期は1971年〜73年(72年が多い)だが、ヴォルフのうちの数曲をリリースの74年に追加録音して加えている。
プライのコンディションはムーアやエンゲルとの録音はほぼ好調を維持しているが、ホカンソンとのメンデルスゾーンは少々ばらつきがある。名曲「歌の翼に」などはぶら下がり気味に聴こえる。リストは、調子以前に曲との相性がイマイチのようだ。以前から得意とするコルネリウスやドイツの堅牢な音楽を守っているヴァグナーは良かった。

1.「詩人作曲家シューマン」(3枚)〜シューマン
2.「ロマン派の哀愁とビーダーマイアー時代」
   〜メンデルスゾーン、リスト、ヴァグナー、フランツ、コルネリウス
3.「単純化された郷愁」(2枚)〜ブラームス
4.「ヴォルフの凝縮された世界」(2枚)〜ヴォルフ

LPセットはこんな感じだった。面割が明快で、つめこんでしまったCDより聴きやすかった。以前も書いたが、プライはアルバム制作時に曲順にかなり神経を使っていた。レコード鑑賞者は、針を落とした時が開演、面の切れ目が休憩、1枚の終わりは終演。そのことをプライ自身がしっかり押さえていたのだろう。プライの少年期から青年期の入口は世界大戦の激動の中だった。その中でレコードやラジオの音楽が与えてくれた出会いは、多くの喜びを心に刻みつけた。そんなふうに「繰り返し聴いて心に刻む」重要性を知っていたので、レコード録音を「二次的産物」とか「所詮」とか言わず、丁寧にとりくんでいたのだろう。

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「ロマン派のリート集」
メンデルスゾーン/リスト/ヴァグナー/フランツ
コルネリウス/タイバー/ダンツィ/トマーシェク
シュポア/マルシュナー/ヴェーバー/ジルヒャー

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン/ミヒャエル・クリスト(ピアノ)
カール・シャイト(ギター)
(蘭フィリップス LP2枚組 オランダ輸入盤)



LP時代のこの巻からの分売は、シューマンのうちホカンソンとの2枚(国内盤あり)、ブラームス全部(2枚組国内盤あり)、ヴォルフ(1枚分輸入のみ)、それ以外の作曲家のものは上の写真のように「ロマン派のリート集」として、第1巻のジルヒャーやマルシュナーなどと組み合わせたものが、2枚組BOXとして本家フィリップスから発売されていた。

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プライ・リートエディションVol.3
「ロマン派の時代、シューマンからヴォルフ」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア
レオナード・ホカンソン
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス 6枚組 ドイツ輸入盤)



CDは6枚に圧縮。カットはないが、面割を無視してつめこんでいる。また、解説はテキストのみになっている。傷やノイズを気にせず気楽に聴けるのはありがたいが、利便性と引き換えにどれだけの楽しみを奪ったか考えると複雑な気持ちになる。

また、このプライ・エディションは「第2巻シューベルト」以外は、一度簡略化廉価発売された後は単売は未発売が多い。プライも没後20年近くとなり「ヒストリカル歌手」に仲間入りしてしまった現代、フィリップス社も存在せず、もはや完璧な形での復刻リリースは難しいだろう。そう思うと残念でならない。


posted by あひる★ぼんび at 23:41| Comment(2) | プライ
この記事へのコメント
こんばんは。

確かにおっしゃるとおり、レコードで本来の形で聴くと全然違いますね(その節はありがとうございました(=^0^=))。
CDが出たときは大喜びで、息子にも買ってやったのですが、聴き比べると値が上がってもいいからオリジナルで出して欲しかったと思いますね。
CD化に当たってそう思う者は結構ありますが・・。

ホカンソンは自分に一番寄り添ってくれるピアニストだ、というようなことを自伝に書いていましたが、寄り添い過ぎてダメになる時があるのしょうかね。
ともあれ、これだけまとめて録音してくれたのはファンにはありがたいことでした。

このエンジの帯のフィリップス社ももうないんですものね。
この会社がなくなるなんて思ってもみませんでした。
時代がどんどん流れて行きますね。
Posted by 真子 at 2017年05月19日 19:45
こんばんは。

例えば6CDが8CDになったところで、コストも箱サイズもそれほど大きく違わないはずだし、テキストブックも90年代以降なら図版を多数使ってもオフセット技術上なんの問題もなかったはずです。どうも時の価格のデフレ傾向の中で「少しでも廉価に」という感覚がはたらいてしまったようです。このオレンジ・レッド主体のオリジナルのジャケットは日本人の美的感覚からははずれているので別にいいのですが、それ以外の部分はやはりオリジナルで出してほしかったです。
フィリップス消滅、デッカやDGですら独自性を失い、今はEMIもなくなりました。時の流れは残酷ですね。

ホカンソンは身近に行動していたピアニストゆえ、期日限定の緊張感あるセッションにならなかったのではないかな?と思います。プライはダ・カーポTVインタヴューで「新しい歌を覚える時はピアニストにピアノパートを弾いてもらいそれを録音して聴き覚えます」…と言っていましたからきっとホカンソンともそいういう事もあったでしょう。友人同士にはそれとしての良さもあるとは思いますが、火花を散らすような演奏は生まれそうにありません。

Posted by あひる★ぼんび at 2017年05月19日 22:20
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