2019年04月30日

平成の終わりに

平成が終わる。
テレビはまるで「行く年来る年」だ。カウントダウンをして、日が改まると同時に明けましておめでとうございます、といいそうな勢いだ。
平成を迎えた時は「喪」だったので、あの時とはまったく異なる雰囲気の改元日となる。
まあ、自分にとってはもう一生のうちには経験することのない改元の風景かもしれない。

「昭和」から「平成」に変わった時は、元号の名称自体には特に思うことはなかった。
しかし今度の「令和」には多少の違和感がある。
前回は天皇崩御で変更やむなしだったが、今回は生前退位で「今でなければ」という必然を感じないこともあるからだろう。どうやら違和感は文字の良し悪しではない気がしている。
日本の伝統が日々の暮らしから乖離していることや、元号法では天皇と元号運用は切り離されているはず…のため、結局のところ誰の望み、誰の為の改元かわかりずらいのだ。
誰もその辺を説明してくれはしない。

だがまあ、自分にとっては同世代の天皇の時代がきたわけで、ひとつの区切り・節目であることには違いなく、戦争のない、災害被害の少ない時代にしていきたいものだと思う。

posted by あひる★ぼんび at 22:43| Comment(0) | 日記

2019年04月16日

バスティアニーニのラストアルバム

bas01.jpg「イタリアを歌う」
ディ・カプア:オ・ソレ・ミオ
デ・クルティス:帰れソレントへ
カルディルロ:カタリ 作者不詳:光さす窓辺
デンツァ:来たれ/妖精のまなざし
ビルリ:こおろぎは歌う
トスティ:マレキアーレ/セレナード/最後の歌

  エットーレ・バスティアニーニ(バリトン)
  岩城宏之(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン LP 国内盤)



高校時代に、FMでこのアルバム収録曲を聴いた時「テノールっぽい歌い回しをするバスだな」と思った。
それまでヴェルディのオペラでは特に感じてはいなかったのだが、こういったカンツォーネ・ナポリターナでは、キメ所の音の選びやフェルマータが、テノールが歌う時のままに思えたのだった。そして、声質自体はバリトンというよりバスの重い響きだと感じたのだった。

バスティニーニは1922年生まれ、大戦終了直後の1945年に頭角をあらわし、数年はバス歌手として活躍したが、1952年にバリトンとして再デヴューしている。
なんでも、オペラのテノールパートをたまたま歌ったその声を聴いたルチアーノ・ベッタリーニ(音楽教師、編作曲家)が、バスティアニーニに強く転向を薦めたのだそうだ。本人も自分の低音に違和感と負担、限界を感じていたから、その話を快諾し、バス歌手として決まっていた仕事をすべてキャンセルして、バリトンを歌うべく再勉強に入ったのだという。
名バリトン、バスティアニーニの誕生だ。

そんなエピソードもあるとおり、イタリアン・テノールの定番曲を集めたこのアルバムは思いきりそのまま「声の低いテノール」の様相がある。
1965年、2度目の来日時に録音した彼の「ラスト・アルバム」でもあった。
指揮は岩城宏之。オーケストラはフィルハーモニア管。
岩城氏はバスティアニーニの声を立派にサポートしている。イタリア歌手独特のルバートや、伸ばしを的確なバランスで包み込んでいる。
編曲は全体的に控えめながら、「光さす窓辺」はベルリーニのパロディになっていて、ちょっとクスっときた。そういえばこの曲、長らく「ベルリーニ作曲では?」と言われていたものだ。

同時期、デッカ=ロンドンのレーベルからはデル・モナコやディ・ステファノのナポレターナアルバムが複数出ていて、愛好家の宝になっていたのだが、このバスティアニーニのものも独特の輝きを持った宝石のひとつと言えるだろう。

彼は61年に咽頭がんにかかっている。声帯を失うことを恐れ、外科手術を拒否し、放射線治療を繰り返しながら舞台に立っていた。
病気を周囲に漏らさぬようにしていたということだ。しかし、1965年には複数転移を起こし、1967年に世を去ってしまった。
全盛期を知る人にはこの頃のオペラ録音も、初来日63年のステージも「かつての輝きもない声」と捉える向きもあったようだが、NHKに残された「もう手の施しようもなくなっている」はずの1965年の映像も、そしてこのアルバムも、立派で堂々とした声である。


https://www.youtube.com/watch?v=uW-7Pg8C3qY

がんに侵され、しかも転移に悩まされているなどと、言われなければわからないし、逆に言えば、健康な時はどれほどの輝かしい声だったのか、想像が難しいほどのものだ。

美男の美声歌手。
もちろん低声歌手独特の威厳と渋さも備えていた。さぞ人気だったことだろう。
デヴューからわずか20年、バリトンとなって正味14年程の短い活動期間に、強烈なインパクトを残した名歌手の1人だった。
アルバムの最終曲がトスティの「最後の歌」というのがなにやら意味深である。
彼の脳裏には何が浮かんでいたのだろうか。
この曲の歌詞自体は「嫁いでしまう彼女への最後のセレナード」なのだが、サラリとした感触ながら、別の惜別の思いが聴き取れてしまうものだった。


posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(2) | 音楽

2019年04月06日

春の脳内BGM

家の周りの桜も咲いた。
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正面のひとつは、もう老木で、数年前に半分折れてしまった。
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入り口の1本は成長しすぎて上を切って高さ制限を受けている^^;
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芝桜も花盛り
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春の情景を見るたび、脳内BGMとして流れるのはグリーグの「春」。
ヴィニエの「春」という詩に付曲したピアノ・リートだが、一般には弦楽合奏曲「最後の春(過ぎし春)」として知られている。
美しい花と、空、そして独特の春の息吹を感じるたび、その曲が頭の中をリピートする。
それは中高生時代から変わらないのだが、心持はその頃と明らかに違う。
永遠に続くと思っていた日々は、またたく間に過ぎ、詩人がここに込めた思いは今では別の様相で自分の中に佇むようになった。



このブログでいつもコメントを入れて下さってるサルミアッキさんが、そのヴィニエの「春」を和訳してくれた。
公開のお許しをいただけたので紹介させて頂きます♪

サルミアッキさんによると、ヴィニエのこの詩はノルウェー語ランスモールで書かれていて、一般的なブークモールに比べ、かなり濃厚な地方色の中にあり、日本語に当てはめるのは難しいらしい。
たとえば、日本の東北弁での「しばれる」が単に「寒い」だけの意味ではないように、生活言語として単語自体に強い感情や背景があり、しかも音声的には単純で語数が少ない…その為に思い切った省略と意訳が必要になるとのことだった。
「あくまで雰囲気を読み取る手がかりとしてください。どうやってもヴィニエの詩句感覚を再現するのは不可能なようです。意訳どころか、明らかに誤訳散見なのですが、お許しを。訳者はわかってますから(笑)
また、出版物によって語句が異なっています。いっそ別物として、とりあえず…」

春  Våren  ヴィニエ

再び冬が逃げ 春に時を譲るのを見る
去年のようにサクランボの木も また花であふれる
再び氷は消え 大地が姿を現す
雪溶けの水は 滝の様にほとばしる
再び草は緑に萌え 花と共に現れる
再び春鳥の声がして 太陽はやがて夏に向かう

日がな 春の香に浸り この目をうるおし
日がな くつろぎ 春の陽を浴びる
春が贈るのは 摘み取った一輪の花
そこには祖先の魂が踊っている
白樺ともみの木の間の春の不思議
私が削り出す笛の音は
すすり泣くようにそれを訴えるだろう

(省かれた第2節)
再び春の丘で 光が踊るのを見る
蝶たちは舞い 花を揺らしている
私はこの春の息吹に ずっと失くしていたものを見つける
私は寂しく問う「これが最後だろうか?」
なるようになるがいい それでも命の息吹を感じる
この春の中で すべてが終わるのなら


確かに、北欧人と自分のように東京近郊の日本人では、「春」というだけでも全く意味が違う。
季節ごとの生死観も歴史も全く違う、異文化の言語におきかえるというのは、不可能に近い。
単純すぎても説明的でもいけないし、語の訳を正確にしたからと言って詩人の心が伝わるものでもない。
サルミアッキさんは人生の半分をノルウェーとフィンランドで生活しているので、かなり感覚は現地人に近いかもしれないけれど^^

しかし…極力簡略にしてくれたという訳詩をナビゲーターに、自分はきっと文字通り最後まで、春ごとに脳内に流れるこの曲に浸るだろうと予想している。

弦楽版


バーバラ・ボニーのしみじみとした名唱



posted by あひる★ぼんび at 02:24| Comment(2) | 音楽