2019年03月09日

プライのダルベール

世界を舞台に活躍するプロフェッショナルの歌手は、法律はもちろん、その業界のルールの中で生きるしかない。趣味で歌うとか、酒場でちょっと歌って小銭を稼ぐのとは違う。
音楽業界は完全に「契約ビジネス」であり、権利関係の重なり合いの、複雑な構造の中に置かれるのだ。

プライはその辺の感覚が少々ラフだった。もちろん、破綻するほど大きく踏み外すことはなかったわけだが、ベルリン音大の退学事件も、最初の2つ以降は特定歌劇場と専属契約を避けるようになったのも、大手レーベルとの長期契約を避けたことも、彼の元来の自由人の気性がそうさせたようだった。

プライは1952年、ベルリンとニュルンベルクのコンクールで優秀な成績をおさめた。
結果、ヴィースバーデン・ヘッセン国立劇場と契約を成立させることができた。
この声楽コンクール優勝はドイツ語圏の新聞等にかかれたので、プライ自身は当然「スター誕生」を意識したようだが、実際は、契約のきっかけにはなったものの、中での「扱い」には何のメリットもなかった。
当時の彼は当惑し、落胆したようだ。学歴やコンクール入賞歴が関係ないのは歴代の大歌手や偉大な先輩ディースカウを見れば明らかなのだが、身に滲みたのは、実際に仕事をはじめ、新人の痛みを経験してからだったろう。
日本では現在でも学歴・入賞歴・師匠が重要視されるが、ドイツではまるで事情が違うようだ。
歌劇場では新人青二才相応の役しかもらえず、リートリサイタルやレコーディングも劇場支配人の許可が必要だった。1年たたずに移籍したハンブルクでは、ダルベールの「低地」や、ローカルオペラのいくつか、メジャー作品ではプッチーニの「外套」、「ボエーム」や「トゥーランドット」の端役など、与えられた機会をこなしていく日々を5年ほど続けることになる。
53年にはコロンビア・エレクトローラと契約を結んだ。
順調な滑り出しではあったが、バリトンに回ってくる役は限られ、仕事を選択する自由も制限されるのが、彼を精神的に消耗させていたようだ。
当然、プライは違反ギリギリの綱渡りをいくつか試みてもいた。その辺は自伝にくわしいが、真実はあんな気楽な話ではないと思われる。
ただ、その性格からか、契約劇場の支配人の理解も得られたのは幸運だったろう。
以降、プライは特定劇場と契約することなく、フリーランスとして長い歌手人生を送る。
「いかなるときにも自由に、人々に喜びを与える歌手でありたい」をモットーに世界を羽ばたき続けたのだった。

ダルベール(1864−1932)はイタリア系フランス人の血統を持つスコットランド生まれの作曲家。本名をウジェーヌ・フランシス・シャルル・ド・アルベールという。オイゲン・ダルベールとしてもっぱらドイツで活躍し、作品は現在では限られたものしか聴く機会がないが、交響曲、室内楽、20作を越えるオペラまで、あらゆるジャンルの作品を数多く残している。また、ピアノの腕はすさまじく、ヴィーン公演を聴いたブラームスを驚愕させたということだ。大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスは彼の弟子である。
ダルベールの「低地」は大ヒット作ではあったが、大戦時にヒトラーのお気に入りだった為に、戦後は「上演されない、録音されない」ものになってしまった。
そのせいか、プライのスタートを飾る作品にもかかわらず、当人の録音は残されていない。
現在ではドイツ国外を中心に再演される機会もでてきたが、当のプライはすでに鬼籍の人となってしまった。

プライが残したダルベール作品としては「門出」という1幕物オペラがある。

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ダルベール:一幕のオペラ「門出」
  ヘルマン・プライ(ジルフェン)
  エッダ・モーザー(ルイゼ)
  ペーター・シュライアー(トロット)
  フィルハーモニア・フンガリカ
  ヤーノシュ・クルカ(指揮)
(EMI ドイツ輸入盤)




ダルベールがアウグスト・フォン・シュタイゲンテシュという人の台本に作曲し、1898年に発表した作品。
6分の導入曲と40分の本編からなる、オペラというより演奏会の為のナンバーといった感じだ。
出演者もバリトン・ソプラノ・テノール3者だけである。
また、明快な音楽で、対訳ナシでも、充分楽しめる親しみやすさがある。

物語は…
ジルフェンとルイゼは倦怠ぎみの夫婦。しかし、ジルフェンは妻の浮気が心配で、ちょっとした旅もすることがなかった。この夫婦が醒めていることを知ったトロットは、ルイゼをものにしようとジルフェンに旅を勧める。ジルフェンはトロットの計略にいち早く気づき、乗ったふりをして様子を伺う。
さっそくトロットはルイゼを誘惑する。しかしルイゼは決してのらなかった。
ルイゼの変わらぬ貞操を知ったジルフェンに愛情が蘇る。二人はシャンパンを交わして夫婦の絆を確かめ、改めての門出を祝う。
そうして、トロットは寂しく去っていくのだった。

プライがこの作品を実際のステージで演じたかどうかはわからない。
聴く限り完全に自分の物としているのがさすがだ。ダルベール作品との相性の良さを感じた。
作曲年代よりいくぶん古風な序曲、続いて、重唱と独唱がバランスよく配置されている。
前半、ピアノ伴奏のみで進行するルイゼの場面は、甘く、美しいリートを聴くようだ。
この曲にはセリフも綿密なレシタティーヴォもない。ヴァグナー風に、途中のきれめがないので、一曲の長大なオーケストラリートのようにもきこえた。
この時代の作品にありがちな楽譜保存上の欠落、あるいは企画との関係で、たまたまカットして録音したのかもしれない。また、もしこれを実際に舞台上演するなら、何らかの演劇的な補足演出が必須になるだろう。
録音は1978年1月。
フィリップスとのエディション契約終了後、再びフリーとなったプライが古巣で行った仕事のひとつだった。
亡命ハンガリー人のオケ、フィルハーモニア・フンガリカとの共演というのも珍しい。
LPはQS4チャンネルだった。CD時代に入ってまもなく、EMIのライセンスを受けたCPOからCD化されている。また、のちにEMI名義に戻して廉価ボックスにも加えられた。

posted by あひる★ぼんび at 21:13| Comment(2) | プライ

2019年03月03日

ローカルオペラとプライ

ダルベールの「低地」、クロイツァーの「グラナダの夜営」、ネスラーの「ゼッキンゲンのトランペット吹き」。これらはプライが「ヘッセン国立劇場」や続く「ハンブルク歌劇場」の専属バリトンとしてスタートを切った時期によく歌っていた作品だった。

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クロイツァー:「グラナダの夜営」から3場面
ネスラー:「ゼッキンゲンのトランペット吹き」から4場面

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヘルガ・ヒルデブラント(ソプラノ)
ベルリン交響楽団、ベルリン・ドイツオペラ合唱団
マルティン・ミュルツァー(指揮)
ヴィルヘルム・シュヒター(指揮)  
(DACAPO LP 西ドイツ輸入盤)



これはクロイツァーとネスラーの抜粋が収められたレコード。
1957年にエレクトローラからリリースされたモノラル盤LP(ただし持っているのはダカーポレーベルの再発盤)である。
「グラナダ」のうちの2曲は、同時期にピアニストとしてブラームスの「民謡集」と「厳粛な歌」の名盤を生み出したミュルツァーが振っている。2曲だけなのは、おそらくこの彼との共演録音自体が「7インチ盤AB面」としてのリリースを想定したものだったのだろう。
あとはすべてシュヒターが受け持っている。
この盤の録音は、レコード時代から現在まで、何度も色々なコンピレーションに顔を出す録音なので、1曲1曲の貴重さは薄いかもしれない。しかし、独立してこの流れで聴くことでの「楽しみ」が貴重だと思えた。

プライはこのデビュー時期のレパートリーを晩年までないがしろにすることなく、歌い続けた。
その名が世界的になったことで、ローカル劇場以外では上演されることがなかったこれらの作品も忘れ去られずに済んだのだ。これはプライの業績のひとつと言えるだろう。
「グラナダ」も「ゼッキンゲン」も、自らが企画するバートウラッハの「秋の音楽の日」でとりあげている。「グラナダ」は主要ナンバーを演奏会形式で上演したほか、1993年にはケルン放送に全曲を録音し、また、「ゼッキンゲン」は短縮再構成版を上演し、どちらもカプリッチョレーベルからCDとしてリリースされている。ゼッキンゲンの過去記事
「ゼッキンゲン」を完全全曲にしなかったのは、予備知識の少ない多くの聴衆にとっても、とりくむ演奏家たちにとっても、最適な措置だったといえそうだ。いくらなんでも5時間越えのドタバタ劇をそのままやる意味は見出せなかったようだ。文献的価値ではなく、娯楽として受容されてきた作品が、最も輝ける最善の形を模索した結果だった。

プライはロルツィング、ミレッカー、ネスラー、クロイツァー、マルシュナーなどのローカルオペラを、生涯をかけて積極的にステージにあげ、レコーディングしている。ディースカウは「きわめてローカルで、芸術的に全く取るに足らない」として積極的には取り組まなかったが、プライはどうやら難しい理屈ではなく「とにかく好き」だったようで、愛情を込めて歌い続けていた。この辺はブロードウェイやロンドンのミュージカル作品を好んで歌った感覚と繋がっていそうだ。
来日時のインタヴューでも「ロマンティックオペラは日本人にお勧めです。きっと気に入って頂けると思います」と事あるごとに語っていた。実際、抜き出して歌われるナンバーは、ポピュラーソングを思わせる甘さや切なさを含んでいる。そんなプライの熱意にもかかわらず、日本ではステージは実現しなかったし、企画してみようという体力ある企画会社はあらわれなかった。リサイタルプログラムすら、ヴィーンオペレッタのナンバーどまりだった。残念なことである。

ダルベールについてはそのうち別にとりあげたい。

posted by あひる★ぼんび at 12:25| Comment(2) | プライ