2019年02月22日

エックの自作自演集

ヴェルナー・エックは1901年生まれ、1983年に没したドイツの作曲家、指揮者、教育者。
本名はヴェルナー・ヨーゼフ・マイアーだったが、結婚した1923年以降、「エック」を名乗っている。
このエックegkは 「Ein großer Künstler(素晴らしい芸術家)」あるいは「Ein guter Komponist(良い作曲家)」の略号だとも言われている。彼自身はヴァイオリニスト(Geigerin)の妻の名Elisabeth Karlから作ったと主張していた。真面目にこんなことを言っていたとしたら、なんだか面白い。着想がDAIGO的^^;

エックはカール・オルフの弟子であり、大戦期にはその明快な作風がヒトラーや宣伝相ゲッベルスに気に入られ、ベルリンオリンピックの祝典音楽やナチスのプロパガンダ映画の音楽で名声を上げた。
戦後は、ナチス協力者の汚名を被りながらも、指揮活動、ベルリン音楽大学学長や国際著作権連合代表など、重要ポストを歴任している。そのへんも師匠オルフと似た状況だった。
指導や教育能力の評価は下がらなかったものの、作品の多くはコンサートから姿を消し、作曲家としては「忘れられた」というより「忘れなければならない」ものという扱いを受けている。決して演奏禁止ではないが、公開演奏は躊躇する種類のものであり、反ユダヤ主義が表面化してしまった以上は看過できないということなのだろう。
そもそもルターの宗教改革も、その根源のキリスト教会の在り方も「反ユダヤ」には変わりないのだから、何を今さら感も拭えない。黒く浮き出した民族ヘイトのシミを表面だけ塗りつぶしたところで消えるものではないし、塗らなければ粛清します、というのもまたファシズムの一種だと思うのだが。
プロパガンダと歴史の闇を意識せずに聴くことのできない音楽、というのも不幸だ。

この盤は1966年発売で、エック自身が指揮した自作自演アルバム。

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エック:自作自演管弦楽曲集
   聖アントワーヌの誘惑(1945)
   中国のナイチンゲールのバレエ(1953)
   オーケストラ付きのヴァイオリン音楽(1936)

ヴェルナー・エック(指揮)
バイエルン放送交響楽団
ジャネット・ベイカー(アルト)
ワンダ・ウィルコミルスカ(ヴァイオリン)
(DG  LP 西ドイツ輸入盤)


まず、B面後半に入っている最後の曲から紹介したい。
この1936年の「オーケストラ付きのヴァイオリン音楽」は、ヒトラーが独裁政権を握って3年、ナチスドイツはヨーロッパ中で快進撃を続けていた時期のものである。師匠オルフの「カルミナブラーナ」などと近い時期の作品だが、ああいった原始的なエネルギーはここにはなく、別段、民衆鼓舞扇動の意思は感じられない。
彼にとって音楽を書く作業は政治的活動ではなかった。
少なくとも、許される範囲で自由であろうとした、ありたかったということだろう。

最初に入っている作品が1945年の「聖アントワーヌの誘惑」
オーケストラ付のアルト独唱リートの体裁だ。
テキストはフローベールが1874年に出版したもので、「アントワーヌ(アントニウス)がテーベ山頂で、一夜にあらゆる宗教の神々の幻覚を経験し、生命の始原を見て、やがて朝日のなかにキリストを見出す」という教祖開眼のような物語。
ドイツ人ならゲーテの「ファウスト」を使いそうなのだが、やはりナチス崩壊の年ということもあったのだろう、ナショナリズムを回避しようと考えたのだろうか。もっとも、作曲を進めていたのはナチス政権化だったはずだから、検閲によくかからなかったものだと思ってしまった。
まあ、その頃にはナチスにとっては新作音楽なんぞどうでも良くなっていたのかもしれないが。
エックのこの時期の創作意欲がどの程度だったのかわからない。この曲は、緊張はあっても気迫を削がれたような、どこか虚脱した音楽になってしまっている。
熱と運動性が下がった分、意外と現代的な音楽として響いてくる。
これを聴くと、ナチスの許で数々の作品を生んできたのは、必ずしも嫌々だったわけではない…なんとなくそう思えてくる。
政権の崩壊は開放を意味しそうなものだが、彼にとってはそうでもなかったのだ。良くも悪くも、どんな非常時にもナチスは仕事の場を保障してくれたのだから。

その2つに挟まれて両面またぎで収録されているのが「中国のナイチンゲールのバレエ音楽」
1953年の作品。戦後作品となるとタガが外れた風になるかと思いきや、前衛に走ることない保守的な和声に終始している。
全く中国的東洋的ではなく、異国趣味を意図したものではない。「ブンチャカチャ」という人を食ったようなリズムの音楽は、楽しさとはまた違う、奇妙な違和感を伴いながら進行していく。
ショスタコーヴィチの皮肉や諧謔や暗黒面とも異なり、エックが戦後10年越えてもなお引きずらねばならなくなった親ナチスの「烙印」が何やら彼の芸術や創作意欲を蝕んでいる痕跡を感じた。

こんな記事を書いてしまったが、エックの立場や成立状況を知らないならば、これらはきっと素直に聴ける音楽たちだ。
エックはべつに戦犯というわけではない。彼もまた、あの戦争の時代をそのようにしか生きられなかった、大きな傷を負った芸術家のひとりなのだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:18| Comment(0) | 音楽

2019年02月15日

プライのTV公開収録とPV

プライは、1968年、テレフンケン=デッカから出したいくつかの「E&U音楽」アルバム
(「祝祭的な夜をプライと共に」等)
にあわせて、宣伝用PVを作ったり、積極的に公開収録にのぞんだりしていた。

カロ・ミオ・ベン
Leise rieselt der Schnee
https://www.youtube.com/watch?v=Ii0bC-XRg4c


ブラームスの子守歌
https://www.youtube.com/watch?v=IIIBcV_tJoA


最初の動画はアスペクト比が変で、横にのびてしまっているが、若々しいプライが楽しめる。
オケの配置が奇妙だが、あくまで演出で、音声は当時の番組制作の恒例としてアフレコ・アテレコだ。
それより観客の中に^^

ブラームスのほうは典型的PVだが、DVDどころか家庭用録画再生機も珍しかったこの時代、こういうのはどこで鑑賞する為のものだったのだろうか、とても不思議だ。

posted by あひる★ぼんび at 23:17| Comment(6) | プライ

2019年02月13日

思い出のレコードからE〜クレツキのシベ2

中学に入学した年の春、「完全に」自分の小遣いだけで買った最初のレコードがこれだった。
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シベリウス:交響曲第2番二長調op.43

   パウル・クレツキ(指揮)
   フィルハーモニア管弦楽団

(セラフィム LP 国内盤)




それまでは、レコードを買う時は、親がお金を出してくれていた。
但しその場合、何か特別な機会に限られたし、「家族で楽しめる系」の音楽になるので、この種の曲は除外されていた。 せいぜいヴィヴァルディの「四季」が限界点だろう。
実際、これを購入する1ヶ月前に「四季」を買ってもらっている。
そんなわけで、これを選んで、自分の小遣いで買ったというのは、ある意味大きな出来事だった。
今考えれば、これがその後の自分の嗜好の方向を決定づけるものだった。

なぜこの曲だったか。
買った日のことを覚えている。
それまでよく行っていたレコード屋がその日はたまたま休業で、開店して間もない店を覗いてみたのだった。
小さい店なのでクラシックは300枚前後しかない。しかも予算は1200円ぐらいまで。
しかし幸い、この店の品揃えはセラフィムとコロムビアの廉価盤(いわゆる1000円盤)が中心だったので、選択肢は少しはあった。ベートヴェンやモーツァルトはまあ、親に言えば買ってもらえるもの…ということで、近代のものを漁ったわけだ。
いきなり手にヒットしたのがこの盤だった。偶然であって、何の想いもない。
ただ、すでにシベリウスの1番や、幾つかの初期の交響詩はFMやFENで聴いたことがあり、「2番もきっと良さげ…」という、それだけの根拠である。
指揮者クレツキの名も知らないし、特に欲しくなるようなジャケットでもなかったのだが…出逢いとはこんなものなのだ。
好きな曲を買うのではなく、買って繰り返し聴くことで好きになる。
いや、好きにならなかったら小遣いがもったいない!だから好きになるまで聴く。
そんな決心の上で鑑賞に取り組むという、決死パターンだ。
店長さんはどう思ったろうか。なんだか小さい子がクラシックのわけわからんレコードを買おうとしている、ぐらいか。当時の自分の身長は130p以下。チビで細かったから小4ぐらいにしか見えなかったはずだ。この店長さんにはこの後20年以上お世話になるわけなのだが、この時はまだそのことはわかっていない。

さて、この盤、全体にすっきりとした演奏で聴きやすいと感じた。
ただ、当時の感覚では、気まぐれな動機が現れては消え、その感情は喜怒哀楽どれにもあてはまらないもののように感じていた。しかし、終楽章の雄大さはこれまで聴いた音楽のどれとも違った。
母の感想は「これは難しいね。グリーグのほうがいいよ。」だったが、僕は満足だった^^
ここから始まる音楽登山の結果、家族もきっとすぐに耐性をつけたことだろう。

今、改めて聴くと、この演奏は特に「フィンランド風」を強調してはいないが、第2楽章の「間」や独特のリズム感覚があって、北欧より幾分南下した温度感があると思う。
この曲の成立にはイタリア旅行の強烈な印象が影響を及ぼしているとのことだが、当然そこまで暖色ではない。イギリスのオケをポーランド人が振った、ときけば、納得の演奏だ。
LPには録音年の記載はなかったが、後に1955年のものだと知った。
ステレオ初期のものと考えたら、技術陣もなかなかの健闘だと思う。3楽章での音の揺れ、終楽章だけ所々音場が違うとか、マニアックに音にこだわってしまったら批判もあるだろうが、まあ、通常の家庭の再生環境なら問題ないと思う。あれこれ音をいじっている様子もなく、素朴さがシベリウスには似合っているように感じた。
何よりこの演奏の歌心、高揚感に感動した思い出が勝る。
この演奏を聴かなかったら、シベリウスを聴き続けていなかったかもしれないし、とにかく、素晴らしい出会いの1枚だった。

ところで、この盤は同じ規格番号で青いジャケットのものも存在する。1000円盤という価格があっけなく破綻して1200円に値上げされた関係もあるのだろうか。
また、保管時、シュリンクをはずさなかったので経年変化でつっぱって、ジャケットが歪んでしまった。
だが、中の盤には何の影響もなかったようだ。レコードは本当に強いメディアだと思う。


posted by あひる★ぼんび at 23:21| Comment(4) | 音楽

2019年02月01日

カイルベルト、ヴンダーリヒとプライの「千人」

keil.jpgカイルベルト、マーラー交響曲集
マーラー:交響曲第1番(録音:1950)
     交響曲第4番(録音:1967)
     交響曲第8番(録音:1960)
     交響曲「大地の歌」(録音:1964)

シュターツカペレ・ドレスデン(1番)ケルン放送交響楽団(4番)
ヴィーン交響楽団(8番)バンベルク交響楽団(大地)
ヨゼフ・カイルベルト(指揮)
独唱者多数
(memories 4枚組 EU輸入盤)



カイルベルトはロマン派オペラへの造詣が深く、新進の歌手に対してもバックアップを積極的に行っていた。
プライ、ヴンダーリヒ共にデヴューまもなくから彼を信頼し、慕っていて、カイルベルトも彼らの才能に惚れた様で、オペラでの起用も多かった。
のちにプライは回想して述べている。
「カイルベルトはいつも私に好意的でした。共演ではいつでも歌手本位でオケの音を絞り込み、最適につつみこむように導いてくれました。彼とのステージでは声を酷使する心配が全くなかったのです。1968年7月の彼の逝去は衝撃でした。この音楽界にずっといてほしいマエストロでした」

そのカイルベルトはこのスター歌手2人を独唱者に加え、マーラーの8番を演奏している。
1960年6月19日ウィーン芸術週間マーラー生誕100年記念演奏会である。

この時の演奏者は以下のメンバー

メリッタ・ムゼリー(第1ソプラノ、罪深き女)
ゲルダ・シェイラー(第2ソプラノ、懺悔する女)
ヴィルマ・リップ(第3ソプラノ、栄光の聖母)
ヒルデ・レッセル・マイダン(第1アルト、サマリアの女)
ウルズラ・ベーゼ(第2アルト、エジプトのマリア)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール、マリア崇敬の博士)
ヘルマン・プライ(バリトン、法悦の教父)
オットー・エーデルマン(バス、瞑想する教父)
フランツ・シュルツ(オルガン)
ヴィーン交響楽団  ヴィーン楽友協会合唱団
ウィーン・ジングアカデミー  ヴィーン少年合唱団


この年の芸術週間ではクレンペラー指揮フィルハーモニア管によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会、ワルター、ウィーン・フィルによる告別演奏会も行われていた。そこに祝典演奏としてのカイルベルトの起用。
彼は演奏会ではマーラーをたびたび演奏していたようだが、メジャーレーベルにセッション録音を残していなかった。その為、一般には彼のマーラーをイメージするのは難しいだろう。そんな中ではこのセットにも入っている男声2人版の「大地の歌」は唯一多くの人も聴く機会があった録音だといえる。また音質良好のステレオで残された4番はとても貴重なものだと思う。

ここでのカイルベルトの演奏は、交響曲好きからしたら、随分とオペラよりに聴こえるかもしれないが、これはこれでアリだと思う。たっぷりとした、かなり遅めのテンポ、濃厚な表情付け、声楽パートを際立たせる音量配慮。
マーラーの第8は特殊な位置にある音楽で、どう考えても「全2部構成の祝祭カンタータ」、聖書とゲーテという言語も違うテキストを使ってドラマ仕立てにしているわけで、作曲者が「交響曲」と言わなければ、そう分類されないだろう種類のものだ。当初交響詩として書いて後に交響曲に書き換えた1、2番、実質オーケストラリートの「大地の歌」など、マーラーの交響曲に対する感覚は独自のもので、時代の風潮もあって、かなり斬新で自由なのだ。そんなこともあって、カイルベルトは無理に純音楽的解釈をせず、ここではオペラ的な表現構築が許されるはず、と意識したのかもしれない。
実際、管弦楽、合唱共に演奏精度はそこそこ。古い映画音楽のようなラフさもあるのだが、それがここでは吉と出たようで、ギスギスした所がないことでハレの雰囲気がよく出ている。
モノラルのライヴ録音という音質の不備やテープのヨレを脳内で正方向に補えば、この高揚感はすごいものだと思う。
「千人」でヴンダーリヒを聴けるのはこれだけだが、プライはこのパートを担うことが多く、ドイツのバリトンの中では1、2位の出演回数かもしれない。
CDとして聴けるだけでもツィリヒ、このカイルベルト、ミトロプーロス、ハイティンク、バーンスタイン2種と映像、インバルなど、数多い。(クリップスともやったらしいが聴く機会がない)
この曲、プライの熱演だけでは必ずしも名演とはならない(当然!)わけだが、その声の存在感の大きさはいつもたいしたものだと思う。

「大地の歌」ではヴンダーリヒとディースカウが好演を聴かせている。彼らは同じ頃にクリップスともやっているので、もはやこの曲は得意曲になっていたのかもしれない。
プライはこの「大地の歌」について「この曲はアルトやメゾが歌ったほうが圧倒的に美しいのです。また、亡き子…やさすらう若人…もテキストは男の視点ながら、曲そのものは女声にこそふさわしいと思っているぐらいです」
この発言から考えるに、おそらくプライにも、マーラーブームに乗った音楽祭やレコード会社からたびたびオファーがあったのだろう。
プライは常に自分の声とのマッチ、その音楽のあるべき姿を意識してレパートリーを選んでいた。
その点で「大地の歌」は歌いたいものではい、歌うべきではないと考えたようだ。
それは「良いと思い、歌いたいものは歌う」というポリシーの裏返しでもあろう。
結局、最後まで、彼は踏み切らなかった。
少し残念な気もしている。

posted by あひる★ぼんび at 23:28| Comment(7) | プライ