2019年01月29日

アダムのシューベルト

今月10日、テオ・アダムが亡くなった。1926年生まれ、92歳だったそうだ。

舞台デヴューは1949年だが、その頃はまだ東ドイツの情報が西側に入ることはなかったようだ。
しかし、1960年代後半から、シュライアーなどとともにビクターや徳間から多数のレコードがリリースされ、来日も実現し、リートやオペラの愛好家に高評価で迎えられるようになっていった。
東ドイツの音楽家ということで、公演内容も「当局」を通したお堅いものだったし、突然テレビ出演するなんていうこともありえなかった。
このアダムやシュライアーなど、東ドイツ演奏家の録音物やコンサート評には「商業主義に毒されていない端整な音楽表現」とか、結構お決まりのキャッチコピーが付くことが多かった。
実は自分にはその違いがわからなかった。あまりに多くの音楽専門誌が書くものだから、なんとなく「そういうものなのだろう」という感覚にはなっていたが…。
高校生だった自分は、「端正で誠実に聴こえるのは事実だが、それと商業主義かどうかは関係ないのでは?」「クラシック歌手もひとつの職業だ。そこに相応の対価がなければ意味がないのでは?」そんなことを考えたものだった。結構クール^^;

ずっとのちにシュライアーがインタヴューで「西側での客演や録音は、外貨獲得に積極的な当局から高額の報酬を得られるし、何より自由な空気が吸えるのだから話に乗らない手はありませんでした。中には知り得た情報を伝えることで更なる高額対価を得ていた人もいましたよ」とカミングアウトしている。
これは商業主義よりヤバイかも…でもまあ、世の中そんなものである。シュライアーは他人事みたいな言い方をしていたが、自身はどうだったんだろう^^;
統一ドイツになってから、HJロッチュにスパイ容疑がかかったり、スウィトナーすら取り調べを受け、行動が制限されていたのは周知のこと。K・ザンデルリンクの党運動家宣言やケーゲルのピストル自殺も政治的な事件であり、彼等は皆、被害者でもあったのだろう。

さて、アダムはヴァグナー歌手として期待を集めていた。
実際の舞台に接した評論家からは「丁寧な表現だが声量が充分ではない」とか「こもり声で表現も固く、全体に聴き取りずらい」とか勝手な感想が出されていた。なじみの薄い中堅に冷たい音楽界である。
確かに、繊細な表現を盛り込むことを重要視すれば、声量は制限せざるをえなくなるだろう。いくつかのアルバムを聴く限り、彼はそちらの歌手だった。だから、大編成のオケが鳴りつづけるヴァグナーより、ピアノ一台と対峙するリートのほうが、彼の良い面が出てくる気がした。

普段から頻繁に聴く程、アダムのリートに親しんでいるわけではないが、LP時代から時折聴いていたのが、これ。

tktheoadam1.jpg
シューベルト:リート集
(魔王/羊飼いの嘆きの歌/ひめごと/ガニュメート/
さすらい人の夜の歌/御者クロノスに/初めての失恋/
アトラス/彼女の絵姿/漁師の娘/都会/
ドッペルゲンガー/鳩の使い)

テオ・アダム(バスバリトン)
ルドルフ・ドゥンケル(ピアノ)
(ドイツシャルプラッテン 国内盤)




「魔王」などの有名曲と「白鳥の歌」のハイネのうち「海辺にて」以外の5曲+鳩という、重量感のある選曲の1枚。CD化にあたってLP1枚分そのままなので、もたれることなく聴き通せる。
1964年〜65年の録音で、声も若々しい。また、感情を露にすることはなく、「魔王」すら冷静そのもの。そういう淡白さが、好みの分かれる部分かもしれないが、こういうスタイルもいいものだと思った。
「アトラス」など、本来激しいはずの曲でも威圧的にならず、少し愁いを感じる鼻にかかった声を丁寧に響かせている。さらに彼の古風な「舞台ドイツ語」がシューベルトの音楽に実にうまくマッチしている。
すべて「暗さ」を感じない「深さ」である。
幾分、LPとCDでは音質の印象が異なるが、どちらも「それとして良い」と思った。
この盤の他に良く聴いていたのはレーヴェのバラード集、そしてシューマンとRシュトラウスのリート集だが、どれもとても良い。
おりおりここでも記事にしていきたいと思っている。


posted by あひる★ぼんび at 23:03| Comment(2) | 音楽

2019年01月19日

プライとムーアの冬の旅

今年はプライの生誕90年のメモリアルイヤーである。
そのわりには音源発掘、復活情報が少ないのだが、これから少しは期待していいものだろうか。
もはや完全に「ヒストリカル」になってしまった彼の録音は、他の往年演奏家と同様、発掘される音源の素性が見えないという宿命を担う。本人が著作やインタヴューで言及しているものはよいのだが、ほとんどの場合、発売元の情報が全てとなってしまうからだ。
まあ、歌手の場合「声」があるので最低限本人かどうかわかる。
ただ、共演ピアニストは音だけでは判別できないので、言い分を信じるしかないだろう。

さて、これ。
pw1959.jpg

シューベルト:冬の旅 D911(全曲)
   ヘルマン・プライ(バリトン)
   ジェラルド・ムーア(ピアノ)

(JubeClassic)





1959年、ケルンでの録音という「冬の旅」だ。
ピアニストは名手ムーアである。
つい先日2019年リマスターが公開されたもので、表記を信じるならば1959年ケルンでの録音、ピアニストはジェラルド・ムーアということだ。
つまり、プライとしてはエンゲル盤の2年前ということになる。
この時期、2人ともコロンビア=エレクトローラに契約があり、欧米各地で演奏会も開いているから、これもその一環の録音なのだろう。音の様子からして放送用録音と思われる。
資料がないのは本当に困る。クラシック音楽ではそれも重要だと思う。おそらく、これらを聴こうという人は、これを生活の中のBGMとして楽しむわけではない。ある程度、襟を正してしっかり「鑑賞」するものだと思うからだ。今後、配信が主流になるといよいよデータ不備は顕著になるのではないかと危惧している。

ディースカウは戦後すぐからリサイタルで「冬の旅」を積極的に歌い、1950年代にはすでにスタイルを確立していた。それは幾人かの歴史的な歌手のスタイルとも、ヒュッシュの新即物主義的な解釈とも異なるものだった。ディースカウの分析はいつも適確であり、詩人の選んだ語句と楽曲のバランス、時代背景や哲学的な考察から切り込んでいくので、反論反証の隙は少ないのだった。
プライはそのディースカウのリサイタルを学生時代に聴き、強い畏敬の念を抱いていた。
プライはディースカウの真似など不可能とわかっていた。プライは詩人とシューベルトの感情の流れに着目し、テンポ、移調する場合の音の選択などを決めている。
常に世間から比べられるのはしかたないとしても、プライとディースカウは全く違う切り口なのだ。
プライが「冬の旅」をリサイタルプログラムにしたのはデヴューまもなくの1952年であり、「美しき水車小屋の娘」より早い。原曲によりそえば、「冬の旅」は原調は高いながら、声質的にはある程度の年輪が必要であり、対して「美しき水車小屋の娘」は声も若く高い方が良い事は見えていて、本来ならば優先するのは後者だろうと思える。しかし、そちらは最適な移調に苦慮し、披露があとになってしまったようだ。

この演奏を聴いた人は同じムーアのピアノによるディースカウのものとの違いに驚くだろう。
全曲で74分越え、遅めのテンポだが、プライの声が若く瑞々しいので、陰鬱さは全くない。
伸びの良い高音と充実した低音は30歳になったばかりの歌手とは思えない自信と威厳に満ちている。
幾分、響かせすぎているほどであり、この頃の彼が考える「冬の旅」はどのようなものであったか、興味はつきない。
プライは、少なくとも自伝執筆の頃(1981年)までは、「冬の旅」の主人公の設定をミュラーの体験に寄せてはいなかった。
若者であること以外身分職業も不明であるとし、旅に出る発端も追及していない。詩の中で表面化していない歴史的事件、政治信条、宗教や哲学を深読みするよりも、シューベルトの音楽のみをよりどころにその楽曲構成と形式、そして感情の流れに留意したようだ。

ここでのプライの「冬の旅」の主人公は、その姿と身に起こった現象は「傷心の若者」そのものだが、旅を続けるうちに、いつしか神の視点と同化を試み、その御許にあろうとするようだった。
それが「冬の旅」にふさわしいかどうかはわからないが、彼は諦念も失望も無理に織り込まなかったようだ。
感情の流れに不自然さがあっては、すべてがうそ臭くなると考えたのだろう。
後半曲、特に15曲以降の柔らかさは特筆だ。こんな解釈はなかなかないと思う。
多くの歌手では虚脱放心と陰鬱の方向にいく部分で、光を集め、魂はすでに現世を離れ自由を獲得している。
それは宗教曲、バッハの受難曲やミサ曲でキリストを歌うときと同じ佇まいなのだ。
自らが神と同化することで、既に救済されているかのようなのだ。
ライアー弾きの老人すら、どこにも見えてこないが、まるで孤独ではない。
むしろ希望と愛にあふれる道がどこまでも続くかのようだった。
尚、詩の語句選択は基本的にシューベルトの出版譜通り。よく話題になる16曲目はシューベルトの改変だが、20曲目や23曲目はミュラーの原詩という折衷となっている。

明るさがどこか風変わりで、「冬の旅」の一般的な姿からは遠く感じる歌唱ではあるが、またひとつ、興味深い「プライの冬の旅」が加わったことを喜びたい。

posted by あひる★ぼんび at 23:45| Comment(9) | プライ

2019年01月09日

プライとシューベルトの管弦楽版リート

「ヘルマン機関車どこへでも行く」
そんな風に揶揄されるほど、プライはあらゆるジャンルの歌を歌った。
活躍の場もオペラハウスやコンサートホール、教会礼拝堂、学校施設、TVスタジオ、ディナーショー…ヨーロッパ各国やアメリカだけでなく、南米、日本他のアジア諸国、そしてソ連などの東陣営各国、歌える場があるなら世界中どこへでも「爆走」したのだった。

プライはインタヴューで、音楽ジャンルによる声の使い分けについて問われた時、
「マイクの有無で響きを制御することはありますよ。でもチェンジではありません。私はいつでも私。私の声はいつでも私です」ということがあった。
1985年のダフィーによるインタヴューでは
「私はヴェルディのジェロモンを歌うときも、シューベルトの冬の旅を歌うときも基本的に同じです。」
しかし、1990年代の来日時インタヴューでは
「残念なことにオペラ歌手のプライとリート歌手のプライは一緒に来日しません。コンディション維持のためと思ってお許し下さい。」

ポップスやミュージカルを歌うことについては、
「私は良いと思い、歌いたいと思った歌はジャンルに拘らず何でも歌います」
「ただ、それらを歌い続けることはないと思います。私は両方で成功している歌手を知りません。ホフマンやコロもやっていますが、彼らが両方続けるとはきいていません。」

(後にホフマンは病気によるコンディションの都合もあり、オペラをやめポップスとミュージカル専門に転身している)
言葉通り、プライはレパートリーの精査を開始した80年代からは、ポップス系からほとんど手を引いている。歌手としてのできること、やりたいこと、やるべきことを突き詰めた結果だったのだろう。
プライは喉を守ることには神経を使っていた(酒とタバコを除いては^^;)し、声のニュアンスを最大限生かすために、鳴らしすぎる指揮者にクレームしたり、ピアノの上蓋を全閉させていたほどだった。

そんなプライが、どうして、明らかに喉の負担が大きくなる「リートのオーケストラ編曲版」に積極的になったのだろうか。
彼はピアノの音色の色彩感に不足を感じていたわけではなく、オーケストラが万能だとも考えていなかった。
また、プライの場合、レコーディング限定ではなく演奏会でも度々取り上げていたのも特徴だった。

「リートというものは多くの場合、ピアノとの方がはるかに優れているものです。
しかし、様々な観客うちには交響楽団のコンサートだけに行くという人も少なくありません。
そんな彼らが突然シューベルトの歌を聴くのです。これはとても素敵な出会いだと思います。」

一般大衆の音楽受容の現状を意識しつつ、初心の感動と音楽の喜びを大切にした彼らしい言葉だと思う。

ここではシューベルトについて取り上げる。

B 無限なるものに D.291(モットル)
AC 魔王 D.328(リスト)
A 魔王 D.328(ベルリオーズ)
AC 御者クロノスに D.369(ブラームス)
AC 竪琴弾きT「孤独を求める者は」D.478(レーガー)
AC 竪琴弾きU「戸口にて」D.479(レーガー)
AC 竪琴弾きV「涙もてパンを」 D.480(レーガー)
@ さすらい人D493 (D489)(アイスブレンナー)
BC 死と乙女 D.531(モットル)
A メムノン D.541(ブラームス)
BC 音楽に寄せて D.547(レーガー)
BC ます D.550(ブリテン)
A タルタルスの群れ D.583(レーガー)
AC プロメテウス D.674(レーガー)
AC ひめごと D719(ブラームス)
@ 水の上で歌うD774(アイスブレンナー)
B きみはわが憩い D.776(レーガー)
B 老人の歌 D.778(レーガー)
AC 夕映えの中で D.799(レーガー)
B 涙の雨 D.795-10(ヴェーベルン)
BC 夜と夢 D.827(ヴァインガルトナー)
B 全能の神 D.852(モットル)
C おやすみ D.911-1(鈴木行一)
C 菩提樹 D.911-5(鈴木行一)
C 春の夢 D.911-11(鈴木行一)
B 道しるべ D.911-20(ヴェーベルン)
A セレナーデ D.957-4(オッフェンバック)
C セレナーデ D.957-4(モットル)
BC 彼女の絵姿D.957-9(ヴェーベルン)

@ヴェルナー・アイスブレンナー(指揮)ベルリン交響楽団(1968年)
Aゲリー・ベルティーニ(指揮)ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1977年11月)
Bゲリー・ベルティーニ(指揮)ヴィーン交響楽団 (1978年6月)
C岩城宏之(指揮)オーケストラ・アンサンブル金沢 (1995年11月)


プライによるシューベルトのリートの編曲版の最初の録音は
1968年、オイロディスクにアイスブレナーの指揮と編曲で
「さすらい人」と「水の上にて歌う」の2曲だった。
prey47.jpg
ただ、録音が、オケと歌唱をマルチトラックに別々に入れ、ミキシングした、ポップスの形態なので、残響が溶け合うことがない。
同じ頃にテレフンケンにシュヒターと「菩提樹」を録音しているが、これはジルヒャーがメロディそのものを変えた版なので、厳密に「リート編曲」とはいえない。
日本では良く知られた編曲なのだが、長調のメロディのまま陰鬱な歌詞が歌われるのがカオス。この版で堂々と録音した歌手は少なく、意外と貴重だった。
これらの録音はLP時代多数のオムニバスやコンピレーションで使用された。
あの時代、リートファン以外でもあちこちで耳にすることが出来た音源だった。
つまりは「普段リートを聴かない人にも聴く機会を」というプライの意図通りになったのだ。

s1a.jpg
70年代には、独RCAに2枚のアルバムを録音する。
編曲はリスト・ベルリオーズ・ブラームス・オッフェンバック・ブリテン・レーガー・ヴェーベルン・モットルなどの大作曲家たち。
指揮はどちらもベルティーニである。
s5a.jpg
s3a.jpg
大作曲家がシューベルト作品をどう料理しているかが注目点で、これは世界中のリート愛好者の間では(静かに)話題にはなった。
公式のセッション録音の題名を並べて気が付くのは、これらすべての曲は、プライ自身が得意としているものだということだ。プライは数十回から数百回、原曲をステージでくりかえし歌っていた。
つまり、プライのレパートリーは歴代の大作曲家が興味を持つほどの「王道」ばかりだったわけだ。
これは編曲版に取り組む上で大きな要素になる。
すべての曲が、原曲を熟知した上で成り立つイメージによって色づけされているので、そのオーケストレーションになった根拠を知ると知らないとでは聴き手の感動にも大きな違いが出てしまう。
原曲を知っていれば、プライがここで用いている声のバランスも考慮しつくされたものとわかるだろう。

こういう「作者以外によるリートの編曲もの」は、ディースカウや同世代の歌手は顧みることがなく、驚くべきことにほとんどの曲は「世界初レコーディング」だったのだ。プライの没後、オッターやクヴァストホフ、エルスナーやプレガルディエンら、意欲的冒険的な演奏家が録音を試みるようになったが、このプライの最初の一歩の勇気は大変なものだったと思われる。
この試み自体はこの時期では「早すぎた」様子だった。

シューベルトが没したばかりの19世紀の段階ですら、こういう編曲に対し「蛇足である」「品位を貶める」…ウルサ方評論家の意見を忖度してしまう傾向が強かった。
その為、そういった批判が長い間に常識化してしまい、評論家はろくにそれを聴きもせずに「邪道扱い」してしまうこととなった。
閉鎖的なクラシックの世界で正当な評価を得られないことがわかりながら、プライはそういうアルバムをリリースしたのだった。それは、プライという歌手がクラシックファン以外にも広くアピールできる、希少なスターだった事もあるだろう。
しかし、そもそも、ブラームスやリストやレーガーらが芸術的な意図を抜きにして「蛇足」をやらかすわけもない。プライはシューベルトと大作曲家たちの腕を信頼して批判を放置したが、これがディースカウだったら数冊本を書いたことだろう。

80年代には目立ったセッション録音はないが、この大作曲家編曲版を音楽祭やリサイタルで取り上げることが度々だった。
ことに「魔王」や「プロメテウス」「御者クロノスに」等ダイナミックな曲はリクエストも多かったようだ。
レヴァインやメータと共演し、公式録音はないがシラーの詩による長大なバラードの編曲版もとりあげている。

90年代、プライはDGの企画で対面した岩城氏や鈴木氏と交流し意気投合、RCA以来のオケリートのアルバムを作った。
s2a.jpg
声が埋もれたり、表現が過剰になる、テンポ感がイマイチといった、前回、大編成のせいで起きたいくつかの問題。それらをクリアすべく小編成室内オケの「アンサンブル金沢」との共同作業を成立させたのだ。
この時の邂逅がオーケストラとの「冬の旅」全曲というチャレンジを生むことになったのだ。
「冬の旅」の編曲をした鈴木氏も述べているが、素材の件の曲集は「ビーダーマイアーをはるかに飛び越え、表現主義の領域に入っている」。
これをプライが言うように「現代の手法には感心しない」(ツェンダーやベリオのこと?)「100%シューベルトに寄り添う手法での編曲を望みます」これは至難の業だったろう。
オッフェンバックはフランスオペレッタのアリアの様に料理していたし、モットルはワーグナー風に大編成オケを鳴らし、ブラームスは自分の交響曲を移植した。意外とレーガーやヴェーベルンが自然に聴こえたのは、シューベルトの革新性が彼等の時代とマッチしたし、プライの甘美な歌い口は新ヴィーン楽派以降の音楽とも相性が良かった事もあるのだろう。
しかし目標はあくまで「100%シューベルト」。
いや、だったらそのまま原曲で行けよ!という話だが、鈴木氏は突き放すことなく真摯に対応し、1997年までには全曲の編曲を完成したのだった。
結果、プライは大満足だったようだ。
シューベルト時代では演奏不可能な音があったり、まだ存在しないコールアングレを使ったり、ポストホルンをオーボエに任せたり…とても大胆なのだが、プライは「なんちゃってシューベルト」を求めなかった。「シューベルトだったらこうする」などと考える必要はなかったのだ。
プライが求めていたのは精神的な部分でシューベルトを感じること…という何やら深い哲学か禅のような世界だったようだ。

1997年、完成したばかりのその編曲をもってワールドツアーを試みる。
「幾多の批判に晒されるでしょう。でもやりましょう」
そんな大きな覚悟を持っての取り組みだった。
このツアー計画はプライ自身の体調不良のため縮小を余儀なくされたが、現在2種のライヴCDを聴くことが出来る。
winter-s-p.jpg
感情を静かに燃やし、表現の幅の大きなバートウラッハ初演初日公演盤はウラッハの自主制作(EU流通限定)である。

s4a.jpg
数日後、内省的で慎重な歩みで歌い進めたミュンヘン公演盤は金沢市の自主制作(日本流通限定)
わずか数日でのこの違いは偶然だけではなく、むしろいくつかのアプローチの可能性追求の試みだったようにも思えた。

プライは堂々とこの「編曲版」を愛唱しインタヴューのたびに「うたごころ」を刺激されていることを公言していたのだった。彼にもう少しの時間があれば、3大歌曲集をすべてオケ版で残したかもしれない。
もちろん、言うだけで、まだ具体的な構想も明確ではなかった様子ではあるが。

posted by あひる★ぼんび at 01:09| Comment(2) | プライ

2019年01月06日

あけましておめでとうございます。

皆様、明けましておめでとうございます。
関東地方は穏やかな天気続きの正月であります。
今年もよろしくお願いします。

新春、最初の記事は久々にはむはむレポーターの登場です!
では、どうぞ♪

***********

こんにちは。レポーターのはむはむです。
01DSCF3505sa.JPG
なんかずっと他局のお仕事をしてまして、決してリゾート三昧だったとかそういうことはありませぬよ^^;
ってか、仕事ください、あひるしゃん。

えー、今回は陳皮づくりのレポートであります。
漢方薬として、香辛料として太古から使われる「ちんぴ」
はて?と思ってしまいますが、
何のことはない、要するにミカンの皮です。

02DS20190102.jpg
これを1週間ぐらい天日干しにして、砕いてさらに粉にします。

03DS20190102.jpg
正月のヒマにまかせてすり鉢でゴリゴリ。
あまり根を詰めると手が痛くなるので、バラエティ番組でも見ながら気楽にゴリゴリ。

04DS20190102.jpg
1時間たたずに結構細かな粉になります。用途に合わせて加減を加えるといいかと。
たとえば、紅茶なら大き目のものをティーバッグにいれて使えばいいし
細か〜くしたものはホットケーキやトースト、カプチーノのトッピングに使えます。
お菓子つくりにも、肉料理にも使える万能調味料です♪

05DC20190102.jpg
風邪薬っぽい色と香りですが、じつはこれ、一般的な市販風邪薬の原材料のひとつでもあるのです。
冷え性にもいいらしいですよ。
香りつけの香辛料として作るなら、1昼夜〜3日前後の天日干しで充分。
なんでも電子レンジ乾燥もアリとのことですが、どうなんだろう。
どうせならお天道様のご利益をもらうほうが有難い感じもします。
漢方薬としては数ヶ月とか数年乾燥させるものもあるらしいですが、たぶんそれは色も香りも違うものになると思います。

注意点としては、干すとき砂埃をくらわないようにするとか、
産地由来のわからないものはへた周辺は切除して使わないとか。
作ったものは湿気の入らない小瓶に詰めて冷蔵庫保管とか。
まあ、当たり前のことですね。

以上、はむはむでした〜。
では今日はこれからミカンティーを楽しみます♪


posted by あひる★ぼんび at 16:39| Comment(2) | 日記