2017年07月30日

ムーアの誕生日

ジェラルド・ムーア。20世紀を代表する偉大なるリート伴奏者である。
見識の広さ、技術の確かさ、自分と歌手それぞれの主張をうまく調整できる柔軟性も持っていたようで、ただ頑固なだけの大家ではなかった。
彼が「世界最高」という評価に辿りつけたのは彼のそういった部分と、戦勝国の人間だったという、この世代の人では実にラッキーな条件もあるだろう。(やはり運も才能のうちなのか)ヨーロッパの戦雲に蹂躙されナチスドイツの敗退と共にフェイドアウトせざるを得なかったラウハイゼンと、どうしても比べてしまう。少なくとも技術を常に磨く要のあるピアニストには、活動空白や制限は地獄であり、それを回避できたのはすごい幸運なのだ。
1899年、イギリス・ハーフォードに生まれ、カナダのトロントで育った。そこでデヴューを飾った後、イギリスに戻る。大戦後は当時の一流の音楽家たちと共演し、その実力を発揮し続けた。
ステージ引退は1967年と思いのほか早いが、70年代はプライやディースカウと数多くのレコーディングを果たし、1987年に亡くなるまで活発に著作活動も行った。
1962年の回想録「Am I Too Loud?」は面白いし、「シューベルト三大歌曲集〜解釈と演奏法」は多くのヒントを与えてくれる。また、引退直後から取り組んだディースカウとの「シューベルト・リート全集」は、専門家のみならず音楽ファンにとって、貴重な宝となるものになったといえるだろう。
そんなムーアも今年で没後30年、そして今日7月30日は118歳の誕生日である。

1967年2月20日、ムーアの引退コンサートの記録がレコード・CDに残されている。
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ジェラルド・ムーア・フェアウェルコンサート
  ジェラルド・ムーア(ピアノ)
  エリザベート・シュヴァルツコプフ(ソプラノ)
  ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
(東芝 2枚組LP 国内盤)




縁の深いシュヴァルツコプフ、ロス・アンヘレス、ディースカウと共に、この記念演奏会を楽しく成功させている。
この人選はEMIの敏腕プロデューサー、ウォルター・レッグがムーアに「印象深い好きな歌手」を訊いて決められたそうだが、はっきりレーベルとしての商業的意図を感じるものではある。そもそも、このコンサート企画そのものがムーアの意思がすべてだったとも思えないわけで、まあ、世の中そんなものだろう。
いずれにせよ栄光に満ちた大演奏家の引退試合であるから、悲壮感は全くない。
また年齢的にも余力充分で、ハレの気分と相俟って、誰もが安心して楽しめるものになっている。
ディースカウはいつもの通り、冷静に誠実に役割を果たしている。ムーアとシューベルトの全集に取り組むのはこの直後からで、レコードのライナーノートには当然まだそのことは触れられていない。
しかも、録音先はDGだったわけで、ここでいう「フェアウェル」はむしろEMIとの別れだったのかな?とも思えた。
ここでのシュヴァルツコプフとロスアンヘレスによる二重唱、ロッシーニの「ゴンドラ競技」や「2匹の猫の歌」などは会場から笑いが起こり、楽しげだ。自分は中学生の頃、この演奏をFMで聴いて驚いた記憶がある。声楽リサイタルは真面目なもので、笑うような場面はないはずだ、と思っていたからだ。二人の名ソプラノが徹底して演じていて、流石だった。
最後の最後、短いスピーチの後に「音楽に寄せて」をソロで弾く。
しみじみと感謝をこめて紡ぐピアノの音が感動的だ。

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LPレコードはしっかりした箱に入った2枚組で、当日のプログラム冊子の現物が付録としてついている。
LPに収録されなかった曲目もそのまま書かれているが、出演者サインなども載っていて、音楽ファンにとって宝物になりうる仕様。
昨今のダウンロード販売やストリーミングでは決して味わえない感覚だ。
そのままCD化されたものも何度か再発されていたが、LPの宝物感には叶わない気がする。
名演奏家、最高の伴奏者の遺産として長く残したいセットだと思う。
posted by あひる★ぼんび at 19:15| Comment(4) | 音楽

2017年07月23日

ついに今年もキャンプ参加者全体会

今年のキャンプは当初から参加者の目途がうまく立たなかった。
それでもどうにか参加者全体会を迎えることができた。
必要と思うから計画する、そしてその計画を 実現しようという努力有ればこそ、行きたい人の熱意あればこそのキャンプだ。

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夏になれば「やるのが当たり前」だったキャンプだが、ここ何年かかなりハードな葛藤を含みつつだった。
対象の会員数が少ない上、今年は大学生・高校生が全滅。青年役もけっけのみ・・・。
自分はキャンプスタートの日程決めの時点でアウトだったし、説明会もディキャンプも仕事の都合があわず参加できなかった。
キャンプは自分にとっては37年間の恒例行事なわけで、いつかまたしっかり関わりたいと願っている。
今年の実長は中2のまゆ&けい。
二人にとっても、小学生たちにとっても意義ある夏になるといいな、と思う。

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全体会はゲームをしたり、去年のDVDを見たり、持ち物説明と分担、キャンプ中のメニュー決め、買出しの計画、ファイヤーのダンス練習など盛りだくさん。
キャンプ近しの独特の高揚を思い出す。
昔の自分、特に関わり始めた最初の10年ぐらいは、ひたすら緊張感と闘う毎日だった。
食事も喉を通らず眠れない日々。
仲間を信頼していれば苦悩はない??・・・いや、それはちがう。
自分が担うべき責任は自分以外は誰も代われない。
その責任の重圧は明らかに楽しい気分を越えていたが、毎年やりきれていたのは、子ども達の存在と、その人生に関われる喜びだけだった。
僕は「キャンプ」が好きなのではなく、子ども達と行動するのが好きなのだ。改めてそう思った。

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プランターに撒いた(・・・というより投げ捨てた)金柑とオレンジが少しずつ伸びている。
外装改装中なので薄暗い玄関でゴメンなさいって感じだが・・・この生命力に驚嘆と感服。


posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(0) | 劇場

2017年07月22日

プライの19回目の命日に

プライが没したのは1998年7月22日。69歳になったばかりだった。
この年、ニューヨークでレヴァインとのリサイタルから帰国後、体調に多少の違和感はあったようだが、フローリアンとのコンサートも持つなど、相変わらず活発にステージを行っていた。
しかし、7月12日ミュンヘン近郊プリンツレーゲンテン劇場でのリサイタルの後、心臓発作で倒れ昏睡状態に陥った。それから10日後、家族や親戚が見守る中、永眠したという事だ。
その死は早かったが、こうして「生涯現役歌手」「いつも家族と共にあること」という大きな2つのポリシーを実現できたわけだ。

晩年の写真を見ると、数々の生活習慣病を抱えていてもおかしくなさそうな雰囲気で、過密スケジュールとそれに伴う無理不摂生がどれだけ健康を削いだかが伺える。
楽天性と深刻のふり幅の大きい彼の思考の中で、音楽や家族についてはストイックになれても、健康状態については「私には危機を乗り越える才能がある」を口実に疎かにしてしまったようだった。

来年は没後20年。西洋では没後○年より生誕○年が重要視されるので今のところ特に情報は入ってこない。
たぶん、再来年の「生誕90年」には何らかのアクションがあると信じている。
ザルツブルク、バートウラッハ、シューベルティアーデ(ヴィーン、ホーエネムス、ニューヨーク)、数々の来日公演記録…年間100回を越えるリサイタル、オペラ公演、メディアへの出演…多数の未発表音源や映像が残されているはずで、それらの公開を心待ちにしている。

さて、プライの経歴の中で、必ず取り上げられながら、本人があまり触れることのない音楽祭事業に「シューベルティアーデ・ホーエネムス」がある。
この音楽祭は、現在でも5〜10月に開催され、しっかり継続している。
その発起人がプライであることは、いまだ音楽祭紹介文にも健在だ。
計画時は「シューベルトの全作品演奏」「出来る限り作曲順に」そんなコンセプトだった。
しかし、実現した音楽祭はプライが想定した方向とは最初から違ってしまい、自身にとっては何かタブーめいた顛末になってしまったようだった。
この大音楽祭の「冠」として彼の名を看板に掲げることに何らかの不都合があったのか、この件はプライが音楽祭を去った後のインタヴューでも、自伝でも触れることがまるでなかったので、詳細は不明だ。

しかし、ホーエネムスを去った直後に始めたバートウラッハの「秋の音楽の日」について語る時、対比めいた発言がある。そこからホーエネムスでひっかかった点は想定できる。
ただそれは極めて事務的な、マネージメント上の課題を匂わせた。
バート・ウラッハでは「音楽を通じて集う親密な友人たちとの楽興の場」「人の声を伴う作品に特化し、毎年テーマを立て、それに基づいた全体プログラム」そして「地元の理解と安定した資金調達をはかる」・・・
つまり、ホーエネムスはそうならなかった、ということだ。
それは、シューベルトに特化した為、起こるべくして起きた問題、つまり、国際的に有名で愛好者の多い作曲家にもかかわらず、特化した定期音楽祭が「世界初」であった事。シューベルトが多彩なジャンルの音楽を多数残していて、世にそれぞれの「スペシャリスト」が溢れている事…。そのスペシャリスト達をまとめ上げるスキルなど当然持ち合わせなかった事。そして、これは大きいと思うのだが、行政の考えと音楽祭運営、出演者との温度差…つまりはそもそも、まだ40代半ばのスター歌手の手におえる仕事ではなかったわけだ。

プライがシューベルティアーデを始めた1976年は彼にとって多忙な年で、なんとか乗り切ったものの、完全に体調を崩し、77年は年始から夏まで休業を余儀なくされる。
夏にはステージに復帰するが、今度はホーエネムスのメイン会場に問題が起こっていて、数年後には余計な仕事が増える予感めいたものが彼を消耗させていたようだ。
1981年には音楽祭の運営からおりてしまい、以後は全くホーエネムスに近づかなかった。
プライは感情の起伏の激しい人ゆえ、有力者の逆鱗にふれたか、本当に何があったのかわからないが…状況からして「外してもらった」が正解なのだろうとは思う。
最初のステージは76年5月8日ホカンソンのピアノ、パーレイの講演を含んだレクチャーコンサート。最後は81年6月18日パーソンズと「美しき水車小屋の娘」
スポンサー主催のガラコンサートを除く公式本公演の出演回数は76年5回、77年7回、78年6回、79年2回、80年1回、81年1回。
「この音楽祭の創立者ですよ」というにはあまりにも寂しいフェイドアウトだった。

なにやら「大人の事情」を感じる状況もあってか、この音楽祭でのプライ出演部分のリリースは少ない。
メジャーレーベルで公式にリリースされたのは1977年「重唱曲集」、
1978年ホカンソンとの「白鳥の歌」(通常の14曲だけ編集してリリースされたが、実際はザイドル4曲と秋も入れ、曲順をいじったプライ版だった)、
オペラ「サラマンカの友人たち」復元蘇演版のみだった。

そんな中、プライの様子が垣間見られる盤はこれ。
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シューベルティアーデ音楽祭
1977年〜86年の記録


プライ他、演奏者多数

(ATW LP5枚組 オーストリア輸入盤)




これは「地域限定販売品」で、当然流通は希少。
内容は1977年から1986年までのシューベルティアーデのまとめハイライト盤になっている。
出演者の多い巨大音楽祭のであるから、5枚のLPのうち、プライは1枚目A面に5曲(星、漁夫の生活、魔王、さすらい、酒の歌)2枚目A面に3曲(別れ、喜びと黄金のワイン、光と愛)のみ。
寂しい限りだが、最初の10年で区切ってもプライのステージは数えるほどだったし、この音楽祭にはあまたの著名音楽家が集ったのだから、仕方ないだろう。
セット内にはクリスタ・ルートヴィヒ、エディト・マティス、ロベルト・ホル、エッダ・モーザー、ヴァルター・ベリー、アーリン・オジェー、ヴェルナー・ホルヴェークなど、この年代のリートのスペシャリスト達の名が連なっている。
特にホルはプライの分大活躍といった感じだった。また、女声ではマティスの比率が高い。
実際、これらのコンサートライヴは貴重であり、編集の手が入っていない生々しさと温度感が素晴らしい。
但し、収録のほとんどは本プログラムではなく、スポンサー主催のガラコンサートからのもののようだ。
そのスポンサー、発売レーベルAustriaTabakは、この当時はオーストリアでの煙草独占企業だった。
歴史ある老舗ではあったが、1990年代以降は民営化されたり買収を受け、現在はなんとJTI(Japan Tabacco international)の系列会社となっている。
この会社のロゴはホーエネムス音楽祭初期から見られる。愛煙家プライらしいスポンサーだと思う。
それにしてもシューベルトの肖像に社名入りタバコ入れを持たせてしまう大胆さには驚く。嫌煙家が増えた今だったらクレームがつきそうだ^^;

ホーエネムスでの公式録音は基本的にDGが担っていた。現在音源自体はオーストリアが国として管理していることだろう。できれば、音源の劣化前にどうにか一般発売して欲しいところだ。
プライをはじめ、この音楽祭の初期メンバーが次々と逝去している現在、この宝を無にしてはいけないと、つくづく思う。
posted by あひる★ぼんび at 23:26| Comment(2) | プライ

2017年07月15日

高学年例会・・・再び霊界?!

今回の高学年例会は千葉有卯助さんによるひとり語り「怪談真景累ヶ淵」。
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作品は三遊亭圓朝原作の因縁噺で、安政6年に書かれた全97章の大作。その中から事の発端と、子孫に続く因縁エピソード計4編を語ってくれた。
三遊亭圓朝の怪談噺では「牡丹燈籠」や「四谷怪談」が知られているが、これらはどれも単なる怨念ではなく「因縁」と「情念」が強く描き出されている。この日本の伝統的ホラーの形態は世界的にインパクトを与えていると聞く。
有卯助さんの若々しい「語り」は、ベテラン落語家の噺とは趣が異なり、幾分、現代に寄せたのかスプラッター要素が強調されていたようだが、まあ、それとて意味のない西洋グロとは全く違う。
高齢の方も大人も子どももその話術に引き込まれた。
ただ、SEを兼ねた音楽はもっと薄いか、なくてもいいと思った。
静寂は闇と同じく、最大の演出である・・・と思うのだが。
出入り口はこんなふう。
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終演後はいつものようにみんなで感想を書く。
少し言葉が難しかったと思うが、伝わっていたようだ。
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埼玉はカラ梅雨。あまりジメジメしていない怪談を楽しめた夏の初めだ。

さて、物語に出てきた「小塚原」は歴史上関東最大の刑場で、明治に廃止されるまで、処刑のほか刀の試し切りや腑分けも行われた場所だった。総計20万人以上がここで処刑されたという。
現在の南千住駅の近くだが、自分が幼い頃、浅草の生家に行くルートのひとつで、近くをよく歩いた。
もちろん、現代では何もないわけだし、誰からも土地の歴史については聞かされていなかったが、ここを通るのがイヤだった。鼻の奥で嗅覚とは少し違うバランスで感じる奇妙な臭気と悪寒で、なぜか不機嫌になった。
人は死しても想念が残るとすれば、この土地のみならず東京下町はすごい場所、ということになる。
感じるか感じないかは人それぞれなのだろうけれど・・・。
posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(0) | 劇場

2017年07月01日

2017年のこどもまつり

仕事の合間に「こてさしこどもまつり」を覗いてきた。
子ども数が年々減り、しかも今日は雨天、道路は渋滞。
なにやら嫌な条件がそろってしまった。
実際、集まりは良くはなかったが、係の子ども達がほどよいゆるさで関われるぐらいの数で、結果的にはこれはこれで良かったのかもしれない。

射的。露店のような頑張っても届かないストレス設定はない^^
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ダンボール迷路。
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毎年人気の「おばけやしき」
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ぜーんぜん恐くない!と言いながら(って当たり前だ)きゃあきゃあ楽しそう。
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工作コーナー。ひたすら木っ端をトントントン♪
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2階にもコーナーがあって、異世代交流が繰り広げられていた♪
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エンディングはくすのき燕さんの腹話術。
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バスの時間の関係で最初だけしか見られなかった。

継続は力。本当にそう思う。「こども劇場」もこういった行事の実行委員さん達もそう信じて続けている。
かつて前政権の事業仕訳で「こども夢基金」は「廃止相当国庫返納」に仕訳けされてしまったが、ずるずる実行されないことが幸か不幸か、今でも廃止されずに続いている。
対価のある成果が見えないのがこういった子どもの文化。
合理主義とあいいれないのも子どもの文化。
でもそこに傾けるエネルギーは未来への投資、子どもたちの笑顔は最高の報酬でもある。
最近、仕事の多忙と体調不良でまるで関われなくなってしまったけれど、僕ももう少し頑張りたい。

posted by あひる★ぼんび at 22:59| Comment(0) | 劇場