2017年05月28日

高学年合宿2017まとめ報告会

午前中、「今ごろになって」報告会。
本当は参加者以外のその世代の子達と親が集まってくれると嬉しいのだけれど・・・
つつましい規模ながら、手順はやはり大切だ。それでこそ次の一歩がある。

文集もできた。表紙裏表紙はこんなふう。
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まずはゲーム。ふつうに「なんでもバスケット」
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実長のあいさつと記録DVDの鑑賞。
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一発芸大会がほぼ全長収録!現場に参加していない自分には貴重なものだった♪

そのあとテーブル卓球トーナメントふたたび。
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みんなうまいもんだ!!
文集を読んで、また今日のみんなの顔を見て、今年の合宿も大成功だった、と思った。

次は夏のキャンプ。
行ける子行けない子様々だけれど、楽しく実行できるといいと願う。
多分、僕は今年も後方支援。再び参加できるのはいつの日かなぁ。

posted by あひる★ぼんび at 23:51| Comment(0) | 劇場

2017年05月21日

文集作りと高学年例会

5月20日(土)
「にがりの会」の時間を使って、合宿の文集作り。
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来週日曜の報告会で配布する予定なので急がなければならないのだが・・・
なんだか原稿があるはずのところに見当たらない・・・ということで、「来週配布」は微妙なことに。
焦ることもない、地球がとまるわけじゃないし。というわけで、その分のんびり写真の編集。
実長、副実長、いつもお疲れ様です♪

5月21日(日)
入間産業文化センターで、高学年の例会。
作品はデフパペットシアター・ひとみによる「森と夜と世界の果てへの旅」
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1950年代にアフリカ・ナイジェリアの作家チュツオーラによって書かれた「ヤシ酒のみ」が原作とのこと。
「アフリカ」というと日本人にとっては未開イメージで、明らかに「アフリカン・ステレオタイプ」が出来上がっている。
しかし大戦後は特に、列強の植民地支配から脱却して急激にグローバル化し、実際はすでに当事者たちの生活からもそれらの伝統や風景は遠くなっていったようだ。
この物語が作られた1950年代はまさにそんな時代なのだが、作者はあえてアフリカ文化へのノスタルジーをふんだんに含め、今回の人形劇化もそのスタイルに準じているようだった。
なにしろ10歳からヤシ酒に飲んだくれる「酒飲み坊ちゃん」が主人公、長じてから、亡くなったヤシ酒作りの名人に会いに死者の国を冒険、そこで嫁まで得たりする物語。
かなりぶっとんでるが、アフリカ民話のスタイルゆえに自然と許されてしまうようだった。
そこにで描かれる物語にある宗教観のようなものは、唯一神の西欧よりも八百万神信仰の日本人には理解しやすいはずのものだ。物語展開も日本の「むかし話」から遠くない。エピソードの展開が刺激的なので少々攪乱されるだけで、ラストの「なんでも願いを叶えてくれるたまご」も浦島太郎の玉手箱と何ら変わりはない。
物語が含む不整合や不条理はあまりつっこまずに流して観たほうがいいと思った。
「嫌悪」も「感動」も関係ない所で視覚的に強いインパクトを与えてくる舞台。
ろう者の感覚の中で造られた演出、といわれても、にわかにピンとはこなかったが、
人形のつくりの見事さと、生演奏の音楽のエネルギーは素晴らしかった。
緊張感をもたせすぎず、適度にラフなのも作品の雰囲気に合っているように思え、好感が持てた。
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ロビーでは劇に出てくる死神ファミリーのアクセサリーなどが売られていた。
いや、これはちょっとあせあせ(飛び散る汗)
posted by あひる★ぼんび at 23:34| Comment(0) | 劇場

2017年05月13日

フィリップス「プライ・リートエディション」〜第3巻

19世紀は、クンスト・リート全盛期であり、リート歌手にとっては重要な作曲家がひしめきあう時代だった。ナポレオン戦争とその反動による殺戮はヨーロッパを荒廃させたが、征服と解放の繰り返しの中で絶対的な身分制度が揺らぎ、異文化の輸出入もおこった。そういう強い刺激によって芸術は活性化を見たのだ。
しかし、やはり不安定な時代の産物ゆえ、玉石混淆は否めず、多くの作品は時の流れと共に忘れ去られてしまった。
酒場の流行歌や労働歌は常に流れ去るもの。しかし、楽譜として出版された「芸術作品」は、歌ってみようという歌手さえいれば、こうして時を越えて聴くことができるわけだ。
戦後ドイツで最も意欲的な歌手、ディースカウによって同趣向のアルバムは多数、EMIやDGに録音され、愛好家の話題になっていたが、ディースカウの場合、「今さら歌うに値しない芸術価値の低い作品」と判断したものはとりあげなかった。作曲技法上の問題、テキストの文学性・・・彼はかなり厳しい基準を持っていた。ゆえに、とりあげていない作品も多かった。
例えばジルヒャーの作品。シュヴァーベンの宝としてプライは特に愛唱したが、ディースカウはほとんど無視している。また、オペレッタやジングシュピールを多く残したローカル作曲家に対する待遇が、2人では正反対だったというのも面白い。
プライはエディションを組むに当たって、そういったロマン派リートを第1巻とこの第3巻に住み分けさせた。ディースカウの批判の対象になったようなローカル作曲家のものは1巻のほうにまとめ、3巻を一般的に考える大家でまとめている。結果的に賢明なアイデアだったと思う。これによって、ドイツのリート文化がローカルからグローバルへと変化していく過程(実際は同居しているものだが・・・)が見えてくるからだ。

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プライ・リートエディション第3巻
「ロマン派の時代、シューマンからヴォルフ」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア
レオナード・ホカンソン
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス LP8枚組 ドイツ輸入盤)



さて、このLP8枚、CDだと6枚のセット、録音時期は1971年〜73年(72年が多い)だが、ヴォルフのうちの数曲をリリースの74年に追加録音して加えている。
プライのコンディションはムーアやエンゲルとの録音はほぼ好調を維持しているが、ホカンソンとのメンデルスゾーンは少々ばらつきがある。名曲「歌の翼に」などはぶら下がり気味に聴こえる。リストは、調子以前に曲との相性がイマイチのようだ。以前から得意とするコルネリウスやドイツの堅牢な音楽を守っているヴァグナーは良かった。

1.「詩人作曲家シューマン」(3枚)〜シューマン
2.「ロマン派の哀愁とビーダーマイアー時代」
   〜メンデルスゾーン、リスト、ヴァグナー、フランツ、コルネリウス
3.「単純化された郷愁」(2枚)〜ブラームス
4.「ヴォルフの凝縮された世界」(2枚)〜ヴォルフ

LPセットはこんな感じだった。面割が明快で、つめこんでしまったCDより聴きやすかった。以前も書いたが、プライはアルバム制作時に曲順にかなり神経を使っていた。レコード鑑賞者は、針を落とした時が開演、面の切れ目が休憩、1枚の終わりは終演。そのことをプライ自身がしっかり押さえていたのだろう。プライの少年期から青年期の入口は世界大戦の激動の中だった。その中でレコードやラジオの音楽が与えてくれた出会いは、多くの喜びを心に刻みつけた。そんなふうに「繰り返し聴いて心に刻む」重要性を知っていたので、レコード録音を「二次的産物」とか「所詮」とか言わず、丁寧にとりくんでいたのだろう。

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「ロマン派のリート集」
メンデルスゾーン/リスト/ヴァグナー/フランツ
コルネリウス/タイバー/ダンツィ/トマーシェク
シュポア/マルシュナー/ヴェーバー/ジルヒャー

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン/ミヒャエル・クリスト(ピアノ)
カール・シャイト(ギター)
(蘭フィリップス LP2枚組 オランダ輸入盤)



LP時代のこの巻からの分売は、シューマンのうちホカンソンとの2枚(国内盤あり)、ブラームス全部(2枚組国内盤あり)、ヴォルフ(1枚分輸入のみ)、それ以外の作曲家のものは上の写真のように「ロマン派のリート集」として、第1巻のジルヒャーやマルシュナーなどと組み合わせたものが、2枚組BOXとして本家フィリップスから発売されていた。

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プライ・リートエディションVol.3
「ロマン派の時代、シューマンからヴォルフ」

ヘルマン・プライ(バリトン)
ジェラルド・ムーア
レオナード・ホカンソン
カール・エンゲル(以上ピアノ)
(独フィリップス 6枚組 ドイツ輸入盤)



CDは6枚に圧縮。カットはないが、面割を無視してつめこんでいる。また、解説はテキストのみになっている。傷やノイズを気にせず気楽に聴けるのはありがたいが、利便性と引き換えにどれだけの楽しみを奪ったか考えると複雑な気持ちになる。

また、このプライ・エディションは「第2巻シューベルト」以外は、一度簡略化廉価発売された後は単売は未発売が多い。プライも没後20年近くとなり「ヒストリカル歌手」に仲間入りしてしまった現代、フィリップス社も存在せず、もはや完璧な形での復刻リリースは難しいだろう。そう思うと残念でならない。


posted by あひる★ぼんび at 23:41| Comment(2) | プライ

2017年05月03日

川越南の吹部定演

ミューズで川越南高の吹部の定演を聴いてきた。
高校生活のほとんどすべてをかけた部員たちの努力の結晶。
演奏に対して批評の言葉は何もない。そのエネルギーに感服するのみだ。何より音が気迫をもって「立っている」のが素晴らしかった。
プロのオーケストラは音量を極限まで押さえ、ここぞとばかりに放出するタイミングを用意するが、彼女らの演奏にはそういう計算だけではない、体当たりのパワーがあった。
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プログラムの裏表紙に「ウィンドオーケストラ」とあるように、ブラスバンドではなく、正真正銘「管のオーケストラ」としての音作りになっている。
なにより1年生を含めると68人は結構な大編成。
プログラムも吹奏楽用の曲はなく、すべてがオーケストラ曲の編曲だった。

第1部 トマ:レイモン序曲 グノー:ファウストより4曲 スッペ:ボッカチオ序曲
第2部 ムソルグスキー:ボリスゴドゥノフより戴冠式
チャイコフスキー:眠れる森の美女より3曲 スラブ行進曲
第3部 エルガー:威風堂々2番 オーベール:フラ・ディアヴォロ序曲
ヴェルディ:弦楽四重奏より第1楽章 ワーグナー「ローエングリン」より


こうなると楽器編成を工夫する必要があるはずだが、実際かなり苦労がありそうだった。
内声を受け持つチェロやヴィオラの代わりになる楽器が少ない。この団の場合、サックス群、小中バス群、ホルンといったトランペットとトロンボーンの間を埋めるパートの人数が少ないのだ。
第2部のロシア音楽はその意味でとても難しかったと思う。
精一杯健闘しているのがわかるだけに、音楽が「骨格」をあらわにしてしまうのがもったいないと思った。
巧妙な編曲がされているにせよ、いくら練習を積んでも「ない音」を補完する術はないわけで。

このミューズ大ホールは残響が極端に長いホールで、本当に「よく響く」が、音圧が不充分になったり、楽器の解像度がもやもやと感じられなくなることがある。世界的なオーケストラでもそういう感想を持つことが度々なのだが、なんと彼女らはそれを突き抜けて音を響かせていた。音の干渉を怖れないのは若さのパワー?!
爽快な音が心地よかった。
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ところで、このプログラムは誰が決めたのだろう?指揮を担当している先生だろうか。
左手を多用し、全体に表情のあるマエストロタイプの指揮をする方だったので、ああ、マニアックな嗜好なのかな…と少々失礼なことまで考えてしまったほどだ^^;
意図的に王道を微妙に外してるあたり、クラシックマニアからすればなかなかに興味深いセットリストだが、さてさて、演奏する高校生世代にとってはどうなのだろう??王道曲の愉しさを知ってから演奏したほうが望ましいと思うのだけれど・・・青春をかけて、この曲でいいのかなぁ・・・とちょっと心配ではあった。
(それでも近年の吹奏楽用オリジナル曲よりはずっと聴きやすいし確かなものだけれど)
なんてごちゃごちゃ言うのは単なるボヤキ。
終演後、送り出しの団員達の晴れやかな笑顔と、満場の観客の満足な表情がこの演奏会の素晴らしさを証明していた。久々に良い演奏会に出会った♪ひとみちゃん、良かったよ〜!!
posted by あひる★ぼんび at 23:18| Comment(0) | 日記

2017年05月02日

プライ1回目の「詩人の恋」

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シューマン:詩人の恋 op.48
リーダークライス op.39

ヘルマン・プライ(バリトン)
カール・エンゲル(ピアノ)

(EMI ドイツ輸入盤)



両曲ともプライの得意レパートリーだが、この曲の録音としては最初のものになる。
プライとエンゲルのコンビでは、60年から70年代半ばまでEMIエレクトローラ系、テレフンケン・デッカ系、フィリップス、バスフ等に主要なリートの録音を行っていた。
しかし、2人のステージ共演は数えるほどしかなかったというから、意外である。
残された録音のどれもが後年のホカンソンとの共演よりも良さげに聴こえ、これはエンゲルのリズムのメリハリと推進力の賜物なのだろう。
プライの個性的なリズムや歌い癖をものともせずに、実にうまいバランスで押し出してくる「合わせる能力」の高さ。この世代の「リートに取り組んでいるピアニスト」の中ではピカイチだったと思われる。

62年頃に録音されたと思われる、この「詩人の恋」は一般的な改訂版を使用し、すべてオプションの高い音を選んでいる。各曲の移調の選択に問題がなくもないが、それはそれとして割り切って聴くほうがいいだろう。それはバリトンが歌うときは宿命的な行為なのだ。
にもかかわらず、このプライの録音は発売当時、専門家や研究者の間で話のネタにされていた。彼の人気が上がってからは議論にもなり、中には「プライの無知の象徴・勉強不足」のように言う評論家まであらわれた。多くは他の歌手を褒める根拠にアンチに利用されたわけだ。
クラシックとはなんとメンドクサイ世界。本質はそんなことではなく、表現も含めて何を聴き手に伝えるかなのだが、そっちが置き去りになることが多く、未だに進歩がないのが残念だ。

テンポは遅めながら、緩急の差が大きくエンゲルはテキパキ進める感じなので、体感速度は速い。
また、1曲の中でのテンポの揺らし幅が、後年より大きくなっている。
第1曲の後奏でテンポを一段と落し、第2曲を限界まで間をあける…静寂がそのまま心の深くにしみこむような響きの余韻を味わえる。
ただ、60年代のプライは発声に少々のロスがあって、またリズムが流れやすかった。
日本の音楽雑誌では、音程の不安定さがたびたび話題になったが、実際はそちらよりもこの発声のムラのほうが気になることがあった。
ただそれも、感情の起伏の大きな歌では「表現」となっていて、他の歌手では味わえないスリリングさがあり、大きな魅力だった。
「私は恨むまい」の艶やかで朗々としたA音!
そして、言葉にこめた細やかな感情は、単純な喜怒哀楽ではない複雑な「愛」を伝えているようだった。
片思い→成就→破局→怒り哀しみ→放心→回顧→昇華
そう分類してステレオタイプに描くのではなく、クララとの恋の成就にあえてこの曲を書いたシューマンの複雑な不安心理を探るかのように歌い進めている。
ディースカウのように詩に対する分析的な姿勢ではなく、また、この前のハンプソンのような怒りと愛の告別でもない。
あくまで1人の迷える青年のポートレートのようだった。
安定感を加えた10年後のフィリップス盤、さらに10年後、一段と落ち着きと深みを持ったDENON盤(どちらもホカンソンとの共演)と、すべて違ったアプローチで残してくれたことに感謝したい。

アイヒェンドルフの詩によるリーダークライスも、伸びやかに歌っている。
通常ならハイネによるop.24と組み合わせるものだろうが、この頃はそちらはそれほど歌っていなかったようだ。
本人もニヒルで屈折したハイネの世界より、民謡風の言葉とメロディに溢れたこちらのほうが自分に合っていると思っていたのだろう。
プライが愛したドイツの森の風景描写、伝説、そして静かな心象風景。それを克明に描き出す12曲の絵巻物。
声の艶とパワーも充分に生かせるリート集なので、プライにはうってつけ。こちらもほぼ10年ごとに録音を残してくれている。

ドイツ輸入盤のLPはこれ。
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(columbia-EMI  LP ドイツ輸入盤)
他にケルナーも加えた2枚組や、「詩人の恋」とケルナーから9曲を組んだものも出ていた。
なお、このジャケットは国内盤にも使われたことがあった。

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(東芝 LP 国内盤)
こちらは初期の国内盤LP。半透明赤の、いわゆる赤盤。
CDと、輸入盤LP、国内盤LP、それぞれ音の印象がだいぶ違う。
どれもそれなりの良さがあり、また物足りなさもある。
CDなどはそれこそ再発売の度に大胆にリマスターされているのだが、どれもあまり良い状態とは思えない。
LPの音からはどんどん遠ざかっているようだ。
マスターは…というより現場の音はどうだったのか聴いてみたい。
艶やかなプライの美声はどうやら当時のメディアには収まりきらなかった。
もともと収まりきらなかったものはいくら化粧しても無駄なこと。
録音元のレーベルはすでになく、移動したマスターテープも年月の経過と共に確実に劣化していく。
プライが現代の人ならどんなに良かったろうか。
ああ、もったいない、とつくづく思うのだ^^;

posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(12) | プライ