2016年12月23日

聖夜〜シャウシュピールハウスのクリスマス

「シャウシュピールハウス」は旧東ベルリンにあった伝統ある劇場で、東ドイツの代表的音楽ホールのひとつだった。
現在の統一ドイツになってからは「コンツェルトハウス・ベルリン」の名称で存続している。
このDVDは「シャウシュピールハウス」でのクリスマスガラコンサートの収録で、ドイツのテレビ局が放映するために製作したものらしい。

dvd2aa.jpg聖夜〜シャウシュピールハウスのクリスマス
  ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
  フェルディナンド・ライトナー(指揮)
  テルツ少年合唱団・合唱隊
  ザゴールスク修道院聖歌隊
  ドリス・ゾッフェル/ヨッヘン・コヴァルスキー
  ヘルマン・プライ/ジークフリート・イェルザレム
  ギュトラー・ブラス・アンサンブル 他
(ARTHAUS DVD EU輸入盤)

  

これにはどこにも収録年の記載がない。再発売盤の宣伝資料では1990年ということになっているが、画質や、出演者の容姿を見るとドイツ統一直前の収録の可能性もありそうだが、詳細はわからない。
一夜のコンサートライヴの所々にクリスマス前後のドイツの雪景色のイメージ映像が挿入されていて、バイエルン放送の「ヘルマンプライ共にクリスマスを」を思い出させ、雰囲気は上々だ。

ジークフリート・イェルザレム
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ドリス・ゾッフェル
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ヨッヘン・コヴァルスキ
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画質が旧東ドイツのアナログTVクォリティなのが少々残念だが、トランペットのギュトラーや、イェルザレム、コヴァルスキなど、まだまだ皆若々しい容姿で、ライトナーも元気そのものだ。
ゾッフェルやコヴァルスキの声の後にイェルザレムのテノールを聴くとやけに太い声に感じたのだが、きっと耳の錯覚だろう。現場ではどう響いていたのだろう。ヴァーグナー・テノールでありながら、オペレッタでも人気が高かった彼である。空気感の大きな響きは録音マイクに乗り難いものだからだ。
その辺はプライの声が録音と生では印象が大きく違うことでも感じる部分で、人間の声が持つ幅広く複雑な周波数をそのままとらえるのはとても難しいことなのだ。
合唱はテルツ少年合唱団&合唱隊。清らかで丁寧に歌っている。ゲルハルト・シュミットガーデンの元気すぎる位陽気な指揮が面白かった。さすが、子ども達をまとめる特殊技能を持った人だ^^
珍しいのは他メンバーと少々異質なロシア正教会のザゴールスク修道院聖歌隊が参加して10分ほど歌っていることだろう。

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音色も見た雰囲気も「黒」。
クリスマスはドイツプロテスタントだけのものではないと言う所だろう。敬虔な祈りを感じる演奏だ。

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プライの容姿はこのメンバーの中ではすでに大御所の貫録が出ていて驚くが、声は変わることのない若々しさでフィナーレ近くの3曲に参加している。
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ラストは出演者全員で「聖夜」をおごそかに歌う。
本当に、パーティ的な騒々しさの全くないコンサートだった。
特別なショー演出皆無、出演者のトークすらなく、ナレーションも入らない。全員が真摯な態度と表情で敬虔なクリスマスコンサートを作っている。

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このDVDはほぼ同時期に輸入盤・国内盤違うパッケージで流通し、何度か再発売されている。
自分は輸入盤しか持っていない。
収録曲は必ずしもクリスマス音楽ではないが、しみじみと静かに過ごしたい方には最適なDVDだ。
何より、こんなコンサートに参加してクリスマスを過ごしてみたいと思った。
<収録曲>
1. 扉を開けよ(フライリングハウゼン)
2. ばらの花咲き出でぬ(エサイの根より)(プレトリウス)
3. アヴェマリア(グノー)
4. ユビラーテ「主に向かって喜びの叫びをあげよ」(プレトリウス)
5. 聖らに星すむ今宵(アダン)
6. 甘き喜びのうちに(プレトリウス)
7. クリスマスオラトリオより「心からの喜び」(バッハ)
8. ロシア正教会聖歌3曲
 (アミン,栄光は父と子と/主は神なり,我等を照らせり/今,処女は永住の主を生む)
9. 管弦楽組曲第3番よりアリア(バッハ)
10. クリスマスオラトリオより「道を整えよ」(バッハ)
11. ハープ協奏曲変ロ長調op.4-6から第1楽章(ヘンデル)
12. オンブラ・マイ・フ(ヘンデル)
13. シェメッリ歌曲集より「やさしくも愛らしき」(バッハ)
14. キャロル「ヨゼフ,愛するヨゼフ」(14世紀古曲)
15. マカベウスのユダより「見よ,勇者は帰る」(ヘンデル)
16. 聖夜(グルーバー)

posted by あひる★ぼんび at 23:57| Comment(4) | プライ

2016年12月22日

ハンプソンの叙情的間奏曲

ハンプソンはレナーテ・ヒルマール=ヴォルトという研究者と共に、ベルリンの国会図書館で、シューマンの手による楽譜原稿を発見した。
「抒情的間奏曲からの20のリート」と題された、いわば「詩人の恋の初稿」である。
曲はEMIから事実上の世界初録音としてリリースされた。1994年10月のことである。

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シューマン:ハイネの詩によるリート集
*リーダークライスop24
*哀れなペーターT-V
*叙情的間奏曲からの20のリート

トーマス・ハンプソン(バリトン)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)
(EMI EU輸入盤)




いかにも推敲前の散漫さを感じるその曲を初めて聴いた時、「詩人の恋」全16曲へと改訂して大正解!と思ったものだ。
現行版と著しく異なる第1曲からして粗野で、各曲のメロディもオプション部分を使わないので音域が狭く、とにかく地味に響いていた。
ハンプソン自身も探りながらだったのだろう。サヴァリッシュのやけに冷静なピアノと相俟って、慎重きわまりない歌唱だと感じた。

そのときから10年以上たった2007年12月ミュンヘンでのライヴを収録したのがこのDVDだ。
hanpschum.jpgシューマン:
「ケルナーの詩による12のリート」op.35
「ハイネの抒情的間奏曲からの20のリート」

トーマス・ハンプソン(バリトン)
ヴォルフラム・リーガー(ピアノ)
( EUROART-UNITEL DVD オーストリア輸入盤)





ここでの歌唱は、以前のそれとはまるで対照的な、オペラティックで劇的・積極的な音楽だった。
唾は塊となって飛び、額のみならず顔中汗まみれ。クリスマス直前真冬の収録だというのに…
これは迸る感情が体内で飽和して溢れているのだろう。終始、世にも恐ろしげな怒りの表情。
心の内側を彷徨うことと、表面への放出を繰り返しながら、精神崩壊ギリギリなのでは?と心配になるほどの熱唱だった。
ピアニストがサヴァリッシュからヴォルフラム・リーガーという人に代わったことだけが理由ではないだろう。
10年歌いこんでハンプソンが得た「解釈」なのだと思う。

Im wunderschönen Monat Mai (美しい五月に)
Aus meinen Tränen sprießen (僕の涙から)
Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne (ばら百合鳩太陽)
Wenn ich in deine Augen seh' (君の瞳を見つめる時)
Dein Angesicht (君の顔は→のちのOp.127-2)
Lehn' deine Wang'(君の頬を寄せよ→のちのOp.142-2)
Ich will meine Seele tauchen (僕の心を潜めよう)
Im Rhein, im heiligen Strome (ライン川、その聖なる流れに)
Ich grolle nicht (僕は恨むまい)
Und wüßten's die Blumen, die kleinen (花がわかってくれたなら)
Das ist ein Flöten und Geigen (あれはフルートとヴァイオリン)
Hör' ich das Liedchen klingen (あの人の歌を聞くと)
Ein Jüngling liebt ein Mädchen (ある若者が娘に恋をした)
Am leuchtenden Sommermorgen (まばゆい夏の朝に)
Es leuchtet meine Liebe(僕の愛は輝き渡る→のちのOp.127-3)
Mein Wagen rollet langsam(僕の馬車はゆっくりと→のちのOp.142-4)
Ich hab' im Traum geweinet (僕は夢の中で泣いた)
Allnächtlich im Traume (夜毎君の夢を見る)
Aus alten Märchen winkt es (昔話の中から)
Die alten, bösen Lieder (古い忌わしい歌)


曲の構成としては「詩人の恋」の16曲に「君の顔」「君の頬を寄せよ」「僕の愛は輝き渡る」「僕の馬車はゆっくりと」の4曲が加わっているだけなのだが、幾つかの曲は現行版とは異なるメロディをもっていて、当然、表現の方向性も違って聴こえるのだ。

ハンプソンの解釈では、意外にも、怒りの頂点とも言える曲が「僕は恨むまい」ではなく「あれはフルートとヴァイオリン」にあった。
そこには聴きなれた現行版の歌謡性は全くなく、朗唱スタイルで怒りをストレートにぶちまけている。
また、「僕の馬車はゆっくりと」の最後の音に続けて「僕は夢の中で泣いた」が歌われることで、この夢は馬車の中での白昼夢、ピアノパートには車輪が踏む石のゴツゴツとした衝撃、なんだか納得のいく状況だと思った。
明るいはずの「僕の恋は輝き渡る」も「ある若者が娘に恋をした」も皮肉と自虐にあふれ、すべてに邪気と死の影が憑りついている。ハンプソンの魔王のような表情も恐ろしい。憑依されたような異様な目・・・。
最後の2曲も、世間で言われるような落ち着いた詩人の「恋の回想」などではない。
怒りの極致の放心と完全な崩壊である。故に、ピアノの後奏のなんと哀しいこと。
こうなるとこの曲集はシューマンにとっての「冬の旅」のようにも聴こえる。
それは共に旅する楽師もいない、永遠に孤独な「心の旅」だ。

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    知っているかい この棺桶が
   こんなに大きく重いわけを
   僕は この中に僕の愛と
   僕の苦しみを ともに沈めたのだ・・・
   
   (終曲Die alten, bösen Lieder最終節より)




シューマンはクララとの恋が成就したそのタイミングでなぜこの曲を書いたのか。
それは「詩人の恋」の形態では感じることのなかった、大きな謎である。
多くの解説に「少々色合いの異なる4曲を省いて・・・」とあるが、それだけではないだろう。おそらくコンセプト自体の大転換だったのだ。
スターピアニスト・クララと人気上昇中の音楽家ロベルトが結婚直後にこの形でこれを世に出すのは、あまりにも不吉と思えたのだろう。ゆえに4年ほど温め、物語の体裁を整え、メロディに歌謡性を加えて発表したのでは…と思えるのだ。
結局、数年後には本当に精神崩壊がはじまり、10数年で自らを葬り去ることになるのだが・・・すでに何か予見していたということなのかもしれない。

もう1点、このDVDで、ハンプソンの人気の秘密がわかる気がした。それはCDを聴いていたのではわからない部分で、観客を前にしての高揚と緊張をいかに自分の芸術と結びつけるか、という才能だ。
プライやディースカウの実演でも感じた、大家の必要条件。ハンプソンも大家への道を歩み始めたのだと確信できた。

音楽そのものとは関係ない事だが、最後の拍手があまりにも早すぎる。
ハンプソンが現実世界に戻ってくる前のフライングブラヴォー。
全てを台無しにしかねない蛮行だ。正直、バカ野郎!と思った。
昔、プライのコンサートで「美しき水車小屋の娘」の最後の音が消える前にやらかしたやつがいたが、あの時は怒りより残念さで眩暈がしたものだ。パドモアのリサイタルでも大いびきをかいているオジサンがいた。本当にあなたは何を聴きに来たのですか?!とつくづく尋ねたくなる。
posted by あひる★ぼんび at 23:11| Comment(2) | 音楽

2016年12月17日

にがりの会年末恒例鍋会2016

今年もいつのまにかそんなシーズン。
毎年末恒例、一種の忘年会。
材料持ち寄りなので毎年大変な「かたより」を起こすのだけれど、今年は少々「ニンジン祭」、そしてけっけが持ってきた大量の「餅巾着」祭りだった。
自分はきりたんぽ、生タラ、鶏肉だんご、スライス餅、きのこを持参。
予定していたメンバー(セントストマックwつばさとか、きらとかけいとか)が
風邪やら多忙やらで来られなくなったりで、ちょっと残念だったけど、
わーたん一家やみねちゃんも加わって、にぎやかに雑談の中であっという間の3時間だった。
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自分はどうも体調が思わしくなく、材料を提供してそこにいただけで、一口も食べられかった。
お茶すら飲む気がおきない、なんとも強烈なだるさとめまい。
ただ、おいしそうに食べるみんなの様子を見ているのは本当に楽しかった^^
今年は戸田シェフがいたから具や汁の補充も気にする必要がなかったし♪

ほんと、結局今年は終始健康状態に悩まされてしまったわけだ。
来年はとにかく健康に過ごしたいなぁ・・・。
posted by あひる★ぼんび at 23:41| Comment(0) | 劇場

2016年12月14日

廉価再発盤、しかし…

以前、オイロディスクの名盤「プライ・世界の民謡を歌う」(アルバム原題:Welterfolge der Jahrhundertwende 世紀の変わり目の世界的傑作)を紹介しているが、これにはマルカートレーベル名義での廉価盤がある。
これもまた、他のマルカート盤と同様、レギュラー品と同時期流通の為、「売るための工夫」が見られるのが面白い。
具体的には「ジャケットデザインの変更」と「未発売音源の追加」である。
他で聴けない音源が含まれるというのは、全体の曲数がレギュラー盤より少なくても購入のきっかけになるものだ。ジャケットは「wie es euch gefällt」の初期盤と同じもの(トリミング違い)で、これは少々迷惑だった。
これらマルカート廉価版に関してはプライ側の監修は全くなかったようで、曲の並びもオリジナルのように工夫されたものではない。ドイツ語・イタリア語・英語が次々に入れ替わり「変化大」の面白さはあるが、穏やかな世界旅行ではなくなってしまった^^;

prey-mar7.jpg「プライ、世界の歌を歌う」
黒い瞳/海に来たれ/ねずみ捕りの歌/故郷の人々/
ボヘミアの森深く/ハイサ、トロイカ/マリアマリ/
鐘の音は単調に鳴る/ケンタッキーの我が家/
ヴェザー川で/マッティナータ/懐かしきヴァージニアへ/

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヴェルナー・アイスブレンナー(指揮・編曲)
ベルリンRIAS交響楽団&合唱団
(MARCATO LP ドイツ輸入盤)



未発表曲というのは「ねずみ捕りの歌」と「マッティナータ(朝の歌)」。
「ねずみ捕りの歌」のほうはこの10数年後にベルケの指揮と編曲で再録音することになるし、「マッティナータ」は名手ヘルベルト・レーバインと作ったアルバムでも歌っている。→参考記事
アイスブレンナーの編曲はどちらも、他の曲同様、シンフォニックで、プライの声にも気合が入って「重厚で大きな音楽」になっている。
そのスタイルが成功しているかどうかは即断できない。立派な歌唱だが、ホームコンサート向けレコードにしてはどちらも重くなってしまい、プライお得意の明るい軽妙なスタイルを期待すると当惑することになる。

Welterfolge der Jahrhundertwendeのオイロディスクオリジナル盤のジャケット
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もっとも、このアルバムはロングセラーで、追加製造のたび何度もジャケットや題名が変更されている。
題名は抽象的→具体的に変わっているが、初期盤のちょっと「?」な題はプライ自身がコンセプトを決める時の発案だったのかな?とも思う^^;
その国内盤のジャケット。自宅書斎でポーズをとるプライが印象的。
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続編ともいえる「wie es euch gefällt」のオリジナル盤ジャケット。
ちなみに観音開きの中ジャケ写真は上記の自宅書斎のプライだった。
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そのマルカート廉価盤(これも未出だったグリーグとレーヴェを1曲ずつプラス)
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同じジャケットのオイロディスク盤フランスオペラアリア集
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こんなふうにジャケットでアルバムの判別が出来ないというのは購入するにも、鑑賞するのに引っ張り出すにも注意が必要になり、困るのだが、まあ、いろいろ事情はあったのだろう。

プライは、オイロディスクではポピュラーシンガー並みの頻度で録音物を繰り出していた。録音物の使用権を全面的にレーベルが所有するポピュラーと同じ契約スタイルだったようなので、どの程度の数の「録音ストック」を残したのか、今となっては全くわからない。その為に、ファンにはオムニバスやコンピレーションで不意に「聴いたことのない音源」が紛れ込んでいる宝探し的な楽しみ方が残された。
それはいいような、困ったようなだが、できればメモリアルイヤーでいずれ集大成してほしいものだと思う。きっと多くの「幻の名唱」があるにちがいない。
posted by あひる★ぼんび at 23:32| Comment(4) | プライ

2016年12月12日

バランスという才能〜ティペットの音楽

マイケル・ケンプ・ティペットは英国の作曲家・指揮者。1905年に生まれ1998年に亡くなった。
ネット上で見られるプロフィールは、音楽に対する幼年期の天才性と並べて、「中流の上」の家柄だとか、徴兵拒否による投獄や思想活動、マイノリティな性癖など、およそ音楽とは関係ないことばかりが雑多にとりあげられているので、音楽的特徴部分がぼやかされる表記になってしまっている。
そのへんはなんとも不思議なのだが…その作品を聴いたことのある者にとっては、何となく、さもあらんと思えてしまうのが面白い。
彼の作品は、破綻なく、適度に技巧的だが、唯一無二といえるほどの個性があるか、というと疑問符がついてしまう。多分、強い嫌悪感を持つ人はいないだろうが、感動で虜になる人も少ないだろう…そんな感じ。

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ティペット:
   管弦楽の為の協奏曲
   トリプル・コンチェルト

ジョルジ・パウク(ヴァイオリン)
ノブコ・イマイ(ヴィオラ)
ラルフ・キルシバウム(チェロ)
ロンドン交響楽団 コリン・ディヴィス(指揮)
(フィリップス EU輸入盤)



このCDには2つの作品が収録されている。
こういう音楽を聴くたびに頭をよぎるのは「音楽とは」という定義の部分だ。
ある「音」が作曲家が定めた法則で鳴らされる時「音楽」と呼べるものになる。
しかし、近現代の法則は多様すぎて、聴きなれない人には「音」から「音楽」に進化する過程で別方向にシフトしてしまう可能性がある。
まあ、ティペットの場合、まだ同国のマクミランの作品のような、工事現場のような濁音ではないのでまだ聴きやすいが、それでも「音合わせ?」とか「音楽はいつはじまるのですか?」と訊かれてしまいそうなのはまさに時代性なのだろう。
ペルトのような静方向の刺激はなく、タヴナーのような神秘性もない。シュニトケのような諧謔も、メシアンのような技巧も感じない。そして何より、聴き手へのサービスが何もない。
そんな、ないないづくしの音楽だが、視点を変えて捉えれば、音の断片が集積と解体を繰り返す中に過去の大作曲家たちの「影」が映し出されているような面白さがある。
近代の作曲家が愛好し、20世紀の半ばに大流行した「オケコン」やベートーベンら古典派の「トリプル」という編成を借り、それらのエコーを呼び覚まそうとするかのようだった。
そんな、聴き流すことも深読みもどちらも可能な音楽というのは、そんなにはない。
流石、地味ながら、全世界に一定の愛好者を生んでいる作曲家の作品だと思った。
彼の理解者・積極的紹介者のひとり、ディヴィスらの演奏もとても丁寧だ。

20世紀の音楽芸術は「不幸な時代」に突入していた。ティペットの生涯はその20世紀をまるまるカヴァーしている。通常のルールではそこまでの過去数百年でやりきってしまった感のある「作曲」という仕事。
独創性を意識してしまうと素直に書けるはずもなく、まして、資本主義社会の中で芸術を職業として成立させ、生涯その立場を全うしようとしたら、違う部分のバランス感覚が常に必要になっただろう。
ちょっと聴いただけではただ淡白なティペットの音楽も、実は考え抜かれたバランスの上にあるとしたら、何やら計り知れない「才能」を感じるのだ。
21世紀に入って、音楽芸術はどのように展開するのだろうか。まるで停滞しているように思えてならないのだけれど・・・。


posted by あひる★ぼんび at 23:14| Comment(4) | 音楽

2016年12月06日

異教徒達の仮装大会〜ヴァルプルギスの夜

10月末はハロウィンで、世界じゅう・・・というか、ニッポンの都市部には大騒ぎしてはしゃぐ「妖怪達」があふれていた。
ケルト紀元の土着信仰が起源らしいハロウィンだが、日本人と何が関係あると言うのか?
この流行そのものは明らかに商売がらみなのだが、大人も子どももそれをネタにイベントを繰り広げていた。いいでしょう。楽しいことは多いほうが世は平安になるものだから^^

似たような祭りなのだが「ヴァルプルギス(ワルプルギス)の夜」というのがある。
4月30日から5月1日にブロッケン山に悪魔や魔女、妖怪達が集って大饗宴を繰り広げると言う「伝説の夜会」だ。こちらは日本では話題にならないが、中央ヨーロッパの一部ではハロウィンと同じように仮装してドンチャン騒ぎするイベントに変貌しているようだ。
このヴァルプルギスは「幻想交響曲」の終楽章や「禿山の一夜」にはその派生戯画が描かれている。
メンデルスゾーンも曲を書いている。それが「最初のヴァルプルギスの夜」というカンタータ。

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メンデルスゾーン:「最初のヴァルプルギスの夜」op.60
  リリー・チョーカシアン(アルト)
  ヘルマン・プライ(バリトン)
  エルネスト・ヘフリガー(テノール)
  レイモンド・ミハルスキ(バス)
  フレデリク・ヴァルトマン(指揮)
  ムジカエテルナ(管弦楽&合唱)
(MCA-DECCA LP アメリカ輸入盤)


この作品はゲーテのテキストによる混声合唱と4人の独唱者・管弦楽のための30分ちょっとの声楽曲で、独唱パートがアルト・テノール・バリトン・バスと、低声に傾いているのが珍しい。
1830年頃から書き進められ1832年に完成したようだ。
メンデルスゾーンはキリスト教徒ということだが、一族は代々ユダヤ教で、当主たる父は1812年ごろ改宗し、以降、姓も「メンデルスゾーン=バルトルディ」と改めた。
一族が裕福で、改宗も済ませていたとはいえ「金融業のユダヤ人の息子」はヨーロッパでは明らかに特別視されたことだろう。メンデルスゾーンの時代では、それが原因で落命するほど極端な差別はなかったと思われるが、強固なユダヤのコミニュティからは排除され、やはり純血主義の強いドイツ人からも「違う目」で見られたわけで、その行き場のない精神的な圧迫は強かったようだ。
心の隅に深い闇をかかえ、それは感受性の強い彼の若死の遠因にもなった様にも思えるのだ。

ゲーテの原作での「ヴァルプルギス」は「悪魔の饗宴」ではなく、「山に追われた異教徒達がキリスト教の兵士を驚かそうと計画した仮装大パーティ」ということになっている。
同じ時代にヘルダーやハイネもそういう設定で作品を書いているから、今更言うまでもなく「魔女」や「悪魔」は権力者の捏造だということは明白だったわけだが。
それにしてもキリスト教聖人を題材にした作品を何曲も書き、その恩恵も受けていた者が、こんな風にキリスト教徒をおちょくる内容を音楽にするというのはある意味暴挙だが、文豪ゲーテを免罪符に、権力に対する批判を描いたわけだ。
この題材をとりあげた理由には、ゲーテがメンデルスゾーンの才能に惚れこみ、強力な支持者になってくれていたこともあるだろう。
しかしそれよりも、20代に入って「世の中の矛盾」を強く感じ、自己批判も強くなっていったというメンデルスゾーンの社会に対するメッセージのひとつだったとも捉えられる。
メンデルスゾーン自身が「自分は畏れる側ではなく、ブロッケン山の宴会に参加する立場である」と感じていたに違いない。

大規模な序曲は「不穏な天気」「春の兆し」の2部に分かれ、全曲の3分の1近くに及ぶ。とってつけた雰囲気ではなく、それに続く9つの場面と楽想的にも完全に一体化している。
第1曲 5月が微笑む (テノール+合唱)
第2曲 あなた方は大胆に振舞えますか (アルト+合唱)
第3曲 いけにえを畏れる者は(バリトン+合唱)
第4曲 男たちよ、散れ! (合唱)
第5曲 愚かなキリスト教の僧たちを (バス+合唱)
第6曲 見張りたち(合唱)
第7曲 万物の神を崇めるのに相応しく(バリトン+合唱)
第8曲 助けてくれ、助けてくれ(テノール+合唱)
第9曲 煙は炎によって清められる(バリトン+合唱)
曲は切れ目なく、緊張感を持続させて一気に続く。
冒頭から印象的なメロディにあふれ、とても聴きやすく優れた音楽だと思う。

プライは1969年にこの曲のレコーディングに参加した。
フレデリク・ヴァルトマン&ムジカ・エテルナとはこの後フォーレのレクイエムを録音している。
管弦楽、合唱ともども「メンデルスゾーンだからこのように」ということはなく、プライの歌いっぷりはいつものように自由で、クライマックスでは短いながら英雄バリトンの真骨頂を聴かせてくれる。
プライ以外の独唱者にもヘフリガーなどの有名どころを揃えているが、少々印象が弱い。
曲の構成のせいもあるだろうか?とにかく、この曲のバリトンソロは完全に「おいしいところ取り」である^^
録音バランスが少々ゆるかったり、自分の手持ちがアメリカ盤の為、あまりコンディションが良くなく、盤質起因の歪が多いのが残念だ。
しかしそれを差し引いても、素晴らしい名曲と思った。

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流布しているヴァルトマン(英語読みカタカナではウォルドマン)のポートレイトは険しい表情のものが多く、指揮姿も見たことがないのでイメージができないのだが、こういった珍しい作品は映像でも残してほしかった。
…というか、MCA=DECCAの傾向から考えるとTV放映用の収録ぐらいはあったのではないかな?と思う。
なんといってもアメリカである。なんでもかんでも記録していそうだ^^;
とにかくこの盤自体、元々流通期間が短く再発売もなかったので、現在では中古市場でも見かけることがない。
ここはDECCA名義で保管されているであろう原盤からのCD化を切に願いたいところだ。
posted by あひる★ぼんび at 23:17| Comment(4) | プライ

2016年12月01日

マイ・ウェイ、しかし私の道ではない・・・

1970年〜1980年代、ヨーロッパ全土でセールス展開をするポップスのスターは、アルバムを複数の言語で製作することがあった。
まあ、ポピュラーの録音方法の場合、ヴォーカルトラックを入れ替えるだけだからそれほどの手間はなかったろう。各言語とアレンジの整合性がとれなくなるのはいたしかたないところだが、それでもファンには嬉しいものだ。
日本人は外国語に弱いにもかかわらず、字幕にも抵抗感がないし、異言語の音楽もそれとして受け入れる習慣ができあがっている。だからドイツリートが早くに日本で受け入れられた。言葉の意味も解らないはずなのに…と歌手のほうが驚くわけだ。
欧米人は他言語を習得することに長けながら、字幕や対訳を読みながら音楽を楽しむことに慣れていない。「感覚的」に楽しむのが難しいらしい。ドイツではオペラ等の外国語上演はほとんどできなかったし、アメリカは外国映画をいちいちリメイクする文化ができあがっている。そんなわけで音楽アルバムの複数言語リリースはいわば「売る気ならあたりまえ」だったのだ。今でこそネット社会になって捉え方が変わってきてはいるが、80年代まではそんな感じだったようだ。

以前、アリオラ=オイロディスク系からプライがリリースしたU音楽アルバムから「Welterfolge(世界のヒット曲)」というものを紹介した。英米でヒットしたポップスや映画挿入曲を全曲ドイツ語で歌ったもので、マイウェイやイエスタディなど、少々の違和感がむしろ面白く、奇妙な気持ちにさせられたものだった。アレンジは、アイスブレンナーとの物ほどではないが、重厚なクラシックテイストを盛り込んでいた。これは文頭アクセントのドイツ語にはむしろしっくりきたし、ポップ歌手に比べれば重く厚い声のプライには合っていた。

じつは、このアルバムには「別バージョン」が存在する。
それは、同じプログラムで、全曲英語で歌っているものだ。

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マイウェイ(1982年英語版アルバム)
  マイウェイ・雨に歌えば・ララのテーマ
  フィーリング・ディスガール・明日に架ける橋
  エクソダス・80日間世界一周・イエスタディ
  世界は愛を求めている・風のささやき・ピープル

ヘルマン・プライ(ヴォーカル)
ディーター・ライト(指揮・編曲)
(インターコード LP ドイツ輸入盤)


アリオラ社はこのアルバム「Welterfolge」制作にあたって、「マルチトラックによるミキシング」を用いている。(これはポピュラーでは当たり前の方法なのだが、クラシック系ではほとんど採用されない)
伴奏の各パートとヴォーカルを完全に別録りするので、それぞれを「完全に」入れ替えることができる。つまり、同社のP・アレクサンダーやショック、コロらのヴォーカルと音域さえ合えばそのまま入れ替えることが可能だった。実際、いくつかはそのように使い回しもされているようだ。その際には伴奏の楽器バランスを変えたり、コーラスを加えることも自在なので案外と気が付かないものなのだ。
この盤は、伴奏部分は先に発売のドイツ語盤と全く同じである。
プライのヴォーカル部分の録音はドイツ語盤より後。アルバムは米英販売ルートをとるべく、EMI系の「インターコード」からの発売となっている。

さて、ここでのプライは…英語の歌を英語で歌うのだから、想像上は問題はなさそうなのだが、部分的に「ドイツ語向け」のクラシカルなアレンジと違和感が出ている。プライの英語発音は典型的ドイツ訛りながら、むしろ古典英語のような響きを感じ、それは「マイウェイ」や「フィーリング」といった英米以外の国の曲は案外と違和感が小さい。しかし「明日にかける橋」や「イエスタディ」は、正直、あははははは…(^^;)になってしまった。また、プライのリズム感覚がいつも以上に独特さを出していて、曲が曲だけに慎重さが薄く、かなりラフな(特に音程において)歌唱になってしまったようだ。

それでも、ファンにとっては貴重なアルバムであることは確かだ。
なにしろプライだよ!
曲目としては彼のファンなら驚きはないようなものだが全曲英語で歌っているのだ!
「ラフ」と書いたが、全世界に何億という支持者を持つ、ビートルズやサイモンとガーファンクルらの歌を原語で歌うことは、実際は片手間で済まされるほど簡単な挑戦ではなかったはず、とも思う。「ドイツ語歌詞」と言う免罪符を失った時、原曲の歌手や世界中のポップスのスター達のカヴァー歌唱と直接比較されてしまうことになっただろう。
この英語版「マイ・ウェイ」リリースの1982年からしばらくして「この道は諦めた」というインタヴュー発言があったぐらいだから、この楽しげなアルバム「マイ・ウェイ」についても「しかし私の道ではない」と本人自身、考えることがあったのかもしれない。
posted by あひる★ぼんび at 23:32| Comment(4) | プライ