2016年11月26日

所沢こども劇場例会「ムーランルージュ劇場」

小手指公民館でこども劇場例会。
今回はバーバラ村田さん&イーガルさんによる舞台。
イーガルさんのピアノ演奏&歌、バーバラさんのマイム・ダンス・人形操作による不思議な舞台作品だった。
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入り口には豪華な電飾付看板!
キャバレー風というよりライヴハウスの看板を思わせた。
カッコイイ♪
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ロビーでは恒例のカフェ営業中。
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もちろん受付も、開演前のあいさつもいつものスタイルで!
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終演時のおみやげのイヤリングとピンをステージ上で装着するお二人。
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写真撮影会♪
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感想は大切な活動であります!!
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言うまでもなく「ムーランルージュ(赤い風車)」はパリのキャバレーの老舗だが、その名を冠にした「音楽とマイムの絵巻」だった。
シンプルなのになぜか華やかさから深い哀愁まで感じる「紳士と踊り子」、不気味&不吉な空気の悲しい物語「顔がふたつのお姫様」、会場からお姫様を迎えてグロッケンをたたかせ、ピアノと即興コラボさせてしまう強引スゴ芸!の「グロッケンシュピールとお姫様」、そしてやはり会場からディレクター役、天使?役、ロミオ役を引き込んで展開する強烈強引な「ロミオとジュリエット」・・・
静と動、哀と歓を実にうまく組み合わせた構成だった。
グロッケン姫にさせられたしほちゃんや、ディレクターなっちゃん、天使つばさちゃん、そしておおだちパパのロミオ!なんて皆さん芸達者。それを纏めるバーバラさんの凄さ!楽しかった。
バーバラさんの高い芸術性と緊張感のあるマイムは前半2作で堪能できたし、イーガルさんの音数の多い鮮やかなピアノ演奏も本当に見事。紳士と踊り子の最後の「幸福な時間が過ぎてしまった」孤独感の表出や、塔に幽閉された異形の姫の、死の影まで漂う世界の表出素敵な舞台作品だった。
イーガルこと武藤健城氏のことは、失礼ながらこれまで存じ上げなかったが、かなり多方面で活躍するコンポーザー&パフォーマーということだ。マイマーと共に踊り歌い演じるピアノ。
どんな時もひとりよがりにならず共演者と空気を分かち合えるというのは本当に優れた芸術家だと思った。

posted by あひる★ぼんび at 23:53| Comment(0) | 劇場

2016年11月24日

秋の雪

11月なのに雪が降った。
都心では54年ぶりらしい。
雨の直後の湿った雪なので道路上には積もることはなかったが、芝生や植え込みなどはうっすらどころではない結構な積雪状態になった。
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昼過ぎまで大きな塊になって降っていた雪も、2時過ぎにはやんで、青空が覗いた。
ちょっとホッとした。

小さな頃から雪景色は好きだった。
僕は東京生まれの埼玉育ちで、雪国の厳しさを知らないから、それこそロマンティックな、「絵のような風景」に浸れる時間は足元のぐちゃぐちゃを差し引いても大きな楽しみだったのだ。
雪がやんだ朝は特に、青空になることが多く、早朝の日差しに枝から落ちる雪が光る様は
まるでどこか遠い北国の風景を思わせたものだ。
脳内BGMはグリーグやシベリウス、イェルネフェルト。
幼児期からそうだったのだからかなり変な子だと思う^^;

もちろん沢山積もれば雪合戦も好きだったし、ちょっとした「雪だるま職人」だったわけで、たぶん周囲からは面白い子だと思われていたことだろう。

雪が降っているところを見て、思い出す映像がある。
だいぶ前にNHKで放映されていた「恐竜家族」の最終回。
大企業による環境操作の失敗をカヴァーしようと、さらに重大な過ちを犯す権力者。
人工雨の試みが太陽光を遮り、雪が降り続く。
それでも、雪を見ながらいつも通りなんとなく能天気に過ごす恐竜の家族達。
絶滅しちゃうのに^^;

そして、もうひとつ。
中学の頃ぐらいに時々見た夢の記憶。
雪が静かに降るのを、家の中からながめている。
ちょっと空が黄色っぽくて、奇妙。
僕は誰かに話しかける「もうすぐだね」
返事はない・・・
怖くも何ともない内容なのに、当時、結構な悪夢だと思っていた。
雪に対する「ロマンティックな気分」と、「滅び」をイメージさせる部分がせめぎあっている。
たぶん、これはそんなところだったろう。

仕事帰り、家の前の広場。
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どうやら近所には現代の「雪だるま職人」がいるらしい^^
ちょっとブチャイクだけど、なんだか嬉しくなる。
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ふふふ。

posted by あひる★ぼんび at 22:29| Comment(0) | 日記

2016年11月23日

作曲家としてのリパッティ

ディヌ・リパッティは1917年ルーマニアのブカレスト生まれ、1950年ジュネーヴで没したピアニスト。 ルーセルやブーランジェに作曲を学び、ピアノの腕をコルトーに見出され、演奏活動するが、その才能を期待されながら、人生の上り坂の途中に33歳で病没してしまった。
彼の詳細についてはファンサイトも多数存在するので、そちらを参照して頂きたい。ここでは敢えてとりあげない。
その実像が必ずしも明確でないのは、レコード会社が売り材料として業績の1部を歪めてしまったこと、そして遺族が「理想的なイメージ」を守ろうと色々規制したせいだろう。それほどに期待を集め、早すぎる死を惜しまれるスターだったのだ。

lippa-5.jpgリパッティ:作品集
  古風なコンチェルティーノop3(1936)
  夜想曲(1937) 夜想曲(1939)
  左手の為のソナタ(1941)
  バッハによるパストラーレ(1942)
  バッハのカンタータBWV208からの2つの編曲(1950)

パドゥア・ベネト室内管弦楽団 ゲルト・メディツ(指揮)
マルコ・ヴィンツェンツィ(ピアノ)
(Dynamic イタリア輸入盤)



ここに集められているのはリパッティの10代から亡くなる年のバッハの編曲作品まで、生涯にわたる作品が集められている。
まず「コンチェルティーノop3」。
この作品はまだ10代のリパッティがバッハら先人に最大のリスペクトを込めて書いた、ピアノ独奏と室内合奏による4楽章からなる協奏的作品。
第1楽章はまるでカンタータの編曲のようなメロディを持つ優しい表情をしている。
第2楽章はヴァイオリンとヴィオラのソロを伴うロマンティックな音楽。
あとの2つの楽章は少し個性が弱い気がするが、伸びやかだ。
時代的なヴィルトージティからはるか遠く、地味である。
ある意味、リパッティのアーティストとしてのスタイルを反映しているようにも思えた。 続く2つの夜想曲は、極めてダークだ。
同じ人の作品とは思えないほど、分裂的で、12音技法で出来上がりそうなラインをもつ不安げな曲。「世界大戦に向かう不安な空気を表して…」とか「病気の最初の兆候が…」とか言ったら信じてしまいそうだ。
バッハのカンタータ・コラールの編曲は、ブゾーニらの手の込んだ編曲とは趣の大きく異なるシンプルなものだ。

ヴィルトーゾ的な派手な活動展開をしなかったリパッテイゆえ、作品にもそのカラーはみられない。難しいのはその場合、世間一般が必ずしも価値(というより面白さ?)を認めないことがあるということだろう。古くはリスト、ラフマニノフやゴドフスキ−らの派手なパフォーマンスは人を引きつけるが、細やかに紡がれる音では、激動の時代の中でアピールするのは難しいのだ。彼の丁寧に編みこまれた音楽は、コマーシャリズムもヴィルトージティもそぐわない。埋もれてしまうのは惜しいものだが、彼の短い生涯と同様に記憶の中だけに響くものになっていくのだろう。
静かに流れる音楽を聴きながら、そう思えてしまった。

posted by あひる★ぼんび at 23:19| Comment(0) | 音楽

2016年11月20日

冬の手前の、つれづれ

朝、窓の外を見て驚いた。
靄なんてものじゃなく、濃霧だ。
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昨日の天気予報では「お出かけ日和であたたかいです」
「乾燥していて湿度が低く、喉のコンディションにはご注意を」だったのにねぇ。
湿度も高いじゃないの。何コレ?

エレベーターホールにヒメヤママユガがいた。
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季節をたがえて瀕死状態だ。
うちの地域はもともとヤママユガはそこそこいるのだけれど、ヒメヤママユはめったに見ない。
多くの蛾がそうであるように、この蛾も成虫には口がなく、羽化してから死ぬまで何も食べない。
なぜ、そのように進化したのだろう。
「生きる」意味も種によって違うということか。色々考えてしまう。

先々週だか、キスマイが深夜番組で、スズメバチを捕獲して料理&生で食べまくっていた。
なんだかやけにおいしそうに食べていた。
特に幼虫は、内臓だけむしりとって捨て、あとはまるごと生で食べる。肉厚で、かなり旨いらしい。
自分としてはキスマイ、とくにBUSAIKUの4人はエンタ性が高いので歌が下手でも、好感度も高い^^
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これは実物大フィギュアだけど、これ、食べるのかぁ。スゴイ勇気と度胸だな、と思う。
本当、アイドルも大変だねぇ。

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OVATION1987
使い始めて早29年になる。これが発売されたのはバブル残照期だった。
買った日のことも覚えている。
このモデルは、USA製にしては豪華で手の込んだインレイが日本人に受けて、900本弱の総生産数の2割が日本で売れたのだとか。そのうちの1本がここにあるわけだ。
エポーレット・サウンドホールと厚めのトップのせいで生音の迫力はないが、サスティンが長く、左手の小技が映えるので弾き心地が良い。
実は僕はこの後に買ったスーパーアダマスばかり使っていて、あまりこれの出番をつくれなかった。
今後、自分が人前で音楽をやることはほとんどないかもしれないが、これはずっと大切に使い続けたいモデルだと思っている。
posted by あひる★ぼんび at 21:59| Comment(0) | 日記

2016年11月09日

フィリップス「プライ・リートエディション」〜第1巻

まず記念すべき第1巻。
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プライ・リート・エディション第1巻
「ミンネゼンガーからベートーヴェンそしてレーヴェまで」

ヘルマン・プライ(バリトン)
イェルク・デムス/カール・エンゲル/レオナード・ホカンソン/
ミヒャエル・クリスト/エドゥアルト・メルクス/
越智敬/カール・シャイト/カペラ・アカデミカ・ヴィーン/
(独フィリップス LP 5枚組 ドイツ輸入盤)




録音時期は第2巻の「シューベルト」よりも後だが、発売は順番通りこちらが先だった。
(この録音年についてはどこにもデータの記載がないので正確なことは掴めない。2巻からは録音年記載もあるから、そのことでもまだ方針が確定していなかった様子が感じられる)
この巻の大見出しは「ミンネゼンガーからベートーヴェン、そしてレーヴェまで」
5枚のLPのコンセプトタイトルは「中世からバロックのバスリート」「1800年のヴィーン」「ベートーヴェンのイデア」「抒情的な歌」「ロマン派の夜明け」と題されて、リサイタル風に曲が配置されている。
もともとこのエディション自体が、「ピアノと独唱によるリートに特化した流れを描く」のがコンセプトにあったようだが、この第1巻では時代移行を描き出す為に、チェンバロや弦楽器、リュート、ギター、ハンマーフリューゲルなども使っている。
遠い中世の響き、バッハやヘンデルの古典様式、ライヒャルトやモーツァルト、ベートーヴェンの登場と、聴き手はひとつひとつに成層圏があって、別の宇宙へ抜けていくような感覚を味わうことができる。
LPはその辺が明確だが、CDは4枚につめこんでしまったので境界が解り辛くなった。
こういうコンセプトアルバムはオリジナルに忠実にCD化してほしいものだと思う。
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プライ・リートエディション VOL.1
   ヘルマン・プライ(バリトン)
   共演者多数
(独フィリップス 4枚組 ドイツ輸入盤)






CDはいきなり廉価盤ボックスでの発売だった。
それでもテキストは添付されているが、解説文と各詩人肖像画、共演者プロフィールと写真が省略されてしまったのが残念だ。

分売について書いておく。
まず、エディション発売前に、1枚目がそのまま、本家オランダフィリップスのバロック音楽の別シリーズの1枚として発売されている。
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「バロック時代のリートとアリア」
アルベルト/フォイトレンダー/ハンマーシュミット/
クリーガー/テレマン/JSバッハ/ヘンデル/ゲルナー/
グルック/CPEバッハ/ 各作品

ヘルマン・プライ(バリトン)
カペラ・アカデミカ・ヴィーン 他
(蘭フィリップス LP オランダ輸入盤)




プライはバロックの専門家ではないので、中世と初期古典派を無理に拡張するのは避けているようだ。
しかし、後世のクンストリートの峰の登山口はしっかり歌っておく必要があると感じたようだ。
教会権力と風習から解放された民衆文化としての「歌」たち故、素朴さにひっぱられて伝承民謡曲のようなアプローチになってしまわぬよう、細心の注意をもって取組んでいるのがわかる。

続けて5枚目のレーヴェが発売された。並べた場合、流れからすると唐突な感じもしないではない。
彼の実質活躍時期はシューベルトよりも後。叙事詩(バラード)への付曲自体はモーツァルト時代からの伝統だが、音楽はこの巻の他の作曲家のものより先進的に聴こえるからだ。本来はロマン派リートを集めた3巻の巻頭に入るべきものなのだが、構成上やむ負えなかったということだろうか。そのあたりの塩梅が難しい。
ちなみに、レーヴェの曲目についてはEMI時代の再録音になっていて、特に冒険はないが、エディション完成翌年にエンゲルとこれまで録音していなかった曲目をBASFに録音している。

これらのアルバムの録音時点ではエディションの詳細は決まっていなかったのかもしれない。1枚目3枚目5枚目の「単独アルバム」に収めた作品を繋ぐ作品を集めて2枚目、4枚目を録音した感じだろうか。何といっても、70年代初頭は音楽業界は活気ある時代だった。企画を拡張して大エディションが成立してしまうのはすごいことだった。

エディション発売前の分売はなかったが、2枚目はまずモーツァルトをとりあげている。モーツァルトは作曲家として有名でもリート史上は経過点にすぎない事実もあり、ほんの数曲、片面に収まる範囲に留めている。これもプライはエディションの直後に、エディット・マティスと2人でDGのモーツァルト全集の一環としての録音を残した。
続けてB面にヒラー、ハイドン、Dシューバルト、シュルツ、ライヒャルト、ツェルター、ツムシュテークを収録している。ドイツリートの歴史上、最初の「傾向」が顕著になる。それは単純な伴奏と有節形式の中でいかに詩句の世界を描くかという、各作曲者の創意工夫だ。プライは豊かな表現力と声の魅力でしっかり聴かせてくれる。
3枚目のベートーヴェンはリート史上重要ではあるが、ここでは1枚分に留めている。曲目も、60年代にEMIに残したものをほぼなぞっている。
4枚目はタイバー、ダンツィ、トマーシェク、シュポア、マルシュナー、ヴェーバー、ジルヒャーといった、プライが特に愛好し、地方のリサイタルでは晩年まで愛唱し続けたロマンティックながら素朴さの残る作品を集めている。のちにこれらは第3巻のメンデルスゾーン他と合わせて2枚組BOXでもリリースされている。
また、プライはこの盤と同時期に、ホカンソンと共にトマーシェクをメインにした同様の「シューベルト時代のヴィーンのリート」、ジルヒャーの「ベートーヴェン作品の編曲集」などをアルヒーフに残している。また、EMIにはライヒャルト、シューベルト、レーヴェなどの「ゲーテの詩によるリートとバラード」を録音したが、それは契約の関係か、最晩年にCD化されるまでお蔵入りになってしまった。
このようにエディション製作前後に、他社に多数の重要曲を録音することになったのは、エデション全体の枚数と内容が最初に決められたためなのだろう。結果的には曲数を制限することで内容の飽和が避けられ、構成がすっきりとまとめることができている。

このエディションの選曲や枚数決めでメーカーとどんなディスカッションがあったのか、プライはどこにも公開していない。
プライは音楽学者ではないので、本来ならその道の権威を「監修」につけるのが通例だが、このエディションにはそれが見当たらない。
あのディースカウさえ・・・彼は直前に、「単独で」シューベルトのリート全集を作ったが、実際はムーアという偉大な研究家との共同作業であり、使用楽譜はムーアの解釈校訂が入ったものだった。つまり立派な後ろ盾があったわけだ。音楽は理屈ではないし、アルバム自体は文献でも論文でもないのだが、将来的な価値を補強するには少しはそういう部分も考えても良かったのではないか?とも思えてしまう。
その辺の大胆さ(大雑把さ?^^;)がいかにもプライらしい気がする。
だからこそ、プライを愛好する人には宝物になりうる「プライそのもの」を感じるエディションになったのだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:44| Comment(6) | プライ

2016年11月05日

今年の文化祭は紙コップタワー

「にこにこクラブ」は今年も小手指地区文化祭に参加。
去年は施設の改装で文化祭自体ができなかったので、実際は久しぶり。
特に子どもにとっては過去にやってきたことがリセットされかねない時間が過ぎていることになる。
もっともその間には夏の「こてさしこどもまつり」や、県民の日のこどもライブフェスタもあるから、たいしたことではないのかな^^
自分は今年は「にこにこ」に直接かかわっていなかったので「今年の文化祭のコーナーは紙コップタワーに決まったよ」と聞いた時はびっくりした。
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風が吹いたらひとたまりもないよなぁ・・・と思ったら、ダンボールで風よけをつくるアイディアまで考えられていてたいしたもんだと思った。
ただ、提案メンバーが「本日欠席」とのことで、始動に時間がかかってしまったようだ。
しかし、アイドリングの間は臨機応変にダンボールの中で遊ぶという感覚がさすが子ども達♪と思った。
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入り口の受付で30円払って、タワーづくり。
途中、子どもスタッフによる値下げ動議討論もあった様子。
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「紙コップタワー」は、文字通り、真剣に慎重に、紙コップをひたすら積み上げる遊び。
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40歳も30歳も、10歳も3歳も、この瞬間この空間では「脳」の同じ部分を同じように使っている。
そう考えたら、それが感動的なほど面白い♪
そしてそれはなんて素敵なこと!

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こうして今年の秋も静かに過ぎていく。

posted by あひる★ぼんび at 23:49| Comment(0) | 劇場

2016年11月01日

「北欧の声楽」

Singerpur「シンガープア」あるいは「ジンガープル」。
男声5人、女声1人のドイツのヴォーカルアンサンブル。
1991年に結成され、当初のレパートリーはジャズ音楽を中心に据えたものだったようだが、1994年に女声歌手が加わってから、アーリーミュージックに重心がシフトしていった。
一般に認知されたのはその頃なので、当時から現在までアーリーミュージックのヴォーカルアンサンブルと見なされることが多いようだ。

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「北欧の声楽」(21曲)
ステンハンマル/パルクマン/フォクステット/
ラウタヴァーラ/リンドベリ/サルマント/
ペッタション=ベリエル/タウロ/ハンソン/他の作品

ジンガープル(ヴォーカルアンサンブル)
(MEMBRAN ARSMUSICI ドイツ輸入盤)



このNordisk Vokalmusik(北欧の声楽)は1997年にリリースされたもの。
ケルン西ドイツ放送(WDR)の企画。
北欧諸国には「合唱音楽」の伝統があって、各国は異なる民族ながらそれぞれ特徴ある文化の花を開かせている。このアルバムには、ほとんど聴いたことのないような現代作曲家の作品に、ステンハンマルやP-ベリエル、ラウタヴァーラといった比較的名の知られた作曲家の作品を散りばめている。ここにグリーグやシベリウスなどの国際的評価が確定している作曲家を含めなかったのはひとつの見識だろうか?
各国にはそれらを得意とする優秀な合唱団が多数あるわけで、それらの団体が取り組みそうなナンバーを集めて、異国人の彼らがこうしてアルバムにするのは勇気ある挑戦にも思えた。
しかし、歌い方はいつもの通り。特に気負うことなく、締め上げず、磨きすぎず、張り詰めすぎず、心地よい。オペラ歌手が集まって、まんまの発声でポップスを歌うようなゲテモノ(失礼!)ではないので、終始安心して聴ける。たまに口の悪い評論家がこのアンサンブルの緩さをあれこれ言うことがあるようだが、特にそう感じる部分はなかった。とにかく、もともと広いジャンルを歌っていた彼等にとってはこれらは「レパートリーのひとつ」なのかもしれないが、リリースされるアルバムは中世ルネッサンスものばかりなので、多くの人には珍しいレパートリーと聴こえたことだろう。
男声5人にソプラノ1人という変則的な編成で、丁寧に次々と歌われる小曲たち。
発声としてはドイツ的な要素はそれほど感じず、より柔らかい小規模アンサンブルの多いイギリス風の響きを持っているように聴こえた。
その独特の編成と声質が、こういう「寒い国」の音楽に一段と「孤独感」のような風景を加えている。
声質としてはこのグループが普段取り上げているルネッサンスやバロックの宗教曲と何ら変わりはないのだが、このように「特に変えない・付け足さない」というのは、ある意味、ありそうでない切り口で、新鮮に感じたのは確かだ。
いわゆる本場ものは大抵、編成が大きい。その分厚い男声の低音や明晰な女声も特徴的で良いのだが、うまく歌われれば歌われるほど、技術的な面に耳がいってしまう。素晴らしい前提で「気楽にちょっと聴いてみよう」とはならないものが多いと感じていた。
対してこの演奏。
薄味で、深みはないかもしれない。ダイナミクスも狭い。さらに…これは大きいことなのだが、日本人が聴いた場合の言葉の壁は避けられない。フィン語やノルウェー語の意味が聴き取れない自分たちが、それでも感動を呼び起こされるとすれば、純粋に「旋律線」と「響き」だけが勝負になる。これはもはやハードルなどという生易しいものではないだろう。
しかし…自分としては、最初の1曲から「イメージの深い森」に行くことができた。当然全ての曲ではないが、素晴らしいと思った。やはり、技巧的な曲より、シンプルに「北欧的美旋律」(←北欧ポップスやロックが流行した時、やたら音楽評論家が使った言葉)を紡いだ曲は強い。タウロの「秋の歌」など、キャッチーで先の見通しの良いメロディが直接感性を刺激してくる。それらの曲を弾みに、少々散漫だったり難解すぎる他の曲もさらりと楽しめてしまうようだった。
今の季節にぴったりの美しい時間を提供してくれる1枚だった。
posted by あひる★ぼんび at 23:11| Comment(2) | 音楽