2016年10月22日

思い出のレコードからB〜ペールギュント組曲

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グリーグ:
ペールギュント第1組曲・第2組曲
4つのノルウェー舞曲

  ジャンフランコ・リヴォリ指揮
  ウィーン音楽祭管弦楽団
(コンサートホール LP 国内盤)





僕は、3歳の頃にはすでに所沢住みだったのだが、浅草の母の実家の理髪店が忙しい時期には、母は僕や妹をつれて戻って、店を手伝っていた。
「忙しい」わけだから、かまってもらえるはずはなく、僕は大きなステレオ装置の前に寝そべって、よくレコードを聴いていた。(ポータブル機ではなく、フルサイズ・フルオートだったので、レコードさえ乗っていれば幼児にも扱えた)そんな僕の愛聴盤のひとつがこの「ペールギュント」だった。
それでも、手が空くと母は色々な本を読んでくれたし、これを聴くときは、時々、母がペールの物語を読み聞かせてくれた。
当時の自分が内容をどこまで理解していたか…当然そんなことは知り様もないが、後の感覚では充分というかかなり正確に物語を把握していたと思う。
母はどうやらイプセンの「ペールギュント」をしっかり調べていて、その複雑な物語の核心をはずさぬようにわかりやすく整理して伝えてくれていたようだった。
自分自身が小学生の頃には「組曲」では当然描かれていない部分まで細かく知っていたのがその証明だ。
音楽が鳴ると脳内で映像が展開される。
その映像は…不思議なことに「山の魔王」の姿がウルトラマンシリーズの怪獣になることはなかった。真面目に幼いなりに、持てる知識を総動員してイメージできていた。この曲集は19世紀異国趣味流行の関係で、様々な国々の情景(かなりステレオタイプだが)が盛り込まれているから、母はそんな国々を解説する教材としても良いと思ったのかもしれない。中高生になってから知った北欧の情景やモロッコの砂漠が、イメージとそれほど違っていなかったことはむしろ大きな驚きだった。

この演奏の指揮者、リヴォリは1921年イタリア生まれ。2005年に没しているが、この盤を録音した頃はまだ若手だったはずだ。演奏はコンサートホール・ソサエティから数点が出ていたが、もちろん、この盤を聴いていた頃はそんな部分に興味が行くことはなかった。
当時、浅草の家にあった「ペールギュント」はこのリヴォリ盤のほか、ビーチャム盤もあったと記憶している。ビーチャム盤は声楽パートが含まれ、それがかえってイメージの邪魔になったのか、とにかく気楽に良く聴いたのはこのリヴォリ盤だった。
もう一つの愛聴盤はブラームスの「ハンガリー舞曲全曲」だった。
ジョセフォヴィッツ指揮ウィーン音楽祭管の演奏で、力強さとセンチメンタルが共存した4番と20番がお気に入りだった。ちなみにその盤は母がうちに持って来ていたので、未だに所有している。
コンサートホール・ソサエティの会員制レコード通販は1962年に始まっていて、この盤は初期の頒布物だったようだ。これらの盤の所有者が誰なのかは知らない。母か、たくさんいる叔母叔父の誰かか。それぞれがコンサートホール・ソサエティやリーダースダイジェストを定期購読していたから、今でもその辺はわからない。
高校生になった頃、祖父が亡くなった。事情があって、数年後には浅草の実家にはいかなくなってしまい、このリヴォリの盤については、その後の行方は知る術がなかった。

そんなこんなで、これはオークションで買いなおしたもの。
良い時代になったものだ。たいていの過去のものはよほど希少でない限り手に入る。
但し、これについてはもはや音楽鑑賞の為ではなく、自分と、母の思い出の為のものだ。
思い出の中で今も鳴っている「あの音」と、そこにかぶさる「母の声」を打ち消したくない思いも強く、こうして買い直してからは聴いていない。
「ペールギュント」自体は数十種類を所有しているので、音楽を楽しみたい時はそちらを聴くことにしているわけだし。

posted by あひる★ぼんび at 19:02| Comment(4) | 音楽

2016年10月16日

フォルクスリーダー・エディションのジャケット集

プライが「リート・エディション」と同時期に製作した「フォルクスリーダー・エディション」。
復刻CDの紹介は以前記事にした。
「芸術歌曲と共に私の歌手としての生活に深く刻み込まれているのは、疑いもなくドイツ民謡です。優れた名人芸により作曲されていることが稀ではない、これらの素朴な調べは常に私の愛好の対象でした。」
・・・ヘルマン・プライ

そんなプライのドイツ民謡に対する愛情が溢れた名盤である。

今回はLP時代のジャケットを紹介したい。
オリジナルカップリングのジャケットは前の記事にまとめた写真のとおりだが、フィリップスレーベルとしては初出時はまとめてセット販売とまでは考えていなかったのか、様々な組み合わせの編集アルバムになって70年代を賑わせていた。

2枚組ベスト盤2種。
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こちらはオリジナルカップリングで、「ポスター・ジャケット」という種類のバージョン。
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要はジャケット自体が4つ折で、広げると大判ポスターになっている。
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裏ジャケットはこんなふう。
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そして中面。
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面白いのは、プライとヴァルター以外の演奏者名がどこにもなく、内容も曲目のみ、歌詞も載っていない。
・・・のだが、過剰なほど大写しのプライのポートレイトで埋められていること。
このジャンルでは芸術家というよりエンターティナー、テレビ・スターであり、一種アイドル的需要もあったのかもしれないな、と思える作りだ。
ディースカウではありえない現象だと思う^^;

posted by あひる★ぼんび at 23:16| Comment(8) | プライ

2016年10月13日

父と音楽

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父は結婚してから、夜学で音楽の専門教育を受けていた。
しかし、家では全くと言っていいほど音楽とは縁のない生活をしていた。
また、職場のジャズバンドではクラリネットを吹いていたようだが、演奏は1度も聴いたことがないし、触っているところも見たことがなかった。
家にはドイツの放送局やNHK払下げのクラシック演奏会の録音記録(オープンリール)がかなりの数あった。また、プロの演奏家による自作曲「母亡き故郷」のレコードもあった。
幼かった僕にはそれらの価値を受け止める能力がなく、何もかも、そう本当になにもかもオモチャにしてしまった。父が独身時代に買ったテープレコーダーさえも分解して好奇心の餌食にしてしまった。
(ずっと後で知ったのだが、当時のサラリーマンの年収に近い価格だったようだ)
父は何を考えていたのだろう。
1度もそういうことで叱られた記憶がない。
また、いつ音楽と離れることを決めたのだろう。それは諦めなのか、「いずれまた」と考えるうちいつの間にか遠ざかったのか。
父の作曲の先生の新作発表会に僕は同行したことがあった。演奏会後のレセプションで、父は旧友達に「今もやってるのかな?」と訊かれて「いやいや」と否定。すると皆はもったいないとそのことを惜しんでいた。それは僕には信じられない光景だった。それほどに家での父は、音楽から遠い人になっていたのだ。

父が亡くなったのは2001年10月13日夜。
もう随分時がたった。
亡くなった直後も現在も、父を知る人は皆「本当にいい人だった」という。どこからも悪い話はきこえてこない。
防府の高校を卒業後、単身東京に来て、自力で短大と専門学校を出て就職し、家庭を築いた。
亡くなったあと、父の個人所有物が何もないことに気がついた。
母が亡くなった後は特に、必要以上に私物を処分してしまった。
何も持たずに社会を歩き始めた父は、物質的なものは何も持たずに天へ帰っていったのだ。
父は世間の目を引くような大きな業績は残さなかったけれど、その「誠実で丁寧な生き方」は実は最も難しいことなのだと思う。
僕は父を、父の生き方を、心の底から尊敬している。

posted by あひる★ぼんび at 23:44| Comment(2) | 日記

2016年10月10日

青いカエル

「埼玉県内で青いニホンアマガエルが相次いで発見される」
と、先日の毎日新聞報道。
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報道はとりあえず現象だけを伝えるものだ。
ああ、そうか、と納得したりホントかよとつっこむうちに、ニュースはすぐに切り替わる。
それでもひっかかりがあれば自分なりに考えるだろう。
自分達視聴者はずっとそうしてきた。
いつの頃からか、キャスター以外にコメンテーターを並べた報道バラエティのような形の番組が増えた。
一見、詳しく深めてくれているように感じるが、疑問の代弁と専門家の回答をそこで提示してしまうので、こちらは考えるのをやめて、つっこむことなく受け取るだけになってしまう。
シロウトにはわからない専門的なジャンルだと特に、一定方向に誘導していると感じることもしばしば。
事件にいちいち「捉え方ナビ」がついているなんて、これほど世論誘導に便利な形式はないな、と思えるのだ。紛争や異様な事件は特にそうだ。ほとんど誘導の為の素材じゃないのかなぁ。

話がずれた^^;
今回はまあ、たかだかカエルの話題だし、報告がたまたま埼玉県内から複数あったというだけで、この地域に特に何らかの環境異変があったということではない、とは思う。
ただ、両生類、特にカエルは環境変化の影響を受けやすく、「ドイツの黒い森」からカエルが姿を消した例をあげるまでもなく、珍しいなんて言ってはいられぬ現状が潜伏しているのかもしれない、とも思えてくる。

というわけで・・・はないが
うちの青いカエルは久々ドライブに出かけたようだ。
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桶川に青いカエルを見に行ったのかな?笑
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ジャガーはシートが深すぎておさんぽくん向きではないなぁ^^;
posted by あひる★ぼんび at 20:19| Comment(0) | 日記

2016年10月08日

バッハの小ミサ曲

「小ミサ」といっても構成上だけのこと。カトリックのミサの「儀式上の決まりごと」に比べてずっとコンパクトな「ルター派ミサ曲」と呼ばれるこれらは、「キリエ」と「グローリア」だけ。
それでも長さ的には1曲30分弱あり、編成も混声合唱+独唱者3人+管楽器を伴う合奏団…と、決して小規模ではない。
曲はブランデンブルク協奏曲に合唱・独唱をのせたような雰囲気で、快活で楽想が親しみやすく聴きやすい。
これらのミサ曲の実際の用途がどのようなものだったかは不明とされているが、バッハを聴きなれた人にはわかるあちこちからの引用や編曲ですべてが構成されているあたり、基本的には自由度の高い場面のためのもので、決して慎重を要する場での使用はなかったのだろうと思われる。
有名なロ短調ミサ曲もこういった作品の拡張によって出来たとされるのも面白い。
バッハは確かに「ルター派」で、その為の音楽を書くことを生業としたが、ルターの改革から2世紀を経たバッハの時代にはカトリック教会勢力とのバランスは各宮廷まちまちだった。
バッハも仕事の依頼元の状況によって需要が限定されることを恐れたのか、時折「汎用スタイル」をとっている。小王国集合体の当時のドイツではその地の領主の信仰宗派にあわせることが、彼の「商売」の為には必要だったのだろう。

bach-mass1.jpgJ・S・バッハ:ミサ曲ヘ長調BWV233
        ミサ曲イ長調BWV234

アグネス・ギーベル(ソプラノ)ギゼラ・リッツ(アルト)
ヘルマン・プライ(バリトン)
クルト・レーデル(指揮)ミュンヘン・プロアルテ管弦楽団
ローザンヌ・プロアルテ合唱団
レオナード・ホカンソン(チェンバロ)他
(フィリップス-日本ビクター LP 国内盤) 



2つのミサ曲の構成はどちらも同じ。
「キリエ」・・・合唱
「グローリア」・・・合唱〜バスアリア〜ソプラノアリア〜テノールアリア〜合唱
となっている。
LPは片面1曲づつのミサを収録し、気持ちよく聴ける。
この曲には豪快なffも繊細すぎるppもないので、アナログ盤の性能が試されることがなく、安心して聴ける。
独唱者のプライもギーベルもリッツも、当時、オペラやオペレッタや大規模宗教曲のステージで引っ張りだこのスターたち。それこそプライは度々インタヴューで語っている「私は歌い手として、この作曲家だからこのように…ではなく、いつも通りの声で歌っています」・・・その通り、ロマン派リートの時と何らの変わりなく、真摯に丁寧に持ち前のロマンティックな声で、その心を伝えようとしている。
レーデル率いるプロアルテの面々は、これもまた現代の耳からすればかなりロマンティックな豊かな音と表情で、いかにもこの年代らしい。故に、オペラ・リート畑の独唱者との親和性も格別だ。
自分達は今生きている時代の流行の「バッハ演奏」に知らず知らず慣らされていて、こういった40〜50年前の演奏に違和感を持つことがあるし、やれモダン楽器が…とか、付点解釈が…とか、にわか音楽学者になってしまって、音楽を素直に楽しむことができないこともある。
そんな耳からこの演奏を批判するのは簡単だ。だが、情報過多はひとつの不幸。ここは一辺、素直に聴こえてくる音楽に浸ってみてるのが良い。バッハが曲に託した「嬉しさ」が心に湧き出してくるはずなのだ。

CD化はこれ。
bach-mass.jpgJ・S・バッハ:4つの小ミサ曲
ミサ曲ヘ長調BWV233/ミサ曲イ長調BWV234
ミサ曲ト短調BWV235/ミサ曲ト長調BWV236

クルト・レーデル(指揮)ミュンヘン・プロアルテ管弦楽団
ローザンヌ・プロアルテ合唱団
ヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮)
ドイツ・バッハゾリステン
ヴェストフェリッシェ・カントライ
アメリンク(ソプラノ)アルトマイアー(テノール) 他 
(PHILIPS 2枚組 オランダ輸入盤)


CD時代に入ると比較的早く、ヴィンシャーマンの録音した2曲と組み合わされて製品化されている。
残念ながら廃盤は早かったが、現在も中古や在庫が流通している。
また、ヘ長調のミサ曲はロ短調ミサ曲と組み合わせた2枚組も出ていた。
ヴィンシャーマンの2曲も基本的にはレーデルに似ていて、60年代後半の「ロマンティックなバッハ解釈」のスタンダードといった感じだ。
いずれも、現在では流行に押されてまず話題にならない盤ということがもったいないと思っている。

posted by あひる★ぼんび at 23:51| Comment(8) | プライ

2016年10月01日

もう10月。

10月を迎え、すっかり秋らしく・・・と言いたいところだが、ムシムシジメジメ。
いよいよ日本は亜熱帯地域になったのか?と思えてしまう毎日だ。
実りの秋に、農産物への影響も心配されるところ。

北と南の震災被災地の救済が解決していない(というか手もつけていないことが多数)のに、オリンピックがどうだとかいい加減にして欲しい。
いや、オリンピックが悪いわけではないな。
そこに群がる企業、財界、政界の利権関係が問題なのだ。
結局、件の築地豊洲問題だって根っこはそこで繋がっているわけで、
この際、腐敗部分が露になることを避けずに、正しい道に少しでも近づけることを願う。

さて、そんなふうに全くサワヤカでないこの秋10月だが・・・。
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「にがりの会」の場を借りて、キャンプ文集の仕上げ(主に写真ページ)をやった。
そして、オーストラリア帰りのなおのお土産のクッキーを食し、ミニケーキとチーズケーキでけっけの誕生祝い♪
今年は行事ごとの集まりを優先したので、パーティ系が少なかった。
やはり、ある程度そういうイベントを意図的に計画的に入れて人を集めないとね。
posted by あひる★ぼんび at 23:24| Comment(0) | 劇場