2016年09月29日

プライ行方不明?!〜ミヨーの「ダヴィデ」

ダリウス・ミヨーは1892年生まれ、1974年没のフランスの作曲家・ピアニスト・指揮者。
その81年の生涯に450ほどの作品を書いた。
ミヨーの作品には「こんな感じの音楽」という固定した姿がないようで、極めて多彩だ。
世紀末の激動から2つの世界大戦を越え、時代の混沌がそのまま音楽に表れているようでもある。
「ダヴィデ」はミヨーが1953年から54年にかけて書いた舞台音楽。カール・オルフの諸作品と同様、演奏のみでもオペラとしても上演可能な5幕8場という大規模作品だ。したがって、「オペラ」「劇的カンタータ」と呼び名がまちまちだが、作曲後すぐにイタリア、ドイツ、アメリカなどで上演はされたものの、継続的な機会や録音に恵まれない作品の為、厳密なジャンルがグレーゾーンのままになってしまったようだ。

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ミヨー:イスラエルの王ダヴィデop320 (ドイツ語版)
  ヘルマン・プライ
  ハンス・ヘルベルト・フィードラー
  エーリヒ・ヴェンク
  ウルスラ・ツォーレンコプフ/他
  ハンブルク放送管弦楽団 合唱団
  ハンス・シュミット=イッセルシュテット(指揮)
(LINE CD−R 2枚組 ドイツ輸入盤)



この録音は作曲翌年の1955年ハンブルクでのもので、放送用と思われるが実態不明。
ユダヤ系のミヨーが「ダヴィデによるイスラエル3000周年」への個人的オマージュとして書いたというこの作品の、評価が未知数だった時期の記録ということになる。
全編ドイツ語で上演されている。楽曲的には大変貴重なものなのだが、いかんせん録音状態が悪すぎる。
エアチェックしてダビングを繰り返した風の全体の音質劣化、持続する様々なノイズ、極端な音割れ、ピッチの変調、音像の大きさの変化、ゆれ…冗談かと思うほどの「問題のデパート」である。
イメージ的にはコンディションの悪い短波放送ラジオの音だ。
通常、仮にライヴの膝上録音であっても、素直に録ったものなら「音の判別」はできる。
ところが、この盤、全体のピッチが低いようだ。さらに、全体のサーっという大きなノイズやシャカシャカした音を抑えようとしたらしく、高域に大胆にフィルターをかけた状態なのだ。

メインの出演者に「ヘルマン・プライ」の名がある。この作品の主役、若きダヴィデ役。
本来それが「売り」であり、受け手はそれが「買い」になる要素だ。…だが、聴いて驚愕した。
いない????
・・・どこまで聴いてもあの特徴ある声が聴こえてこない。
しかも女声以外の全員が「バス歌手」に化けている。
テキストがないし、音が悪すぎてどの声がプライかまるでわからない。2度目に聴き直した時、泣きの入るこの頃の彼の歌い癖から「この声か?」と思う部分があったので、ピッチを少し上げ、さらに高域の周波数を思い切りブーストすると…あら不思議、見事にプライの登場である。
エンジニアはなんとおバカな加工をしてしまったのだろう。おそらくシャカシャカの音を落ち着けたいがために、ハイバリトンのプライがベリーかフリックに化けてしまうほど、高域を削って低域を補足したのか??それともマイクの特性の不良でこうなった?いやいや、戦後すぐならともかく、1955年でこれは異様だ。
同じ演奏がyoutubeに上がっているが、こちらはLP盤か、このCDより一世代遡った音源の様だ。かなりノイズが乗り、テープヒスも多く、「全員バス歌手傾向」もあるが、まだマシかなぁ^^;

まあ、どうにか鑑賞方法は掴んだので、ノイズを我慢しながら作品を楽しむ。
ミヨーの極彩色、多調、「時代性」を動員した変化の大きい音楽は結構面白い。
それにしても音の悪さが致命的。ミヨーの音楽のキモは音色ゆえ、これはもったいない。
この録音にはもっと状態の良いものが存在するのかもしれないが、それよりなにより、このメンバーでセッションを組んで、公式録音を残してほしかった。
プライのような「バリトンカヴァリエ」が活躍できる数少ない貴重な作品なのだから。

posted by あひる★ぼんび at 22:27| Comment(10) | プライ

2016年09月20日

プライ参加の「第九」

ver86abs.jpgベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125
  ガブリエラ・べニャチコヴァー(ソプラノ)
  マルヤーナ・リポヴシェク(メゾ)
  エスタ・ヴィンべルイ(テノール)
  ヘルマン・プライ(バリトン)
  ウィーン国立歌劇場合唱団 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  クラウディオ・アバド(指揮)
(DG ドイツ輸入盤)



1986年5月6〜13日ムジークフェラインザールでのライヴ録音。
プライ参加の「第九」の公式リリースはこれだけだ。
録音データが複数の日に跨っているから、ゲネプロやリハーサルの音源も動員して編集したのだろう。
当然拍手は入っていないし、会場ノイズもほとんど聴き取れない。
細かく手を入れるのなら最初からセッションを組めば良いのだが、80年代に入るとオーケストラ録音はこういう「編集ライヴ」ばかりが目立つようになっている。
DGでは特に多かった。カラヤンやバーンスタインなどの高齢巨匠の心身への負担を考えればそれもアリだったろうが、若手中堅までそうしているのは単に経費削減の為という意図が見えてくる^^:
それらは総じてセッションほど緻密でなく、編集修正ゆえリアルほどギリギリ感がないわけだが、それでもこれなどは大変な熱演だと思う。
実際の演奏会だったらきっとスタンディングオベーションものだ。

アバドの統率についてはここではあまりふれないことにしておく。
アバドは90年代以降、ネット時代になってからは無責任な「煽る人」たちのターゲットになってしまい、聴き手はファンとアンチに極端に別れてしまった。
忘れてはいけないのは、それらの評の多くはあくまで「録音物の評価」だということ。
プロデューサーの好みとエンジニアの匙加減でどうにでもなる部分であれこれ言われるのは気の毒である。
また、アバドは出世の勢いの割にはあまりにも巨匠然としない性格で、発言も曖昧だったため、アンチに燃料を与えてしまうという不幸もあった。
ここでのアバドは全曲を72分かけ、たっぷりしたテンポをとっているが、部分的には煽りたて、全体に活力が漲っている。
しかも録音バランス上、ティンパニをはじめとした打楽器群が強調されて聴こえる。金管の扱いも少々荒削りながら、それらがむしろプラスに作用して、非常に華やかな音色の演奏になった。

ここでのプライは、あくまで「プライ」を崩していない。
彼の場合、声や歌い回しの個性が強いので、邦画やドラマでの田中邦衛のごとく、何を歌っても「プライ」のままなのだ。
オケの強奏に続けての第1声で、その演奏の評価が決まってしまう恐ろしいパートだが、さすがプライである。適確な声量でスタートしている。
バリトンやバスの場合、曲の最低音部の音量から全体のバランスを取る。よって、スタートの高音を大きく出しすぎると、この曲は破綻するのだ。
また、重唱部分では声量を落し、アンサンブルのバランスを重視しているのも流石。
モーツァルトの「コジ」を得意とするだけあって、他メンバーの声の響きを聴きながらしっかりと合わせているのがわかる。

ベートーヴェンは声楽曲作曲は得意ではなかったようで、合唱パートなどは横に読むとかなり無茶な音の並びだったりする。
美しいメロディを紡ぐより、技法を駆使して楽譜の音符を「適正」に並べることに執着した様子で、歌う側への配慮が薄いのだ。
初期のリートなどでは甘く歌謡的なものが多かったのに、晩年に向かうと歌うにも聴くにも難解さを伴う曲ばかりなのは、実際の音を聴くことなく脳内で音楽を鳴らすしかなかった彼ならではの特徴なのかもしれない。
自分もテノールパートで何度か「第九」に参加したが、音符の跳躍が脅威だった。
そんな無茶な音の並びがオーケストラを伴って鳴る時、調和のとれた壮大な宇宙が形成されるというのが、天才ベートーヴェンの芸術の凄さなのだ。

写真はスリーブ内にあった演奏風景。
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この盤は発売以来何度かリマスターされ、度々新装再発売されている。
自分自身は初出直後に買ったドイツ盤しか持っていないが、これはプライの貴重な録音であり、古今の第九演奏としても立派な佇まいの名演だと思っている。
posted by あひる★ぼんび at 22:31| Comment(2) | プライ

2016年09月14日

思い出のレコードからA〜モラーヌのフォーレ

カミーユ・モラーヌは1911年生まれのフランスのバリトン。
フランスオペラの認知度はイタリアオペラより低く、また、フランスのメロディ(芸術歌曲)もドイツリートほど一般に知られていなかった。いくらモラーヌがどれだけそのジャンルで活躍したところで、日本での人気は一部の愛好家に留まっていた。
ほぼ同世代のスゼーほどインターナショナルな活動をしていなかったこともあるだろう。
モラーヌは声に余力を充分残しているうちに舞台を降りてしまい、後半生はほとんど教育活動に時間を割いたようだ。 亡くなったのは2010年。99歳という長寿だった。
若き日の声以外を知らないのだが、甘く、柔らかく、テノーラルなハイバリトン。
パンゼラより、スゼーよりずっと軽やかな美声に思えた。

そのモラーヌが歌ったフォーレの歌曲集は、中学時代からずっと自分の愛聴盤だった。

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フォーレ:歌曲集
夢のあとに/漁夫/この世で/ネル/秋/夜明け/
ある日の詩/ゆりかご/秘密/イスパハンのバラ/
贈り物/涙/墓場にて/バラ/消え去らぬ香り/牢獄/
アルペッジョ/夕暮れ/一番懐かしい道/9月の森/

カミーユ・モラーヌ(バリトン)
ピエール・メイヤール=ヴェルジュ(ピアノ)
(日本コロムビア LP 国内盤)


廉価盤なので歌詞カードがなく、当然フランス語もわからないのだが、「夢のあとに」「漁夫」「ゆりかご」…次々に繰り出すセンチメンタルなメロディラインに聴きほれた。
フォーレの音楽の力とモラーヌの霊感に満ちた歌唱、それだけで充分感動できたのだ。

また、当時の自分はモラーヌの容姿風貌を知らなかった。
モラーヌのフォーレのLPは後期作品集はエラートレーベル、初期・中期作品集はマイナーレーベルのものなのだが、日本コロンビアの廉価版方針でデザインが極めて簡素、どの盤にもフォーレのポートレートしか載っていなかったのだ。
その為、脳内ではモラーヌの風貌=フォーレになってしまっていたのだ。
CD時代に入ってから初めてモラーヌの御尊顔を拝したが、フォーレよりずっと爽やかなお顔。
いや、声のイメージとぴったなのだが、ちょっとした逆ドッキリだった。
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このLPには録音データがないが、1950年代後半の録音と思われる。
STEREO表記はあるものの、実際は左右チャンネルごとはモノラルっぽい平面的な音。
だが、じつはこれが面白い。
なんと、片チャンネルにはモラーヌの声だけが入っていて、もう片方はモラーヌの声の微かなアンビエントとピアノパートが入っている。
再生場所が広い部屋で、音量も確保できる環境の場合、しっかり調整をとればモラーヌとピアノのリアルさが半端ない。隣りの部屋から聴いたら(隣りがミソ。音自体には奥行きがない為)まるでそこで演奏しているようなのだ。
モラーヌのみにすると無伴奏になるので、フォーレがどんなふうにヴォーカルパートを書いたか丸わかりになるし、ピアノのみにすると微かなガイドヴォーカル付のカラオケになってしまう。製作者の意図とは関係なくいろいろ楽しめた。

このLPは80年代の終わりにCD化されていて、もちろんその盤も買った。
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(XCP フランス輸入盤)
こちらはバランスをとって、きちんとミックスされていた。
なんだかちょっとがっかりだった^^;
もちろん気兼ねなく繰り返し気軽に聴けるのはCDだし、安定した音でモラーヌの真価が聴き取れるのは嬉しいことだ。

そんなわけで、レコードのほうは観賞&遊び&自分の歌唱練習に重宝した一枚だった。
おかげで随分傷んでしまって…ああ、これはもうダメだな、と思っていたところ、天の助け。ヤフオクで超廉価で未開封盤を落札できたのだった。
これはそれこそ、このLPじゃなければダメ!!という一品なのだ。めでたしめでたし。

posted by あひる★ぼんび at 23:50| Comment(3) | 音楽

2016年09月06日

プライのインタヴュー番組から

(これに関係するコメントをこちらに移動いたしました)
だいぶ前に話題に出したことがあるプライ夫妻をゲストにしたインタヴュー番組より。


Hermann Prey Talk and live singing
https://www.youtube.com/watch?v=ZTkIUdvZnxI
この動画は以前は別の方がアップロードしていた。
アップロードする方に版権があるわけではないので、常に削除される運命を持つ。消えていたらご勘弁。

さながらドイツ版「徹子の部屋」か^^
奥さんのバルバラ(ベルベル)さんも出演している時点でプライは覚悟していたとは思うが、インタヴュー内容は普段のものに比べると「家族」「日常生活」について多く振られている。もちろんメインは「歌手プライ」の部分ではあるが、素の人柄が垣間見えて面白い。

posted by あひる★ぼんび at 23:55| Comment(16) | プライ

2016年09月04日

8月の終わり、9月のはじめ。

長い夏は台風の連続攻撃の中で、それでも確実に秋に向かう。
まだまだ昼間は暑さが厳しいし、日差しは焼け付くようだ。
でも、ずっと咲いていた百日紅(サルスベリ)の花もボチボチ落ち始め、夏が去っていくのを感じる。
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では、久しぶりにはむはむのレポート♪

こんにちは!レポーターのはむはむです。
久しぶりすぎて忘れられてなければいいんですが・・・
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8月最後の土曜夜、東京・本郷の「金魚坂」で、松本ちえさんの朗読公演を聴いてきました!
会場は、本郷三丁目の駅からすぐ、大通りからホッソイ路地を入ったところにある、江戸期から続く金魚問屋併設のレストランのイベントスペース。
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ホント、スゴイ細い^^;
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金魚だけではなく、飼育用品や水草、アクセサリー、生きたヤドカリも売られてました。

ピアノも置かれた小さなスペース、そのピアノの上にはこんなイラストが。
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他人とは思えないふくよかほっぺ^^
開演前にはおいしいアップルパイと不思議な風味の中国茶。
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結構なボリュームで、甘すぎずおいしかったです♪

さて、公演は・・・
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ナレーターとして活躍中の松本ちえさんによる「びいどろの夜」と題された独演会。
照明は店の地明かり、暗転も明転もない。音響なし。音楽なし。SEなし。
声だけで大きな世界を描き出す、それはほんとうにすごいものでした。
舞台演劇の「独り芝居」とは少し異なる、もっとダイレクトな独自の世界観。
ある部分では「演劇的」、ある部分では「アニメ風」、またある部分では、読書をしている時に脳裏に響く声を聞いているような感覚。
朗読された作品は谷崎潤一郎の艶めかしい「刺青」と松本さん自作の奇談「あかいゆめ」
それに挟んで、会場にちなんだ金魚の落語風恋物語「びいどろ金魚」の3本立て。
大げさなふりも、無茶な熱気も、大きな笑いもない静かな朗読なのに、それぞれ独特の強い印象。
特に3本目の「あかいゆめ」でのちえさんの声は「そこ」で発せられているのではなく、心の中から響くような不思議さがあったのでした。
赤い着物の人形が、物語を飛び出して心の内側から観客ひとりひとりを見つめているような…
声の芸術は魔物。この魔物は、語る者、聞く者双方に憑りつくもののようです。

会場が常に環境雑音の中にあって、静寂はないのだけれど、それが気にならないのも不思議でした。
静かなホールやスタジオで演じたらまた雰囲気が違うかもしれないけれど、人工的な無音空間はこの独特の温度感にそぐわないかもしれないな・・・とも思えました。
夏の終わりの素敵な朗読会でした♪

そうそう、観客全員にお土産もいただけましたよ。
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希少糖入りシロップと、「びいどろ金魚」にちなんだ赤(金太郎)と青(瑠璃さん)のガラスおはじき。
すてきなセンスのお土産だと思いました♪
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以上、金魚坂から、ひさびさのはむはむでした〜!

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9月の最初の土曜はにがりの会のかわりにキャンプ文集作り。
作業が順調にすすんで、ほとんど完成!
こんなに早く文集に目鼻がついたのは所沢キャンプ史上最速かも^^
まあ、案外仕上げが伸びるってこともあるから油断は禁物ですがねぇ。





posted by あひる★ぼんび at 23:47| Comment(4) | 日記