2016年08月22日

夏が過ぎていく

日曜日、キャンプ実行委員会のまとめ会。
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今年のキャンプは、内容そのものとは違う部分でいろいろあったようだが、天候に恵まれ、各イベントも楽しく実行できたようなので、まずは成功、といっていいのだろう。
この「いろいろ」に関する最も大きなものとしては、バスのルートの問題。
通れないような未舗装道路に出て引き返して現地到着が大幅に遅れ…
バスのコンディションが悪く、帰りは冷房も×、しかもキャンプ場から出るのが遅れたという。
…んなのは全部バス会社の問題だ。
それでも広い心で落ち着いていたメンバーはエライと思う。

最初にバス会社から提示された行程表に疑問があっても、基本的に客側はルートに口出しは出来ない。
団体の行程表作成はプロフェッショナルの仕事だからだ。
まして当日になってしまえば急な動議は受けつけてもらえないのは当然だ。
もし変更して事故を起こせば大問題になる。
近年度々のバス事故から、会社は神経質になっている…だが、もし行程表自体に大きな誤りがあって、実行したがゆえに事故につながったとしたら、もっと大きな問題になるのでは?
この時代、業界の大変さもわかる故、むやみに強い追及もできないし、したところで効果もないだろうけれど「事故の芽」は大抵そんなところに潜んでいるものだ。

それから、竹を細工している時に怪我があったようだ。
工作に怪我はつきもの。その辺は気を引き締めて行けば良い。
神経質になるのではなく、気を引き締める。これは似ているが大きく違うことだ。

何はともあれ、楽しくキャンプが出来たようなので良かった♪
来年は多くの子どもの参加が欲しいところ。
そして、僕もぜひ参加したい。

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時間が前後するが、この写真は土曜の昼過ぎ。
豪雨が近づいてくるのが見えた。
灰色の絵の具を流し込むように、街が雨に覆われていく。
ちょっと不思議な情景が見えた。
思えば、今日の台風雨の前哨戦???今日の雨は本当にひどかった。
電車は止まってたし、道路は川のようだった。
この地域で1時間に100ミリ越えは異常だ。
風がなかったのがせめてもの救いだろうか。
posted by あひる★ぼんび at 22:35| Comment(0) | 劇場

2016年08月14日

思い出のレコードから〜シュライアーのシューマン

その曲が「特別」なのではなく、演奏者が「特別」なわけでもない。
色々な条件が折り重なって、そこに同居して、結果「特別」に感じるものがある。
これもそのひとつ。

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シューマン:リーダークライスop.39
ハイネ・ライニック・モーゼン他によるリート集


ペーター・シュライアー(テノール)
ノーマン・シェトラー(ピアノ)
(徳間エテルナ LP 国内盤)





このレコードは、高1の時、行きつけの店で購入した。「昭和50年6月6日」のことだ。
以後見かけることはなかった。そう…リートのアルバムなど、よほど売れる確証がない限り店頭には出ないし、売れてしまえば再入荷はしないのだ。
高校から自宅の中間点にその店はあったので、放課後はよく立ち寄った。店長さんはこんな高校生の一方的なオタ話によくつきあって下さった。さぞ迷惑だったことだろう。店はとっくの昔に廃業してしまったようなので、謝ることもできないのだが。おそらく店長さんは、たびたびプライやディースカウ、シュライアーのLPを買っていく僕をターゲットに入荷してくれたのだと思う。ネットショップの「あなたへのおすすめ」以上に確実なおすすめだった^^

その購入日はジャケット裏面最下部に記入してある。
このルールは、父が「持ち物には自分の名と何年何月何日どこで買ったか書いておけ」という「古い時代の習慣」を半ば強要していたのがはじまり。 読書家が蔵書に記名記録するのと同じだ。素直に従ったのは、どうせ転売はしないし、納得の上のことである。
6月6日は行っていた高校の開校記念日だった。休校日だから出向いて買ったことになる。翌日は恒例の成績順位が公開される「実力テスト」があったはず(この時は入学からまだ2ヶ月で、まだその過酷さには気付いていないのだが…)で、買った日にすぐに聴いたかどうかは覚えていない。

このジャケットの新緑の情景と爽やかな空気感は、そのままこれを聴く時の勝手な期待と先入観に結びついた。40年を経て、なおもその印象からは抜けられず、シューマンのリートから感じるのはまず春の息吹である。
「くるみの木」や「君は花のように」「君の顔は」、そしてop39が描き出す世界には新緑の風と光が満ちていた。本来はもっとダークで屈折したアイヒェンドルフやハイネのテキストからもそのときめきを(勝手に)読み取っていた。
すべて、このジャケットとシュライアーの歌のなせる業だった。
さらに音楽の教科書にあった「はすの花」を歌う時も、ほとんどこの盤のマネをしていたのも覚えている。(ちなみに別の刷り込みのあったシューベルトの諸作品では思い切りプライのマネをしてしまっていた。)
この盤のシュライアーは折り目正しく、過剰な表現がない。発音も後年ような癖はなく、またヒステリックになる部分も皆無。総じて淡白。シェトラーの粒のそろった、しかし間をたっぷりとった穏やかでサラリとした感触のピアノも素晴らしい。
同時期の彼等の「詩人の恋」が過剰な強い表現だったのは驚きと残念感いっぱいだったが・・・。

毎朝、登校時間まで自分の部屋で、寝転がってそれらのリートをカセットテープにダビングしたものを聴いていた。
窓からのぞく緑と空の色を眺め、ただぼんやりとする時間。
歌詩はすべて覚えてしまった。その記憶力を学校の英語で発揮すれば、かなりのもんになれるぞ!…なんて、先生にもよく言われたのだったが^^;
今でも、聴いて思い浮かべるのは、たくさんの友人たちの笑顔や、中高生時代の出来事、父や母のこと…音楽とも歌詩内容とも関係ないことばかりだ。
つまり、「音楽」を聴いているのではなく「思い出」を聴いているわけだ。
30cmのタイムマシン。CD化されてはいるが、時間旅行にはレコード盤の音が良いようだ♪

posted by あひる★ぼんび at 22:38| Comment(3) | 音楽

2016年08月12日

バッハの小さなカンタータ

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J・Sバッハ:カンタータ集
 第61番「いざ来ませ、異国の救い主」(待降節第1日曜)
 第67番「死者の中より甦りしイエスを覚えよ」
   (復活節後第1日曜)より第6曲「平安なんじにあれ」
 第158番「平安なんじにあれ」(復活節第3日)

ヘルマン・プライ(バリトン)
テオ・アルトマイアー(テノール)ゲルダ・コスバーン(ソプラノ)
シャウムブルガー・メルヒェンゼンガー、
ベルククリッヒェン・カントライ
ニーダーザクセン劇場管弦楽団団員
フリートリヒ・ヴィルヘルム・テベ(指揮)
(leuenhagen&paris LP ドイツ輸入盤)

ここに収められた3つのカンタータは、編成にバリトンソロを含むもの。燦然と輝く56番と82番の2曲のソロ・カンタータの影になってしまってはいるが、それぞれ個性のある名曲だ。

まず最初は61番。テノール・バリトン・ソプラノ独唱を伴う小規模だが、起伏のあるカンタータだ。
冒頭は少し悲劇的にも聴こえるコラールだが、大規模ミサ曲の「キリエ」とは異なり、ずっと親しげで暖かな温度感がある。それに導かれて長めのテノールソロとなる。テノールのアルトマイヤーは感動を素直に歌い上げ、その直後に続く、ごく短いプライによる威厳たっぷりの「お告げ」と対比を作っている。
そのあとにソプラノが熱い信仰を歌って曲は簡潔に終わるが、とても良い曲、そして演奏だと思った。
この演奏の合唱がとてもアマチュアっぽく、メジャーレーベルで聴きなれている人にはつらいものがあるかもしれない。ブレスも、語のキレもまるで揃っていないのだが、決して下手なわけではないと思う。
バッハの音楽がカトリック権力に抗うプロテスタントとしての信仰心の一端だったと考えれば、充分に庶民の素朴な力を感じ取ることができるものだからだ。少なくともオペラハウスのプロフェッショナルな合唱団を使うよりはずっと「バッハ」らしい響きだと思う。
A面はこれ1曲で終わる。一瞬「あれ?」っと思うが、LP時代はこれもまた普通のことだった。
B面はまず67番から、合唱とバリトンとの応唱が収録され、続けて短いソロカンタータ158番が歌われる。67番は全曲だとテノール・アルト・バリトンそれぞれのソロと合唱ですすむ61番と同じような構成の7つの曲からなるカンタータだが、ここでは6曲目のバリトンソロ部分、つまり158番の歌詞内容と同じ「平安なんじにあれ」が歌われる部分を入れている。調性的にも違和感は全くなく、こうすると尺がちょうどよくなり、56番に匹敵する堂々としたカンタータに聴こえた。
もちろんもともとうまく書かれた曲なのだが、広く名曲と認知されるには、いかんせん規模が小さすぎるのだ…故に、プライはこの曲を録音するにあたり「聴きごたえ」も考慮に入れ、こうしたのだと思う。
こういう組み合わせ方に異議を唱える人もあるかもしれないが、カンタータは通常のミサ曲とは異なり、臨機応変であっても問題ないはずだ。とにかく最初から文献みたいな録音物は作りたくなかったのだろう。
まあ、それでも、短いけれど^^;でも、さらに別曲を無理に抱き合わせて曲の印象を薄めていないのは潔く良いセンスだと思う。
ちなみにクヴァストホフはこの158番を、56番と82番にサンドして録音している。そんなふうに、短すぎるカンタータの扱いは工夫が必要で、演奏者ないしプロデューサーのセンスが試されるというわけだ。

この盤の指揮者Tebbeは・・・テベ、だろうか。初めて聞く名だった。どうやらベテランではなく、1972年から活動を本格化したばかりの音楽家らしく、この盤の録音当時はまだかなり若かったようだ。そう、この盤には録音データがどこにもなく、いつ頃のものか正確にはわからない。ジャケット裏の演奏中のプライの容姿からして、70年代前半のものだろうと思われる。

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これらのカンタータはDGではディースカウが歌っていて、そちらは立派な佇まいから話題に挙げるバッハ愛好家もいるが、こちらは全く話題になることがなかった。
しかしこれは、プライの艶やかな声が楽しめる「ソロ・カンタータ」として、しみじみとした聴き応えを用意してくれている貴重な1枚だと思った。
posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(4) | プライ

2016年08月06日

2016年キャンプ出発お見送り

朝7時に駅前に集合して、バスで金峰へ。
今年は僕はお留守番だ。
眩しい好天。ってか、朝なのに暑い。
金峰はきっと涼しいぞ。いいなぁ^^

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年々、自分自身の行動に慎重になってきている。
全く行けない程の不調ではないのだが、昔ほど無理がきかないことがわかっていて、今回も色々な条件を鑑みて「現地不参加実行委員」になった。
みんな思い切りキャンプを楽しんできておくれ♪

リオのオリンピックが始まった。
遠い国の話だ。遠い国の話はやはり「どこか遠い国の話」
あとわずか4年で東京開催、「遠い国の」なんて言っていられない時期が迫っている。
社会矛盾をクリアできないまま迎えたオリンピックがブラジルに何をもたらすのだろう。
日本も未だ矛盾だらけだ。
・・・そう、オリンピックは本来「都市が主催する行事」のはずなのだが、現実は国家事業であり、プロパガンダであり、スポーツ以前に大企業が利権を競う場になっているわけで。

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今夜はあちらこちらで花火大会も行われている。
あちこちからドンドン響く音とともに、華やかな打ち上げ花火が見える。
明日は暦の上では早くも「立秋」。だが、実際はこれからいよいよ夏本番だ。

posted by あひる★ぼんび at 22:07| Comment(0) | 劇場

2016年08月04日

フィリップス「プライ・リートエディション」〜序章

プライの「リートエディション」についてはこのブログでも度々取り上げてきた。
プライにとってはこのエディションは歌手としての充実期の一歩手前、いわば「通過点の記録」であり「集大成」ではない。だが、重要なことには違いない。

プライはメジャーデヴュー間もなく、有力プロデューサーや歌劇場の芸術監督の薦めで、かねてから興味のあったリートの世界に入って行った。最初期はコロンビア・エレクトローラ(EMI)、60年代にはテレフンケン・デッカをメインに多数のリートアルバムをリリースしていた。
プライがデヴューした1950年代は、ナチス時代の反動もあって、ドイツ本国ですらリートを積極的に聴く人は少なかった時代だった。
そこに突如フィッシャー・ディースカウというとんでもない輩が、堂々と、滅びゆくローカル文化と思われていたリートで世界市場に躍り出た。彼はシューベルトを中心に、シューマン・メンデルスゾーン・ヴォルフ・マーラーなど、バリトンで歌唱可能なものを片っ端から短期間に征服していた。60年代の終わりにはシューベルトの男声用リートのほとんどをDGに録音してしまった。( その後ディースカウは、シューマン・ブラームス・ヴォルフ・リスト・近代現代リート…と次々に「全集化」したことは今や誰もが知るところ。だがこの時点ではまだ実行していない)
たぶん、プライはそれらの録音を一通り聴いた事だろう。しかし、この先輩への畏敬と同時に、作曲順網羅・ディースカウ流芸術価値フィルターという方針に対する疑問をもった様子は、遠回しだがいくつかのインタヴューから読み取れる。
だが当然、プライも自身の方針でやってみたいという意識を持ったに違いない。

プライの「リート・エディション」は70年代にオランダ・フィリップスのドイツ支社のローカル企画としてスタートする。DGで最初からインターナショナル・リリースだったディースカウとは若干扱いが異なるし、どのような過程で開始されたかは言明していない。いずれにしてもLP27枚のアンソロジーになることが決定したのはプライにとっては喜びだったはずだ。
だが、全曲網羅主義ではない故の難しい問題があったろうと想像出来る。
27枚は巨大セットではあるが、リートの歴史の氷山の一角。「たった27枚」なのだ。
プライ自身はインタヴューで「エディションは芸術的価値で選曲したわけではないよ」と語っていたが、たぶんリートの潮流を描くのにポイントになりそうな作品の中から「歌いたいもの優先」という単純だが深い根拠の選曲を試みた様子がうかがえる。
だからこその存在意義であり、ドイツリート史の資料文献ではない「歌手プライのエディション」となった。
<発売予告宣伝>はこんな風だった。
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この広告の時点ではまだ第4巻は部分的にしか録音されていない。
発売前予告なので、実際の商品とはジャケットデザインが違う。
一番先に中身がそろったのは第2巻の「シューベルト」だったようだが、リリースは順番を守って第1巻からだった。
そのためと思うが、第1巻は写真が違うだけでロゴはこの通り、第2巻以降は写真もロゴデザインも実物とは違っている。
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実際の第1巻。テキストブック(36ページ)とレコード、おまけの販促用ポートレイト。
やはりLPサイズのテキストは図も豊富だし、読みやすい。
本文内の大版写真は別印刷で、本誌からはずしてピンナップにできる仕様だ。

写真はTVのドキュメンタリー番組のカット。
プライは卓上プレーヤーで発売されたばかりのエディションをかけ、付属のテキストブックを眺めながらリートについて語っている。
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画面に大写しになっているのは第3巻だが、この時かけて聴いているのは第1巻の1枚目。
ピアニスト側に第3巻、外側に第2巻が置かれている。
これらはダミーではなく発売された「現物」だ。
自分のレコードをこんなに楽しそうに聴くプライの姿がなんだかほほえましい。
見るからにワクワクしながら聴いている。本当に、この人は音楽が好きなのだ^^

これから先、ぼちぼちと各巻について紹介していきたい。
まあ、ほかの紹介アルバムが多数あるので連続的にはならないけれど。

posted by あひる★ぼんび at 23:37| Comment(4) | プライ

2016年08月02日

ホカンソンとの「冬の旅」〜音楽祭のプライI

1977年秋、イギリスのベンソン・アンド・ヘッジス音楽祭のライヴ。
この音楽祭は大物出演者を揃えていて、この年もリヒテルやベイカー、カーゾン、アメリンク、ピアーズ、アマデウス四重奏団など主にCBS&DECCAと契約のある錚々たるメンバーが出演している。

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ベンソン・アンド・ヘッジス音楽祭1977
「シューブリティアーナ」
   〜シューベルトとブリテンの作品から

スヴャストラフ・リヒテル(ピアノ)
ヘルマン・プライ(バリトン)レオナード・ホカンソン(ピアノ)
ジャネット・ベイカー(メゾ)グラハム・ジョンソン(ピアノ)
エリー・アメリンク(ソプラノ)ピーター・ピアーズ(テノール) 他
(CBS LP 3枚組 オランダ輸入盤)



このLP-BOXは3枚組で、音楽祭でのコンサートのダイジェストが入っている。
セットにはしっかりしたテキストブックが添付されてはいるが、声楽曲の歌詞と演奏者プロフィールに偏っていて、それぞれのコンサート内容についての資料はほぼ書かれていない。
音楽祭が1977年の9月から10月だったこと以外、録音月日すら省略されているので、それぞれが真正のライヴか、スタジオセッションによる再現をまぜこんでいるのかも不明。
そんなふうに全貌が不明確なもどかしさはあるものの、それぞれ楽しげで生き生きとした演奏で、楽しめた。

この年のこの音楽祭のテーマは「シューベルトとブリテン」だった。
(ちなみに翌1978年は「モーツァルトとラフマニノフ」でこの盤同様のハイライトのリリースインフォがリーフに記載されている)
プライはこの音楽祭の企画コンサートに出演し「冬の旅からの5つのリート」を歌っている。
ただし、コンサートは「リサイタル」ではなく、おそらく複数演奏者による「ガラコンサート」だったのだと思われる。
1977年といえば、プライは体調不良の為、前半期に長い休養をとった年。
夏までにどうにか体調を整え、ザルツブルクではベーム最後の「コジ・ファン・トゥッテ」とリーダーアーベントに出演、ホーエネムスではシューベルトの重唱曲のステージを踏んでいる。
さて、言うまでもなく、「冬の旅」には独特の世界観がある。
だから、果たして5曲でそれが構築できるのか、歌手も聴衆も不安と疑問を持つことだろう。
プライが選んだのは「風見鶏」「氷結」「烏」「道しるべ」「郵便馬車」の5曲。
普通に考えたら「おやすみ」「菩提樹」「溢れる涙」「春の夢」「ライアー回し」あたりにすると思うのだが、それらではなく、単独で取り上げられることの少ないものを曲順を変えて歌い、新たな世界を描こうとしたようだ。
テンポはプライにしては全体に速め、曲間を短くとり、ホカンソンもいつもよりかなり大きな表現で演奏している。
1曲わずか数分のリートで巨大な世界、永遠の時間を描き出すことに長けたプライだからこその歌唱で、声は至って好調だ。突然訪れる憑依めいた瞬間を聴いてしまうと「ああ、全曲なら良かったのに!もったいない!」と思ってしまった。
だが同時に、この時期に「冬の旅・全曲」はプライの体調をさらに落としてしまう、これぐらいで良いのだ。このテンションで24曲はきつかっただろう・・・と、正反対のことも考えた。
そのあとはイギリスの宝、ジャネット・ベイカーとグラハム・ジョンソンのステージになる。
いつもの暖かい声で癒される。
LPセットの後半はシューベルトとブリテンによるプログラムで「シューブリティアーナ」という語呂合わせの命名でコンサートが繰り広げられている。
シューベルトと同じくらい、あるいはそれ以上に、イギリス人にとってはブリテンは親しみある作曲家なのだろう。素朴さに含まれた棘、光と闇のカオス、親愛と孤独…共通点があるようなないような、1世紀以上を隔てた作曲家による不思議なジョイント企画だ。当然のように民謡編曲などの歌謡的な面が強調されている。
アメリンクはブリテンの曲でピアーズとともに参加している。アメリンクのソロリサイタルも紹介してほしかった。
さて、それにしてもこの音楽祭でのプライの他の歌唱は知らないのだが、あるのだろうか?
この年、一度きりの出演という事は考えられないので、どこかに埋もれているのかもしれない。

ところで「ベンソン・アンド・ヘッジス」はイギリスの有名煙草メーカーである。今では世界的に嫌煙意識が強まって、どのメーカーのロゴも掲示物やグッズから消される受難状態だが、70年代はそんなことは全く考えられなかった。音楽祭のスポンサーとプライの関係は不明ながら、愛煙家だったプライにはぴったりの音楽祭に思えた^^;
posted by あひる★ぼんび at 23:58| Comment(4) | プライ