2016年06月29日

「プライ・リートエディション」の抜粋盤の数々

ボックスセットは比較的安価にそのアーティストの全体像を俯瞰してみることができる長所がある。
また、コンセプトを持ってアーティスト自身が組んだものであれば、それは大きな主張のひとつと捉えられるだろう。
マイナス面は、1枚ごとの「重さ」がわからなくなること。
聴く側の許容量は個人差が大きい。聴き流したり、まるで聴かずにスルーしてしまったりしがちだ。
演奏者が身を削るように作ったものでも、そこまでのことは伝わらない宿命を持つ。
1枚が高価で、メンテも手間がかかったLPの頃とは全く違う。

70年代半ばから順次リリースされた「プライ・リートエディション」は90年代に入ってから発行巻通り4セット全20枚でCDリリースされた。
LPボックスの頃の写真入り解説書がオミットされ、CDの収録時間に合わせて詰め込まれ、巻内の区分がわかりにくくなってしまったが、無視されずにCD化されたことはとても嬉しかった。
パッケージ盤はすでに製造中止だが、中古流通はそこそこだし、ダウンロード販売はまだあるようだ。
さて、聴き方の問題がつきまとう事はこのセットも例外ではない。
有名作曲家のいわゆる「名曲」の間に散りばめられた作曲家たちの作品を聴き流してしまうことは、正直自分にもある。
故に、LP時代のオリジナル形態で単発で出ているものや、編集を変えて組み直し1〜2枚のアルバムになって発売されたものは、じっくり聴けるアイテムとして貴重だと思っている。

ユニヴァーサルの廉価シリーズeloquenceから、「プライ・リートエディション」の編集抜粋盤が数タイトル出ている。(eloquenceはリリースが多いが廃盤も早いようで、全貌がまるで掴めない)
とりあえず2点紹介。

dspr2.jpg「ベートーヴェンとその時代のリート」
ベートーヴェン(9曲)/ハイドン/シュルツ/ライヒャルト
ツェルター/タイバー/ダンツィ/トマーシェク/シュポア
ヴェーバー/ジルヒャー/シューベルト(4曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン、カール・エンゲル
ミヒャエル・クリスト、ジェラルド・ムーア(ピアノ)
イェルク・デムス(ハンマークラヴィア)カール・シャイト(ギター)
(eloquence ドイツ輸入盤)



こちらは第1巻を中心に第2巻シューベルト、第3巻からほんの少々。
ベートーヴェンの「遥かなる恋人に」「アデライーデ」「くちづけ」などの名曲集と、同時代のあまり顧みられない作曲家を1曲ずつサンプリング。この場合の選曲も並びも、オリジナルではないので、プライはあずかり知らぬものではある。古典派・初期ロマン派の素朴なリートはプライお得意のジャンル。デムスのハンマークラヴィア(あえてフォルテピアノとは言わない)は近年のピリオド楽器ほど音が豊かではなく、独特の音色だが、それがいい味になっている。
悠々LP2枚分だが、たいへんに聴きやすい1枚だ。

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ロマン派のリート集
シューマン(詩人の恋 他6曲)
メンデルスゾーン(3曲) リスト
ブラームス(7曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン、カール・エンゲル(ピアノ)
(eloquence ドイツ輸入盤)




こちらは第3巻の6分の1。
メイン収録の「詩人の恋」はLP時代、エディション発売前から何度も規格を変えて販売されたが、なぜか話題にならなかった。国内盤ですら数回の新装があったし、販促パイロットにも使われている。
にもかかわらず、後年「プライにとってDENON盤はEMI以来の2度目の録音」とかレコ芸で紹介されてしまうほど、音友系の評論家たちに無視されるタイミングの盤だったようだ。
夢見るようなゆっくりしたテンポが特徴で「私は恨むまい」の最高音に至るダイナミックさはバリトンカヴァリエそのもの。この堂々たる歌を聴いたら他の歌手のものがひ弱に聴こえてしまうことだろう。
ホカンソンはいつもよりラプソディックに弾いている。プライの歌のリズムの自由さに、阿吽の呼吸で寄り添っているのはさすがだ。
選曲に煮え切らなさを残すが、それはエディションを知っている故のこと。これだけを聴くのなら大満足だと思う。こちらもLP換算2枚分だ。

LP時代は販促アイテムとして独フィリップスからパイロット盤が多数出ていた。
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(独フィリップス LP ドイツ輸入盤)

オレンジジャケットは全体からくまなく、それこそミンネゼンガーからクシェネクまで、このセット唯一と思われるようなものを多く選んでいて、面白いサンプラーだった。
目玉は、最後のトラックにプライがこのエディションのコンセプトをセールストークした録音が収録されていること。嬉しいオマケになっている。
パープルジャケットはロマン派リートで、シューベルトを掴みとして、メンデルスゾーン・コルネリウス・ヴァグナー・ブラームス・リスト・ヴォルフなどを収めている。
ちなみに同一内容でグリーンのジャケットのものも同時流通していて、紛らわしかった。
いずれにせよ、エディション全部を買うことが全く無理だった高校生にとっては、重要にして貴重なものだった。
今は懐かしい昔話。
買えなかった残念さもまたいい思い出だし、ひとつひとつが、だからこその宝物だった。

posted by あひる★ぼんび at 23:38| Comment(4) | プライ

2016年06月26日

6月の終わりの土日

土曜の午後は尺八と筝のコンサート。
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大友竹邦さんの尺八、石川憲弘さんと合田真貴子さんの筝。
とても良い音色だった。
参加した昼の部は子ども向けということで、ジブリやディズニーの編曲もの中心のプログラムだったが、蓋をあけたら会場は大人、しかも中高年のほうが目立つ…という状態^^;
このごろどこでも感じることだけれど、子どもはどこへ行ってしまったのだろう???
それでも、尺八奏者大友さんの実に滑らかなMCで実に楽しい時間を過ごせた。
曲も臨機応変に対応していたようで、聴き手に不消化ナシ。
途中に挟まれた楽器体験コーナーが面白かった。
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さらに終演後には楽器に直接触れて、しかも詳しく教えてくれる交流会まで!
少人数だからこその楽しみでもあると思えた。
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夜の部は参加できなかったけれど、そちらは舞台の上にセッティングして、曲目も一味違うものだったようだ。
このコンサートがとても新鮮に思えたのはむしろ、和楽器は本当に自分達から遠くなってしまった…
という証拠なのだろう。

日曜日はキャンプ説明会。
思った以上に不発!実行委員以外がほとんどいない。
キャンプは風前の灯火?
なのにうわわわわ、なるような危機感は感じなかったのは何故だろう?
とにかくめげずに誘い込もう。それしかない。
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キャンプというものが、小中学生とその親からは大きな距離ができてしまっているようだ。
ましてリゾート気分で楽しむものとは異なる、「教育キャンプ」と「訓練キャンプ」の中間点のカラーをルーツに持つものとあっては、とっつきにくいのだろう。
「虫がきらい」「バスが苦手」「真っ暗はやだ」「お風呂がないなんて!」「全食自炊なんてきつい」
各方面から伝え聞く、参加しない理由。
そうだねぇ。うんうん。だけど、そういうキャンプなのだ。
「こうせねばいけない」というものはないけれど、曲げられない部分があるのだよ。
それ以外にも「家族の予定」「部活」「塾」…
断る理由付けが容易なのもこのごろの特徴。いよいよ難しい時代?
まあ、そんな時代だからこそ続けている気もするのだけれどね。


posted by あひる★ぼんび at 23:50| Comment(0) | 劇場

2016年06月19日

プライとヴンダーリヒの「タウリス」

フリートリヒ・カール・オットー・ヴンダーリヒ。1930年ラインラント生まれのテノール。
ドイツ系テノールの中ではイタリアものにも対応できる芯の強さと潤いもあって、最高クラスの話題性と人気を誇った。
「ドイツ系テノールの最高峰」と呼ばれるには、ヴァグナーを歌えることが条件のように感じるが、ヴンダーリヒはそれほどそこには積極的にならなかったようで、バイロイトよりザルツブルクあるいはミュンヘンでモーツァルトやリートを歌うほうが本人の好みであり、価値観もそちらにあったようだ。
その辺もプライと一致していた。60年代のプライはバイロイトでヴォルフラムなどを歌っているが、やはりヴァグナーの世界で積極的に売り込もうとは考えていなかった。

ヴンダーリヒとプライは同世代のオペラ・スターとして深い友情で結ばれていたということだ。
しかし、彼らが交友できた期間はそれほど長くなかった。
1959年8月のザルツブルクでの共演から、ヴンダーリヒが事故死してしまう1966年9月までである。
忙しすぎるこのスター・テノールは、プライに「歌手をやめようと思う」という愚痴をこぼしていたというから、悩みは深かったのだろう。
10年後にプライにも訪れる「過労起因の憂鬱」は生命を危険に晒すものなのだ。
結局、追い詰められたヴンダーリヒに手を差し伸べたのはプライではなく、死神だった。
不慮の事故とはいえ、気力の喪失はひとつの死亡原因。残酷な運命である。

少し前にも取り上げた、ギリシャ神話に基づくグルックの「タウリスのイフェゲニア」。
神殿の巫女イフィゲニアをめぐる数々のドラマがこのオペラの原作だが、シリーズ第2弾とも言えるこれは弟とその親友の「友情物語」になっていて、苦悩するイフィゲニアや、暴君や、全能っぷりを発揮する女神ディアナはむしろ事件の辻褄あわせ、狂言まわしに使われている感じでもある。
ここで使われているドイツ語版は20世紀にエディットされたものなので、オリジナルに比べるとずっとロマンティックにわかり易くなっている感じだ。
オリジナル通りのフランス語やイタリア語でなくても、ドイツ人グルックの音楽との整合性が崩れるものでもない。何より、親友同士であるプライとヴンダーリヒを主役にキャスティングしたのはベストなものだと言えるだろう。

tauwunpre.jpgグルック:「タウリスのイフィゲニア」(ドイツ語版)
   セーナ・ユリナッチ(イフィゲニア)
   フリッツ・ヴンダーリヒ(フィラデス)
   ヘルマン・プライ(オレスト)
   キート・エンゲン(トアス王) 他
   バイエルン放送交響楽団&合唱団
   ラファエル・クーベリック(指揮)
(MYTO 2枚組 イタリア輸入盤)




この盤もヴンダーリヒの早すぎる「晩年」の記録のひとつとなってしまった。
1965年3月。ヴンダーリヒの忙しさの極致の中のもので、必ずしも声のコンディションは万全ではない気がした。
プライのほうは10年以上前からこの役柄で複数の劇場で舞台に立っているから歌い慣れているように聴こえる。また、以前紹介した1956年のカイルベルト盤に比べると、発声の無理が補正された気がする。
それでもイタリアオペラ風の「泣き」の発声が時々聴かれるのはこの頃までのプライの特徴で、ちょっとほほえましくもあった。
指揮のクーベリックはご存知の通り、ライヴで燃える指揮者だった。
この演奏が放送用セッションなのか、公演録音なのかは不明だが、おそらく打ち合わせとと異なる煽りもあったろう。
幸いグルックのこの曲は煽られて大混乱をきたすような複雑な音楽ではないし、プライは元来アドリヴ対応ができる歌手なので、程よい熱っぽさと自由度を獲得できていると思う。
これで録音が万全なら名盤なのだが、音質が「鑑賞に支障ない範囲の何度目かのコピー」レベルなのが残念ではある。
MYTOのレギュラーシリーズから一度出たきり、なぜか新装再発されることもない状態なので、だいぶ入手が難しくなっている。
カイルベルト盤とはドイツ語訳も異なり、存在価値も大きい。いつの日か放送局の公式リリースを期待したい録音だ。

ヴンダーリヒの早すぎる死から間もなく50年。
この盤での共演者たち、親友プライも、ユリナッチも、エンゲンも、指揮のクーベリックもすでにこの世にはいない。
時の流れを強く実感した。

なお、この盤で使用されているドイツ語版は、恒例に従って相応の省略もあり、現代人が楽しむにはちょうど良い長さになっている。従って、CD規格では余白が生じる。その余白には のヴンダーリヒのリサイタルライヴが収録されている。すでに数ヶ所からリリースのある1965年8月19日のザルツブルク・リーダーアーベントからの音源。これには公式録音のリリースもある。リート歌手としても頂点を極めようとしていた時期の声がシューマンの「詩人の恋」とシューベルトのリート6曲で堪能できる。ピアノはフーベルト・ギーセン。

posted by あひる★ぼんび at 12:37| Comment(9) | プライ

2016年06月14日

マリー・ジャエルの肖像

マリー・ジャエルは1846年アルザス地方に生まれ、1925年にパリで没したフランスの女流作曲家・ピアニスト。
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旧姓はトローマンといい、9歳でモシュレスに期待をかけられ、その予想通りパリ音楽院を首席で卒業し、ピアニストとして活躍した。
1866年、作曲家アルフレッドと結婚。ブラームス、サンサーンス、リストらと交友し、後にはリストからピアノの手ほどきも受けたという。
1882年に夫は逝去してしまうが、彼女はその後もかなりの数の作品を生み出し、オペラ、管弦楽曲も多数書いた。しかし、20世紀に入ってからは教育家の視点が強まったようで、作曲よりも音楽心理学やピアノ教則関連の著作を数多く発表するようになる。
現在、マリー・ジャエルの名があまり知られていない明確な理由はわからない。
特に意図あって埋もれさせられたわけではなく、話題性を極めたのちは、ローカルな教育活動に落ち着いてしまって、20世紀に急激に変貌した産業構造に乗れなかったから、といえなくもない。彼女の音楽を継続的に頻繁にとりあげる「国際的スター指揮者」や「ヴィルトーゾピアニスト」がいれば状況は違ったようにも思うのだ。
ではそれは何故いなかった?と問うなら、やはりフランスやヨーロッパの音楽界は男性優位社会であり、歴史的に根強い「女性差別」があるからなのだろう。作品内容ではなく、女性というだけで黙殺された作曲家は少なくない。最近この問題に着目する研究家も出てきたから、将来状況が変わってくる可能性はあるだろう。

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マリー・ジャエル:
・連作歌曲「熊たちの伝説」
・チェロ協奏曲ヘ短調
・ピアノ協奏曲第1番ニ短調/第2番ハ短調
・12のワルツとフィナーレ(連弾)
・ピアノ独奏曲集(組曲「麗しき日々」/地獄で(2曲)/
  煉獄で(2曲)/天国で(2曲)/雨の降る日)

  エルヴェ・ニケ指揮 ブラッセルズ・フィルハーモニック
  ジョゼフ・スヴェンセン指揮 リル国立o. グザヴィエ・フィリプス(vc)
  ダヴィド・ビスミュート、ニコラ・スタヴィ、ロマン・デシャルム、
ダヴィド・ヴィオリ、ダナ・チョカルリ(ピアノ)
リディヤ&サーニャ・ビジャク(ピアノ連弾)
  シャンタル・サントン=ジェフェリ(S)
(Ediciones Singulares 3枚組 フランス輸入盤)


この3枚のCDには声楽曲(メロディ)、ピアノ独奏曲、協奏曲などがまとめられている。
この盤のBOOK装丁は内容が充実していて美しいが、若干盛り込みすぎて、記載の優先順位が「CDを聴きたい人向け」ではないようで、データや曲目がわかりづらい難点がある。
まあ、それは本質的な問題ではない^^;とにかく、単発売ではほとんど気が付かないこれらの録音をまとめて聴けるのは大変にありがたい。音楽史の本の中で、名前だけでスルーしてしまう作曲家の作品が現実の音として存在感を持って迫ってくるのは大きな驚きと喜びだった。
作風は保守的。同時代のフランスの諸派の自由で実験的な響きより、ドイツ・ライプツィヒ人脈の手堅い音楽に、19世紀末のヴィルトーゾ性を加味したような雰囲気だ。特に短調主体に進む派手目な2つのピアノ協奏曲はロマン派協奏曲好きにはたまらない味わいがあるだろう。
posted by あひる★ぼんび at 22:25| Comment(0) | 音楽

2016年06月12日

高学年例会「Toy's Boxコンサート」

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6月を3分の1すぎて、すっかり夏の気配。
まあ、実際はこれから本格的な梅雨なのかもしれないが。

夕方から、高学年例会に参加。珍しく椿峰コミ別館が会場だった。
表看板も受付横のオブジェもすごい凝ってる!
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もちろん挨拶は子ども達。
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途中プログラムでは観客参加のきらきら星。
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終演後はステージのトイピアノやマリンバを自由にさわらせてもらえた。
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sound office 音旅舎の堤奉枝さんと、マリンバ&パーカス奏者・椎名友樹さんのステージは期待した以上に楽しいものだった。
高学年向けだからと言って、無理に難しくせず、親しみやすい曲を鮮やかに聴かせてくれた。
誰もが鳴らしたことのあるトイピアノゆえ、むしろ極めてまっすぐに魅力を伝えることが重要なのだろう。
ピアノやマリンバの整理・精錬された響きとは異質なトイピアノの音は、斬新な響きを生み出す。
確かにトイピアノの音は子どもの頃聴いたことがある音色…ではあるが、決してノスタルジックにはならない。もちろん、可愛らしい響きの曲もあるが、曲によってはまるでシュニトケの作品のような、棘を秘めた諧謔を感じる瞬間があった。

自分は趣味で古楽器や各地の民族楽器を演奏してきたが、それらは機能的には不備なものがほとんどだ。
しかし、その短所は楽器の意図する表現方法に合致しているし、むしろ「可能性」であると感じた。
そうやって、多くの楽器は何百年かけて発展進化したのだ。トイピアノもそんな感じ。
ここでも、ステージの2人の奏者は「可能性の魅力」をふんだんに示してくれた。
子ども達の数が少ないのが残念だったが、両手を駆使してピアノとトイピアノを同時に操る超絶的な演奏方法(なにしろ鍵盤幅もタッチも違いすぎるわけで・・・)、マリンバで奏でられた、バッハのコラールと混合編曲された「アメイジング・グレイス」では、曲が終わったあと「真の静寂」を久しぶりに体験することができた。
「トイピアノ」は1872年にドイツ移民の楽器製作者アルバート・シェーンハットが開発普及させたものだそうで、現在も市販の「音楽演奏可能なトイピアノ」の中では大きなシェアを持っている。
ドイツ名だとアルベルト・シェーンフット。美しい帽子?オランダ語だったら靴箱?
今回のステージにも置かれていた。
ちなみにほかには無銘が1台、それからWeissenbachと書かれたもの(白川?)
そしてこともあろうにsteinway&sonsを冠した大柄なものも^^;
ゆうたパパが「これはちょっとなんだよなぁ」と笑っていたが…フェラーリやベンツの疑似ロゴ入りの幼児用足踏みカーみたいなもんで。まあ、トイ発想ならいいのかな?
そういえば、スタインウェイのブランド「ボストン」はカワイ楽器の製造で、そのカワイは日本のトイピアノなど教育楽器&玩具楽器のビッグネーム(?)ということで、つまり公式にOKなのかもしれない。
ふと思い出したのはスヌーピーでお馴染みの「ピーナッツ」のシュローダーのピアノ。
トイピアノだけれど、彼はそれでベートーヴェンを愛奏しているし、響きはスタインウェイだとか^^

並べられたトイピアノはすべて異なるピッチと音質を持っていて、楽しかった。
トイピアノは構造としては「ピアノ」ではなく金属板または金属パイプを小さなハンマーが叩く「チェレスタ」「鍵盤グロッケン」。経年や環境でかなり変化するだろうから、年々生き物のように音色を変えることだろう。
確かに「トイ=玩具=おもちゃ」ではあるが、何をどう言っても、プロの演奏家が扱うわけで、このステージ上のものは「トイピアノという名称の楽器」なのだと思う。その辺はつきつめると哲学に踏み込みそうだが、シェーンハット自身の命名は「小型スピネット」だったようだから、立派な鍵盤楽器として誕生したものということになる。
教育楽器・育児楽器としての受容と需要が結果的に「おもちゃ」へと変身させたわけだ。
生まれとは違う形での普及と発展、それもまた歴史が生んだ味なのだろう。

posted by あひる★ぼんび at 23:49| Comment(0) | 劇場

2016年06月10日

ハウゼッガーの自然交響曲

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ハウゼッガー:「自然交響曲」
  〜大管弦楽と混声合唱のための

       
WDRケルン放送交響楽団&合唱団
アリ・ラシライネン(指揮)
(CPO SACD ドイツ輸入盤)





ジクムント・フォン・ハウゼッガー(1872-1948)は、オーストリアのシュタイアーマルク州グラーツに生まれ、ミュンヘンで没した指揮者・作曲家。彼はブルックナー作品の紹介、特に弟子たちの改竄版ではない「オリジナルに近い形」での演奏に積極的だったという。ブルックナーの交響曲第9番原典版の初演も彼が行っている。また、オイゲン・ヨッフムの師匠でもあった。
音楽的には熱烈ヴァグネリアンだったようで、作品にはそれが色濃く反映していると言われているが、この交響曲しか耳にしていないので、わからない。
実際のところ、この「自然交響曲」の巨大な編成も、時代の音楽の流行に急激に合わなくなっている感もあったろう。
1911年という作曲年代を考えると、さあ、振り子をどこに振ろうか…という状態だったに違いない。
曲は4つの楽章が切れ目なく演奏され、クライマックスには混声合唱が加わる。マーラーの交響曲第2番、あるいは第8番の第2部のようなスタイルだ。そのマーラー第8は1910年、ハウゼッガーが活躍していたミュンヘンで初演されているから、その話題と成功がこの作品にも影響を与えているとも考えられる。

どんなものもそうだろうが、対象物が「極端なもの」の場合、好きな人は絶賛し、嫌いな人は眉をひそめる…これもそんな感じだ。フォアグラのごとく肥大した編成のオーケストラが綿々と謳い上げる交響曲。
ブルックナーを得意とするシェフがマーラーの手法で、Rシュトラウス風調味料で仕上げました…という後期ロマン派の極端な面を総動員したように聴こえた。しかも多分に映画音楽あるいは劇伴奏を思わせる作品だった。開始から末尾まで面白く聴けるし、大編成の管弦楽に合唱とオルガンまで加わるサウンドはドラマティックであり、長さも全曲で56分程度とほどほどなので、とても親しみのもてる曲だと思う。
でもこれが「名曲」の列に加えられていないことに、なんとなく納得がいってしまう気がするのはなぜだろう^^;
この曲がある日突然話題になって、名曲の仲間入り!は絶対にありえないのだろうな、と。
ゴッホの名画「星の夜」(1888年)をあしらったジャケットも、2005年から2006年にかけて行われた録音も、北欧音楽でお馴染みのラシライネンの采配、ケルン放送響の名人芸も、鮮やかで美しく、好印象の1枚だった。
posted by あひる★ぼんび at 23:27| Comment(0) | 音楽

2016年06月03日

シュヴェツィンゲン1963〜音楽祭のプライH

シュヴェツィンゲン音楽祭関係ということで…もう何年も前に、記事を書いただけで投稿していなかったものをひとつ。

このシュヴェツィンゲン音楽祭は、1952年にバーデン=ヴュルテンブルク州とドイツ南西放送の提携で始めたものだったので、SWRには膨大な数の放送録音が残されている。
かなりの数がCD化されていて、出演者はドイツ系を中心に世界的に有名な演奏家から新進若手まで実に賑やかな顔ぶれだ。曲目はオペラがメインだが、室内楽や声楽リサイタルも多数ある。ただ、少々マニアックな曲が並んでいる。それがここの特徴でもあるのだろう。
その中の、この盤は1963年、この音楽祭でのプライによるリサイタルの記録。

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シュヴェツィンゲン音楽祭1963
プライ・リーダーアーベントより
  コルネリウス/プフィッツナー
  フォルトナー/ブラームス
  Rシュトラウス 各作品

ヘルマン・プライ(バリトン)
ギュンター・ヴァイセンボルン(ピアノ)
(ヘンスラー ドイツ輸入盤)



コルネリウス4曲、プフィッツナー4曲、フォルトナー4曲、ブラームス3曲、Rシュトラウス2曲というプログラム。
これらで全てだったかどうかは不明だが、あまり一般的ではないプログラムで、デヴュー10年そこそこの若手バリトンのリサイタルとしては意欲的というかかなり挑戦的な選曲だと思う。
プライはデヴューまもなくから70年代初めまで、ここで取り上げているプフィッツナーやフォルトナー、そして今回は歌ってないが、フォルトナー門下で、当時「新左翼運動」に傾倒していたヘンツェなど、思想的に中立とは言えない作曲家の作品も歌っていた。多くのプロモーターが望むシューベルトやシューマンの王道リートと並行して好んで取り上げていた。
今でこそ「音楽は音楽」として政治とは切り離して捉えるのが普通だが、大戦の余韻が消えると思われた1961年に突然ベルリンに築かれた壁や、1959年のキューバ革命の件を出すまでもなく、「思想対立」と「革命熱」が熱病のように多方面に渦巻いていた時代では、油断できない状況だったわけだ。
かくも穏やかならざる作品も厭わず歌っていたのは、それが若さ故なのか、何か意図あってのことなのかは、自伝にもインタヴューにも言明されていないので今や知る術もないことだ。

当然、ディースカウもこれらの歌も歌っている。彼の場合はむしろもっと体系的に「シリーズ化」して、親ナチス・反ナチス、反ユダヤからユダヤ、国家主義から新左翼…それらを哲学的に分類し徹底してとりあげていた。それはディースカウ流の唐突感の解消法であり、中立の「演出」だったのだろう。
青年たちが時代のどのような思想に染まることも自然だし、音楽家は中立でなければならないという理由もないのだが、人に依頼されて歌わせてもらう「歌手」という職業柄、注意を怠ってはならないのは確かだろう。
プライの場合、若手としての個性の主張だったのか、先輩ディースカウが歌ったという情報に刺激されてのことだったかはわからない。
どんな難解な曲も彼の当時の美声にかかると不思議な輝きを放っていた。
そしてそれらはディースカウのものとは全く別曲に聴こえるのが面白かった。
よくディースカウが「プライが真似ばかりする」と苦々しく思っていたという記事を目にするが、実際は本人たちはそれほど気にしていなかったのではないだろうか?アプローチの大きな違いは誰が聴いても明白なのだから。

プライはしばしばコルネリウスをとりあげていたが、柔らかなメロディと素朴なピアノが好みに合致していたのだろう。
優しげな表情で歌っているのが音からも伝わってくる。今となっては叶わないことだが、ライネッケやラハナー、フンパーディンクなどのローカルなリートの録音をもっと数多く残してほしかった。それほどにプライの特性と合致して聴こえるのだ。
穏やかに、静かに始まったリサイタルは思想上も聴感上も不安定なプフィッツナーとフォルトナーの闇に突入・・・。

フォルトナーはナチス全盛の1941年に入党し、党の運動歌なども書いている。
しかし、普段の基本的な作風は12音技法など、ナチスが毛嫌いした難解なものだったし、生き残る術としての入党だったのでは?と思えてくる。
また、プフィッツナーは元々彼が持っていた「反ユダヤ思想」がナチスに気に入られたようで、利用価値を見出された。
その割に作品は演奏禁止作品もあったから複雑だ。よくその作風は「保守的」といわれるが、何を守ろうとしたと見なされるのか?ドイツ民族の誇り?作品そのものはナチスからNGを出されるほど先進的・前衛的な響きも持っているのだから、事情は複雑だ。

コルネリウスで美声による敬虔な祈りで陶酔した聴衆は、このプフィッツナーとフォルトナーの迷宮に入り込む。
出口にはブラームスが待ち構えて抒情的な涙を聴かせ、最後はRシュトラウスの耽美の世界。ここで最後の「解き放たれて」で聴衆も解放されるわけだ。
プライの並はずれたロングトーンと声量は、最後の1曲で、この重いリサイタルに唯一の爽快感をもたらしているように感じた。
プライは好調、ヴァイセンボルンのピアノは速めのテンポで推進力が強く、作品の重さで窒息状態になることがない。
何より音の粒が安定していて聴きやすい。リートを弾かせたらその音量バランスの絶妙さはピカイチだった。
多くの歌手の絶大な信頼を受けていたのが頷ける。プライとの共演も少なくない。
レコード録音では名コンビだったカール・エンゲルが何らかの事情でステージでの共演ができなかった代わりでもあったのでは?とふと思ったりもする。

とにかくこれも本当の通向けではあるが、貴重な名盤といえそうな1枚だった。
posted by あひる★ぼんび at 23:45| Comment(11) | プライ