2016年05月27日

キャンプをスタートする為に

金曜夜、今年のキャンプについて、どうするかの会合。
主要メンバーの都合がうまく合わず、日曜夜と2回の開催となった。
僕はこちらに参加。
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皆、キャンプの楽しさは知っているし、行きたい気持ちも大きいものの
実際予定をあわせるのが難しい現状だ。
事前のこういう会ですら設定が難しいのだから、いわずもがなか。
それでも「やりたいかどうか」さらに
「行けるかどうか」ではなく「行きたいかどうか」という視点で確認が取られた。
集まったメンバーは皆、行きたい、やりたいのだ。

ここからは個のレベルでは参加のための努力。
実行委員会が発足したら、実施するための努力。
二つの努力はキャンプへの情熱と仲間同士の信頼感が勝負になる。

まもなく本格始動だ♪

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えーと、これで3600円。
最近見なくなったものもあるが、一応現行貨幣^^
だが、ATMも、たぶん店頭でも若い店員だとアウトかな。


posted by あひる★ぼんび at 23:57| Comment(0) | 劇場

2016年05月24日

シュヴェツィンゲンの「冬の旅」〜音楽祭のプライG

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シューベルト:冬の旅 D911
〜1987年シュヴェツィンゲン音楽祭より

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
(SWR ドイツ輸入盤)




1987年、シュヴェツィンゲン音楽祭でのプライの「冬の旅」がリリースされた。
(日本の代理店での扱いは6月中旬以降らしい)
ヘンスラーレーベルが解体してしまったので、原盤母体のSWRからのリリースである。
ピアノは70年代の終わりからステージでの共演が多くなったドイチュ。
ドイチュの冷静な、というより中庸を心得たバックアップのもと、プライは厳粛に歌い上げている。
プライは80年代からはシューベルトの自筆譜を自ら校訂した版を用いているが、彼の場合、必ずしも楽譜を正確に再現するわけではないので、そのことは「特徴」にはならない。
プライの、良くも悪くも個性的な歌いまわしが当然ここでも発揮されている。
しかし、その個性はここでは「真摯な姿勢」としてあらわれ、しっかりと反映しているのがわかる。
第1曲、速度は中庸だが、他のどの演奏より単語の余韻を残すように明晰に発音しているので、体感速度がかなり遅めに感じた。第2曲も強さと勢いを制限しているようだった。それは全ての曲に共通している。
プライにしては珍しいスタイルだ。ドイチュのピアノもいかなる場面でも叫ばない走らないので、余計そう思えた。
基本的に変わらないのは、この一方通行出口なしのはずの「死への旅」に、最後まで人間的な動揺と体温を残していることだろう。第21曲「宿屋」でこの旅の意味と行く末に気付く。5分30秒というゆっくりのテンポで歌い上げるのは諦念ではなく決意。このあと、それまで凍りかけていた主人公の声に感情が戻ってくる。
全曲の最終行、老音楽師への語りかけも強めにしめくくり、この旅がずっと続くことを示唆する。

数曲でメロディラインが楽譜から逸脱してしまう部分もあるが「表現」としてこれはアリだろう。
この時期ぐらいからプライは時折歌い崩しが極端になることがあったのを思い出した。
ここからの彼の最後の10年間は「冬の旅」をリートリサイタルの中心に据えることが増えている。
ドイツ国内はもとより海外の音楽祭や来日公演でも度々歌い、そんれぞれに感銘を与えてくれた。
だが、このリート集は歌うだけでかなり体力や精神力にダメージがくるようで、長生きするためにはもう少々セーブすべきものだったのかもしれない。
なにしろ「言霊」を考えても、なんとネガティヴな言葉が選ばれていることか!この歌がシューベルトによって初めて披露された時の友人一同の動揺と困惑がわかる気がするのだ。
音楽と詩から生まれる世界を、プライは全身全霊で表現してきた。それが彼の歌唱スタイルなのだ。楽譜を楽典として、テキストを語として分析するのならば、何回歌おうと精神的ダメージは薄いはずだ。しかし、プライはそれが作為なく自然に聴こえる程、自らの魂に近づけて歌うのが常だった。
最期の旅にオーケストラ版で見せたいのちの輝きと、来日公演での人生の終わりを予見したかのような歌唱…そこへ続いていく道の入口の歌唱である。
この演奏はあくまで演奏会の記録であり、繰り返し聴くことを想定したものではない。
全体に憔悴したように聴こえるこのライヴを「プライらしくない」とするか、ひとつの解釈と考えるかだろう。
とにかくライヴ演奏の一回性を意識した表現が各所にあるので、初めて「冬の旅」に触れる人はスタジオセッションによるもの、60年代のエンゲル盤か、70年代のサヴァリッシュ盤が良い。
それは演劇的なアプローチを許容する「美しき水車小屋の娘」とは若干意味合いが違う、このリート集が持つ特質ゆえである。

posted by あひる★ぼんび at 23:38| Comment(4) | プライ

2016年05月22日

合宿文集作りあんど

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なんだろう?
・・・たぶん金柑。
植えた、とうより、プランターに「種を捨てた」のだけれど発芽していてびっくり。
植物の生命力って、すごい^^

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合宿DVDを、注文を受けた枚数分、焼き増し。
基本的に前回のキャンプと同じ装丁でやってみた。
凝りすぎると「足が出る」から、長く継続させていく為にはほどほどにしておくのが良。

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金曜夜は仕事の後に合宿文集作り。
飲食もせずにひたすら黙々と・・・。
手馴れた作業で次々に形になった。
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土曜の「にがりの会」ではさらに文集仕上げ。
裏表紙はまゆ画伯♪
表紙はなおに依頼。
大学がかなり忙しいようだけれど、描いてくれることを願う。
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来月、合宿参加者には配布されるはず。お楽しみに^^

すぐにキャンプの取り組みがはじまる。
今年は再び金峰に行く予定!

posted by あひる★ぼんび at 12:26| Comment(0) | 劇場

2016年05月18日

プライ&ベルガーのイタリア歌曲集

「イタリア歌曲集」はイタリア民謡詩をハイゼがドイツ語訳したものにヴォルフが付曲した短い46からなるピアノ・リート集。
「独創的で私の全作品の中で芸術として最高の完成度」とヴォルフ自身が評価したという作曲者の自信作だ。
男女の色恋を理屈立てて解説したような、詩に感動するのは難しい世界が作られているが、とるに足らないような痴話も芸術風味を加えればこうなるわけだ。
詩人と作曲家がペテン氏、いや、魔術師たる所以である。

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ヴォルフ:「イタリア歌曲集」(46曲)

エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ヘルマン・プライ(バリトン)
ギュンター・ヴァイセンボルン(ピアノ)

(Angelドイツ輸入盤/東芝国内盤 どちらも2枚組LP)




ジャケットデザインはロゴの位置以外は国内盤も輸入盤と同じだが、盤の面割が違っている。
国内盤は余裕をもってカッティングされた2枚組4面、輸入盤は3面につめこみ、最終面はつるつるの溝なしというちょっと異様な体裁になっている。
ジャケットも、国内盤は普通のダブルジャケットだが、輸入盤は化粧厚紙のスリップケースに厚手の紙袋入りの盤とテキスト冊子をつっこむ仕様。
この盤は輸入盤をずっと聴いてきたのだが、最近、国内盤を購入した。
その盤が大変に良い、新品同様のコンディションだったのでラッキーだと思った。
あ、まあ、本当はCD化されれば一番なのだがねぇ^^

ヴォルフのリートの中で、プライの特質にあっていると思われるのは、演劇的な聴衆へのサービスを感じる曲の多い「メーリケ歌曲集」だろう。
しかしプライはそれより地味目のアイヒェンドルフやゲーテを先にレパートリーに取り入れ、静かな抒情とことばの響きを感じる曲を選んで歌っていた。
同様に、この「イタリア歌曲集」も、かなり早い時期から歌っていた。
この曲集は、メロディそのもので気持ちを揺り動かすようなものではない。
しかし、その「いかにもドイツ」な音の並びに、イタリア風の戯れを感じる歌詩が乗ることで、ちょっと粋なセンスを醸し出している。
現在も多数のリート歌手によって取り上げられ、録音も多いのは「魅力を引き出す演奏力」の力試しでもあるのだ。

この盤は1950年代後半、プライ若き日の貴重な記録のひとつとして忘れられないものだと思う。
この盤のベルガー部分とプライ部分は別日に録音されたようで、若干音の具合が違って聴こえる。
無駄のない熟達した表現を聴かせるベルガーとまっすぐな歌声を朗々と響かせるプライ。
オペラの舞台からはすでにひいていた大ベテランと、新進若手のスターの組み合わせだが、ベルガーは無理のない可憐さを聴かせ、プライは堂々と大きな構えで歌っているから、29歳も歳の差のある「母と息子」のようだとは感じなかった。
曲順は彼らなりのもの。楽譜番号通りではないし、当時教科書にされつつあったディースカウ&シュヴァルツコプの曲順とも異なっている。
Youtubeに全曲が上がっていたので貼っておく。
古い録音とはいえ、隣接著作権は更新されていそうなので消されるのは時間の問題かも。
https://www.youtube.com/watch?v=mcmgBFzD5oY


プライによる公式の全曲セッション録音はこのベルガーとのもの以外はないようだが、放送用録音は数点残っている。

ポップとのいわくつきのものはすでに紹介した。リハで生じた事情を詳しく知らなくても、緊張感と気合を感じる演奏だった。

パメラ・コバーンとのバート・ウラッハでの1989年の「秋の音楽の日」ライヴはSWRとZDFによる映像記録として残されている。ピアニストはドイチュとレーンダー。
歌手二人は近距離に立っているのでオペラのようなコミュニケーション演技と「間」が演出されていて、面白い。
音声と映像がずれている所があるが、演奏そのものは上のポップとのものに比べるとずっと親しげで楽しそうだ。
公式のアップではないようなので削除される可能性大。一応貼っておく。
https://www.youtube.com/watch?v=pxuihQk0S_w


posted by あひる★ぼんび at 23:47| Comment(4) | プライ

2016年05月09日

ロルツィングの「ウンディーネ」

異形の者・異界との交わりと恋愛はヨーロッパのメルヘンの重要要素。
また、それは不幸な結末しか待っていないのが通例。この「ウンディーネ」もそのひとつだ。
マルシュナーの「ハンス・ハイリンク」は地の精霊のワガママ王子が人間の娘に恋し、紆余曲折の末、あるべき世界に戻っていく話だが、この「ウンディーネ」は水の精霊の娘と人間の騎士の物語だ。
この物語も基本はウンディーネが騎士フーゴーに惚れ、相思相愛となり結婚するが、裏切られる…というお約束通りの進行ではある。しかし「人魚姫」や「ルサルカ」と異なる点は、事の発端がウンディーネの「人間界への憧れ」ではなく、水の王キューレボルン(冷泉さんですね^^)の「人間の魂を試す」という、少々不遜な好奇心だったことだろう。
第3幕でそのことをカミングアウトしてウンディーネに優しく謝るものの、その割には何の制裁も受けることなく、全能の神のごとく振る舞っている。
物語のオチがまた「水の精の娘の心をもてあそんだ罪は重い。しかしお前がその娘と永久に水中で暮らすなら勘弁してやる!」などとまあ、フーゴーが望んだこととはいえ強引な話にまとめてしまう。
まあ、相対的にはこれはハッピーエンドなのか(^^;)
音楽は、奇談ということで不穏な空気も漂わせながら、9分越えの序曲から大きな構え。
この作品を日本語訳で「喜歌劇」と呼ぶと語弊が出る。
ロルツィング自身は「ロマンティックな魔法オペラ Romantische Zauberoper」と題している。
ドイツ・オペラがヴェーバー的な素朴さからヴァグナー的な大仰さに向かっていく中間点のような感じだ。
ちなみにヴェーバーの「魔弾の射手」は1825年。このロルツィングの「ウンディーネ」は1845年。そしてヴァグナーの「ローエングリン」は1850年。あと付けの時代わけになるが「ドイツのロマンティック・オペラ」の流れとされる、音楽の潮流である。
同時代のイタリアオペラと異なり、感情吐露が極めて冷静で、喜怒哀楽より理屈が勝っているのはやはり国民性だろう。

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ロルツィング:ウンディーネ(全4幕)
  アンネリーゼ・ローテンベルガー(ウンディーネ)
  ニコライ・ゲッダ(フーゴー)
  ペーター・シュライアー(従者)
  ヘルマン・プライ(キューレボルン)
  ゴットロープ・フリック(神父・蔵番ハンス)
  ハンス=ギュンター・グリム(漁夫トビアス) 他
  ロベルト・ヘーガー指揮ベルリン放送交響楽団RIAS室内合唱団
(ワーナー 3枚組 ドイツ輸入盤)


この盤がCD化されたのは古く、これまで何度も企画変更されて再発売されている。
LP時代、コロンビア・レクトローラがEMIに吸収された時も、近年EMIがワーナーに買収された後も、この盤はすぐに企画変更に対応している。そんなふうにこの盤が入手困難になる時期がなかったのは、やはりこういう物語がドイツ文化圏にアピールするものだということだろう。
適度な緊張感を持つ、しかし活発で起伏ある音楽だが、多少、各幕の話の展開がぐるぐるするので「あれ、まだ続くの?」と思うところもある。
しかし、それぞれの出演者が自分の個性をおさえることなく発揮していて、開幕早々のシュライアーのアリアや、ゲッダの力強い高音、第3・4幕のプライの艶やかでしみじみとした歌声など、本当に聴き惚れる演奏だ。
ローテンベルガーがいまひとつこの役に与えられた音楽と不一致を起こしているようで残念だったが、この役にマティスやケート、ポップなどを当てたらもっとしっくりいったかも・・・などと贅沢なことを考えてしまった。
とにかく同世代の若々しいスターで固めているので声質だけでは物語の設定がわかりにくいという問題はあるだろう。
これは1966年の録音。メジャーレーベルが、こんな風に国際的スターを集めて、多数のロマンティックオペラ(それもかなりローカルな…)をセッション録音することができた素敵な時代があった。そのことに本当に驚くばかりだった。
自分が所持しているCDはEMI名義の旧規格の2枚組と、一番近々にリマスター再発され、ワーナーロゴに変更された盤。このリマスター盤は3枚組で、その昔、販促特典にも使われたリハーサル&指揮者・出演者インタヴューがオマケについている。リマスターされたところで本編の音質改善は望めないが、このオマケは購入意欲の背中を押す要素になった。

その元々のインタヴューLPはこんなふうだった。
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「ロルツィングのウンディーネを巡って」
1966年セッション会場にて
指揮者・出演者・プロデューサー
へのインタヴュー、
リハーサルとアリアから
(COLUMBIA LP ドイツ輸入盤)





ヘーガーによるオーケストラリハーサルに始まる。意外だったのはへーガーは多弁にして早口だった。
続くローテンベルガーもかなり早口。歌声や落ち着いた容姿とは少し違う印象があって、かなり若いキャピキャピした(死語?)お嬢さんという感じだ。
一番尺をとっているのがプライで、アリアの一部分とインタヴューを収録している。
いずれも公開前提のインタヴューではないので、聴き手への配慮は当然なく、語学力の低い自分には細かい内容は掴めなかった。ただ、それぞれのこの作品への意気込みも感じられて、雰囲気を楽しむにはとても良いアイテムだと思う。埋もれさせるのでなく、こんなふうに組物ついでにCD化復活したのは嬉しかった。

posted by あひる★ぼんび at 23:54| Comment(4) | プライ

2016年05月05日

5月5日立夏

今日は「こどもの日」、そして暦の上の「立夏」だ。
各地、真夏日だったようだ。
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真冬の2月3日の「立春」に比べると納得のいく名称だが、「立夏」の次の「立秋」は8月7日、今日からそこまでが夏だそうだ。
暦の名称の境界はそれぞれの特徴のピーク、たとえば「立春」は「これ以上寒さが増さなくなる時期」で、だから寒くてあたりまえなのだそうだ。
「立秋」も同じく、暑さの上限ということ。面白い付け方をしたものだと思う。
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たんぽぽは今だ健在^^

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今年もデカイのを出してみた^^
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和服も綺麗に着ようと思ったら素人には手におえない感じだが、こういう具足をつけるのも大変だったと思う。構造上、1人では正しく着られないはずだ。
でもこういう古式の大鎧は、物理学・数学的にも考え抜かれているのが凄い。

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背中の逆板周辺。この緒を取り付けた板があることで両腕上の大袖が着崩れせずに自由に動かせる。

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兜の錣(しころ)と吹返。大きな傘型の錣は首と頭全体を守ってくれる。吹返は矢の防御に役立ったということだが、効果の程はわからない。矢戦が鉄砲に変わってからはこれらのパーツは小さくなったわけだが。

武具を美術的に昇華させ、実用と装飾のギリギリのバランスを保っていたというのは世界に類がないようだから、これは日本人だからこそ、の感覚なのだろう。
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伝統紋様を入れた鹿皮のふちをはじめ、細かいパーツまで外周全てに赤い布が張られている。これは魔除けの赤で、大鎧の基本的なルールだった。鎧の色を印象づける縅糸の色は禁色・忌色以外は多種多様自由だが、一番下段は必ず赤にするというルールがある。これも魔除け厄除けの為だったという。

中世ヨーロッパの戦争は、槍で貫く、アクスで切り裂く、ハンマーで(頭を)叩き潰す・・・鉄砲時代になってからはすぐに散弾・ぶどう弾で殺傷力を競った。基本、相手国・異民族を滅ぼす目的ゆえ。
日本は、小さな島国での内戦だから、当然違う。
鉄砲伝来以前は、弓で射合った後は「つくぼう・さすまた」などで動きを封じて棒で殴るのが主流。なぎなたは振り回して追い払う道具だし、長槍は相手を叩くものだった。太刀や打刀はあまり使わず、上級武士が威厳のために腰から下げておくものだった。
なにしろ戦っている者の9割以上は農民。働き手の農民がいなくなっては戦の意味がなくなってしまうわけで、なるべく死者は出したくなかったようだ。
大河ドラマや時代劇で描かれる合戦シーンは江戸から明治に書かれた創作物や芝居が元になっている上、洋画の影響も大きく、きわめて洋風になっている。
なにしろ日本に集団戦法の観念が入ったのは維新の頃だというから、実際は全く違ったわけだ。
もちろん、戦である以上凄惨なことに違いはなく、美しく散る死装束の意味もあって、大将クラスは美的感覚を最大限鎧に盛り込んだということだろう。

鉄砲の伝来が戦の方向も作法も変えてしまったのは事実だが、日本人の古来からの感覚と西洋の殺人兵器は相容れない。文化が違う分、発想がそもそも違うのだから受け取ったところで扱いもうまくなくて当然だ。
日本人が他国と戦争すべきではないと思えるのはそのへんもあるわけだ。
先日の「憲法の日」でもふと思った。
日本人が苦手な「戦争」を回避できるなら、誰が作ったものでもいいじゃないか!
政治家たち、つまらん野心で平和を揺るがすな。
全ての戦争は防衛を口実に始まる。それも心しておかねば。


posted by あひる★ぼんび at 18:27| Comment(0) | 日記

2016年05月02日

ベシュトラインのシューマンアルバム

ウルフ・ベシュトラインは1959年ドイツ最北端のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州生まれのバリトン歌手。
「国際的に活躍」と言えるほどスター的展開はしていないが、誠実な良い歌を聴かせてくれる。NAXOSのシューベルトリート全集でも好演しているし、バロックや古典派の宗教曲でもいつも好ましい印象がある。
「バスバリトン」と紹介されることが多いが、実際はかなりテノーラルな響きを持っていて、低音域は弱く柔らかい。パワーを要求されない曲なら凭れない爽やかさでしっくりくる。
耳を引きつける声ではないのに、そのディースカウともプライとも違う響きは、○○に似ているという該当者を思いつかせない。また、リズムのとり方や発音にも個性があるようだ。響く音とひっこんでしまう音があるので、伴奏楽器の響きに同化するカメレオンっぷりも特筆だ。歌い癖なのか、意図的な表現なのかわからないが・・・これは言葉では説明が難しい。興味がある人は機会があったら聴いてみてほしい。

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シューマン:
 ケルナーの詩による12のリート Op.35
 哀れなペーター
 二人の擲弾兵
 あなたの顔は 
 詩人の恋 Op.48

ウルフ・ベシュトライン(Br)シュテファン・ロウ(P)
(Hanssler ドイツ輸入盤)



このアルバムの録音は2003年、ベシュトラインは40代だった。
シューマンの「ケルナーの詩による12のリート」と「詩人の恋」を2本柱にして、ハイネによるバラード&リート3曲をサンドしている。
彼の声はドラマティックな曲では予想通り不利だが、静かな曲ではピアノの減衰音にすら注意をはらった「静寂の音」を最大限聴かせてくれている。凡庸な演奏では退屈になりかねないこのリート集のスローな曲で、ベシュトラインは繊細で静かな情熱を伝えてくれている。
「詩人の恋」は全体的に速いテンポ。通常の出版譜を使用していて、オプション記入された高い音を選択しているというのも標準的だ。だが、第1曲から以外にもあっさりと流しているのが意外だった。面白いのが第7曲「私は恨むまい」の超高速テンポ。しかもピアニストは左手の動きを極単に強調していて、まるでラフマニノフの協奏曲2番の第1楽章を思わせた。これは初耳の衝撃的な音だった。共演ピアニストのロウの解釈だろうか。
さらに数曲の歌で、メロディの取り方が初稿との折衷になっているかのような部分があり、ハっとさせられた。歌い癖でそうしてしまったのか?ぐらいの違いなのだが、古楽もやってきた当人にしてみればその音のほうが感覚的に自然なのだろう。
「詩人の恋」の初稿にあたる「叙情的間奏曲からの20のリート」はハンプソンぐらいしか録音していないので、ベシュトラインにも歌ってほしいものだと思った。
このCDはSWR制作。現在は入手が難しいようだが、ベシュトラインの目下の代表盤にもなりうるアルバムなので、そういうレーベルの事情で流通しなくなっている数点と共に復活を願いたい。

ベシュトラインが歌ったタールベルクのリートがあったので貼っておく。
消されてたらご了承を。

https://www.youtube.com/watch?v=NwSmUDaE3es

ベシュトライン世代の歌手は不遇と言えるかもしれない。
フローリアン・プライ、オラフ・ベーア、アンドレアス・シュミット、ボー・スコウフス…彼らはデヴューのその時から、ディースカウやプライの業績と、いつも比べられ続けた。
気が付けば皆、既に50代後半である。20世紀の終わりから21世紀の初めを担うはずだった芸術家たち。今でこそ名は知られているものの、それぞれの個性を正当に認められるようになるのに時間がかかりすぎた。聴き手が「太陽は2ついらない」の感覚では芸術界はダメになってしまうだろう。

内容と関係ないが、このジャケット写真、個人的に大好きだ。
自分の子ども時代のアイドル、シジミチョウ♪(*^^*)
たぶんツバメシジミのヨーロッパ種だろう。
中ジャケも、ディスクレーベル面もこれだから、嬉しくなる♪
posted by あひる★ぼんび at 23:47| Comment(2) | 音楽