2016年04月30日

全学年例会「すてきな三人ぐみ」

所沢こども劇場の全学年例会、アンゲラー原作の絵本「すてきな三にんぐみ」の演劇化。
演劇企画オフィス・アートプランの公演だった。
この脚本では、原作ではセリフのないドロボウ3人がしゃべりまくり、孤児テファニー(人形)の会話、
検分役のフクロウ(人形)の補足ナレーションで進む短めの作品。
森で活動する盗賊3人組は3つの武器で通行する馬車を襲い金品を奪っていた。
ある夜襲った馬車にはなぜか幼い少女しか乗っておらず、事情を尋ねたところ
その身の上にいっぺんに感情移入してしまい、その子と暮らすことになって・・・

入り口看板はこんなかんじ。
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顔出し看板もあった。
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子ども達によるはじまりの挨拶
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終演のプレゼントもいつもの通り。
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今回は終演後にカフェが開かれていた。
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少女テファニーが不治の病であるという追加設定になっていたが、それはドロボウたちを何としてもテファニーの夢の実現に向かわせるためのわかりやすい起爆剤なのだろう。
絵本に普通にある唐突な展開を舞台化するとき、見る側の「納得」をフォローする必要があったということか。
また「ハメルンの笛吹き」系の集団誘拐による孤児の集め方も描かれず、美談にまとめてしまったのは、はて、これで良かったのかな?と思わないではなかった。
だいたい、物語に出てくるマサカリとかラッパ銃とかの中世武器がどんなものか考えたらあの3人がどれだけの恐ろしい悪党かわかる。
(ラッパ銃は至近距離しか届かないが、もし本当にあの散弾を浴びたら体中が穴だらけだ)
城を買えて、たくさんの子どもを養えるだけの経済力を賄えるだけの盗品って、どれだけ悪事をやったんだ!ってところだが、それほどの強盗を繰り返しておきながら、財宝の使い道を考えてなかったなど、どれほどの大〇鹿トリオか^^;
さらにどんな悪人でも善行に向かえばそれで良い人なのか?すてきなのか?という素朴な疑問にもぶちあたってしまう。特に彼らの場合、改心したのではなく、あくまで自然な成り行きなわけで・・・。
それは物語の進行が単純ゆえ、余計に付きまとう部分ではあった。

本来、擬似伝承物語仕立ての、絵本だからこそ許される、唐突なお話。
でも、面白かった。
原作の青黒で無口な印象と対照的な、俳優さんたちの駆け抜けるような熱演はすばらしかった。
3人の俳優さんたちはそれこそ「すてきな3人ぐみ」だったと思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:40| Comment(0) | 劇場

2016年04月29日

ヤーコプス流「天地創造」

「天地創造」という題名から想像すると壮大な楽曲だろうと思ってしまうが、時代性を考えても、J・ハイドンの特徴を考えても、中庸にして温和な音楽が展開されている。
そんなことは誰もが周知のこと…でもないのが世間だ。
作曲者のことをさしおいて、「天地創造」という壮大な題名だけで興味を持つ人は案外と多く、そういう人はだいたい壮大なハリウッド史劇映画的なものを想像してしまうわけで^^;
クラシックに詳しい人やクリスチャンでない限りは、まあ、そんなところだろう。
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ハイドン:オラトリオ「天地創造」Hob.XXI-2
  ユリア・クライター(ソプラノ)
  マキシミリアン・シュミット(テノール)
  ヨハネス・ヴァイサー(バリトン)
  フライブルクバロックオーケストラ RIAS室内合唱団
  ルネ・ヤーコプス(指揮)
(HarmoniaMundi 3枚組(CD+PALDVD)EU輸入盤)



さて、この曲については以前、カラヤン指揮ヴンダーリヒ&プライ&ヤノヴィッツのザルツブルクライヴを紹介した。
あれはロマン派の巨大声楽曲的に演出されていて、それこそ「天地創造」の題のイメージから遠くないものだった。
今回のヤーコプス盤はそれとはある意味対極の演奏なので、まるで別曲を聴くようで面白かった。
20世紀中盤のロマンティックを極めたカラヤン盤と、21世紀初頭の「時代演奏」。
演奏には「流行」があって、40年越えの時の流れは大きな変革を生んだ。この間に「ピリオド演奏」というジャンルのようなものが成立したのは大きいだろう。
ただその実態は、考古学的な自由度があるのをいいことに、音楽学者や演奏者があれやこれやの自己流の工夫を持ちこむものだからすっかり玉石混交になってしまった。そうなると受け取る側もまた自分の審美眼に合致したものを良しとする。いよいよプロの評論が意味をなさないことになってきた感じだ。
さてこの演奏、なかなか面白い。
ひたすら活発なテンポ感、全体の強弱が大中小3段シフトしかないような設定、不完全な機能の楽器を不完全なまま鳴らす勇気。ハイドンらしいとか、その時代の忠実な再現とか、そんなことではなく、まさに近年のヤーコプス流にしっかり固められている。
添付されたDVDのレコーディングメイキングでは、コートを着たままの合唱団員たちやレコーディング会場に置かれた卓球台でゲームを楽しんだあとそのまま着席して演奏する楽団員など、緊張感はあまりない様子が映っている。演奏がはじまれば急にピシっとなるのが流石プロだ。ピリオド仕様のティンパニの刺激的な音を和らげるために布袋でミュートして叩かせている様子や、各パートのバランスを厳密に卓で調整する姿が確認できた。
演奏会ライヴではない、これはあくまで録音芸術なのだ。
CDは2枚組で、最初の1枚に1部2部のすべて、2枚目に3部が入っている。
原始的な響きが光に満ち、和らいでいく様子が、こうしてしまうと1枚目と2枚目で別曲のようにも聴こえてしまい、推移が多少わかりにくいかな?と思った。
バス・テノール・ソプラノ、独唱者は個性を前面に出すタイプではなく、あくまでハイドンの音楽に寄り添い、合奏に溶け込もうとしているようだった。幾分、ソプラノがモーツァルトのオペラのようなスタイルを感じさせるが、全体から乖離するような違和感は一切ない。
20世紀風スマートの極みのカラヤン盤や、記事にはしていないがピリオドスタイルのリリンク盤では感じなかったことがひとつ。
この音楽にはバッハやヘンデルがいて、モーツァルトがいて、ベートーヴェンがいて、彼らがハイドンの言葉を借りて聴き手に語りかけてくる。 そして時折、シューベルトやメンデルスゾーンの萌芽も感じる。
神が創る世界の広がりにリンクするように、まさに音楽の「天地創造」となっているようだった。
ひたすら地味でこじんまりとした、壮大とはほど遠い演奏だが、なんだか暖かく嬉しくなる演奏だった。

posted by あひる★ぼんび at 23:34| Comment(0) | 音楽

2016年04月26日

音楽祭のプライF〜「秋の音楽の日」1981−1993

プライカテゴリーの記事が100になった。
旧ブログのプライ関係の記事数は50ほどだったが、一部再掲載もあるので、それを除けば130前後は書いたことになる。まだまだ紹介できる盤はあるのだが、古い盤やローカル盤になると、書いたところでどれほどの意味があるのかと迷うこともある。
でもここは、一ファンの趣味と割り切って頂いて、とりあえずこんな形で続けることをお許し願いたい^^;

*****

記念すべき100本目でとりあげるのはBadUrachのローカル盤。
その前に、プライが創始した音楽祭「秋の音楽の日」について簡単に書いておく。

オーストリア・ホーエネムスの音楽祭についてはプライのプロフィールや略歴にも必ず記載されている。確かに人生の分岐と葛藤をもたらしたのはホーエネムスに違いないが、芸術家としての充実を得たのはこの「秋の音楽の日」だった。
ヴュルテンベルク州シュヴァーベン高原の小さな温泉街バートウラッハ(BadUrachバートウーラァが一番発音に即していると思うがここではウラッハとしておく)。
この街の市長は音楽好きで、音楽でこの小さな町を豊かにしようと考えていた。
市長はヘルマン・プライに「ホーエネムスのような音楽祭をやりたい」という話を持ちかける。
国際的スターとなり、世界を飛び回るプライを中心に据えるのは双方色々困難があったようだが、幸運にも1977年10月、名門テュービンゲン大学の500周年行事として、初めてのリサイタルが実現する。
この時以降、プライとそのマネージャーはウラッハの市長や名士達と音楽祭実施に向けての検討を重ねることになった。
やがてプライによって「毎年基本となるテーマに沿って、人間の声に焦点をあてたコンサートを展開する」という方針が宣言された。
そしてメイン会場となるホールの改装も進められ、音楽祭は1981年、街の公式行事となり、「秋の音楽の日Herbstliche Musiktage Bad Urach」と命名された。
プライはこれ以降、1997年までに80回以上の出演をし、1992年にはバーデン=ヴュルテンベルク州のプロフェッサー、94年には名誉市民となった。
没年となってしまった1998年には条例に明記され「恒久的に開催する音楽祭」と位置づけられた。
プライの没後には音楽監督は息子のフローリアンがそのまま継ぎ、2000年には街に「ヘルマンプライ・プラッツ」も設定されている。

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バート・ウラッハのプライ
「秋の音楽の日」1981−1993の名唱集


   ヘルマン・プライ(バリトン)
   多数の演奏家たち
(BadUrach自主制作 2枚組 ドイツ輸入盤)




このCDは1981年から1993年までの13年間に彼がメイン出演したコンサートの中から選ばれた音源を使用した「2枚組ベスト盤」である。
このCDのリリースはプライ存命中の1994年。
この音楽祭への出演は1997年秋まで続けており「冬の旅管弦楽版全曲」や「シューベルトのリートの編曲と原曲を交互に演奏するコンサート」などはCD化されているが、他も多数展開しているので、眠っているライヴ音源はまだまだ多数あることになる。
ここに集められた歌唱は必ずしもリートリサイタルに特化しているわけではなく、むしろ多くは器楽オブリガート(助奏)を伴うアリエッタのような作品だったりする。民謡の心を伝えるような素朴さと温度感は、厳密なリートよりもそれらのほうが強いわけで、プライは特に愛着を寄せていた。
この地方都市では、メジャーな国際音楽祭や大レーベルではリリ−スできないプログラムを数多く組んでいたことが伺える。
実際、ここで聴かれる歌唱はどれもリラックスした伸びやかさに溢れている。

スタートの81年からは、先に紹介した「流れの上で」1曲のみ、82年のジルヒャー作品からは2曲、すでにLP化されていて、紹介済み。
83年はブラームス生誕150年ということで管弦楽伴奏版の「4つの厳粛な歌」と、アルトのリポウシェクとの共演で「4つの二重唱」、
84年は81年と同じ趣向のオブリガート付リートを4曲。85年はカッチーニなどのイタリア古典歌曲3曲。
86年のシューベルト特集からはシラーによるバラード20分の大作「弔いの幻想」と別日のリサイタルから「ブルックにて」ほか1曲、
91年アイヒェンドルフ特集からはヴォルフが1曲、ゲーテをとりあげた93年からはシューマンのファウストのピアノ伴奏版から1曲、
前後するが89年はシュヴァーベンの作曲家特集で、ヴォルフ1曲と、クロイツァーのオペラ「グラナダの夜営」からのアリアを3曲披露している。

こういう演奏会の抜粋はポップシンガーの「ベスト盤」と違い、どうしても切り貼り感が生じてしまう。
ましてや、13年間の軌跡となると、年度ごと1〜3曲、割愛されている年も出る。
これが全集のサンプラーならいいのだけれど…あ、いや、当時はそれも考えたかもしれないが。
音楽祭のスタートから提携していたSWR(SWF)はほとんどのコンサートで音声と映像の記録を撮っていた。
ここで割愛されている年のものは、映像作品があり、多くは権利者によるドイツ国内限定配信ではあるが、90年の2度目のシラーリサイタルやコバーンとのイタリア歌曲集など、YOUTUBEなどの動画サイトで視聴可能なものもある。

さてさて、この盤にも小さな問題点がある。
実際のトラック番号がリーフや裏ジャケット記載と違っている。
これは「4つの厳粛な歌」や「4つの二重唱曲」を、まとめて1曲ずつにしているリーフに対し、実際は細かくカウントされるためだ。
通して聴く分にはたいした問題にはならないが、途中抜き聴きには不便だし、曲を知らない場合「?」になるだろう。
あと、例によって81年の「流れの上で」のピアニストがドイチュと書いてある「例の件」ぐらいか。ん?それでいいのか?(疑念再燃^^;)
何にせよ、プライの「やりたいことをやっている」ワクワクした歌声を150分、しかも大半は知られざる楽曲で楽しめるというのは、ファンには嬉しい宝物だ。
リリースから20年以上経過し、この盤も発売元品切れ(厳密には廃盤という表現ではない)になって久しい。
「秋の音楽の日」の全貌を伝えるエディションという形で、いつの日か復活を望みたい。
フローリアンさん、どうか全貌の製品化、お願いします!!

posted by あひる★ぼんび at 23:44| Comment(4) | プライ

2016年04月24日

2016年中高青合宿まとめ会

行事のひとくぎり。まとめ会。
午前中、小手指公民館本館にて。
出席率きわめて良^^
まず簡単なゲーム。
時期的にちょっとアレなゲーム名なのだが、最近やってなかったのでちょっと新鮮。
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BOSSゆりえのあいさつのあと、急いで作ったDVDを見ながら様子を語りつつ。
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そのあと、合宿2日目に作った「表札」をひとりずつ披露しながら感想を語った。
参加者の笑顔は行事成功の証。
キャンプに繋がるといいなぁ♪

サルミアッキを持っていって、数名の青年とお母様に食していただいた^^
ドイツ生活経験のある人は「ちょっと懐かしいかも」
洋古酒系をたしなむ方も「あ、これは大丈夫」
それ以外は予想通り無口になるという反応だった。
はる・まゆふたりの画伯による宣伝文
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ちなみに描いた2人は食べてません。

****
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写真は少し前のものだが、この季節、一瞬のタイミングで初夏の様相になる。
新緑の爽やかな季節はきわめて短い。
まもなく5月。もう5月だ。
posted by あひる★ぼんび at 23:30| Comment(0) | 劇場

2016年04月20日

Schwarzer Peter!

swpps.JPGシュルツェ:「黒いペーター」(簡略版)
        〜子どものためのオペレッタ

  アンネリーゼ・ローテンベルガー(ソプラノ)
  ヘルマン・プライ(バリトン)
  ハインツ・ホッペ(テノール)他
  シェーネベルク少年合唱団 RIAS室内合唱団
  FFB管弦楽団 ノルベルト・シュルツェ(指揮)
(ワーナー・エレクトローラ ドイツ輸入盤)



1963年あるいは64年の録音。
作曲者のノルベルト・シュルツェ(1911-2002)は世界的な名歌謡「リリー・マルレーン」で知られている。
大戦間にヒット歌謡やレヴュー作品を多く生み出したが、これもその時期の1936年に作られている。
その後、シュルツェはナチス政権下で軍歌や讃歌なども多数書いていた。国家主義時代の強い流れに乗り、敢えて反体制をとるようなことはしなかったようだ。その辺はオルフの立ち位置に近いかもしれない。
そのことが彼の戦後の人生を狂わせたかもしれないが、戦争の流れで得た莫大な印税と名誉を没収されただけ・・・と言えないこともない。幸・不幸の度合いを測るものさしの0カウントがどこなのかは見方で変わるわけで。
この作品も当時の、ゲッベルス推奨の文化政策に基づいた「明快にして民衆を鼓舞する」タイプの音楽になっている。それを具現するためにオルフは中世音楽の原始的エネルギーを用いたが、シュルツェは民謡曲の素朴な強さをふんだんに取り入れている。
原曲の全曲は2時間半ほどある大作。しかしこの盤は作曲者自身の指揮で、3分の1程度にメドレー編曲されたもの。
冒頭の「Schwarzer Peter! Siehste woll, da steht er!〜♪」という元気な児童合唱から終始陽気に駆け抜ける。このメロディが全編の主題でもあるようだ。
物語の展開は台詞に歌が加わる形だが、省略部分が多くなるので、「語り」が各所で補足進行する。こうまとめると、舞台用オペレッタというよりは、ラジオ放送を意識しての作品に聴こえる。たぶんそれを意識して製作したに違いない。
出演メンバーは全く異なるが、1966年にはZDFでテレビ映画が撮られているし、やはり別メンバーでの全曲盤もあるようだから、このオペレッタ自体「忘れられた作品」にはなっていない、むしろ戦後も愛されるヒット作だったのだろうとも思う。現在もドイツやオーストリアでは「ミュージカル」の区分で上演されているようだ。

LPレコードは確か高1の時に買ったが、作品の概要も作曲家のことも全くわからず、ただ賑やかな曲だな、という感想だった。40年を経てリマスターされたCDを聴いても、基本的な印象は変わらない。ただ、閉塞的状況だった大戦期にこの陽気さはかえって恐ろしくもある。それを国政として推奨していた闇は真にschwarz…。
ジャケットアートワークがトランプ。そういえばドイツではschwarzer peterという名のオリジナルカードゲームもあるし、ババヌキのこともそう言うのだったなぁ。
この「賑やかすぎる」メルヘンオペレッタ、日本人にとっては言葉と文化の二重の壁が生じてしまう為に、笑いのツボもハラハラの部分もわからず、がちゃがちゃしてるだけにも聴こえてしまうのだが、プライをはじめ、当時のスター達が嬉々として、時にオーバーすぎる表現で歌い演じているのがわかるから、その明るさで少しも嫌な気分にはならない。
ちょっと不思議な作品だが、理屈ではなく賑やかな雰囲気に身をゆだねて楽しむのが正解といったところか。


posted by あひる★ぼんび at 23:43| Comment(4) | プライ

2016年04月19日

Ach!SALMIAKKI!

食べたのは久しぶりだけど・・・
サルミアッキ。フィンランドやノルウェーではポピュラーなお菓子だ。
これはFazerというチョコレートで有名だというメーカーのもの。
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北欧人はこんなもん食べてるの???
ネットやテレビでの「世界一まずいお菓子」は言いすぎとは思う。
でもやっぱりその称号に恥じぬ自己主張っぷりはある。

・・・そういえばこんな味だっけ。テンション下がるわー^^;
キャラメルっぽい小箱の中身はこんな感じ。
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余計な包装はいっさいなくて、ジャラジャラと結構な量が入っている。
色といい、さわり心地といい、なんかパソコン外部機器のすべり止めゴムみたい。
食感はハードグミというか、ソフトキャンディというか。

で、味は・・・・


・・・・


・・・?!
!!!!
!!!!!!!!
劣化して溶けだしたゴムみたい。


最初の一粒が与えるじわじわくる嫌悪感のスゴイこと。
それにに耐えると、その先には

・・・何もない^^;

別の飴やチョコを食べれば口内の反乱はすぐに鎮圧されるけれど、味とにおいがどこかに記憶されていて脳内で不意に再現される。
味をもう少し詳しく書くと…
「こんぶをゴム容器に入れてレンジにかけたら容器も溶けてしまいました〜
もったいないので塩をふって水あめを入れて固めてみました〜。
この苦みとニオイは溶けだしたゴムかなぁ???」
って、感じ。もちろんあくまで例えると、であります。

主成分は名の通り「サルミアッキ=塩化アンモニウム」
塩っ気と苦みはこれでしょう。塩化アンモニウムで菓子作るかって根本的疑問がつきまとう。
こぶのようなうま味の片鱗とゴム臭はリコリス=甘草かな。塩分が100gあたり4.4gとかなり強いけど、そのこと以外は問題ないと思われ、むしろその成分は消炎作用や抗アレルギー・美白・咳止め・その他の薬効を持つものが含まれているようだ。
とりあえず3粒で今日はギブアップであります。

おそるべしサルミアッキ。
おそるべし北欧食文化!!
ただ、話では北欧人の誰もが好きなわけではなくダメな人はダメらしい。
その辺は日本の梅干や納豆と同じ状況なのだろうね。
これはあくまで文化の違いだから強引にディスる気はありませぬよ。

今度持っていくから劇場人は覚悟しといて^^
posted by あひる★ぼんび at 23:34| Comment(2) | 日記

2016年04月16日

合宿まとめの実行委員会

まとめ会にむけての実行委員会。
「ハイキング・ウォーキング強くなろう」をテーマにした合宿は無事楽しく成功した。
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行き帰り以外は(予想通り?)インドアな活動になったが、この成功がキャンプへのバネになるといいと思う。
この日は別に打ち上げパーティということではないので、
机の上はゆりえBOSSが持ってきた「ペコちゃんのほっぺ」
そしておにぎりとから揚げ…地味ながら軽い〆の会になった。
自分は日曜期限で写真&動画をDVDにまとめねば。
実は、動き自体は小さい合宿だったので「あとづけ」のオモシロ演出はできそうもないんだよなぁ・・・。
メイン行事のハイキングはポジション上、キャンドルファイヤーは暗すぎて撮れなかったし。
よきインスピレーションよ、降りてこ〜い!

*****

16日はいつもと違う時間に入間基地の自衛隊機のアイドリング音が響いていた。
夜中にもずいぶん飛んでいた。うちの上空辺りは飛行ルートのひとつになっているので、気になる時がある。
熊本の地震で自衛隊も大変なのだな。
…なんて、他人事みたいな書き方になってしまうが、そうなってしまうほど複雑な気持ちだ。
被害状況すら明確にならない状況の今回の地震。
ドミノ状の変動連鎖が止まって早期の収束を願うばかりだ。


posted by あひる★ぼんび at 23:35| Comment(0) | 劇場

2016年04月14日

Ein Leben Für die Musik

没して暫く年月が過ぎると、業績の枝葉の部分はかなり落とされて、実像とは別の「肖像」が描かれていくのはやむを得ないことだろう。そのトリマーは大抵は大企業だったり、業界で発言権の強い人だったりするので、それは本人をよく知る人や熱心なファンの印象とは異なるものとなる。
プライも没して18年。
「フィガロ、パパゲーノ、アイゼンシュタインなど楽天的性格の役を得意として、自然な歌を聴かせる・・・またシューベルトのリートでも伸びやかな声を響かせた・・・好調不調の波が激しく、音程が下がり気味・・・細かい分析よりも直感的に音楽をとらえ・・・感情の赴くままに歌い、しばしば譜面や時代様式からはみ出した・・・」
これらは現役時代からたびたび言われ続けたことであり、部分的には当っているが、実際事実とは違う。
ずっと聴き続けたファンはわかっていることだが、まもなく「違う」部分、つまり「実像」のほうが意図的に消され、上記のような特徴のキャラクターに書き換えられてしまうのだろう。
テレビ番組でのエンターティナーぶりや、その影で作品分析や検証に多くの時間を割いた研究者としての姿は遠い過去のものになる。ましてや陽気さの裏にあった苦悩などは、読み取ることは全く不可能になるだろう。
そうして、ディースカウとの対比がより強調され、「ディースカウと同時代にオペラとリート両面で活躍した名パリトン」としてのみ名を残すのだ。
きっとそうなってしまう。その辺がとても残念だ。

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Ein Leben Für die Musik(音楽のための人生)
〜オペラから民謡までを集めて(45曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)サヴァリッシュ、ムーア(ピアノ)
フリッケ、スウィトナー、シュタイン、ヴァルベルク、シュヒター
ラインスドルフ、レーベンシュタイン、レーバイン、ベルティーニ
ミヒャルスキ、フロシャウアー、アイスブレナー 他(指揮)
(PARNASS 2枚組 ドイツ輸入盤)



こういうオムニバス盤となるとオリジナル復刻と異なり、微妙な音の違いの為にわざわざ購入するのはファンでも躊躇する。
しかし…安ければはずみで買ってみたりもするだろう。いや、実際に聴いてみると結構新鮮な発見があるので侮れない。それが購入理由の「自分を納得させる」要素となるわけだ。
これもそんなオムニバス。LP時代からオイロディスクやエレクトローラのライセンス音源を廉価再発売しているPARNASSレーベルのもの。
先日紹介したリーダーズダイジェストの4枚組と同じリマスターで、選曲だけが異なる盤だ。
この2枚組コンピレーションは、全体がかなりの「おもちゃ箱」になっている。
少々詰め込みすぎで曲間がなく、各曲のボリューム調整がざっくばらん。それだけ目をつぶればこれもまた楽しいオムニバス盤だと思う。
曲目のみ、画像で。
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プライはU音楽のアルバムでもメーカー丸投げはしなかったが、オムニバスやコンピレーションとなると、彼のあずかり知らぬものだろう。
まして没後の発売物はともなると、それぞれに込めた思いは無視されることになってしまう。
それを承知の上で聴けば、この盤も、新リマスター音源が多く、オリジナルより聴きやすい長所もあるので、これはこれで存在価値があるとは思う。
オペラアリアにはじまり、リート、編曲もの、ミュージカル、オペレッタ、ヴィーン歌謡、ドイツ民謡…と詰め込んだ。
ジャズ、ポップスのスタンダード曲のカヴァーと宗教曲、現代曲以外は一応入れていることになるだろうか。
選曲の中心にサヴァリッシュとのベートーヴェンがどかっと座って、もちろん良い演奏だが、安易な選曲編集をしたものだと思ってしまった。
その分?シューベルトは少なく、ベルティーニとのオケ版と最初期のエレクトローラのものから選ばれている。
プライはブロードウェイ・ミュージカルのナンバーも歌ったが、全曲盤は残されていない。
テノーラルなハイバリトンはミュージカルや映画音楽では本来需要が大きい。実際、実現はしなかったが、80年代の終わりには「マイ・フェア・レディ」などへの本格的な出演&演出への進出も考えていたようだから、プライにもう少しの時間があったなら違う方向も見えたはずだ。ここではdisc2の最初に若き日のEMI盤から2曲のみ採用されている。レーバインとの隠れた名盤からはミュージカル外が収録されているへそ曲がりな選曲が面白かった。
このアルバムの「Ein Leben Für die Musik(音楽の為の人生)」という表題は幾分大げさで、的確とは思えない・・・プライは音楽に対し、隷属も征服もしなかったからだ。
彼のレパートリーが多ジャンルにわたるのはあくまで結果、ひとつひとつはその表層にすぎないのだ。
彼が一生をかけて歌い続けたのは「愛」からだったろう。その歌に一貫して流れる「歌うことの喜び」はそれをしっかりと印象づける。
プライが全ての音楽を片手間としなかった意味を考えながら聴くと、味わいもまた違ってくる気がするのだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:26| Comment(3) | プライ

2016年04月12日

花の季節

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春は花びらの中で
ほんのひと時佇んで 足早に立ち去っていく
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少しだけ、ほんの少しだけ待って、と
願っても叶わず
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ほのかなぬくもりと香りを残して
どこかへ消えてしまう
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そのぬくもりで心に花を咲かせ
その香りで心を満たす
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あたりまえに思える毎日はあたりまえではなく
あたりまえの幸せもきっとあたりまえではない
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人生もまた花びらの中で
こうして佇める時はそれほど長くはないのだろう
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posted by あひる★ぼんび at 23:51| Comment(6) | 日記

2016年04月10日

ヘルベックのオルガン交響曲

ヨハン・ヘルベック(1831- 1877)はヴィーン生まれのオーストリアの作曲家。
仕立て屋の子息だが、哲学・法学をヴィーン大学で学んだ後、ほぼ独学で音楽を身に付けたということだ。
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合唱団指揮からスタートし、やがてブラームスやヴァーグナーの大規模声楽作品の演奏でヴィーン楽壇の注目を集め、大先輩格のベルリオーズからも最高の指揮者と評価を受けている。また、ブルックナー同様、シューベルトを敬愛し、作品の紹介を積極的に行い、1865年には埋もれていたロ短調交響曲(いわゆる未完成交響曲)を初演している。
その後、円熟期に差し掛かる手前の40代半ばで肺炎で急死してしまったが、数々の業績を讃えて、死後、オーストリア王室から騎士の称号を授与された。
しかし、時の流れは非情なもので、死後140年近くたった現在ではその作品が顧みられることは少ない。
同時代の巨星たちの影ですっかり「忘れられた」存在になってしまったわけだが、彼の音楽が復権する為には、いつの日か積極的に再演してくれる大指揮者が現れることを祈るしかないのだろう。

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ヘルベック:交響曲第4番ニ短調
       交響的変奏曲

イレネー・ペロー (オルガン)
ハンブルク交響楽団
マルティン・ハーゼルベック(指揮)
(NCAメンブラン SACD ドイツ輸入盤)




この盤には、19世紀末当時の作曲界で「流行」していた「オルガン付交響曲」「交響的変奏曲」という2スタイルの曲を収録している。
最初は交響曲第4番。
この曲は編成にパイプオルガンを伴う、25分という短めの交響曲だ。ブルックナーが登場した時代と考えると、ずいぶん慎ましく聴こえる作品だ。
なにしろ「壮大にオルガンが鳴り、金管楽器が活躍する」…あのサンサーンスの第3のような作品とはほぼ真逆を行く。
4楽章構成。管弦楽も標準2管編成。
最初の楽章は、まるでバッハのオルガン曲の管弦楽編曲、かつてストコフスキーが好んでやっていたあのタイプの音楽を思わせる。
それよりずっと穏やかで遊びも少ないが、かえってそれが心地よい。
ファンタジー映画でそのまま使われそうな雰囲気まで持っている。おそらくバッハ時代のエコーを意識して、そのエッセンスだけを音楽化した為に、必要以上の重厚さや深刻さからは遠くなったのだろう。
続く楽章はブラームスの交響作品の緩徐楽章のような穏やかなもの、第3楽章は通例通りスケルツォだが、それは題だけで諧謔性も軽やかさも持たない地味な音楽だ。
終楽章は、これもバッハ風のフーガを取り入れているようだが、管楽器群はオルガンと一体化し、弦セクションはそこから遊離したテンポ感で細かい無窮動フレーズを鳴らし続けるという、ちょっと不思議な音楽…というか、時代を反映した実験的な響きも盛り込んでいる。

「交響的変奏曲」は主題と11の変奏で構成された36分ほどの管弦楽曲。音響変化が押さえぎみで、堅実さが前面に出ているひたすら地味なためか、少々長めに感じる。同じ題名の曲は、ちょっと思いつくだけでもフランクやダンディ、そしてドヴォルザークの作品などあるが、ヘルベックは特に楽器編成に手を入れることなく書いている。目先の奇抜さに頼らないのはある意味では自分の生み出す音楽に対する自信の表れでもあったのかもしれない。

この盤はマルチチャンネルを含むSACDハイブリッドで、オルガンも管弦楽も空気感たっぷりに収録され、ストレスのない音でこの未知の作品を楽しむことができた。指揮のハーゼルベックについてはブルックナーの第1交響曲(capricco)やのリスト交響詩全集(NCA)以外は聴いたことがなかった。誠実な音楽づくりで好感が持てる。この盤でのオルガンは70年代生まれのペローが担当しているが、ハーゼルベック自身もオルガニストとしても活躍中で、来日公演もあったようだ。

posted by あひる★ぼんび at 23:32| Comment(0) | 音楽

2016年04月07日

音楽祭のプライE〜「秋の音楽の日」1981から

ヘルマン・プライが1981年に創始したバートウラッハでの音楽祭「秋の音楽の日」の10周年記念盤。
1990年にリリースされた都市自主制作盤である。
一応、URACANTレーベルだが、発売告知がなく、流通ルートがほとんどないものだった。
小さな町のコンサート参加者とたまたまこのCDを入手したわずかな人だけが聴くことができる演奏と考えると、その貴重さは計り知れない。

内容は「器楽オブリガート(助奏)を伴うロマン派ピアノ・リート集」で、15曲中14曲は1981年10月10日、この音楽祭の最初のコンサートだった。
プライはこれらをコンサートでは時々披露したようだが、公式録音はほとんど残さなかった。
「小さなコンサートの親しげな雰囲気でこそ生きる音楽」として実演披露に留めていたとも考えられる。

bu1981p.jpg「秋の音楽の日1981」より
器楽オブリガートを伴うリート集
ラヒナー、ハウプトマン、ノイコム、ライネッケ、
ケーラー、ニコライ、ドニゼッティ、シューベルト、
プロッハ、シュポア、ヘルマン、クロイツァーの作品

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヘレン・ドナート(ソプラノ)クラウス・ドナート(ピアノ)
レオナード・ホカンソン ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
コンソルティウム・クラシクム
(urach自主制作 ドイツ輸入盤)


何といってもこの盤の目玉はシューベルトの「流れの上で」だろう。
ホルンを伴う規模の大きな曲で、シューベルト自身が亡くなる年に行なった1度きりの「自作曲による予約演奏会」で披露された曲だ。
「白鳥の歌」と作曲時期もほぼ同じであり、レルシュタープの詩によるものだが、楽譜商ハスリンガーはこれをそこに含めなかった。
ホルンとピアノは元来、音の相性が良いとは言い難い。ベートーヴェンを筆頭に同時代のドイツ系作曲家の「ホルンソナタ」の類はあまり居心地のいい音になっていない。しかし、その難しいバランスを越えて、シューベルトの歌謡性は奇跡をもたらしたようだ。
プライは80年代に入ってから度々この曲を披露するようになっていた。
通常は「シューベルト最晩年のリートを集めて」という「白鳥の歌及び1828年のリートによるプログラム」に於いてだったが、ここでは他の作曲家の助奏付リートと組み合わせてみたわけだ。
「受けて下さい わたしの最後の別れのキスを・・・」
プライは 97年の来日公演で「白鳥の歌」の前に歌ったが、あの時は何やらプライ自身の別れの挨拶のように聴こえたものだ。
曲のテンポはプライとしては速めで、ピアノもホルンもゆったり感はない。(9分以上の演奏時間なので、実際に速いわけではなく、あくまで感覚や呼吸が、なのだろう)
それは急流に怯え、なす術も持たない「私」が、諦念と悟りに至るまでを描いた詩の内容に忠実とも言える。プライは強い声を一切使わず、いつもよりずっと抑えた声で歌い進めている。従って多くの歌手がやるように、後半に行くにしたがって高揚していくこともなく、むしろ放心していくようだった。何かに追われるように歩き続ける「冬の旅」と、逆らえぬ力で流され続けるこの「流れの上で」・・・行きつく先はどちらも「死」だが、プライが歌うとなぜかそこに救済と安息が待っているように聴こえるから不思議だ。

最後の1曲のみ、1984年10月4日のコンサートから加えられている。
プライの歌い方は演劇的で、表現の幅を制限した1981年とは明らかに違う方針を感じた。
曲ははクロイツァーの「死のファゴット」。9分越えの大バラードで、題名と内容は奇怪で不吉だが曲想はコミカルだ。曲の半ば過ぎ、オペラ風に高音を伸ばして終わるフレーズ・・・と思いきや、その音だけ歌わずにファゴットの高音が代理…会場は笑いと拍手喝采。多分、プライは口パクのオーバーアクションをやったのだろう。直ぐに続きを歌い出し、数分後の本当の曲尾では、安心して下さい。ちゃんと歌いますよ^^

このコンサートのプログラムは、意識的に歌謡的で親しみやすい曲を集めたようだ。ドナートは7曲、プライは8曲だが、プライのほうに大曲が多く、出番が長い。
ステージ上に2台のピアノと2人のピアニストを用意したのは、コバーンとのヴォルフの「イタリア歌曲集」と同じ要領だ。
それは必須条件ではないスタイルだが、スター歌手それぞれが、練習時間を充分とるためには良かったのだろう。
オペラでは少々声量に無理が出てしまうことのあるドナートも、小さなホールの親しげな雰囲気の中で本来の可憐な声を無理なく響かせている。
2人のデュエットがないのが残念。
このコンサートが行われた1981年以来、音楽祭「秋の音楽の日」は街をあげての定例行事として、プライが没した後も、現在まで継続している。
ベルリン生まれ、ハンブルクでデビューし、ミュンヘンに住んだ彼だったが、ホーエネムスの葛藤の後にたどり着いた小さな温泉町が、大歌手プライの後半生の心のよりどころとなった。それは大きな幸福だったことだろう。

このアルバム、とても素晴らしいと思うが、実は問題点がある。
パッケージデザインがジルヒャー作品集のLPの使いまわしで、「家庭用品の広告」みたいだということは置いておいて^^;
裏側に記載されたプライ担当のピアニスト名はヘルムート・ドイチュ。
ところがスリーブ中面ではレオナード・ホカンソンとなっていて、ドイチュは1984年公演のトラック15のみと表記されている。さて、どちらが正解なのだろう?
84年は確かにドイチュと共演している。ちなみに82年のステージは以前紹介したジルヒャー作品集で、ホカンソン共演だったから、81年もホカンソンの可能性が大きい。集められた曲に比較できる録音がないので、音だけでは全く判断できず、真実は闇の中だ。
これは決定的な傷ではないながら、音楽祭の10周年記念でこのミス、制作側のアバウトさというかユルさは逆に面白く感じてしまう。「ドイツだから堅実」というのは「日本人は勤勉で正直」と同様の単純な先入観にすぎないことを実感させられる。
posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(4) | プライ

2016年04月03日

中高青合宿2016

満開の「ポトマック桜」に見送られ、4/2〜3の一泊で合宿に行って来ました!
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西Gの活動から単独に戻り、回数をリセットして続いている「中高青合宿」
主要メンバーが大学生以上になって、去年緊急措置で組み込んだ小学生もリピートしてくれたので、
総勢15人の少人数ながら、去年の「小中高青」ではない正真正銘「中高青合宿」となった。

テーマは「ハイキング・ウォーキング合宿〜強くなろう〜」
なぜかって…
秩父湖から大滝げんきプラザまで歩いて登る、ハイキングがメイン!!
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地元の移動販売店の方いわく
「地元人は誰も歩いては行かないよ〜。すごいねぇ、がんばって。」
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確かに結構な山道でした。(迷ったせいで)
鎖場まであってびっくり(迷ったせいで)
でも結果的に見るなら、「言うほどの道ではない」。
これは足を故障して杖使用の自分が言うのだから間違いない!!

館長との対面の入所式、続けてゆりえBOSSのご挨拶。
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そして簡単な自己紹介のあと、スケジュール確認。
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そして「宝探しゲーム」。今度の例会にひっかけてるらしい。
貸切状態の宿泊棟に折り紙動物を人数分忍ばせ、制限時間内に見つけて報告。
折り紙の動物名を言い当てることで賞品がでるというシンプルなゲーム。
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さがしてもなかなか見つからない。
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賞品はけっけの出張先でのおみやげ+α、
自腹提供なのに、文句をあれこれ言われるのは「劇場青年としての受難」
相変わらずの伝統なのだよね〜^^;
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ちなみにくっついている折り紙は「エンゼルフィッシュ」

食事の後はキャンドルファイヤー。
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いつものダンスに加えて打ち合わせなしの「エア○○」の出しもの連発。
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楽しいキャンドルでした。
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就寝時間は2時前後にはみな落ち着いたみたい。
昔みたいに誇らしげに貫徹!とか無理をする子はいない。時代かねぇ。

朝は清掃の後食事。よって例年ほど寝ぼけ顔の人がいなかった!
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そして工作の時間。表札作り。
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桂の分厚い木に彫刻刀で名を彫って墨入れ、という本格表札でした。
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作品を前に講師の先生と記念撮影。
宿舎を出て、秩父湖まで再びハイキング。登りの半分の時間で下山。

結構盛り沢山の合宿でした!
後日まとめ〜文集でこの行事はひとまず終了。
でもすぐにキャンプの取り組みがはじまるのだなぁ。

posted by あひる★ぼんび at 23:17| Comment(0) | 劇場