2016年02月28日

高学年例会「左手のピアニスト智内威雄」

所沢こども劇場高学年例会「左手のピアニスト智内威雄」
こども劇場では珍しい(!?)純粋なピアノリサイタル。

今回も凝った手作り看板が迎えてくれた。
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受付準備!
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出入り口近くで合宿参加者募集。
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観客は程よい入り具合。子どもが少ないのが残念。
ピーピーきゃあきゃあやかましかった昔が懐かしいなぁ・・・。
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智内氏は東京音大卒業後、ハノーファーで学び、いくつもの国際コンクールに入賞していたが、2001年にジストニアを発症して、右手の運動機能を失ってしまったという。
しかし彼は賢明のリハビリによって2003年には「左手のピアニスト」としての活動を開始している。
脳梗塞で右手機能を失った舘野泉氏の復活も凄いと思ったが、そういった突然の疾病によるハンディに負けない精神力は、簡単に言葉では表せないものだと思う。

今回のコンサートのプログラムは特に子どもを意識することなく、さらにピアノ学習者向けということもない実に「正直な」ものだった。
むしろその辺にこの方のピアノ音楽に対する誠実な姿勢も感じた。
J-POPやジブリ、ディズニーを編曲して入れることなど、そんなに難しくないはずだ。しかし、それは彼の考えるコンサートの姿ではないのだろう。以前、やはり劇場の高学年例会で、ヴァイオリニストの松野迅氏がフランクのソナタを全曲そのまま演奏したことがある。その時感じたのだが、子どもたちは大人が考える以上にありのままに受け取る感性を持ちあわせているということ。
だから「子どもが知ってる曲を」=「私が知ってる曲を」求めるのは間違い。
どんな音楽も、ちょっと難しく感じる音楽も、子どもには新しい世界を開く鍵になる。

今回のプログラムは
アヴェマリア(グノー)
エレジー(サンサーンス)
左手のアーカイブより:
トロイメライ(シューマン) アリエッタ(グリーグ) タイスの瞑想曲(マスネ)
シャコンヌ(バッハ)
****
組曲「みちびき地蔵」(川上統)
左手アーカイブ:日本と韓国の音楽より
海辺の祈り(近藤浩平)
前奏曲と夜想曲(スクリャービン)


目前で演奏される「ライヴ感」こそが生命線で、録音物で聴いた場合どう感じるかはわからない…
そういう意味では聴衆サービスは薄い…そんな曲目が並んでいた。
5本の指が描き出す音符の数は当然ながら両手の半分になるわけで、いくら「その為」に作られたり編曲されたものでも限界はあるはずだ。けれど、意外にもスローな曲よりも速い曲、平坦な曲よりダイナミクスの幅の大きな曲が繰り出されるのには驚いた。
一部の最後の「シャコンヌ」は熱演だった。ブゾーニの一連のバッハ編曲とも異なる、ブラームスとヴィトケンシュタインによって与えられたその「身体」からは、内声部から浮き出すコラール旋律による祈りに加え、敢えてゴツゴツという低音の、慟哭とも思える響きまで生み出していた。
二部の最後、智内氏を左手のみの演奏家として向かわせるきっかけになったという、スクリャービンの「前奏曲と夜想曲」。この作曲家の初期の、ショパン風の甘美さと色彩感で、コンサートに彩りと充実感を与えていた。ちなみにスクリャービンは友人との超絶技巧合戦のあげくに右手を痛めたということだ^^;
智内氏のライフワークである「左手のアーカイブ」プロジェクトは、歴史に残された「左手の為のレパートリー」がベテラン奏者用の超絶技巧のものばかりであることから、ハンディを背負ってしまった人の入り口とレパートリー拡充の為に始めたものだという。そこから今回はポピュラーなクラシック曲3曲と日本と韓国の歌を2曲ずつ演奏している。どれもメロディにあまり音を加えず、響きを大切にした静かな編曲だった。
気仙沼の津波にまつわる古い奇談をもとにした組曲「みちびき地蔵」、東日本大震災と原発事故の犠牲者に捧げられた「海辺の祈り」…コンサートは基本的に静かな雰囲気の中で進められたが、曲の合間にトークが入ることで深刻さが避けられていた。

この会場のピアノはヤマハC3。この公民館は新しく、そのオープンに合わせて新調されたものなのだろう。多目的貸館の備品にありがちな不安定さはない。
会場の音響は基本的にデッド気味なのだが、以前、別の会で、特定の音で奇妙な残響が起こっていたのを聴いている。しかし今回は思いきりサスティンを踏み込んだとき以外は不自然さもなかったから、智内氏はかなり注意深く響きを作っていたと思われる。

終演後はCDと楽譜販売&サイン会。
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そして感想を書く!
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その場で感想が書けるってすごいな、と思う^^
音楽の余韻を胸に帰宅。家で左手演奏にチャレンジする子もいるんだろうなぁ。

posted by あひる★ぼんび at 23:35| Comment(0) | 劇場

2016年02月26日

シュライアー、若き日の「ブラームス・ドイツ民謡集」

自分がはじめてこの曲集を聴いたのはエディト・マティスの演奏だったが、LPとしてはシュライアーの旧録音がはじめてだった。
徳間がETERNA名義で出していたLPは、シュライアーの印象的な横顔だった。CD時代に入ってから「美しき水車小屋の娘」や「バッハ・カンタータ集」など数々のジャケットに使い回される名ショットだが、この時はかなりジャケ買い要素もあった気がしている^^
ジャケットに使われていたのはこの写真。
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テレフンケン(キング)からはドレスデン聖十字架合唱団のドイツ民謡アルバムとシャッフルされてリリースされた。しかし、演奏者名だけで内容詳細を判別できずに購入した為、中を見れば全く同じ録音・・・ごく近い時期に二重購入となってしまった。
今ならまあいいか…だが、当時高校生だった自分は、小遣いをやりくりしての購入であり、しかも2枚組は高額。物凄く悔しかったのを憶えている。当時は東ドイツシャルプラッテンの録音物は西側各社に権利が売られていて、日本でも、エテルナ名義での徳間以外ではグラモフォン名義でポリドールから、EMI名義で東芝から、テレフンケン名義でキングから、レーベル無銘でビクターから…という具合に、そこらじゅうの会社で「少しずつ」販売されていたのだ。しかも困ったことに録音データがデタラメだった。記載された年月日とロケーションはほとんど信用できなかった。ロシアのメロディアもめちゃくちゃだった(名盤「晩祷」など実際と10年ずれている)が、しかしそちらは書いてない場合がほとんどなので、そのほうが親切な気もしたぐらいだ。
ちなみにこれは一番最新のデータは1986年になっているが、完全な誤植。それでは70年代に発売できるはずもなく、幾つかの情報の多数決で1968年3〜4月ということで良いのだろうと思われる。

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ブラームス:ドイツ民謡集(15曲)
ドヴォルザーク:ジプシーの歌 op55

  ペーター・シュライアー(テノール)
  ルドルフ・ドゥンケル(ピアノ)
(徳間 LP/CD 国内盤)




ここで選ばれているのは以下の15曲。
*あつあつになってしまった
*すてきな乙女よ、入れておくれ (1:31)
*今晩は、ぼくのおりこうなかわいこちゃん
*僕の想いいだくすべては
*いとしいひとよ
*僕の彼女は赤い唇
*お起き、いとしい人よ
*どうやって家の中に入ったらいい?
*今夜わたしは眠れない
*ああ、今宵出掛けられたら
*優しい娘が歩いていた
*マリアはさすらいの旅に出た
*おねえちゃん、おねえちゃん
*ああ、天使のような羊飼いの娘よ
*陽はもう輝かない


ある意味ではありふれた選曲にみえる。音楽的な完成度を考慮したうえで、歌い手にも聴き手にも心地よい選曲にするとだいたいこうなるのだろう。「菩提樹が立っている」や「下の谷間では」等が選ばれなかったのが残念な気もする。とにかくシュライアーの声質には静かで緩やかな曲が似合う。活発すぎたり強音を持つ曲だと、それこそヒステリックにシュライアー(絶叫)してしまう傾向があるし、感情を込めすぎると突然に奇妙な発音になりがちなので^^;

「ジプシーの歌」の方は中の1曲「わが母の教え給いし歌」が有名だが、その他の曲も味わい深い。
シュライアーは元々のヘイドゥクによるドイツ語詞ではなく、ヴェレクの再訳を用いている。彼はこの曲を68年の当録音と、79年、83年の計3回録音しているから、気に入っていたのだろう。
先に述べたような唐突な強声が気にならないでもないが、いや、それはそれで刺激的でいいのかな?
煌びやかなピアノパートともども鮮やかな印象の演奏だ。
シュライアーのこの頃の曖昧さのない正確な音程はこれらの曲のメロディラインを一層鮮明に浮かび上がらせ、その美しさを堪能させてくれる。すばらしい1枚だと思っている。

posted by あひる★ぼんび at 23:32| Comment(0) | 音楽

2016年02月21日

オイリディケ!

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)は、オペラ作曲家、宮廷楽士長として名を馳せた。
もっとも、彼はオペラの表現手法改革を試みていたため、大きな変化を嫌う層から反発され、支持者と反対者が拮抗していて、順風満帆というわけではなかったようだ。
「オルフェオとエウリディーチェ」は1762年にヴィーンで発表したもので、現在でもグルックの代表作として上演されている。オペラの全体像は知らなくとも、オルフェオのアリア「エウリディーチェを失って」やパリ版(1774年)に加えられた「精霊の踊り」は誰もが知っているだろう。
幾つかのギリシャ神話を合わせて作られたカルツァビージの台本は、悲劇ではなく「悲劇展開ののちにハッピーエンド」、強引に神への賛美で終わるという、ある意味せっかくの情緒をぶち壊してしまう当時の貴族の嗜好が出てしまったものだ。
こういう現状を知ると、それよりずっと以前のシェイクスピアの悲劇作品がいかに異端で革新的だったかわかる気がする。

oreulp.JPGグルック:
「オルフォイスとオイリディケ」(ドイツ語版抜粋)

  ヘルマン・プライ(オルフォイス)
  ピラール・ローレンガー(オイリディケ)
  エリカ・ケート(アモル)
  ベルリン交響楽団 RIAS合唱団
  ホルシュト・シュタイン(指揮)
(エレクトローラ.LP EMI.CD ドイツ輸入盤)




プライはこのオペラのドイツ語版抜粋をシュタインの指揮でエレクトローラに録音している。
グルックはドイツ語オペラは1曲も書かなかった。よって、これはドイツの慣例によるトランスクリプション、しかも、先の「フィガロの結婚コンピレーション」ともまた違った編集方針による「作品」となっている。楽譜の○曲目と○曲目と・・・という単純な名場面チョイスではなく、譜を少々いじって、場面ごとひとかたまりにうまくコンパクトにまとめているのだ。
本来長い古典オペラをLP1枚50数分につめこんでいて、少々はしょってる感じは否めないが、オペラ全体の雰囲気を掴むには面白い趣向だと思う。1960年代、エレクトローラやオイロディスクではこういうオペラ抜粋盤が多数リリースされていた。
この盤などはプライのオルフェ中心に編集されているので、レシタティーヴォが歌としっかり融合したグルックのスタイルと相俟って、まるでコーラスを伴う規模の大きな独唱カンタータを聴くようだった。全体のドラマは残念なことになってしまうが、プライファンには嬉しいものだろう。

この盤を初めて買って聴いたのは高校時代。きっかけは音楽の教科書にこのオペラのオルフェオのアリアがあったこと。本物を聴いてみたいと思っていたところ、たまたま立ち寄ったレコード屋でこれを見かけた。
ギリシャ衣装を着たプライがカッコよく、ローレンガーは美しかった。そんなジャケットの写真に惹かれた…これにした理由は実はそれだけだった^^;
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悲劇的な弦の響きと、バッハのコラールのような合唱にのって、亡き妻に呼びかける「オイリディケ!」の歌声が鮮烈だ。これ以降の場面のグルックの音楽自体がさほど緊張感をもっていないのが残念に思えるほど切実で、掴みは充分。
1962年1月の録音で、プライもいたって好調だ。
この盤は幸い、EMI名義の最後の頃にCD化されている。
オペラも娯楽の一環として捉えることができた時代の、愛すべき遺産のひとつだろう。

posted by あひる★ぼんび at 23:44| Comment(4) | プライ

2016年02月20日

合宿実行委員会2016

先々週から今年の合宿の実行委員会が始まった。
正確には今回からかな。
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結構本降りになった雨の中の実員会だったが、なお・ゆりえ・しほ・あかね、そして強力なけっけ。みやこし・おおだち、そしてワタクシ・・・が出席。
期日は4月最初の土日。場所は大滝元気プラザだ。
内容も参加者も未定だけれど、楽しい合宿ができるといいな♪と思う。
早く足を治さないと^^

*********

月曜の夕方、足に激痛が走って、それから歩こうとするとめちゃくちゃ痛い。
(平常時は全くの無痛。曲げるのも自由自在!)
それで、とりあえず杖を使っている。
いつもなら30分ぐらいの劇場事務所への道が、今日は1時間半。なんてこった^^;

こういう状態だと、あらためて気付くことがたくさんある。
自由に歩けるとは、なんて素晴らしい、なんて贅沢なこと!
しかし、それよりも…道は段差だらけ。歩道も狭すぎる。
信号は変わるのが早すぎ、自転車は傍若無人だ。

思い出したことがある。
以前コンタクトレンズの交換で、出来上がりが遅れて数日裸眼で過ごした時、点字ブロックのありがたみを実感した。
ブロック上に無作法に置かれた自転車や広告旗には憤りを感じたし、また、点字ブロックの黄色がひきたたなくなるカラー歩道は迷惑だと感じた。視力障害は全盲だけではない。コントラストで判別してそれをナビにして歩く人だっている。
さらに、膝の高さの車止めはほとんど凶器のようだった。

さらに思い出したこと。
ずいぶん前、こども劇場の中高青行事で狭山や所沢市内を車イスで移動したことがあった。狭山はともかく、所沢は車イスには不都合が多すぎる街だった。
あれから20年位たつと思うが、改善されているように思えない。今、障がい者や高齢者の街づくりへの参画はどういう現状なのだろう。
ふと、疑問になった。

posted by あひる★ぼんび at 23:36| Comment(0) | 日記

2016年02月17日

プライのアルマヴィーヴァ

プライは若い頃、「フィガロの結婚」ではもっぱらアルマヴィーヴァ伯爵を歌っていた。
「ハイバリトン」の声が生きる役は案外少なく、モーツァルトではこれとコジのグリエルモ、魔笛のパパゲーノぐらいだった。
プロデューサーや指揮者の強い薦めがなければ、モーツァルトのフィガロは歌わなかっただろう。
今でこそステージや録音物のおかげで最高クラスのフィガロと認識されているが、現役当時は「キィが全体に低すぎる為、喉を傷めるかもしれない」と積極的にはなれなかったという。しかも、イタリア語はドイツ語より喉を開かねばならず、危険は大きかった。さらにイタリア語が母国語ではない歌手が、フィガロのような出ずっぱりの役を演じると言うのは、口の悪い批評家の恰好の標的になるだろうというのも見えている事だった。
避けていたにもかかわらず、同時代に活躍のディースカウが伯爵を持ち役にしていた為、メジャーレーベルの企画では競合してしまう。デヴュー時まもなくから「セヴィリア」のフィガロで大当たりしていたプライに、こちらのフィガロ役が回るのは当然だったわけだが。
DGからの話を受けた時から、プライのフィガロ人生はピークを迎える。
狡猾で気位の高い伯爵役より、機知とユーモアのフィガロ役がプライにあっていることはほとんどの人が思うことだろう。
「私の中にフィガロ的要素は全くない」といくら本人があちこちのインタヴューで言ったところで、納得する人はそうはいない。
彼が「いつも苦悩と孤独感を抱えていた」と言っても、スターならば誰もが感じる周囲との軋轢と違和感が言わせたのだろうと思えるし。
1977年の過労事件以降、プライには若干、鬱の兆候があったにせよ、深刻になる前に彼自身が回避体制をとることができる知恵と行動力も持ち合わせていたわけで、レパートリーの整理、スケジュールや公演地、共演者選択を慎重に決定していたのは流石と思える。

hochfig.jpgモーツァルト:「フィガロの結婚」(ドイツ語版コンピレーション)
カール・クリスティアン・コーン(フィガロ)エルナ・ベルガー(スザンナ)
ヘルマン・プライ(アルマヴィーヴァ伯爵)
エリザベト・グリュンマー(伯爵夫人)
エリカ・ケート(ケルビーノ)ゴットロプ・フリック(バルトロ)他
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン交響楽団
北西ドイツフィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・シュヒター、ベリスラフ・コロブカル(指揮)
(エレクトローラ LP ドイツ輸入盤)



この盤は複数の録音を編集して「ハイライト」に仕立てた盤。こういった盤はエレクトローラには数点存在している。
贅沢なキャストだが、もしこれで正式なセッションが組まれていたら名盤になったかもしれない。
それにしてもジャケットのプライは伯爵役の舞台衣装と飾りつけ黒子(当時の貴族の流行ファッションだったらしい)まで再現した完璧なメイクが決まっている。
高貴な貴族の雰囲気と、澄んだ青い目が印象的な写真だ。そんなジャケットにもかかわらず、別にこの盤はアルマヴィーヴァをクローズアップした選曲ではないわけで、プライの登場は本当にわずかなものである。
どの曲を誰が指揮し、オケはどれなのかすら表記がないのは、「歌手本意」でオペラが語られた古きよき時代の象徴といえそうだ。当然のようにここではすべてドイツ語で歌われている。

そしてこちらはドイツ語版の全曲。
osfig.jpgモーツァルト:「フィガロの結婚」(ドイツ語版全曲)
ヴァルター・ペリー(フィガロ)ヒルデ・ギューデン(伯爵夫人)
アンネリーゼ・ローテンベルガー(スザンナ)
ヘルマン・プライ(アルマヴィーヴァ伯爵)
エディト・マティス(ケルビーノ)ペーター・シュライアー(バジリオ)
アンネリース・ブルマイスター(マルチェリーナ) 他
シュターツカペレ・ドレスデン&合唱団
オトマール・スイトナー(指揮)ヴァルター・オルベルツ(チェンバロ)
(ベルリンクラシックス 3枚組 ドイツ輸入盤)



1966年ドレスデンで録音されたもの。東ドイツの製作だが、主役クラスは西側で活躍のスターを集め、脇を東独勢で固めている。
オーケストラの渋い音色と落ち着きがいかにもドレスデンだと思う。
ベリーのフィガロは「ドイチュフィガロ」としてはプライよりも逞しく、落ち着きを感じる。
のちに大当たりとなるプライのフィガロの軽快さやイタリア色男風味は皆無だ。こういうアプローチもあるのだろう。
プライの伯爵はあいかわらず若い。色好みはその若さ故の過ちと言った風で、ディースカウの演じる伯爵の憎々しさは感じられなかった。
イタリア語版とは当然印象が違うが、これも紛れもなくモーツァルト。元々モーツァルトの音楽は「ドイツ語の語感による音楽」なので、イタリアオペラをドイツ語で上演する時のような違和感は何もない。ただ、有名なアリアの度に歌詞とリズムの違いに「!」となるのはやむ負えないだろう。
当時、こういった東西共同企画のスタートには経済的・政治的な「大人の事情」があった。
その辺のことはシュライアーがインタヴューで語っていたことがあったが、何はともあれ、こういう貴重な録音が数多く生まれたのは幸運だった。とにかく、最近はほとんど聴くことができなくなったドイツ語版の貴重な全曲盤だ。国内盤が出なかったので話題にもならなかったが、名盤だと思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:14| Comment(2) | プライ

2016年02月15日

タヴナーのピアノ独奏曲集


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タヴナー:
ゾディアック(1997)/イパコエ(1997)/
ペリン(1977)/マンドゥードルス(1982)/
プラティルパ〜ピアノ独奏版(2003)/
2匹のネコの思い出(1986)


ラルフ・ファン・ラート(ピアノ)
(naxos EU輸入盤)



ジョン・タヴナー(1944-2013)の音楽はこのブログでは「神秘のヴェール」を随分前にとりあげた。
今回のこれは彼の書いたピアノ独奏曲を集めたもので、声楽や管弦楽とは少し異なる世界が繰り広げられている。
彼の後半生の音楽は「神秘主義」として語られることが多く、正教、ヒンドゥー教、イスラム教など他宗教の要素を積極的に取り入れていたという。
信仰に関しては本人は正教徒であると主張していたようだが、改宗していた時期もあるようで、彼にとっての宗教は絶対的なものではなく、「神秘的なもの」への興味、宗教哲学のコレクター趣味だったのでは?と思えてならない。
書かれた作品は案外、多様式には響かない。「教会旋法を用いた宗教的作品」として耳に届く。にもかかわらず、宗教的な敬虔さとか感動とかとは少々違う方向を持っていて、信仰信条吐露ではないようだ。
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タヴナーの風貌は壮年期以降のフランツ・リストの肖像を思わせる。
リストはある時期から悟りの境地に入っていたようだが、タヴナーからは現世の色々な欲というか煩悩のオーラのようなものが^^;
ただ、思うに「煩悩」は現代の豊かな生活には重要であると思う。世捨て人が良いはずもない。

さて、タヴナーのピアノ独奏曲は多くはないようで、ここに収められた数曲で彼の人生のうちの1977年から2003年までを俯瞰できる。アルバム自体が2007年の春の録音なので、最晩年の作品は入っていないわけだが、これで多分、我々一般人には充分だろう。
1曲目の「ゾディアックス」ほとんど微かな音の短い導入曲、それに続けての「イパコエ」は13分の中規模曲だが、タヴナーを適度に知る人にも違和感はないだろう。特徴としてはメロディよりも「音」の喜怒哀楽の表情がしっかりしている。ボンと鳴らした音がそれだけで多くを語るようなのだ。この曲でならされる音列は…東方正教会由来の古い聖歌のメロディが元と思われるが、ぼんやり流れを聴くと、日本の唱歌「ふるさと」のようにも聴こえてしまった。ペルトのひたすら静謐な世界とは異なり、音数もダイナミクスも多様に変化する。
続く「ペリン」は鬱陶しいほどクドいフレーズが繰り返される。そこにはナンカロウの自動演奏ピアノを聴くような無機性を感じた。ラートの指の速さは並はずれたものだと思うが…なんだろう、決して心地よい音楽ではなく、全体に無神経さも感じる。
ペットのネコにインスパイアされて書いたという「マンドゥールス」は、これはちょっとした箸休め?ショパンの断片は何だろう??気まぐれな音楽だ。
「プラティルパ」は2003年に書かれた30分の大曲。タヴナーの音楽を知る人には違和感ないし「彼らしい」と感じることだろう。ちなみにラートはこの曲のピアノと管弦楽版も録音している。
最後に再びネコを扱った曲でアルバムはしめられる。
いろいろな理屈がくっついて、鑑賞に説明が必要になるのは「ゲンオン」としては特に珍しくないのだろう。タヴナーの場合はそれをきいてもあまりピンとこないのが特徴かもしれないが・・・。
果たしてタヴナー自身は、これらの音楽を、コンサートや録音物で繰り返し聴かれるものとして書いたのだろうか?
実験音楽、音響実験というほど奇抜ではないが、聴き手の感性に対する積極性、あるいはひきつけるというサービスを全く考慮していない。
何やら意図がほとんどくみとれないまま、曲は次々進み、アルバムは終わってしまった。
こういう音楽の感想を書くのはやはり難しい、それを改めて感じた1枚だった。
posted by あひる★ぼんび at 23:50| Comment(0) | 音楽

2016年02月06日

ねずみーしーとちょこふぉんでゅ。

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ヴェネチアではなくてね。
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さすが天下に知れたねずみのくに。その「うみ」の方^^
リアルな海に面してるのに全く海のにおいがしないのがすごい。
まあ、本物の海水じゃあ数年で建造物は劣化してしまうんだろうし、陸地のランド以上に工夫を凝らしてるんだろうと思った。
アトラクションは当然楽しいわけだから、長時間の「待ち」さえなければもっといいのだけれど、
・・・あ、考え方によっては「待ち」も楽しいのかな??
なにしろワタクシアトラクション混雑状況を見通せない初心者だからねぇ。

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日が落ちても120分待ちとか。さすがに並びません^^;

現場のほとんどが若いバイトさんにかかわらず、皆よく訓練されているし、
楽しそうに仕事をしているのが印象的だった。運営方針がしっかりしていてるんだろうな、と思う。
お客さんは中韓の方が多いようで、人混みのノイズが異次元の音色だったのが面白かった。

本日ははむはむは休暇なのでした。

******

さて、そのころそのはむはむは…
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暖かいお部屋でチョコフォンデュとか。

何かわかります?
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これ、金柑なのですよ。巨大化してるけど♪

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ちなみにはむはむたちがはむはむしてるイチゴとミカンはつくりものなのでした〜。
あ、金柑は本物だよ。
posted by あひる★ぼんび at 23:59| Comment(0) | 日記

2016年02月04日

噂でつぶされた名誉〜サリエリ

アントニオ・サリエリ(1750−1825)は存命中は宮廷楽士長としてヨーロッパ中の尊敬を集め、自作に限らない人気オペラや大規模声楽作品の上演を積極的に行った。また、ベートーヴェン、シューベルト、リストらを指導した優れた教育者でもあった。慈善活動にも熱心であったと伝えられている。
尊敬を集めれば嫉妬も生むのが世の常。後半生の彼を襲った「盗作事件」や「モーツァルト毒殺」といった根も葉もない噂は独り歩きした挙句、それを扱ったプーシキンの「モーツァルトとサリエリ」、それを元にしたRコルサコフのオペラ、そして近年は映画「アマデウス」によって、現在ではすっかり悪役イメージが定着してしまった。ちなみにサリエリはモーツァルトの5歳上。映画では老音楽家だったが、実際の二人はほぼ同世代人ということになる。
富も名声も得ていた成功者サリエリが、貧乏作曲家モーツァルトを妬む理由は何一つなく、むしろモーツァルトのほうが「あいつがいるから私が出世できない」とサリエリを邪魔にしていたという証言もある。
また、サリエリが無口で無愛想だったのは単純にドイツ語がうまくなかったからという説もあり、映画のような高慢偏屈とは遠い人柄だったようだ。
…自分の中でもサリエリの姿はスネイプ先生と重なっていたりするのだけれど^^;
映画のヒットもきっかけとなって、サリエリの作品の発掘と再評価も始まったのは怪我の功名。
もっとも、当時の常識からはみ出していたモーツァルトの音楽に比べると、時代の様式に忠実なサリエリの音楽はインパクトが薄く感じるだろう。それを発想が貧弱とか言うのは酷というものだと思う。

sli-req.jpgサリエリ:レクイエム ハ短調
ベートーヴェン:静かな海と楽しい航海
シューベルト:声を聞き給えD.963

アリアンナ・ズーカーマン(sp)シモーナ・アイヴス(m-s)
アダム・ズニコウスキ、マリウス・ブレンチウ(ten)
ルイス・ロドリゲス(br)ペドロ・リベイロ(オーボエ)
アリス=キャプロー・スパークス(コールアングレ)
アントニオ・エステイレイロ(オルガン)
リスボン・グルベンキアン管弦楽団&合唱団
ローレンス・フォスター(指揮)
(ペンタトーン SACD ドイツ輸入盤)



2009年11月リスボンでのコンサートライブ。
サリエリのレクイエムは、標準的なカトリック葬儀典礼のテキストを選び、構成も真面目。
曲想はオペラ風というわけではないが、和声も素直な分、歌心はモーツァルトよりむしろ深いと感じた。
斬新さとは対極の、慣習に沿った厳格な作曲技法と楽曲構成、その中から浮かび上がる悼みと敬虔な気分。
静かに湧きあがる昂揚感と、華やかさを演出する金管ファンファーレ。伝統を重んじた大音楽家サリエリが誠意をもって書き上げたろう名曲だと思う。
この曲は日本でも演奏記録があり、つまりは決して幻の音楽ではないものの、このまま「演奏機会が極端に少ない曲」にとどめてしまうのはもったいないと思う。
ただ、全体的に保守的な音の並びは、誰がどんな風に演奏しても良い曲になるという種類のものではなく、演奏者の力量で印象が大きく左右されてしまう恐さもあるように感じた。・・・いや、この盤以外の演奏は聴いてないのだが。
40分に満たない曲なので、当然カップリング曲がある。この盤にはベートーヴェンの小さなカンタータとシューベルトのオフェルトリウムが収録されている。
2人ともサリエリの弟子である。サリエリは無報酬で二人に音楽を教授したようだ。
ベートーヴェンは師に作品を献呈したこともあり、またサリエリも「ウェリントンの勝利」の副指揮者も担当したようだが、ベートーヴェン自身からサリエリへの明確な感謝表明の様子は伝わっていない。
シューベルトに至っては、少年時代から目をかけてもらい、作曲家として売り込む際には自身の楽譜表紙に「サリエリの弟子」とその名を使っておきながら、別の場面では師匠を鬱陶しがるよう発言を繰り返していた。保守的で厳しい師匠に対する若者の反応などは、いつの世もそんなもののようだ^^;
両曲とも、折り目正しく整った演奏。しかも音がいい。
忘れられたサリエリと偉大な弟子2人のすばらしい1枚だと思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:40| Comment(2) | 音楽