2016年01月29日

偉大なスターの肖像〜奥様お手をどうぞ

編集オムニバス盤はここでは取り上げない基本方針だけれども…プライも没して久しく、放送用音源や演奏会記録の公開以外、新たな盤が増えることもない…ということで、方針を破ってちょっと前にリリースされた4枚組を紹介したい。

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偉大なスターの肖像〜ヘルマン・プライ
「奥様、お手をどうぞ」

民謡、ポップス、オペラ、
オペレッタ、リート等の名歌唱集
(リーダーズダイジェスト 4枚組 ドイツ輸入盤)




この盤はシュトゥットガルトの「リーダースダイジェスト・ドイチュ」の発売。
「リーダーズ・ダイジェスト」は言わずと知れたアメリカの保守系雑誌会社で、国際的に事業展開している。音楽産業でも、LP時代より名曲集や様々な名演奏家のベスト盤をリリースし続けている。これはそのドイツ語圏(ドイツ・スイス・オーストリア)ローカル発売で、シリアル番号入り限定盤。
(特に装丁等に工夫もなく、限定にする必要は全く感じないのだけれど^^;)
ジャケ写真は背景だけを変えてかなり使い回されているポートレイトだが、古くからのファンが抱く彼のイメージが強く出ていて、爽やかさもあり、好感がもてるものだ。
内容的には60年代のものはアリオラ・オイロディスク−アカンタ、70年代のものはフィリップス−DGとEMIから、80年代以降はカプリッチョの音源を中心に集められていて、各CDには適当なカテゴリー分けが書かれている。

曲目については裏スリーブの写真をそのままアップしておく。
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この盤のデジタル化音源の提供は基本的にFONOTEAMのもの。だから当然、マスタリングから選曲方針までメンブランと同じ傾向。音質・音量・音場の調整はなく、つまりは聴感上の「ごった煮状態」を回避できていない。
それでもU音楽系は再発売ごとにリミックスされる機会もあるので、これまでの手持ちのものと音の印象が違うものもある。
元々TV番組連動でリリースされることが多かったプライの「U音楽企画盤」の多くは消費財扱いだったようだし、音源の権利は早期に拡散するか、放送局で封印されてしまう傾向が強かった。
おびただしい数のそれらのアルバムは今となっては曲目だけではいつの、何の録音なのかわからない。
こういったオムニバス・コンピレーションを聴くとき、「何が飛び出すか」という面白さを楽しむ聴き方もあるわけで、それを強調するならDG系列のオペラやリートエディションからのものはカットして、ポピュラー中心にすればもっと面白いかな?と思ってしまった。
この4枚セットには珍しい音源は含まれていないものの、ごちゃっと集められたことで生まれる多彩な音世界から、プライはきっとこういうカラフルさも好みだったのだろうな、と思えた。
スターとしての栄光のもと、苦悩と孤独を抱えて深刻に落ち込んだり、必要以上にはしゃいだり…ミューズに愛され、その愛に誠実に応え続けた芸術家のポートレイト。
集められた歌唱からは、天才性とか超人っぷりではなく、人間味と温もりを強く感じる。
オイロディスクの名盤「世界の歌を歌う」からの数曲や、リートエディションからの録音、ホルライザーとの名アリア集からのゼッキンゲンのとびきりロマンティックな1曲等、聴きどころも多く、それらがしっかり手綱を締めてくれているのも嬉しくなる。収録時間で言ったらLP6〜7枚分の大漁状態だ。
またまた勝手な想像だが、この盤は「回顧するため」とか「限られたファンのため」ではなく、これまでプライをよく知らなかった人が「20世紀最高のうたびと」の姿を知るきっかけとするコンセプトとも思えた。
28ページのリーフレットには曲名と演奏者、作詞作曲者名、著作登録年、権利社名のみが書かれていて、テキストや録音詳細データはついていないが、なぜか各曲の音源のマトリックス番号が入っていたり、わざわざ曲名索引があったり、鮮やかなポートレート(野外とボカッチョのジャケ写)があったりと、雑誌社の製作にもかかわらず色々アンバランスな冊子編集が意味不明で面白いと思った。


posted by あひる★ぼんび at 23:52| Comment(6) | プライ

2016年01月24日

低学年例会「森のオト」ロバの音楽座

「ロバの音楽座」に自分が初めて接したのは80年代初めだったと思う。
70年代からの世界的な古楽復興の兆しは、その頃やっと、一部の愛好家のものから世間に知られ始めていた。
真面目に古楽に取り組んでいたヨーロッパの著名な古楽研究者たちの、ピッチの低い、暗ぁい音色は、独特の味わいはあるものの、はっきりいって心浮き立つ瞬間のない「文献」のようだった。
美しいはずのメロディすら不気味か滑稽に感じることしばしば。
それも、音楽産業の中で商業音楽として受け入れてもらうにはモダンとの折衷を余儀なくされたようだし、
実際、考古学的なロマンティックな想像力はマンロウやブリュッヘン、クイケンなどの生真面目な奏者から、クレマンシックやパニアグアなどのキテレツな芸術家が混在する・・・何ともアヴァンギャルドな様相すら見えてきた時期だった。(いや、クレマンシックあたりはマトモだと思っていたのだけれど、後に「私の名はルネ・クレマンシックではない。レネ・クレメンチッチと呼んで欲しい」などといい始めた頃から変人が明確になった気がしている)

極東日本に誕生した本格的な古楽団体「カテリーナ古楽合奏団」。
それを母体に作られた「ロバの音楽座」は古楽の自由な創造と想像の部分を膨らませていた。
そういう「自由さ」は、当時、こども劇場の事務局運営と創造団体(演奏家演劇関係者)の交流会でも話題になっていた。
当然賛同ばかりではない。「演奏家が演劇的なものを演じる」ことへの不安と先入観、そしてやはり実際にある障壁。「聴く音楽」から「見る音楽」そして「遊ぶ音楽」、音楽を先祖がえりさせていく大きな苦難があったろうと思う。
それでも石の上にも35年越えの年月。あの頃、交流会で接した方々の謙虚でひたむきな姿は印象深く記憶に残っている。
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今回も飾り付けに力が入っている。
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例会はお祭り。どれだけ事前事後を楽しむかも大切だ。
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オープニングの挨拶は手作りトロンボーン「ブンパカパッパ」隊による立体音響セレモニー^^
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カーテンコールには感謝の気持ちをこめて、子ども達から出演者にプレゼント。
そして、ブンパカパッパ隊とロバメンバーが演奏しながら行進退場♪
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創立者の松本雅隆さんの妙技、世界でも数少ないセルパン奏者の長井和明さん、
演奏者の技術は超高度だ。
トラヴェルソの湿り気を帯びた音色も美しかった。
また、サズのみならずリュートをプレクトラムで「かき鳴らす」奏法や、
セルパンやサックバットといった既に滅びてしまった楽器が見られるのは貴重だった。
ツィンクやクルムホルン、プサルテリーの多用は団結成時流行のスタイルの名残りだろう。
休憩なしの80分越えのステージは古楽曲に日本語の親しみやすいオリジナルを加え演劇要素も取り入れた構成。
子どもたちの集中力と、ロバメンバーの演奏力と構成力に感服のコンサートだった。

CDへのサインを待つ子ども達。
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「あぁ!」と思ったことがある。
ステージがはじまってしばらくしてから、自分の近くに座っていた小学生の女の子が突然耳を押さえて
こわいこわいと言いながら席をはずした。

そういえば随分昔、自分も低学年の子どもたちに演奏を聴かせて経験したことがあったっけ。
あの時僕はシャリュモー(クラリネットの先祖)を吹きながら、足で打楽器を鳴らした。
すると2人ほど耳を押さえて逃げて行った。
シャリュモーは音域の狭い音の小さな楽器だし、打楽器もケルティックドラムの小さなものだったのだけれど
「お化けの声が聴こえた」のだそうだ。
だが今回はなんの音に反応したのだろう??尋常じゃない反応だった。

子どもと大人では聴こえる周波数の範囲が違う。
大人には優しい音でも、子どもには悪魔的に響くこともあるのだろうと思う。
以前、テレビでもやっていたが、携帯のカメラシャッター音で、さまーず三村風の声で「とっちゃうのかよ!」というのが、子どもに聞かせると高い声で「あーあーいー」と言っているように聞こえる、というのがあった。
周波数の不思議。
同じ音楽でもきっと聴こえている音はかなり違っているのだろう。
色々なことを思い出す例会だった。

posted by あひる★ぼんび at 23:55| Comment(0) | 劇場

2016年01月20日

聖マリア教会の夕べの音楽

ディートリヒ・ブクステフーデ(1637頃〜1707)は北ドイツの作曲家・オルガニストで、一族はデンマークと北ドイツの大都市(ハンブルク、リューベックなど)を本拠として活躍した。作品はオルガン曲と教会カンタータが多く、その方面での功績を高く評価されている。また「アーベントムジーク(夕べの音楽)」と銘打った聖マリア教会の無料音楽会は大好評だった。
この定期イベントにブクステフーデはかなり力をいれていたが、商業的採算を無視したイベントだった為、リューベックの都市そのものの経済停滞がそのまま彼の人生の大きな躓きとなってしまった。
音楽家としての名は高みにあっても、経済的には破綻。
もし彼にテレマンの商才があったらきっと富と名誉の双方を得ていたかもしれないのだが…。
ちなみにこの「アーベントムジーク」は詳細なセットリストが残されなかったようで、ブクステフーデがどんな曲をどれ位の数提供したのか現在では明確ではないらしい。
これもまた大きな不幸である。

独エレクトローラは1960年代、バロックから古典派の作品を地域別にコンピレーションしたアルバムを多数企画している。これはその中の「リューベック」編となる。

IMG_4457hyss.JPG「リューベック」〜聖マリア教会の夕べの音楽
トゥーンダー
ブクステフーデ
ブルーンスの作品

エディット・マティス(ソプラノ)
ヘルマン・プライ(バリトン)
コンソルティウム・ムジクム
ヨハンネス・ブレンネッケ(オルガン) 他
(EMI ドイツ輸入盤)



ブクステフーデの音楽は「感情の流れが濃厚」と言われることがあるが、実際演奏するとなると、その濃厚さが表現方法の可能性を限定してしまうものなのかもしれない・・・個人的な感想だがそんな印象がある。
そのブクステフーデのカンタータをここではプライが歌っている。
1曲のみ、10分程度だが、曲との相性は別にして、存在感はかなりのものだ。
録音は1962年1月ベルリン。
若々しいその歌声はいつものように艶やかだ。しかし、作曲年代を意識に入れていないロマンティックな表現は、オルガンパートのフレーズと度々喧嘩してしまい、録音バランスの問題もあって、少々居心地悪く感じたのは事実。
気合たっぷりに声を張っているせいもあるだろう。そこは若さ故、といったところか^^;
CD化は早かったが、見かけなくなるのも早かった。また、EMIに多数あるその後のプライの名唱集の類に収録されているのを見たことはない。

同じような違和感をマティスが歌った部分についても感じた。
彼女が歌っているのはブクステフーデが1曲と、コラール・カンタータの開祖とも言われるフランツ・トゥーンダー(1614-1667)のカンタータが1曲。
このトゥーンダーはブクステフーデの先任オルガニストで、アーベントムジークのイベントも彼の創始だという。
若き日のマティスは可憐で美しい歌唱を聴かせる。しかしそれが必ずしも生かされていないと思えてしまうのは、この時代の音楽の特徴が彼女の歌唱スタイルと合致していないためだろう。
他にブクステフーデの弟子のひとりで、天才との評価の高かったニコラウス・ブルーンス(1665〜1697)の声楽作品も収録している。
この時代のそれぞれの作品は、演奏家の解釈に依存する部分が大きく、しかもほぼ同じ楽派の音楽とあって、個性が見えにくい。逆にそれが全体を同一色に染め上げ、アルバムとしてのトータルな雰囲気を作り上げる効果になっている。
室内合奏、オルガンソロ、独唱、重唱、合唱と様々な形のものが繰り出されるが、聴感上のつながりが考えられていて、まるで1つの作品のように聴こえる。ベルリンやリューベックなど、録音場所は様々なようだが、それを意識させないのはプロデューサーの手腕でもあるだろう。
それぞれの曲が短めなので、充実した感動を得るには物足りないが、当時の人気イベント「アーベントムジーク」を気楽に追体験するにはいいかも、と思う。
何より若き日のプライやマティスの瑞々しい歌、しかも珍しいレパートリーが聴けるのだから、文句を言うのは野暮というものだろう。

posted by あひる★ぼんび at 23:50| Comment(6) | プライ

2016年01月18日

雪の朝

雪が降った。

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元々降雪は少ない街だから「全国的に寒気が流れ込み東日本でも雪が降りやすくなっています」
・・・の予報がない限りはまず降ることはない。
で、それは毎年のように成人式前後には聞かれ、たいてい予報通りに、降る。
覚悟はしていたことだけれど、乾燥した天気直後の雪は必要以上に積もるし、それに雨が混じっては重くべたっとした状態、しかも昼近くには解け始めてからは道路冠水が酷くて大変だった。

こうなってみて気が付くのは、交差点の角が極端に下がっていること。
排水側溝は落葉や砂埃で詰まっていて、あふれてかなり深い水たまりになること。
歩道は思った以上に極端に狭いこと。
歩きなれてるはずの道なのに、気が付けば車道を歩いていたり。
まあ、それにしても、豪快に雪水を弾き飛ばして走る車が多くて、
雨雪はとっくにやんでいるのに、全身ずぶ濡れこれいかに、だ。

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3Dラテふたたび。
コーヒーではなく、ココア&無調整豆乳で挑戦。
あいかわらずのBUSAIKUネコくん^^;

posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(0) | 日記

2016年01月11日

荒野のイスラエルの民

Die Israeliten in Der Wuste に対する上記の邦題が適切かどうかはわからないが、この曲は今も昔も一般的には「砂漠のイスラエル人」とか「荒野のイスラエル人」と訳されている。
聖書関連の邦訳では砂漠より荒野が一般的だろうし、国籍人種ではなく「そこに生きる人」という意味をさすと思われるので、ここで記事にするにあたって勝手に「荒野のイスラエルの民」としてみた。
まあ、邦題で内容の印象が変わるようなものではないわけで、ここではとりあえず許して頂きたい。

大バッハの息子のひとり、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)。
彼は1768年に君主フリードリヒ大王の膝元を離れ、テレマンの後任楽長としてハンブルク宮廷に向かった。
その際のプレゼンテーション、名刺代わりの作品がこのオラトリオだった。
モーゼが困窮する民を導く物語で、数百年に渡り続いていた宗派論争の標的からは比較的遠いということで、「とりあえず」この題材が選ばれたようだ。
当時流行していたヘンデル的な華やかな祝祭的な気分も、演劇的な要素も含みつつ、神への感謝と祈りの精神を謳いあげている。
そういう聖と俗のバランスの良さもあったのか、当時は熱狂的に受け入れられたらしく、エマヌエルは大バッハ以上に人気のある成功者となっていった。
彼は「ハイドンやベートーヴェンに影響を与えた作曲家」とも言われるが、やがて強大な君主が亡くなり、時代が経過していくと共に影が薄くなるのはしかたないことだったのだろう。
この大規模なオラトリオも、メンデルスゾーンが「エリア」を作るきっかけにもなったほどの人気曲ではあったが、現代ではどういうわけか、埋もれないまでも少々軽い扱いにされてしまっている。
時の流れの大きな力は予測不可能なのだ。

cpeb-ip.jpgCPEバッハ:「荒野のイスラエルの民」Wq.238,H.775
  シルヴィア・ゲスティ(イスラエルの女T)
  カテリーネ・ガイヤー(イスラエルの女U)
  エルンスト・ヘフリガー(アロン)
  ヘルマン・プライ(モーゼ)
  ベルリン・ジングアカデミー
  ベルリン放送交響楽団 マテュー・ランゲ(指揮)
(アルヒーフ LP2枚組 ドイツ輸入盤)




このレコードは1969年末から1970年末までの約1年間、部分部分録音セッションが続けられ完成したもの。
時間がかかった、というよりは売れっ子独唱者のスケジュール調整の都合だろう。何はともあれ、アルヒーフレーベルの積極的な発掘がこの形の労作に繋がったのだろうが、国内盤も再発盤も見かけたことはなく、結局未だにCD化すらないようだ。
この録音から30年、古楽復興のムーブメント以降の現在では、CPOレーベルにブルンナーが、HMFにはクリスティが録音したものがあり、デジタル配信もされている。
この曲に興味がある方はそちらを聴いてみると良いと思う。
さて、この演奏。
独唱者はゲスティ、ヘフリガー、プライといったグローバルなオペラ畑のメンバーだが、編成も演奏様式もこのレーベルらしく、いわゆるピリオドとの折衷になっている。この曲の楽譜を知らないので何とも言えないが、ヘンデル以降の華やかな18世紀末様式を意識してか、特に合唱の人数を極端に削ることはしていないようだし、器楽アンサンブルも豊かでロマンティックな音を出している。そのへんのレトロ感がむしろ好ましい。
彼等のような独唱者の声の質が生きるのはピリオドかモダンか、歴然としている。
ここでのプライはモーゼの役である。
物語的には主役だが、音楽的には必ず「脇」になる、この種の宗教曲のパターンを踏んでいる。
しかし、プライの滑らかで艶やかな存在感の大きな声はテノールやソプラノを押さえて充分主役だ。
18世紀も現代も、そんな声の持ち主はめったに存在しないわけで、もしこの声をヘンデルやバッハやテレマンが聴いたら、きっと彼のために多数の作品を書いたことだろう^^
・・・それにしても、こうして自らがイエスやモーゼを演じる気持ちはどんなものなのだろう。
日々を信仰から遠い所ですごす一般的日本人の自分には想像が難しい。
少なくとも、日本人がブッダやヤマトタケル、アマテラスなどを演じるのとはわけが違うはずだ。
まあ、おそらく音楽が鳴り始めてしまえばミューズに身を委ねるままなのだろうが、準備練習段階では巨大なハードルを感じたことだろう。
ハロウィン、クリスマス、除夜の鐘、初詣、いくつもの宗教をマルチに受け入れる日本人には一番理解が遠い部分なのか・・・こういう曲を聴くたびにそんなことをふと思ったりした。

posted by あひる★ぼんび at 23:29| Comment(4) | プライ

2016年01月07日

シュライアーのテレマン

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テレマン:歌唱と通奏低音の練習曲集(36曲)
   ペーター・シュライアー(テノール)
   ロベルト・ケープラー(チェンバロ)
   ヴェルナー・ヤロスラフスキー(ガンバ)
(徳間ジャパン 国内盤)





テレマンは多作で知られた作曲家だが、「音楽を売る」ことに本気で取り組んだ元祖のひとりだった。
印刷技術の向上と普及は楽譜出版の機会を増やし、「音楽」は宮廷での限られた贅沢のひとつから、上中流市民階級の子息のたしなみとして流行の兆しをみせた。テレマンは早くにそこに着眼して、多数の「練習曲集」や比較的易しいコンチェルト、ソナタを多く書いて売りまくった。
これはそういったものの一つで、「歌唱、演奏と通奏低音の練習曲」と題された47曲からなる曲集である。
どの曲も単純でわかりやすい構成とメロディなので、ちょっと歌の心得のある人ならば難なく歌えるし、管楽器演奏者だったらそのメロディをそのまま吹くだけでも自らのレパートリーの色添えにもできそうな曲が並んでいる。中にはどこかで聴いたことのあるメロディも含んでいて、その辺はバッハの「マグダレーナの音楽帖」と同程度の感覚で「練習教材ですから流行のメロディを適当に入れました」という風だったのかもしれないが、こちらが元なのかもしれないし、著作権という考えがなかった時代なのでそのへんはわからない。

これは高校時代にLPを購入して随分聴いた。
シュライアーは36曲を選んで収録している。現在だったら全47曲をCD1枚に収録できるほど短い曲ばかりである。自分はメロディをコピーしてオーボエで演奏したりもした。伴奏も基本和音コードなので、ギター等でも似せることが可能だった。ただこれは自分達は心地よく演奏できるが、聴いて面白いかは別問題だとは思う。
その通り、シュライアーの巧みな歌とプロフェッショナルの伴奏でも同じことが言えそうだ。
いくつかの曲は後の時代のリートの萌芽を感じるが、大半はあまりにも他愛ない。テレマンのカンタータ「学校の先生」や「カナリア」等で聴かれる、物語に即したしっかりした付曲とは違い、ずっと軽い感覚で作られているのがわかる。
1967年1月録音、この頃の歌い崩しのほとんどない素直な若きシュライアーの歌からテレマンの音楽そのものが持つメロディの簡素な美しさを明確に捉えることができる。
久しぶりにこれを通して聴いてみたが、高校生の時に感じたそのままの印象だということに気が付いた。
それは曲ごとに何かの感情を呼び起こすような部分がないからだろう。ただ、懐かしい。
そんなふうに音楽とは関係ない思い出フィルターが自動的にかかってしまうため、一般的な人が聴いた時、面白いと思うかどうかは全くわからない。
ひとつ言えることはこの曲集は本来が「聴いて楽しむもの」ではなく「演奏して楽しむもの」だ、ということだ。ツェルニーやブルグミュラーあたりの練習曲を聴いて「懐かしい」と思う人はいても、感動する人は少ないだろうというのと似ている。

この頃、徳間から大量にリリースされたシュライアーやアダムのLP盤は、演奏も誠実で録音も良く、プレスもジャケットも綺麗で購買欲をそそるものだった。しかし問題は…訳詩。それは当時高校生だった自分の感覚でも疑問に感じるものだった。
つっこみを恐れてか、ものによっては歌詩カードに「歌詩大意」とわざわざ書いているのがなんだか面白かったけれど。
今になって改めて読むと、ああ、これをこう考えて、わかり易くするためにこうしたのか…とある程度訳者の思考の道筋が読み取れて、やっつけではなかったことはわかる。
ドイツの各都市はそれぞれが何百年も独立した文化を持つ小王国であり、その地域の人にしか読み取れない方言や言い回しも多い。宗教宗派によるメタファーも無視できない。
まして古典となれば、学者でない限り正しい文意は示せないだろう。モーツァルトやシューベルトのグローバル化した作品なら文意は慣例に従えばいいだけだが、こういった珍しいバロック曲や民謡作品となればそうはいかないわけで…。
そんなこんなも含めてすべてが「懐かしい」印象の1枚だった。

posted by あひる★ぼんび at 23:29| Comment(0) | 音楽

2016年01月01日

謹賀新年2016

皆様、明けましておめでとうございます!
本年も宜しくお願いいたします。

・・・というわけで
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行ってきました、東京スカイツリー。
こんにちは。レポーターのはむはむです♪
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電車内の広告を見てふと思いついたのであります。
これまでもソラマチまでは来てましたが、あまりにも天気がいいので上がってみることに。
人気アトラクション並みの行列&待ち時間を経て登ってきました。
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すべてが小さく見えて、距離感も高さも実感が薄い気がしたのが正直なところ。
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当然、東京タワーよりはるかに高いわけだけれど、安定した構造なので揺れがなくて、その安心感もあるのかな?
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スカイツリーの影が面白かったです〜。

そのあと浅草寺に行きましたが、あまりにも人が多く、初詣は断念!!
新年早々連続して行列に並ぶのは、さすがにちょっと・・・。
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「王道は混む、でも楽しい!」ということを確認できた元旦でした♪
浅草近辺からはむはむがおおくりしました♪

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浅草。僕が生を受けた街。
実際に住んだのは幼児期のほんの数年間だったけれど、優しい祖父母や母の兄弟姉妹の大家族で過ごした思い出は、暖かく懐かしい。
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こうして見渡すことができる日が来るなんて、思いもしなかった。
晴れ渡った空の下、富士山が見えた。
東京大空襲のあと、一面の焼け野原と瓦礫の向こう側に青空に映える富士山が見えたと、祖父母に聞いたことがあった。
ふとそんなことを思い出した。
あの不幸な歴史の面影は、ここにはもう何もない。街はすっかり変わった。
負けるものかという気迫と、夢に甘えず現実の中から未来を切り開いた強さの結晶。
「ふるさと」の人たちが失くしたものと生み出したもの・・・複雑な思いがした。

帰宅後、家の外通路から富士山のシルエットが見えた。
ここは僕が育ち、今こうして生活している街だ。
同じ空と同じ富士山。今年も僕達を見守ってほしい。
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posted by あひる★ぼんび at 23:48| Comment(4) | 日記