2017年09月19日

思い出のレコードからC〜ランパルのモーツァルト

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W.A.モーツァルト:
フルート協奏曲 第1番、第2番
フルートと管弦楽の為のアンダンテ

    ジャン・ピエール・ランパル(フルート)
    テオドール・グシュルバウアー(指揮)
    ウィーン交響楽団
(エラート LP 国内盤)



これは1967年のレコード。
日本コロムビアの「デ・ラックスシリーズ」といういわば企画品で、定価は2500円と書かれている。

レコードの値段は基本的にずっとこれぐらいの価格で、それは現在のメディアにも引き継がれているわけだが、厚生労働省の統計資料ではこの頃の一般サラリーマンの月収は36200円(標準的手当込、課税前)ただし、現在の月収平均を35万前後とした、かなりお役所らしいありえない数値のものなのだが・・・
いずれにせよ「レコード」というものがいかに贅沢品だったかがわかる。

それは趣味としていた人にとっては「蔵書」であり「宝」である。
これ以前からジャケットを簡略化して値段を数百円下げたものや、大胆に半額にした「廉価盤」もあったが、それらはいくぶん盤質にむらがあって、50年経過した現在ではザラザラと針音を生じさせてしまうものも出ている。
明らかに価格をおさえる方向を間違えた為なのだが、まあ、それは当時は将来のことなどわからなかったろう。1000円だって充分高価な買い物だったわけだからもう少し考えるべきだったのでは?とも思う。

70年代の高度成長は大きく経済状況を変えた。
自分自身が小遣いでレコードを買い始めた頃(1973年以降)には廉価盤の質も向上していたし、
70年代おわりともなれば海外盤が専門店で国内盤より安く入手できるようになり、まるで様相が違ってきた。
無産階級の中高生にはありがたいことだった。
しかし、一種のグローバル化と技術革新の競争過熱は、80年代のLP終焉に向かって一直線。
「進化」と「簡略化」と結果としての「商品としての魅力の低下」へ進んでしまったようだ。
CDの登場が止めをさしたのは確かだが、それだけが原因ではないように思う。

ともあれ、これは輝かしいLP全盛期の一枚。
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布張りの上製本仕様、26ページの分厚い解説書の紙質も印刷も高品位で、50年たった今も劣化していない。解説内容そのものは時代なりだし、まるでエッセイなのだけれど…縮小されてはいるが、全曲のスコアも収録されている。
盤はさすが限定仕様、レーベル部分もエッジも丁寧な仕上げで、材質起因のノイズも少ない。うちの保管が良かったというより、紛れもなく製品の水準の高さなのだと思う。

当時の若手指揮者のホープ、グシュルバウアー(録音時27歳)の演奏もまた時代を反映したロマンティックな解釈で、この曲にしては大きめの編成のオーケストラを優雅にドライブている。
すでに大ベテランとして君臨していたランパルのフルートも鮮やかで伸びやかだ。
ランパルの演奏は、フルートを愛好する人たちから少々荒いと言われがちだったようだが、こういう古典曲をダイナミックに演奏する際の手段でもあったのだろう。
ここでのランパルの演奏は違和感を感じないどころか、最近の「ピリオド」では味わえない生気がある。
思えば、この頃は学問や理屈より感覚が優先されていた、音楽を素直に楽しむには良い時代だったのだろう。
こういう伸びやかな演奏を改めて聴くと、現代の環境が「音楽を楽しむ人」「音楽を豊かに表現できる人」を生むのか、ちょっと疑問になる。
もちろん、これを初めて聴いた小学低学年の頃はそんなことは考えようもなく、比べる材料もなく、美しくなぜか少し寂しげな(時にちょっと眠くなる^^;)音楽だと捉えていた。
とにかく刺激だけが楽しみではないことを、穏やかに教えてくれる演奏だった。
中学時代、仲良しにフルートをやっていた友人がいて、彼はランパルはあまり好きではないと言っていた。大御所マルセル・モイーズの数少ない録音が、彼の心の師匠だったようだ。
時々、2番のコンチェルトの部分的なパッセージやドップラーを吹いて聴かせてくれた。
心からスッゲーッと思った^^
それもまた、大切な思い出だ。


posted by あひる★ぼんび at 23:27| Comment(0) | 音楽

2017年09月04日

組曲「占星術」(!?)

1914年から1916年、星にまつわる神話を題材に、第一次世界大戦の頃に書かれたのがホルストの「惑星」。
この曲がレコーディングされるようになり、まれに演奏会にもとりあげられるようになった(ホルスト自身が抜粋演奏や編曲を厳しく禁じていたせいで実演が困難だった)のは1960年代以降。
東西世界の宇宙開発が活発になった時代だったので、一般の人はその「惑星」という題名から「占星術・神話世界」ではなく「宇宙」をイメージすることになった。
発売されるメディアのアートワークのほとんどが天体なのだから、なおさら。この(恐らく意図した)誤認が「大当たり」となった。
もし、ホルストが作曲意図通りに題名を「占星術」とかにしたならば、現在の人気はありえなかったろう。
星に託された神々の伝説は、各惑星の「ビジュアル」のインパクトからは遠い。
よって、オーケストレーションは凝っていて楽器の種類も多いが大げさではなく、概ね地味な使い方をしている。壮大か精緻か、アプローチ変更の余地はあるとはいえ、映画音楽的世界を期待するには曲の構造がサービス不足、それを求めるとおかしなことになるだろう。
しかし、1950年代終わりから1960年代の初めの、有名指揮者の演奏は案外とエンタメ性が高い。
この時代の物としては、作曲家のスタイルを尊重して手堅く描いた初演指揮者でもあるボールト、禁を破って曲に手を入れ、かゆい所に手が届く(!)ストコフスキー、明晰明快に磨き、耽美的なカラヤン、この3点が典型と言えるかもしれない。

カラヤン&ウィーンフィルの「惑星」を久しぶりに聴いた。
1961年に録音され、60年代から80年代までのアナログオーディオ全盛期に名盤として君臨した1枚だ。
オリジナルのLPは中学の頃購入したが、とっくの昔に処分してしまったので、しばらく耳にすることがなかった。CDも一時期持っていたが、それも手放した。
…自分の中ではその程度の価値感覚だったのだ。曲自体、好きとまでいえない状態だったので、余計だろう。当時、面白いと思えたのはTVの洋画劇場のエンディングテーマだった「木星」とたんたんたぬきに似ている「天王星」ぐらいだった。「半端にわかりやすい音楽」が苦手だったのかもしれない。これは子どもの頃からそうだった。同じ時間を鑑賞に費やすなら、ディーリアスやシベリウスのほうがずっと好ましかったのだ。

これを久々に聴いた理由はBlu-layオーディオ化されたものを入手したからだ。
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ホルスト:組曲「惑星」op.32
   ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ウィーン国立歌劇場合唱団

(ユニバーサル・ハピネット Blu-rayAudio 国内盤)



ブルーレイディスクに96kHz/24bitと192kHz/24bitのリニアPCM音声を収録している。
2Lレーベルに比べると少々半端なハイレゾだが、うちのチープなシステムでは充分だ。
ってか、これでもちゃんと再生できているのか確証が持てないけれど^^;
が、まあ、不満はないからいいのか。 アナログLP的なまろやかさの中、スクラッチにびくびくすることなく暖かな豊かな音が聴けるわけで、本当に良いメディアだと思う。
細部のパートの音まで聴き取れるのは、この年代のデッカの録音技術も高度だったということだろう。
LPではノイズに消され、CDでは決して気付けなかった音列が蘇っている驚異があった。
そういう発見は「金星」や「海王星」など、特に弱音主体の部分で顕著なのだ。
全体を通して、この時代のカラヤンのすっきりテンポがとても心地良い。粗野さを残したウィーンフィル、アナログ時代らしく、ヴォリューム操作で多少平坦化している以外は小細工がなさそうな録音…そんな中で素朴なエンタメ性が楽しめる。
考えてみれば、1960年代位まではどこのオーケストラもそこそこラフで、また、指揮者の「オレ様度」によって音楽が変容するのが何よりも面白かったものだ。
高度な専門教育を受け、技術的にも磨かれた演奏家達が、最新の技術の元でスマートな演奏を繰り広げている現在。それはそれで良い事なのだが、この時代の流れは、ノイズや人間的な疵と共に、覇気と生き生きとした力まで割り引いてしまったのかもしれない。
こういう最新メディアのひとつの形が忠実な過去再現だとしたら、それはそれで歓迎するけれど、結局過去は過去。すでに化石となったものは蘇って動いたりはしない。新しい覇気がほしい今日この頃だ。
音楽を聴きながら、そんなことを考えているなんて、いやあ、自分も歳をとったものだなぁ・・・。

posted by あひる★ぼんび at 23:43| Comment(2) | 音楽

2017年08月27日

キャンプ報告会2017

今年のキャンプの「まとめ報告会」。
キャンプの終着駅直前、これであとは文集製作を残すのみとなる。
毎年、参加者数の縮小が記録更新されてしまって寂しい限り。
でも、少人数なりに楽しく過ごせたようで良かったと思う。

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中学生で実行委員長をつとめるというのは少人数キャンプとはいえ何かと大変だったろうが、プレッシャーがあることを感じさせない余裕の表情だったのが印象的。まゆ&けいは大物だ^^
8月初旬のキャンプ期間中、こちらはぐずぐずの天気だったので心配だったのだが、むこうはまずまずだったようだ。
こういう行事は天気の良し悪しが成功のカギでもあるわけで、とてもラッキーだった。

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現地には行っていないゆうたがDVD編集をしてくれて、楽しさを端的に提示してくれた。
言葉や写真では伝わらない部分を明らかにしてくれる貴重なアイテムだと改めて感じた。

今年は高校生大学生不在のキャンプになってしまったので、それだけでも厳しかった。
来年は、自分も参加できたらいいなと思う。
もしそれが無理でも、参加者があと数名は増えて欲しい。
そうじゃないと、企画自体が難しくなってしまうよ^^;

posted by あひる★ぼんび at 23:21| Comment(0) | 劇場

2017年08月21日

純粋な、真のファミリーソング

mer-shima.jpg「メルヘンをうたう」
ドレミの歌・チムチムチェリー・星の王子さま
スヌーピーの大冒険・虹の彼方・マルセリーノの歌
二人の天使・ヴィリアの歌・いつも夢の中で
オリバーのマーチ・こうして踊ろう・ママに捧げる歌

島田祐子(ソプラノ)
杉並児童合唱団 ニューサウンズエコー
ポリドールオーケストラ
(ポリドール LP 国内盤)




これを聴いたのは高校生の頃。
島田さんの歌声はずっと以前から聴きなれていたし、収録曲もいくつかの新しい曲以外は幼い頃から知っているものだった。
最初に新譜としてFM放送で流れた時の印象は、島田さんが歌うと全部が「みんなのうた」テイストになるのだな、ということだった。
その声は、後年以上に若く伸びやかで気負いも感じない。
当時、「ベルカントの観点からは・・・」とか「本格的なオペラ発声としては」とか、色々難しいことを言う評論家はいたようだが、彼女の日本語の発音の自然さは、当時のクラシック系ソプラノ歌手随一だったと思う。
オペラの発声はこうでなければ、なんてものは本来ないのだし、そもそもここに収録している種類の歌のほとんどはオペラ発声は似合わないし、それを採用するのは音楽的ではない。日本人に向けて歌うのであれば、しかも楽しさを伝えようというのであれば島田さんの解釈はベストだ。何しろ歌えないのではなく、表現上の選択なわけで。

自分自身、当時から歌謡曲よりフォーク・ロック、それよりクラシックが好きであり、子どもの歌やミュージカルナンバーも好きだったから、このアルバムの収録曲は特に親しみを感じるものだった。
アレンジはクラシカルなポップス、つまり典型的なホームミュージック。
曲によってはメロディそのものが唱歌風に大きく変えられているものもある。
フンパーディンクの「こうして踊ろう」は元のメルヘンオペラの枠を飛び越えて、幼児用の歌集で見かけるお遊戯用改変版。「あしぶみトントントンそのてをパンパンパン」…ちょっと気恥ずかしい感じだ^^;
だが、19世紀にジルヒャーが「菩提樹」を改変し日本をはじめ世界ではそちらのほうが有名になった例があるように、良い編曲は曲に新たな生命を与えるものだ。品位を失わない範囲で主旋律を抽出してわかりやく覚えやすくするのは悪いことではない。

歌詩については岩谷時子氏による「ヴィリアの歌」などは、原語のオペレッタを聴いてもこちらを口ずさみたくなるほどぴったりきている。
「ヴィリアおおヴィリア森の美女、麗しの面影よ ヴィリアおおヴィリア命でも君の為なら・・・」
原詩の物語の流れをそのままうまく日本語にあてはめるこの手法は見事だ。
また、あらかわひろし氏による「チムチムチェリー」や峰陽氏による「オリバーのマーチ」はNHK教育の歌番組で聴き慣れたバージョン。
そしてペギー葉山さんの才気溢れる名作詩「ドレミの歌」・・・元々名曲だが、日本語歌詞が更なる永遠の生命を与えた名作だ。
「虹の彼方に」や当時の最新曲「星の王子さま」も収録され、これらも実に見事なはまり具合だと思う。
ダニエル・リカーリの世界的ヒット「二人の天使」、あのダバダ〜ダバダバダバダバ〜は本家を髣髴とさせる。より純度が高く感じたのは彼女の声質からだろう。

このアルバムがCD化されているかどうかは確認していないが、今では半ば忘れられた存在になってしまった感がある。
そうしてしまうのはもったいない、上質の、本気のファミリーアルバム。
ここから聴こえてくる純粋な、真のファミリーソングが完全に「過去のもの」になってしまうとしたら、今は何とさびしい時代なのだろうと改めて思った。

島田さんにはこのLP録音当時、こうもりのアデーレ役や学生王子のケティ役で生の歌に接することができた。
また後には仕事でもお会いすることもできた。
早期にステージを引退し、情報は何も入らなくなってしまったが、引退後は後進の指導にあたっているときく。
いつまでもお元気でいてほしい。
posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(4) | 音楽

2017年08月12日

「ハンガリーの三羽烏」そろい踏み

「ハンガリーの三羽烏」・・・クラシックファンでこう聴いて、「ああ、あの…」と思うのは自分と同世代以上だろう。
ラーンキ・デジュー(1951- )
コチシュ・ゾルターン(1952- 2016)
シフ・アンドラーシュ(1953- )

共にハンガリー国籍、1950年代前半生まれのピアニスト。
ハンガリーの状態が安定をとりもどした70年代、ほぼ同時期に初来日を果たし、それぞれ端正で若々しい演奏でファンを獲得した。
チェコの同世代ヴァイオリニスト、ヴァーツラフ・フデチェク(1952- )もそうだったが、3人の中では特に、個性的過ぎない爽やかルックスのデジュー・ラーンキが若い女性たちを虜にしていた。
来日してすぐ、ポップスターでは当たり前の「ファンクラブ」結成もあり、また、サイン会・握手会も数多く開催されていた。
当時高校生の自分は、男子であるし、ほかに聴きたい演奏も数多かったので、「話題のひとつ」的な捉えかただったし「アイドル展開」にメーカーの売らんかな意識を感じて、抵抗感もあった。しかし、それを越えて、中高年演奏家ばかりのクラシック音楽の世界に彼らのような「新しい風」が起こっていることは嬉しかった。
「年寄り音楽を聴いて面白い?」
そんなことをよく友人に問われることが多く、ある意味「好きなものは好き」としか答えられないはがゆさと面倒くささがあったので、彼らのように見た目から美しいスター性、アイドル性は本当に貴重な救世主に思えた。

さて、この盤。

hung-lks.jpgモーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲(第10番)
3台のピアノのための協奏曲(第7番)

   コチシュ・ゾルターン(ピアノ)
   シフ・アンドラーシュ(ピアノ)
   ラーンキ・デジュー(ピアノ)
   フェレンチク・ヤーノシュ(指揮)
   ハンガリー国立管弦楽団
(フンガロトン LP キング国内盤)


のちにコチシュはフィリップス、シフはデッカと契約しているが、このデビュー時点では3人とも同じフンガロトンレーベルだし、レパートリーも共通しているので、特に共演に困難はなかったはず。しかし案外こういう企画はされず、ラーンキとコチシュで分担して弾きわけたモーツァルト独奏曲集などはあるにはあったが、3人そろっての共演盤は珍しかったと思う。
この盤でのパートは第1がラーンキ、第2がコチシュ、第3がシフである。
ほぼ均一のタッチと音色で、全体に颯爽とした演奏だ。
ハンガリーのオーケストラは明るい響きではないので、そこはうまくバランスが取れているし、フィレンチクもツボをおさえ、若者達のテンポ感をコントロールしている。
決して能天気に空虚にならないし、全体の「歌心」が心地よく、すべては「あれ、もう終わり?」と思ったほど弛緩なく軽やかに駆け抜ける演奏だ。緊張感ではなくシンパシーで聴かせてしまうのはまさに「若さの特権」なのだろう。
同時期にこれだけの才能ある奏者が現れたのは奇跡の様だった。
これがハンガリーでなくアメリカだったら大宣伝だったかもしれない。
結果的に聴く人数は制限されることにはなったが、消費されることなくショービズの餌食になることなく、3羽の烏がハンガリーを中心に飛び続けることができたのはラッキーだったと言えそうだ。

この3人、その後の歩む道はそれぞれだった。

シフはソリストとしてはシューベルト演奏に定評があるし、リート伴奏者として多くの歌手に信頼を得ている。室内楽への参加も多く、また現代音楽の世界にも踏み入っている。
コンサート、メディアの数では3人の中で一番の知名度といえるかもしれない。
極端に内向的に聴こえることが多いので、時折聴くのが苦しくなることがあるが、自己のスタイルを完全に確立しているのがわかる。

コチシュは早くから指揮者・編曲者としても活躍の場を広げていて、演奏スタイルは積極性が強かった。
テンポを速くとることが多く、歌いすぎない。ある意味シフの対極かもしれない。
指揮もピアノ演奏もキビキビとした音楽運びが力強く、心地よいものが多かった。去年、64歳というまだまだ活躍できる歳で亡くなったのが惜しまれる。

ラーンキは2人に比べると中庸温和な雰囲気だ。誠実で崩しのない演奏が、曲によっては物足りなくなりそうだが、案外とシューマンなどには名演も多い。
また、室内楽にも良い適性を聴かせてくれていた。デビュー時の(日本での)スタートダッシュ的売り込みは、むしろ彼の本質ではなかった。
彼は最近も来日し、演奏会を開いている。
その公演は衰えのない鮮やかな演奏、綺麗に歳を重ねた容姿、「美青年の演奏家」という思い出を裏切らないものだったと聞いている。

彼らの若き日、青春の記録。もう2度と3羽が揃うことは叶わないが、ジャケットの笑顔同様、微笑みを交し合うような音楽は永遠である。

posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(2) | 音楽

2017年08月11日

あの空

あたりまえだったことががあたりまえでなくなることがある。それはもう色々と実感している。
僕は今年もこどもキャンプにいけなかった。
30数年ずっと重ねてきた夏の恒例行事だが、こんなふうにブランクができてしまうと、どこか「リアルタイム」から「思い出」に変化しているのを感じる。
ずっと並列だった過去と未来が、整理され並べなおされていく。
歳を重ねるというのはこういうことなのか・・・まだ先はわからないけれど。

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金峰は良い山だが、最初の現地下見以来、登っていない。
持病を抱えたここ20年は、何となく体調とにらめっこしながら、無理は避けてきた。
いつも中腹のキャンプ場から山頂を眺めて、「またいつか登りたい」と思った。
だが今は、「またいつかキャンプに行きたい」と思っている。
夢が小さくなったわけではないが、それもまた、しかたないこと。

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来年も10年後も、あの場所の空の色はきっと変わらないだろう。
大丈夫だ。焦ることはきっと、何もない。

posted by あひる★ぼんび at 17:48| Comment(0) | 日記

2017年07月30日

ムーアの誕生日

ジェラルド・ムーア。20世紀を代表する偉大なるリート伴奏者である。
見識の広さ、技術の確かさ、自分と歌手それぞれの主張をうまく調整できる柔軟性も持っていたようで、ただ頑固なだけの大家ではなかった。
彼が「世界最高」という評価に辿りつけたのは彼のそういった部分と、戦勝国の人間だったという、この世代の人では実にラッキーな条件もあるだろう。(やはり運も才能のうちなのか)ヨーロッパの戦雲に蹂躙されナチスドイツの敗退と共にフェイドアウトせざるを得なかったラウハイゼンと、どうしても比べてしまう。少なくとも技術を常に磨く要のあるピアニストには、活動空白や制限は地獄であり、それを回避できたのはすごい幸運なのだ。
1899年、イギリス・ハーフォードに生まれ、カナダのトロントで育った。そこでデヴューを飾った後、イギリスに戻る。大戦後は当時の一流の音楽家たちと共演し、その実力を発揮し続けた。
ステージ引退は1967年と思いのほか早いが、70年代はプライやディースカウと数多くのレコーディングを果たし、1987年に亡くなるまで活発に著作活動も行った。
1962年の回想録「Am I Too Loud?」は面白いし、「シューベルト三大歌曲集〜解釈と演奏法」は多くのヒントを与えてくれる。また、引退直後から取り組んだディースカウとの「シューベルト・リート全集」は、専門家のみならず音楽ファンにとって、貴重な宝となるものになったといえるだろう。
そんなムーアも今年で没後30年、そして今日7月30日は118歳の誕生日である。

1967年2月20日、ムーアの引退コンサートの記録がレコード・CDに残されている。
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ジェラルド・ムーア・フェアウェルコンサート
  ジェラルド・ムーア(ピアノ)
  エリザベート・シュヴァルツコプフ(ソプラノ)
  ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
(東芝 2枚組LP 国内盤)




縁の深いシュヴァルツコプフ、ロス・アンヘレス、ディースカウと共に、この記念演奏会を楽しく成功させている。
この人選はEMIの敏腕プロデューサー、ウォルター・レッグがムーアに「印象深い好きな歌手」を訊いて決められたそうだが、はっきりレーベルとしての商業的意図を感じるものではある。そもそも、このコンサート企画そのものがムーアの意思がすべてだったとも思えないわけで、まあ、世の中そんなものだろう。
いずれにせよ栄光に満ちた大演奏家の引退試合であるから、悲壮感は全くない。
また年齢的にも余力充分で、ハレの気分と相俟って、誰もが安心して楽しめるものになっている。
ディースカウはいつもの通り、冷静に誠実に役割を果たしている。ムーアとシューベルトの全集に取り組むのはこの直後からで、レコードのライナーノートには当然まだそのことは触れられていない。
しかも、録音先はDGだったわけで、ここでいう「フェアウェル」はむしろEMIとの別れだったのかな?とも思えた。
ここでのシュヴァルツコプフとロスアンヘレスによる二重唱、ロッシーニの「ゴンドラ競技」や「2匹の猫の歌」などは会場から笑いが起こり、楽しげだ。自分は中学生の頃、この演奏をFMで聴いて驚いた記憶がある。声楽リサイタルは真面目なもので、笑うような場面はないはずだ、と思っていたからだ。二人の名ソプラノが徹底して演じていて、流石だった。
最後の最後、短いスピーチの後に「音楽に寄せて」をソロで弾く。
しみじみと感謝をこめて紡ぐピアノの音が感動的だ。

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LPレコードはしっかりした箱に入った2枚組で、当日のプログラム冊子の現物が付録としてついている。
LPに収録されなかった曲目もそのまま書かれているが、出演者サインなども載っていて、音楽ファンにとって宝物になりうる仕様。
昨今のダウンロード販売やストリーミングでは決して味わえない感覚だ。
そのままCD化されたものも何度か再発されていたが、LPの宝物感には叶わない気がする。
名演奏家、最高の伴奏者の遺産として長く残したいセットだと思う。
posted by あひる★ぼんび at 19:15| Comment(4) | 音楽

2017年07月23日

ついに今年もキャンプ参加者全体会

今年のキャンプは当初から参加者の目途がうまく立たなかった。
それでもどうにか参加者全体会を迎えることができた。
必要と思うから計画する、そしてその計画を 実現しようという努力有ればこそ、行きたい人の熱意あればこそのキャンプだ。

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夏になれば「やるのが当たり前」だったキャンプだが、ここ何年かかなりハードな葛藤を含みつつだった。
対象の会員数が少ない上、今年は大学生・高校生が全滅。青年役もけっけのみ・・・。
自分はキャンプスタートの日程決めの時点でアウトだったし、説明会もディキャンプも仕事の都合があわず参加できなかった。
キャンプは自分にとっては37年間の恒例行事なわけで、いつかまたしっかり関わりたいと願っている。
今年の実長は中2のまゆ&けい。
二人にとっても、小学生たちにとっても意義ある夏になるといいな、と思う。

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全体会はゲームをしたり、去年のDVDを見たり、持ち物説明と分担、キャンプ中のメニュー決め、買出しの計画、ファイヤーのダンス練習など盛りだくさん。
キャンプ近しの独特の高揚を思い出す。
昔の自分、特に関わり始めた最初の10年ぐらいは、ひたすら緊張感と闘う毎日だった。
食事も喉を通らず眠れない日々。
仲間を信頼していれば苦悩はない??・・・いや、それはちがう。
自分が担うべき責任は自分以外は誰も代われない。
その責任の重圧は明らかに楽しい気分を越えていたが、毎年やりきれていたのは、子ども達の存在と、その人生に関われる喜びだけだった。
僕は「キャンプ」が好きなのではなく、子ども達と行動するのが好きなのだ。改めてそう思った。

******

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プランターに撒いた(・・・というより投げ捨てた)金柑とオレンジが少しずつ伸びている。
外装改装中なので薄暗い玄関でゴメンなさいって感じだが・・・この生命力に驚嘆と感服。


posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(0) | 劇場

2017年07月22日

プライの19回目の命日に

プライが没したのは1998年7月22日。69歳になったばかりだった。
この年、ニューヨークでレヴァインとのリサイタルから帰国後、体調に多少の違和感はあったようだが、フローリアンとのコンサートも持つなど、相変わらず活発にステージを行っていた。
しかし、7月12日ミュンヘン近郊プリンツレーゲンテン劇場でのリサイタルの後、心臓発作で倒れ昏睡状態に陥った。それから10日後、家族や親戚が見守る中、永眠したという事だ。
その死は早かったが、こうして「生涯現役歌手」「いつも家族と共にあること」という大きな2つのポリシーを実現できたわけだ。

晩年の写真を見ると、数々の生活習慣病を抱えていてもおかしくなさそうな雰囲気で、過密スケジュールとそれに伴う無理不摂生がどれだけ健康を削いだかが伺える。
楽天性と深刻のふり幅の大きい彼の思考の中で、音楽や家族についてはストイックになれても、健康状態については「私には危機を乗り越える才能がある」を口実に疎かにしてしまったようだった。

来年は没後20年。西洋では没後○年より生誕○年が重要視されるので今のところ特に情報は入ってこない。
たぶん、再来年の「生誕90年」には何らかのアクションがあると信じている。
ザルツブルク、バートウラッハ、シューベルティアーデ(ヴィーン、ホーエネムス、ニューヨーク)、数々の来日公演記録…年間100回を越えるリサイタル、オペラ公演、メディアへの出演…多数の未発表音源や映像が残されているはずで、それらの公開を心待ちにしている。

さて、プライの経歴の中で、必ず取り上げられながら、本人があまり触れることのない音楽祭事業に「シューベルティアーデ・ホーエネムス」がある。
この音楽祭は、現在でも5〜10月に開催され、しっかり継続している。
その発起人がプライであることは、いまだ音楽祭紹介文にも健在だ。
計画時は「シューベルトの全作品演奏」「出来る限り作曲順に」そんなコンセプトだった。
しかし、実現した音楽祭はプライが想定した方向とは最初から違ってしまい、自身にとっては何かタブーめいた顛末になってしまったようだった。
この大音楽祭の「冠」として彼の名を看板に掲げることに何らかの不都合があったのか、この件はプライが音楽祭を去った後のインタヴューでも、自伝でも触れることがまるでなかったので、詳細は不明だ。

しかし、ホーエネムスを去った直後に始めたバートウラッハの「秋の音楽の日」について語る時、対比めいた発言がある。そこからホーエネムスでひっかかった点は想定できる。
ただそれは極めて事務的な、マネージメント上の課題を匂わせた。
バート・ウラッハでは「音楽を通じて集う親密な友人たちとの楽興の場」「人の声を伴う作品に特化し、毎年テーマを立て、それに基づいた全体プログラム」そして「地元の理解と安定した資金調達をはかる」・・・
つまり、ホーエネムスはそうならなかった、ということだ。
それは、シューベルトに特化した為、起こるべくして起きた問題、つまり、国際的に有名で愛好者の多い作曲家にもかかわらず、特化した定期音楽祭が「世界初」であった事。シューベルトが多彩なジャンルの音楽を多数残していて、世にそれぞれの「スペシャリスト」が溢れている事…。そのスペシャリスト達をまとめ上げるスキルなど当然持ち合わせなかった事。そして、これは大きいと思うのだが、行政の考えと音楽祭運営、出演者との温度差…つまりはそもそも、まだ40代半ばのスター歌手の手におえる仕事ではなかったわけだ。

プライがシューベルティアーデを始めた1976年は彼にとって多忙な年で、なんとか乗り切ったものの、完全に体調を崩し、77年は年始から夏まで休業を余儀なくされる。
夏にはステージに復帰するが、今度はホーエネムスのメイン会場に問題が起こっていて、数年後には余計な仕事が増える予感めいたものが彼を消耗させていたようだ。
1981年には音楽祭の運営からおりてしまい、以後は全くホーエネムスに近づかなかった。
プライは感情の起伏の激しい人ゆえ、有力者の逆鱗にふれたか、本当に何があったのかわからないが…状況からして「外してもらった」が正解なのだろうとは思う。
最初のステージは76年5月8日ホカンソンのピアノ、パーレイの講演を含んだレクチャーコンサート。最後は81年6月18日パーソンズと「美しき水車小屋の娘」
出演回数は76年5回、77年7回、78年6回、79年2回、80年1回、81年1回。
「この音楽祭の創立者ですよ」というにはあまりにも寂しいフェイドアウトだった。

なにやら「大人の事情」を感じる状況もあってか、この音楽祭でのプライ出演部分のリリースは少ない。
メジャーレーベルで公式にリリースされたのは1977年「重唱曲集」、
1978年ホカンソンとの「白鳥の歌」(通常の14曲だけ編集してリリースされたが、実際はザイドル4曲と秋も入れ、曲順をいじったプライ版だった)、
オペラ「サラマンカの友人たち」復元蘇演版のみだった。

そんな中、プライの様子が垣間見られる盤はこれ。
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シューベルティアーデ音楽祭
ホーエネムス1977年〜86年の記録


プライ他、演奏者多数

(AT LP5枚組 オーストリア輸入盤)




これは「地域限定販売品」で、当然流通は希少。
内容は1977年から1986年までのシューベルティアーデのまとめハイライト盤になっている。
出演者の多い巨大音楽祭のであるから、5枚のLPのうち、プライは1枚目A面に5曲(星、漁夫の生活、魔王、さすらい、酒の歌)2枚目A面に3曲(別れ、喜びと黄金のワイン、光と愛)のみ。
寂しい限りだが、最初の10年で区切ってもプライのステージは数えるほどだったし、この音楽祭にはあまたの著名音楽家が集ったのだから、仕方ないだろう。
セット内にはクリスタ・ルートヴィヒ、エディト・マティス、ロベルト・ホル、エッダ・モーザー、ヴァルター・ベリー、アーリン・オジェー、ヴェルナー・ホルヴェークなど、この年代のリートのスペシャリスト達の名が連なっている。
特にホルはプライの分大活躍といった感じだった。また、女声ではマティスの比率が高い。
実際、これらのコンサートライヴは貴重であり、編集の手が入っていない生々しさと温度感が素晴らしい。

発売レーベルAustriaTabakは、この当時はオーストリアでの煙草独占企業だった。
歴史ある老舗ではあったが、1990年代以降は民営化されたり買収を受け、現在はなんとJTI(Japan Tabacco international)の系列会社となっている。
この会社のロゴはホーエネムス音楽祭初期から見られる。愛煙家プライらしいスポンサーだと思う。
それにしてもシューベルトの肖像に社名入りタバコ入れを持たせてしまう大胆さには驚く。嫌煙家が増えた今だったらクレームがつきそうだ^^;

ホーエネムスでの公式録音は基本的にDGが担ったようだが、音源自体はオーストリアが国として管理していることだろう。できれば、音源の劣化前にどうにか一般発売して欲しいところだ。
プライをはじめ、この音楽祭の初期メンバーが次々と逝去している現在、この宝を無にしてはいけないと、つくづく思う。
posted by あひる★ぼんび at 23:26| Comment(2) | プライ

2017年07月15日

高学年例会・・・再び霊界?!

今回の高学年例会は千葉有卯助さんによるひとり語り「怪談真景累ヶ淵」。
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作品は三遊亭圓朝原作の因縁噺で、安政6年に書かれた全97章の大作。その中から事の発端と、子孫に続く因縁エピソード計4編を語ってくれた。
三遊亭圓朝の怪談噺では「牡丹燈籠」や「四谷怪談」が知られているが、これらはどれも単なる怨念ではなく「因縁」と「情念」が強く描き出されている。この日本の伝統的ホラーの形態は世界的にインパクトを与えていると聞く。
有卯助さんの若々しい「語り」は、ベテラン落語家の噺とは趣が異なり、幾分、現代に寄せたのかスプラッター要素が強調されていたようだが、まあ、それとて意味のない西洋グロとは全く違う。
高齢の方も大人も子どももその話術に引き込まれた。
ただ、SEを兼ねた音楽はもっと薄いか、なくてもいいと思った。
静寂は闇と同じく、最大の演出である・・・と思うのだが。
出入り口はこんなふう。
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終演後はいつものようにみんなで感想を書く。
少し言葉が難しかったと思うが、伝わっていたようだ。
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埼玉はカラ梅雨。あまりジメジメしていない怪談を楽しめた夏の初めだ。

さて、物語に出てきた「小塚原」は歴史上関東最大の刑場で、明治に廃止されるまで、処刑のほか刀の試し切りや腑分けも行われた場所だった。総計20万人以上がここで処刑されたという。
現在の南千住駅の近くだが、自分が幼い頃、浅草の生家に行くルートのひとつで、近くをよく歩いた。
もちろん、現代では何もないわけだし、誰からも土地の歴史については聞かされていなかったが、ここを通るのがイヤだった。鼻の奥で嗅覚とは少し違うバランスで感じる奇妙な臭気と悪寒で、なぜか不機嫌になった。
人は死しても想念が残るとすれば、この土地のみならず東京下町はすごい場所、ということになる。
感じるか感じないかは人それぞれなのだろうけれど・・・。
posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(0) | 劇場