2019年09月18日

お久しぶりです

気がつけば9月も中旬を過ぎてしまった。
2ヶ月以上、ログインせずにいた。
夏が暑すぎ、体調の不備が続いているわりに、仕事がたてこんでいる、という
かなりスゴイ状態だったので、当面義務とはいえないこのblogの更新が滞ってしまった。
なにしろ、音楽すらろくに聴いていなかった。
・・・どうにかこうにか余裕ができそうなので、ぼちぼち再開します〜。
posted by あひる★ぼんび at 22:52| Comment(0) | 日記

2019年07月11日

プライ生誕90年。栄光のミサ。

今年はヘルマン・プライの生誕90年メモリアル。
しかし、大きな動きは見えていない。残念に思う。

1929年、ベルリン。ヘルマン・オスカル・カール・ブルーノ・プライは生まれた。
世界大恐慌からナチス台頭に至るヨーロッパ激動期だった。
決して名家出身ではなかったが、ビスマルクを信奉する強い個性と意思を持った父親と、代々築かれたプライ家の経済力の豊かさで、安定した幼少年期を過ごすことができた。
息子を「ビスマルクの出身校」にとにかく入れたかった父親は、プロテスタントの全寮制ギムナジウムに入学させている。プライ家の宗派は、特に自伝には明記されていないが、この「入学」をめぐる書き方が、本来の家柄はカトリックだったのかもしれないと思わせた。
また、通常、商家であれば、子の進路はギムナジウムではなくハウプトシューレ(実業学校)を選択する。屠殺精肉業は、根強い職種階級が出来ている戦前ドイツでは下に見られがちだし、同業者にはユダヤ系も多かったようなので、あるいはそういった身分の負のスパイラルを抜け出させる機会と考えたのかもしれない。
半ば無理やりインテリ階級のエリート校に息子をねじ込んだ押しの強い父は「地域の食を牛耳っている」大物オーラを振りまいていたのではと想像出来る。なにしろ息子に来た召集令状すら破って燃やしたほどの明確なアンチヒトラーでもあり、よくナチスに疑義をかけられなかったものだと思う。
但しそれは平和主義・博愛主義とかではなく、ビスマルク時代のドイツ帝国への愛国心の強さがそうさせていたようで、純粋な愛国者であったようなのだ。そのへんは国防軍の貴族出身の上級将校に多いタイプのようだった。この頑固な父と、音楽好きの母、敬虔な全寮制名門校での生活、そこでの聖歌隊への参加を通して、少年プライの人間性は作られていったようだ。

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プッチーニ:ミサ・ディ・グローリア(4声のミサ曲)
フィルハーモニア管弦楽団
アンブロジアン合唱団
クラウディオ・シモーネ(指揮)
ホセ・カレーラス(テノール)
ヘルマン・プライ(バリトン)
(エラート LP/CD 国内盤)


通常通りの「グローリア」のテキストによるプッチーニのこのミサ曲は、故郷ルッカのアントニオ・パッチーニ音楽院の卒業制作として1880年に作られた。学校や聴衆の評判は良かった。しかし、プッチーニ自身は不納得だったようで、出版や演奏を禁じてしまい、長らく埋もれた曲となった。全曲の再演は1951年、出版は1974年である。
プッチーニの一族は代々教会音楽で名の通った家柄だった。当然その界隈の人は期待したはずだが、プッチーニは教会音楽の世界を探求せず、芸術より娯楽に近い「オペラ」に手を染めたのだった。一族の異端児となるには強い心の葛藤があったことだろう。
音楽院に提出してしまった作品のなで回収する意味はなく、ゆえに破棄しなかったが、まもなく動機や主題を「エドガール」や「マノン・レスコー」に転用し、有効活用している。
完璧に磨くのではなく解体した…いよいよ、教会音楽家の世界とは決別することを示したわけだ。

この曲はキリエ〜グローリア〜クレド〜サンクトゥス・ベネディクトゥス〜アニュスデイという標準的な5章からなるが、グローリアとクレドだけで全体の半分を占める「頭でっかち」構成になっている。
再演後一般には「ミサ・ディ・グローリア」の名で知られるようになっていった。プッチーニ自身がつけた「4声のミサ曲」という題はあまりにも味気ないから、まあ、それは別に良いだろう。しかし演奏禁止曲を無断で再演したのは良いことではない。出版については遺族の承認を得たようだが・・・。

曲は穏やかで、後年のプッチーニを彷彿させる美しいメロディも持つ。録音としては出版時期1974年頃に同じエラートにコルボによる盤がある。
シモーネのこの盤は1983年である。1975年にはインバルがフィリップスに録音し、コルボは1993年再録音している。その後はパッパーノが録音したりと、「宗教曲」と考えたら、中々の「人気曲」といえるだろう。
カレーラスもプライも、宗教曲らしい敬虔で丁寧な歌い方だ。ラテン語歌唱なので、スペインテノールとドイツバリトンが並んでも違和感は小さい。直感的に音楽の芯を捉え、万全に学習してから、自信を持って感情を乗せて歌うプライのスタイルはいつも通り。それほど歌い慣れていないこういった曲でも、少年期からラテン語を学んだ彼ならではの自然な言語感覚で聴くことができる。


posted by あひる★ぼんび at 22:34| Comment(2) | プライ

2019年06月22日

思い出のレコードからF〜ストコフスキーの「惑星」

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ホルスト:組曲「惑星」

ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
ロジェ・ワーグナー合唱団
レオポルト・ストコフスキー(指揮)
(セラフィム LP 国内盤)




「ホルストの惑星」といえば、自分にとってはこの演奏だ。
中学時代に買って、たっぷりと楽しんだ、思い出深いレコードでもある。
1956年2月、キャピトルレコードによる「3チャンネルステレオ録音」(盤はSQやQSではなく、ごく普通の2チャンネルステレオ)で、現代のオーディオの音質からすればとりたてて良いものでもない。
しかし、当時のものとしてはかなり安定したバランスを持っていて、のちにストコフスキーが嵌る(というかLONDONが売りにする)フェイズ4よりはずっと聴きやすい音質だ。
初出時の受容状況は自分が生まれる前なので知り様もないが、この曲の世界初のステレオ録音だったそうで、かなりの話題になったらしい。
ほぼ近い時期にカラヤン(1961年)やボールト(1966年)もステレオ録音している。今振り返ると、日本での発売が近い時期になってしまったこともあってか、それぞれが「ついにステレオでこの曲が聴ける!」とオーバー気味に宣伝しているのが面白い。
自分自身、この盤のあとすぐにカラヤンやオーマンディの盤を入手して聴いたが、ストコフスキーのものが一番個性的で楽しめた。ただ、ナマイキな中学生はこれを名曲名演奏と呼ぶことを躊躇わせる「何か」を感じたのだった^^;

さて、魔術師ストコフスキーはこの曲にどんな魔法をかけたのだろうか。
アメリカ人の好みを知り尽くした彼が、ポピュラーやジャズがメインの「キャピトルレーベル」に録音したあって、さぞかしあの手この手を動員しているのでは?と思ったが、実際はエンタメ性を無理に盛り込む改変は試みていない。大きな変更といえば「火星」のエンディングの銅鑼の扱い位だろう。
あとは管と弦の音量バランスや楽器配置で演出をつけること、休符やアクセントの付加ぐらいにとどまっている。
なにしろホルストは生前、この曲の楽器編成変更や編曲を許可しなかったそうだ。死後も、娘イモージェンによってこの掟が守られ、ストコフスキーもどうやらそれを遵守したようだ。
メーカーも下手な事をして遺族に発売販売NGを出されては困るとも考えたのかもしれない。
…が、この曲は原曲そのものが潜在的に「エンタメ性」を持っていて、そのままでも充分に大衆にアピールできるとの解釈分析もあったことが伺える。
ストコフスキーはテンポの揺らしも強弱さえもそれほどオーバーにはしていない。
他の作品でも言えることだが、彼の表現自体は、どちらかというと、いつも冷静で淡白なのだ。
一旦、計算して導き出した答えは変更しない。
ある意味、それは映画やアニメに付随させる音楽のスタイルを反映しているともいえそうだ。演奏がその時の気分で変わってしまっては、固定した映像に関わるそれらの仕事は難しくなってしまうだろう。それは、アーサー・フィードラーやカーメン・ドラゴンといった、よりエンタメ性の強い指揮者たちにも共通する、「自由な表現ではなく、自由な計算に基づく綿密なアレンジ」と「名人芸的な手堅い演奏」でこそ成立する世界のような気がしている。
この演奏は、「火星」の切迫したリズムで恐怖をあおり、「金星」では孤独な静寂を歌い、「木星」は素朴に温度感を、天王星では諧謔を増幅して聴かせている。各曲、職人芸の極みの見事な結実の記録だ。
今なら、躊躇わずに名曲名演奏だと言い切れる。
やはりストコフスキーは偉大だった。

posted by あひる★ぼんび at 23:08| Comment(0) | 音楽

2019年06月21日

ガスパローネ!

プライは1975年をもってフィリップスでの一連の録音を終えると、以後、劇場契約と同じように録音に関しても「スポット」的なフリーな状況になろうとした。
この頃、過剰な仕事量が彼の神経を蝕んでいて、晩年のヴンダーリヒと同様、「やめたい病」の兆候もあったようだ。
その辺を自身も危惧していて、1977年には半年の休業とレパートリー精査を試みている。ただ、精査と言っても「リート・オペラ・宗教曲」を中心において、「テレビ出演・ポップス」は制限しよう程度の大雑把さで、音楽界を爆走するヘルマン機関車のダイヤはさほど変化ない状況だったようだ。
彼自身は「冬の旅の精神が自分の気質だ」とか「孤独だ」という発言することがしばしばだったが、結局のところ実際は彼の中のフィガロやパパゲーノ的な楽天性が彼を救っていたようにも思える。
プライはロルツィング、ミレッカーなど多くの「ロマンテイック・オペラ」の全曲盤を60年代半ばからEMIに録音していた。
「ガスパローネ」についても、60年代にすでにハイライトの録音はしていたものの、全曲録音は行われず1982年にEMIに戻ってからとなった。
バイエルン放送局の企画であり、おそらく恒例として映像作品も作られただろう。

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ミレッカー:「ガスパローネ」(全曲)
ヘルマン・プライ(エルミニオ)
アンネリーゼ・ローテンベルガー(カルロッタ)
ギュンター・ヴェヴェル(司法長官)
ヴィッリ・ブロクマイアー(ジンドルフォ)他
バイエルン国立歌劇場合唱団 ミュンヘン放送管弦楽団
ハインツ・ワルベルク(指揮)

(EMI LP/CD 2枚組 ドイツ輸入盤)


ガスパローネは実在したとされている盗賊。1830年、243人殺害の容疑で収監されている。
ミレッカーのこのオペレッタはこの人物がらみではあるが、ガスパローネ自体は登場しない。その伝説を使って騙しあいがくりひろげられるドタバタ喜劇である。
1884年初演、ヴィーン、ベルリン、ニューヨークで大ヒット作だったと伝えられている。

あらすじはこんな風。

物語の舞台はシチリア島。世間は大盗賊ガスパローネの噂でもちきりだった。
お金持ちの未亡人カルロッタと司法長官(市長)の息子シンドルフォとの結婚が進められている。
しかし、実はこの司法長官、息子の幸せなどどうでもよく、カルロッタの財産だけが目当てだった。
そこにやってきた謎の異邦人エルミニオ。
彼は居酒屋主人とその従兄弟がガスパローネの名を利用して密輸を企てているとつきとめた。
2人は「エルミニオこそがガスパローネだ」と司法長官に讒言、それによる報奨金をせしめようとする。
エルミニオは、その悪党2人に「ガスパローネの犯行と見せかけてカルロッタの馬車を襲えば、きっと儲かるよ」とそそのかしをかける。
「ガスパローネがカルロッタを襲って全財産を奪った」と思った司法長官は、無一文には用がないと、さっそく息子の結婚を取りやめにする。
そして裁判。
そこでエルミニオは自分は総督(国王代理人)であると明かす。
居酒屋主人は妻に免じて罪を許し、その従兄弟は報奨金詐欺と強盗の罪で監獄送り、司法長官は家政婦との結婚を条件として不問とすると裁定。
そしてエルミニオはカルロッタと結ばれ、めでたしめでたし(?)

つまり、一番の悪党は権力をかさに金持ちの未亡人をせしめるエルミニオなのだが、「めでたしめでたし」ならそれでいい、というタイプのナンセンス劇。長官の息子の扱いも酷いものだ。
こんなストーリーでも大ヒット作というのが、この時代らしい。
例によって、プライたちは実に楽しげにこの作品に取り組んでいる。
高貴さもあり、いい人っぽく、でも詐欺師のようでもある、そんな役をやらせたら、この世代ではプライの右に出るものはいないだろう。
しかしできれば60年代、若き日に入れてほしかったと贅沢なことを考えてしまった。
盤はLP、CD共に数種類のリマスターが出ている。幸い、ワーナーに変更後もそのまま存在しているのがありがたい。

posted by あひる★ぼんび at 22:21| Comment(4) | プライ

2019年05月19日

ゲーテの詩によるリート集

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「ゲーテと音楽」
(ゲーテの詩に付曲された
ライヒャルト、ツェルター、ベートーヴェン
シューベルト、ヴォルフ、ブゾーニのリート集)

カールハインツ・ミュラー(バリトン)
ヘレ・ミュラー・ティーメンス(ピアノ)

(TORIO 国内盤 LP)




収録曲は以下の通り。
ライヒャルト:ラプソディ/プロメテウス/近さ
ツェルター:憩いのない恋/嘆き
シューベルト:野ばら/最初の喪失/ひめごと/湖上て/
狩人の夕べの歌/竪琴弾きの歌第1
ベートーヴェン:5月の歌/悲しみの喜び/憧れ
ただ憧れを知る人だけが
ヴォルフ:羊飼い/竪琴弾き
ブゾーニ:ブランダーの歌/メフィストの歌
不機嫌の歌/有難くもない慰め


カールハインツ・ミュラーは1934年ドイツ・テューリンゲン生まれ 。
ジュネーヴとマンハイムで学び、1960年に宗教曲でデヴューしている。
彼は「バス」と表記されることが多かったが、それはレパートリーのほとんどが宗教曲だったため、楽譜上のパート表記に準じた為だろう。実際は一聴すればわかるハイバリトン、いわゆる「騎士バリトン」の2枚目声である。
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ここでのミュラーは、崩すことのない丁寧な歌唱で、くぐもった所のない明快な発音である。
何でも歌えそうな軽やかな声だが、彼はエンタメの世界には踏み込まなかった。
バッハなどの宗教曲と古典派リート、そして、1968年からはハノーファーで後進の教育に取り組み、それ以上に仕事を広げることをしなかったようだ。残念な気もするが、彼のポリシーだったのだろう。
ミュラーはこのアルバムでも、直接的な演劇的効果を狙うことはせず、音楽に乗った言葉の響きで情景を描写していく。ディースカウのような学術分析はしていないし、特に説明的には聴こえない。そしてまた、プライのような楽しげで活発なエネルギーの放出もない。このへんは「面白みを欠いている」と感じるかも知れないが、一聴では淡白に感じるこのバランス感覚は、聴きこむほどに味わいを感じるものだ。
賢明な表現者は誰もが知る事だが、例えば悲哀に満ちた曲で、歌い手側が泣いてしまっては聴き手には何も伝わらない。
抑制された表現の中、物語が冷静に語られるとき、そこにあるべき音楽世界が鮮明に浮かび上がってくるのだ。
とにかく演出が少ないので、聴き流しには向かない。地味な選曲ともども、どちらかというと「玄人向け」かもしれない。

この盤のジャケットの絵は、ティシュバインの「ローマ近郊でのゲーテ」。
1787年頃描かれたもので、かなり広く知られた絵画作品だ。
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貴族的な風貌と威厳がかなり美化され、また、実際よりおそらく若作りに描き出されている。
レコードやCDで使われることも大変に多く、この盤以外に、プライの国内フィリップス盤、プライとアメリングのコンピレーション独フィリップス盤、CDでは白井貴子のアルバム、歴史的録音BOXなどとにかく高頻度だ。もっとも、この盤ではデザインのために反転されている。よくあることだが、あまり感心しない^^;
ジャケットのデザインは中身の印象を大きく左右する。この高貴なゲーテ像のおかげもあってか、このアルバムもかなり上品に聴こえたのは確かだ。

posted by あひる★ぼんび at 20:55| Comment(5) | 音楽

2019年04月30日

平成の終わりに

平成が終わる。
テレビはまるで「行く年来る年」だ。カウントダウンをして、日が改まると同時に明けましておめでとうございます、といいそうな勢いだ。
平成を迎えた時は「喪」だったので、あの時とはまったく異なる雰囲気の改元日となる。
まあ、自分にとってはもう一生のうちには経験することのない改元の風景かもしれない。

「昭和」から「平成」に変わった時は、元号の名称自体には特に思うことはなかった。
しかし今度の「令和」には多少の違和感がある。
前回は天皇崩御で変更やむなしだったが、今回は生前退位で「今でなければ」という必然を感じないこともあるからだろう。どうやら違和感は文字の良し悪しではない気がしている。
日本の伝統が日々の暮らしから乖離していることや、元号法では天皇と元号運用は切り離されているはず…のため、結局のところ誰の望み、誰の為の改元かわかりずらいのだ。
誰もその辺を説明してくれはしない。

だがまあ、自分にとっては同世代の天皇の時代がきたわけで、ひとつの区切り・節目であることには違いなく、戦争のない、災害被害の少ない時代にしていきたいものだと思う。

posted by あひる★ぼんび at 22:43| Comment(0) | 日記

2019年04月16日

バスティアニーニのラストアルバム

bas01.jpg「イタリアを歌う」
ディ・カプア:オ・ソレ・ミオ
デ・クルティス:帰れソレントへ
カルディルロ:カタリ 作者不詳:光さす窓辺
デンツァ:来たれ/妖精のまなざし
ビルリ:こおろぎは歌う
トスティ:マレキアーレ/セレナード/最後の歌

  エットーレ・バスティアニーニ(バリトン)
  岩城宏之(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン LP 国内盤)



高校時代に、FMでこのアルバム収録曲を聴いた時「テノールっぽい歌い回しをするバスだな」と思った。
それまでヴェルディのオペラでは特に感じてはいなかったのだが、こういったカンツォーネ・ナポリターナでは、キメ所の音の選びやフェルマータが、テノールが歌う時のままに思えたのだった。そして、声質自体はバリトンというよりバスの重い響きだと感じたのだった。

バスティニーニは1922年生まれ、大戦終了直後の1945年に頭角をあらわし、数年はバス歌手として活躍したが、1952年にバリトンとして再デヴューしている。
なんでも、オペラのテノールパートをたまたま歌ったその声を聴いたルチアーノ・ベッタリーニ(音楽教師、編作曲家)が、バスティアニーニに強く転向を薦めたのだそうだ。本人も自分の低音に違和感と負担、限界を感じていたから、その話を快諾し、バス歌手として決まっていた仕事をすべてキャンセルして、バリトンを歌うべく再勉強に入ったのだという。
名バリトン、バスティアニーニの誕生だ。

そんなエピソードもあるとおり、イタリアン・テノールの定番曲を集めたこのアルバムは思いきりそのまま「声の低いテノール」の様相がある。
1965年、2度目の来日時に録音した彼の「ラスト・アルバム」でもあった。
指揮は岩城宏之。オーケストラはフィルハーモニア管。
岩城氏はバスティアニーニの声を立派にサポートしている。イタリア歌手独特のルバートや、伸ばしを的確なバランスで包み込んでいる。
編曲は全体的に控えめながら、「光さす窓辺」はベルリーニのパロディになっていて、ちょっとクスっときた。そういえばこの曲、長らく「ベルリーニ作曲では?」と言われていたものだ。

同時期、デッカ=ロンドンのレーベルからはデル・モナコやディ・ステファノのナポレターナアルバムが複数出ていて、愛好家の宝になっていたのだが、このバスティアニーニのものも独特の輝きを持った宝石のひとつと言えるだろう。

彼は61年に咽頭がんにかかっている。声帯を失うことを恐れ、外科手術を拒否し、放射線治療を繰り返しながら舞台に立っていた。
病気を周囲に漏らさぬようにしていたということだ。しかし、1965年には複数転移を起こし、1967年に世を去ってしまった。
全盛期を知る人にはこの頃のオペラ録音も、初来日63年のステージも「かつての輝きもない声」と捉える向きもあったようだが、NHKに残された「もう手の施しようもなくなっている」はずの1965年の映像も、そしてこのアルバムも、立派で堂々とした声である。


https://www.youtube.com/watch?v=uW-7Pg8C3qY

がんに侵され、しかも転移に悩まされているなどと、言われなければわからないし、逆に言えば、健康な時はどれほどの輝かしい声だったのか、想像が難しいほどのものだ。

美男の美声歌手。
もちろん低声歌手独特の威厳と渋さも備えていた。さぞ人気だったことだろう。
デヴューからわずか20年、バリトンとなって正味14年程の短い活動期間に、強烈なインパクトを残した名歌手の1人だった。
アルバムの最終曲がトスティの「最後の歌」というのがなにやら意味深である。
彼の脳裏には何が浮かんでいたのだろうか。
この曲の歌詞自体は「嫁いでしまう彼女への最後のセレナード」なのだが、サラリとした感触ながら、別の惜別の思いが聴き取れてしまうものだった。


posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(2) | 音楽

2019年04月06日

春の脳内BGM

家の周りの桜も咲いた。
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正面のひとつは、もう老木で、数年前に半分折れてしまった。
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入り口の1本は成長しすぎて上を切って高さ制限を受けている^^;
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芝桜も花盛り
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春の情景を見るたび、脳内BGMとして流れるのはグリーグの「春」。
ヴィニエの「春」という詩に付曲したピアノ・リートだが、一般には弦楽合奏曲「最後の春(過ぎし春)」として知られている。
美しい花と、空、そして独特の春の息吹を感じるたび、その曲が頭の中をリピートする。
それは中高生時代から変わらないのだが、心持はその頃と明らかに違う。
永遠に続くと思っていた日々は、またたく間に過ぎ、詩人がここに込めた思いは今では別の様相で自分の中に佇むようになった。



このブログでいつもコメントを入れて下さってるサルミアッキさんが、そのヴィニエの「春」を和訳してくれた。
公開のお許しをいただけたので紹介させて頂きます♪

サルミアッキさんによると、ヴィニエのこの詩はノルウェー語ランスモールで書かれていて、一般的なブークモールに比べ、かなり濃厚な地方色の中にあり、日本語に当てはめるのは難しいらしい。
たとえば、日本の東北弁での「しばれる」が単に「寒い」だけの意味ではないように、生活言語として単語自体に強い感情や背景があり、しかも音声的には単純で語数が少ない…その為に思い切った省略と意訳が必要になるとのことだった。
「あくまで雰囲気を読み取る手がかりとしてください。どうやってもヴィニエの詩句感覚を再現するのは不可能なようです。意訳どころか、明らかに誤訳散見なのですが、お許しを。訳者はわかってますから(笑)
また、出版物によって語句が異なっています。いっそ別物として、とりあえず…」

春  Våren  ヴィニエ

再び冬が逃げ 春に時を譲るのを見る
去年のようにサクランボの木も また花であふれる
再び氷は消え 大地が姿を現す
雪溶けの水は 滝の様にほとばしる
再び草は緑に萌え 花と共に現れる
再び春鳥の声がして 太陽はやがて夏に向かう

日がな 春の香に浸り この目をうるおし
日がな くつろぎ 春の陽を浴びる
春が贈るのは 摘み取った一輪の花
そこには祖先の魂が踊っている
白樺ともみの木の間の春の不思議
私が削り出す笛の音は
すすり泣くようにそれを訴えるだろう

(省かれた第2節)
再び春の丘で 光が踊るのを見る
蝶たちは舞い 花を揺らしている
私はこの春の息吹に ずっと失くしていたものを見つける
私は寂しく問う「これが最後だろうか?」
なるようになるがいい それでも命の息吹を感じる
この春の中で すべてが終わるのなら


確かに、北欧人と自分のように東京近郊の日本人では、「春」というだけでも全く意味が違う。
季節ごとの生死観も歴史も全く違う、異文化の言語におきかえるというのは、不可能に近い。
単純すぎても説明的でもいけないし、語の訳を正確にしたからと言って詩人の心が伝わるものでもない。
サルミアッキさんは人生の半分をノルウェーとフィンランドで生活しているので、かなり感覚は現地人に近いかもしれないけれど^^

しかし…極力簡略にしてくれたという訳詩をナビゲーターに、自分はきっと文字通り最後まで、春ごとに脳内に流れるこの曲に浸るだろうと予想している。

弦楽版


バーバラ・ボニーのしみじみとした名唱



posted by あひる★ぼんび at 02:24| Comment(2) | 音楽

2019年03月09日

プライのダルベール

世界を舞台に活躍するプロフェッショナルの歌手は、法律はもちろん、その業界のルールの中で生きるしかない。趣味で歌うとか、酒場でちょっと歌って小銭を稼ぐのとは違う。
音楽業界は完全に「契約ビジネス」であり、権利関係の重なり合いの、複雑な構造の中に置かれるのだ。

プライはその辺の感覚が少々ラフだった。もちろん、破綻するほど大きく踏み外すことはなかったわけだが、ベルリン音大の退学事件も、最初の2つ以降は特定歌劇場と専属契約を避けるようになったのも、大手レーベルとの長期契約を避けたことも、彼の元来の自由人の気性がそうさせたようだった。

プライは1952年、ベルリンとニュルンベルクのコンクールで優秀な成績をおさめた。
結果、ヴィースバーデン・ヘッセン国立劇場と契約を成立させることができた。
この声楽コンクール優勝はドイツ語圏の新聞等にかかれたので、プライ自身は当然「スター誕生」を意識したようだが、実際は、契約のきっかけにはなったものの、中での「扱い」には何のメリットもなかった。
当時の彼は当惑し、落胆したようだ。学歴やコンクール入賞歴が関係ないのは歴代の大歌手や偉大な先輩ディースカウを見れば明らかなのだが、身に滲みたのは、実際に仕事をはじめ、新人の痛みを経験してからだったろう。
日本では現在でも学歴・入賞歴・師匠が重要視されるが、ドイツではまるで事情が違うようだ。
歌劇場では新人青二才相応の役しかもらえず、リートリサイタルやレコーディングも劇場支配人の許可が必要だった。1年たたずに移籍したハンブルクでは、ダルベールの「低地」や、ローカルオペラのいくつか、メジャー作品ではプッチーニの「外套」、「ボエーム」や「トゥーランドット」の端役など、与えられた機会をこなしていく日々を5年ほど続けることになる。
53年にはコロンビア・エレクトローラと契約を結んだ。
順調な滑り出しではあったが、バリトンに回ってくる役は限られ、仕事を選択する自由も制限されるのが、彼を精神的に消耗させていたようだ。
当然、プライは違反ギリギリの綱渡りをいくつか試みてもいた。その辺は自伝にくわしいが、真実はあんな気楽な話ではないと思われる。
ただ、その性格からか、契約劇場の支配人の理解も得られたのは幸運だったろう。
以降、プライは特定劇場と契約することなく、フリーランスとして長い歌手人生を送る。
「いかなるときにも自由に、人々に喜びを与える歌手でありたい」をモットーに世界を羽ばたき続けたのだった。

ダルベール(1864−1932)はイタリア系フランス人の血統を持つスコットランド生まれの作曲家。本名をウジェーヌ・フランシス・シャルル・ド・アルベールという。オイゲン・ダルベールとしてもっぱらドイツで活躍し、作品は現在では限られたものしか聴く機会がないが、交響曲、室内楽、20作を越えるオペラまで、あらゆるジャンルの作品を数多く残している。また、ピアノの腕はすさまじく、ヴィーン公演を聴いたブラームスを驚愕させたということだ。大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスは彼の弟子である。
ダルベールの「低地」は大ヒット作ではあったが、大戦時にヒトラーのお気に入りだった為に、戦後は「上演されない、録音されない」ものになってしまった。
そのせいか、プライのスタートを飾る作品にもかかわらず、当人の録音は残されていない。
現在ではドイツ国外を中心に再演される機会もでてきたが、当のプライはすでに鬼籍の人となってしまった。

プライが残したダルベール作品としては「門出」という1幕物オペラがある。

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ダルベール:一幕のオペラ「門出」
  ヘルマン・プライ(ジルフェン)
  エッダ・モーザー(ルイゼ)
  ペーター・シュライアー(トロット)
  フィルハーモニア・フンガリカ
  ヤーノシュ・クルカ(指揮)
(EMI ドイツ輸入盤)




ダルベールがアウグスト・フォン・シュタイゲンテシュという人の台本に作曲し、1898年に発表した作品。
6分の導入曲と40分の本編からなる、オペラというより演奏会の為のナンバーといった感じだ。
出演者もバリトン・ソプラノ・テノール3者だけである。
また、明快な音楽で、対訳ナシでも、充分楽しめる親しみやすさがある。

物語は…
ジルフェンとルイゼは倦怠ぎみの夫婦。しかし、ジルフェンは妻の浮気が心配で、ちょっとした旅もすることがなかった。この夫婦が醒めていることを知ったトロットは、ルイゼをものにしようとジルフェンに旅を勧める。ジルフェンはトロットの計略にいち早く気づき、乗ったふりをして様子を伺う。
さっそくトロットはルイゼを誘惑する。しかしルイゼは決してのらなかった。
ルイゼの変わらぬ貞操を知ったジルフェンに愛情が蘇る。二人はシャンパンを交わして夫婦の絆を確かめ、改めての門出を祝う。
そうして、トロットは寂しく去っていくのだった。

プライがこの作品を実際のステージで演じたかどうかはわからない。
聴く限り完全に自分の物としているのがさすがだ。ダルベール作品との相性の良さを感じた。
作曲年代よりいくぶん古風な序曲、続いて、重唱と独唱がバランスよく配置されている。
前半、ピアノ伴奏のみで進行するルイゼの場面は、甘く、美しいリートを聴くようだ。
この曲にはセリフも綿密なレシタティーヴォもない。ヴァグナー風に、途中のきれめがないので、一曲の長大なオーケストラリートのようにもきこえた。
この時代の作品にありがちな楽譜保存上の欠落、あるいは企画との関係で、たまたまカットして録音したのかもしれない。また、もしこれを実際に舞台上演するなら、何らかの演劇的な補足演出が必須になるだろう。
録音は1978年1月。
フィリップスとのエディション契約終了後、再びフリーとなったプライが古巣で行った仕事のひとつだった。
亡命ハンガリー人のオケ、フィルハーモニア・フンガリカとの共演というのも珍しい。
LPはQS4チャンネルだった。CD時代に入ってまもなく、EMIのライセンスを受けたCPOからCD化されている。また、のちにEMI名義に戻して廉価ボックスにも加えられた。

posted by あひる★ぼんび at 21:13| Comment(2) | プライ

2019年03月03日

ローカルオペラとプライ

ダルベールの「低地」、クロイツァーの「グラナダの夜営」、ネスラーの「ゼッキンゲンのトランペット吹き」。これらはプライが「ヘッセン国立劇場」や続く「ハンブルク歌劇場」の専属バリトンとしてスタートを切った時期によく歌っていた作品だった。

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クロイツァー:「グラナダの夜営」から3場面
ネスラー:「ゼッキンゲンのトランペット吹き」から4場面

ヘルマン・プライ(バリトン)
ヘルガ・ヒルデブラント(ソプラノ)
ベルリン交響楽団、ベルリン・ドイツオペラ合唱団
マルティン・ミュルツァー(指揮)
ヴィルヘルム・シュヒター(指揮)  
(DACAPO LP 西ドイツ輸入盤)



これはクロイツァーとネスラーの抜粋が収められたレコード。
1957年にエレクトローラからリリースされたモノラル盤LP(ただし持っているのはダカーポレーベルの再発盤)である。
「グラナダ」のうちの2曲は、同時期にピアニストとしてブラームスの「民謡集」と「厳粛な歌」の名盤を生み出したミュルツァーが振っている。2曲だけなのは、おそらくこの彼との共演録音自体が「7インチ盤AB面」としてのリリースを想定したものだったのだろう。
あとはすべてシュヒターが受け持っている。
この盤の録音は、レコード時代から現在まで、何度も色々なコンピレーションに顔を出す録音なので、1曲1曲の貴重さは薄いかもしれない。しかし、独立してこの流れで聴くことでの「楽しみ」が貴重だと思えた。

プライはこのデビュー時期のレパートリーを晩年までないがしろにすることなく、歌い続けた。
その名が世界的になったことで、ローカル劇場以外では上演されることがなかったこれらの作品も忘れ去られずに済んだのだ。これはプライの業績のひとつと言えるだろう。
「グラナダ」も「ゼッキンゲン」も、自らが企画するバートウラッハの「秋の音楽の日」でとりあげている。「グラナダ」は主要ナンバーを演奏会形式で上演したほか、1993年にはケルン放送に全曲を録音し、また、「ゼッキンゲン」は短縮再構成版を上演し、どちらもカプリッチョレーベルからCDとしてリリースされている。ゼッキンゲンの過去記事
「ゼッキンゲン」を完全全曲にしなかったのは、予備知識の少ない多くの聴衆にとっても、とりくむ演奏家たちにとっても、最適な措置だったといえそうだ。いくらなんでも5時間越えのドタバタ劇をそのままやる意味は見出せなかったようだ。文献的価値ではなく、娯楽として受容されてきた作品が、最も輝ける最善の形を模索した結果だった。

プライはロルツィング、ミレッカー、ネスラー、クロイツァー、マルシュナーなどのローカルオペラを、生涯をかけて積極的にステージにあげ、レコーディングしている。ディースカウは「きわめてローカルで、芸術的に全く取るに足らない」として積極的には取り組まなかったが、プライはどうやら難しい理屈ではなく「とにかく好き」だったようで、愛情を込めて歌い続けていた。この辺はブロードウェイやロンドンのミュージカル作品を好んで歌った感覚と繋がっていそうだ。
来日時のインタヴューでも「ロマンティックオペラは日本人にお勧めです。きっと気に入って頂けると思います」と事あるごとに語っていた。実際、抜き出して歌われるナンバーは、ポピュラーソングを思わせる甘さや切なさを含んでいる。そんなプライの熱意にもかかわらず、日本ではステージは実現しなかったし、企画してみようという体力ある企画会社はあらわれなかった。リサイタルプログラムすら、ヴィーンオペレッタのナンバーどまりだった。残念なことである。

ダルベールについてはそのうち別にとりあげたい。

posted by あひる★ぼんび at 12:25| Comment(2) | プライ