2017年08月21日

純粋な、真のファミリーソング

mer-shima.jpg「メルヘンをうたう」
ドレミの歌・チムチムチェリー・星の王子さま
スヌーピーの大冒険・虹の彼方・マルセリーノの歌
二人の天使・ヴィリアの歌・いつも夢の中で
オリバーのマーチ・こうして踊ろう・ママに捧げる歌

島田祐子(ソプラノ)
杉並児童合唱団 ニューサウンズエコー
ポリドールオーケストラ
(ポリドール LP 国内盤)




これを聴いたのは高校生の頃。
島田さんの歌声はずっと以前から聴きなれていたし、収録曲もいくつかの新しい曲以外は幼い頃から知っているものだった。
最初に新譜としてFM放送で流れた時の印象は、島田さんが歌うと全部が「みんなのうた」テイストになるのだな、ということだった。
その声は、後年以上に若く伸びやかで気負いも感じない。
当時、「ベルカントの観点からは・・・」とか「本格的なオペラ発声としては」とか、色々難しいことを言う評論家はいたようだが、彼女の日本語の発音の自然さは、当時のクラシック系ソプラノ歌手随一だったと思う。
オペラの発声はこうでなければ、なんてものは本来ないのだし、そもそもここに収録している種類の歌のほとんどはオペラ発声は似合わないし、それを採用するのは音楽的ではない。日本人に向けて歌うのであれば、しかも楽しさを伝えようというのであれば島田さんの解釈はベストだ。何しろ歌えないのではなく、表現上の選択なわけで。

自分自身、当時から歌謡曲よりフォーク・ロック、それよりクラシックが好きであり、子どもの歌やミュージカルナンバーも好きだったから、このアルバムの収録曲は特に親しみを感じるものだった。
アレンジはクラシカルなポップス、つまり典型的なホームミュージック。
曲によってはメロディそのものが唱歌風に大きく変えられているものもある。
フンパーディンクの「こうして踊ろう」は元のメルヘンオペラの枠を飛び越えて、幼児用の歌集で見かけるお遊戯用改変版。「あしぶみトントントンそのてをパンパンパン」…ちょっと気恥ずかしい感じだ^^;
だが、19世紀にジルヒャーが「菩提樹」を改変し日本をはじめ世界ではそちらのほうが有名になった例があるように、良い編曲は曲に新たな生命を与えるものだ。品位を失わない範囲で主旋律を抽出してわかりやく覚えやすくするのは悪いことではない。

歌詩については岩谷時子氏による「ヴィリアの歌」などは、原語のオペレッタを聴いてもこちらを口ずさみたくなるほどぴったりきている。
「ヴィリアおおヴィリア森の美女、麗しの面影よ ヴィリアおおヴィリア命でも君の為なら・・・」
原詩の物語の流れをそのままうまく日本語にあてはめるこの手法は見事だ。
また、あらかわひろし氏による「チムチムチェリー」や峰陽氏による「オリバーのマーチ」はNHK教育の歌番組で聴き慣れたバージョン。
そしてペギー葉山さんの才気溢れる名作詩「ドレミの歌」・・・元々名曲だが、日本語歌詞が更なる永遠の生命を与えた名作だ。
「虹の彼方に」や当時の最新曲「星の王子さま」も収録され、これらも実に見事なはまり具合だと思う。
ダニエル・リカーリの世界的ヒット「二人の天使」、あのダバダ〜ダバダバダバダバ〜は本家を髣髴とさせる。より純度が高く感じたのは彼女の声質からだろう。

このアルバムがCD化されているかどうかは確認していないが、今では半ば忘れられた存在になってしまった感がある。
そうしてしまうのはもったいない、上質の、本気のファミリーアルバム。
ここから聴こえてくる純粋な、真のファミリーソングが完全に「過去のもの」になってしまうとしたら、今は何とさびしい時代なのだろうと改めて思った。

島田さんにはこのLP録音当時、こうもりのアデーレ役や学生王子のケティ役で生の歌に接することができた。
また後には仕事でもお会いすることもできた。
早期にステージを引退し、情報は何も入らなくなってしまったが、現在は後進の指導にあたっているときく。
いつまでもお元気でいてほしい。
posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(0) | 音楽

2017年08月12日

「ハンガリーの三羽烏」そろい踏み

「ハンガリーの三羽烏」・・・クラシックファンでこう聴いて、「ああ、あの…」と思うのは自分と同世代以上だろう。
ラーンキ・デジュー(1951- )
コチシュ・ゾルターン(1952- 2016)
シフ・アンドラーシュ(1953- )

共にハンガリー国籍、1950年代前半生まれのピアニスト。
ハンガリーの状態が安定をとりもどした70年代、ほぼ同時期に初来日を果たし、それぞれ端正で若々しい演奏でファンを獲得した。
チェコの同世代ヴァイオリニスト、ヴァーツラフ・フデチェク(1952- )もそうだったが、3人の中では特に、個性的過ぎない爽やかルックスのデジュー・ラーンキが若い女性たちを虜にしていた。
来日してすぐ、ポップスターでは当たり前の「ファンクラブ」結成もあり、また、サイン会・握手会も数多く開催されていた。
当時高校生の自分は、男子であるし、ほかに聴きたい演奏も数多かったので、「話題のひとつ」的な捉えかただったし「アイドル展開」にメーカーの売らんかな意識を感じて、抵抗感もあった。しかし、それを越えて、中高年演奏家ばかりのクラシック音楽の世界に彼らのような「新しい風」が起こっていることは嬉しかった。
「年寄り音楽を聴いて面白い?」
そんなことをよく友人に問われることが多く、ある意味「好きなものは好き」としか答えられないはがゆさと面倒くささがあったので、彼らのように見た目から美しいスター性、アイドル性は本当に貴重な救世主に思えた。

さて、この盤。

hung-lks.jpgモーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲(第10番)
3台のピアノのための協奏曲(第7番)

   コチシュ・ゾルターン(ピアノ)
   シフ・アンドラーシュ(ピアノ)
   ラーンキ・デジュー(ピアノ)
   フェレンチク・ヤーノシュ(指揮)
   ハンガリー国立管弦楽団
(フンガロトン LP キング国内盤)


のちにコチシュはフィリップス、シフはデッカと契約しているが、このデビュー時点では3人とも同じフンガロトンレーベルだし、レパートリーも共通しているので、特に共演に困難はなかったはず。しかし案外こういう企画はされず、ラーンキとコチシュで分担して弾きわけたモーツァルト独奏曲集などはあるにはあったが、3人そろっての共演盤は珍しかったと思う。
この盤でのパートは第1がラーンキ、第2がコチシュ、第3がシフである。
ほぼ均一のタッチと音色で、全体に颯爽とした演奏だ。
ハンガリーのオーケストラは明るい響きではないので、そこはうまくバランスが取れているし、フィレンチクもツボをおさえ、若者達のテンポ感をコントロールしている。
決して能天気に空虚にならないし、全体の「歌心」が心地よく、すべては「あれ、もう終わり?」と思ったほど弛緩なく軽やかに駆け抜ける演奏だ。緊張感ではなくシンパシーで聴かせてしまうのはまさに「若さの特権」なのだろう。
同時期にこれだけの才能ある奏者が現れたのは奇跡の様だった。
これがハンガリーでなくアメリカだったら大宣伝だったかもしれない。
結果的に聴く人数は制限されることにはなったが、消費されることなくショービズの餌食になることなく、3羽の烏がハンガリーを中心に飛び続けることができたのはラッキーだったと言えそうだ。

この3人、その後の歩む道はそれぞれだった。

シフはソリストとしてはシューベルト演奏に定評があるし、リート伴奏者として多くの歌手に信頼を得ている。室内楽への参加も多く、また現代音楽の世界にも踏み入っている。
コンサート、メディアの数では3人の中で一番の知名度といえるかもしれない。
極端に内向的に聴こえることが多いので、時折聴くのが苦しくなることがあるが、自己のスタイルを完全に確立しているのがわかる。

コチシュは早くから指揮者・編曲者としても活躍の場を広げていて、演奏スタイルは積極性が強かった。
テンポを速くとることが多く、歌いすぎない。ある意味シフの対極かもしれない。
指揮もピアノ演奏もキビキビとした音楽運びが力強く、心地よいものが多かった。去年、64歳というまだまだ活躍できる歳で亡くなったのが惜しまれる。

ラーンキは2人に比べると中庸温和な雰囲気だ。誠実で崩しのない演奏が、曲によっては物足りなくなりそうだが、案外とシューマンなどには名演も多い。
また、室内楽にも良い適性を聴かせてくれていた。デビュー時の(日本での)スタートダッシュ的売り込みは、むしろ彼の本質ではなかった。
彼は最近も来日し、演奏会を開いている。
その公演は衰えのない鮮やかな演奏、綺麗に歳を重ねた容姿、「美青年の演奏家」という思い出を裏切らないものだったと聞いている。

彼らの若き日、青春の記録。もう2度と3羽が揃うことは叶わないが、ジャケットの笑顔同様、微笑みを交し合うような音楽は永遠である。

posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(2) | 音楽

2017年08月11日

あの空

あたりまえだったことががあたりまえでなくなることがある。それはもう色々と実感している。
僕は今年もこどもキャンプにいけなかった。
30数年ずっと重ねてきた夏の恒例行事だが、こんなふうにブランクができてしまうと、どこか「リアルタイム」から「思い出」に変化しているのを感じる。
ずっと並列だった過去と未来が、整理され並べなおされていく。
歳を重ねるというのはこういうことなのか・・・まだ先はわからないけれど。

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金峰は良い山だが、最初の現地下見以来、登っていない。
持病を抱えたここ20年は、何となく体調とにらめっこしながら、無理は避けてきた。
いつも中腹のキャンプ場から山頂を眺めて、「またいつか登りたい」と思った。
だが今は、「またいつかキャンプに行きたい」と思っている。
夢が小さくなったわけではないが、それもまた、しかたないこと。

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来年も10年後も、あの場所の空の色はきっと変わらないだろう。
大丈夫だ。焦ることはきっと、何もない。

posted by あひる★ぼんび at 17:48| Comment(0) | 日記

2017年07月30日

ムーアの誕生日

ジェラルド・ムーア。20世紀を代表する偉大なるリート伴奏者である。
見識の広さ、技術の確かさ、自分と歌手それぞれの主張をうまく調整できる柔軟性も持っていたようで、ただ頑固なだけの大家ではなかった。
彼が「世界最高」という評価に辿りつけたのは彼のそういった部分と、戦勝国の人間だったという、この世代の人では実にラッキーな条件もあるだろう。(やはり運も才能のうちなのか)ヨーロッパの戦雲に蹂躙されナチスドイツの敗退と共にフェイドアウトせざるを得なかったラウハイゼンと、どうしても比べてしまう。少なくとも技術を常に磨く要のあるピアニストには、活動空白や制限は地獄であり、それを回避できたのはすごい幸運なのだ。
1899年、イギリス・ハーフォードに生まれ、カナダのトロントで育った。そこでデヴューを飾った後、イギリスに戻る。大戦後は当時の一流の音楽家たちと共演し、その実力を発揮し続けた。
ステージ引退は1967年と思いのほか早いが、70年代はプライやディースカウと数多くのレコーディングを果たし、1987年に亡くなるまで活発に著作活動も行った。
1962年の回想録「Am I Too Loud?」は面白いし、「シューベルト三大歌曲集〜解釈と演奏法」は多くのヒントを与えてくれる。また、引退直後から取り組んだディースカウとの「シューベルト・リート全集」は、専門家のみならず音楽ファンにとって、貴重な宝となるものになったといえるだろう。
そんなムーアも今年で没後30年、そして今日7月30日は118歳の誕生日である。

1967年2月20日、ムーアの引退コンサートの記録がレコード・CDに残されている。
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ジェラルド・ムーア・フェアウェルコンサート
  ジェラルド・ムーア(ピアノ)
  エリザベート・シュヴァルツコプフ(ソプラノ)
  ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
(東芝 2枚組LP 国内盤)




縁の深いシュヴァルツコプフ、ロス・アンヘレス、ディースカウと共に、この記念演奏会を楽しく成功させている。
この人選はEMIの敏腕プロデューサー、ウォルター・レッグがムーアに「印象深い好きな歌手」を訊いて決められたそうだが、はっきりレーベルとしての商業的意図を感じるものではある。そもそも、このコンサート企画そのものがムーアの意思がすべてだったとも思えないわけで、まあ、世の中そんなものだろう。
いずれにせよ栄光に満ちた大演奏家の引退試合であるから、悲壮感は全くない。
また年齢的にも余力充分で、ハレの気分と相俟って、誰もが安心して楽しめるものになっている。
ディースカウはいつもの通り、冷静に誠実に役割を果たしている。ムーアとシューベルトの全集に取り組むのはこの直後からで、レコードのライナーノートには当然まだそのことは触れられていない。
しかも、録音先はDGだったわけで、ここでいう「フェアウェル」はむしろEMIとの別れだったのかな?とも思えた。
ここでのシュヴァルツコプフとロスアンヘレスによる二重唱、ロッシーニの「ゴンドラ競技」や「2匹の猫の歌」などは会場から笑いが起こり、楽しげだ。自分は中学生の頃、この演奏をFMで聴いて驚いた記憶がある。声楽リサイタルは真面目なもので、笑うような場面はないはずだ、と思っていたからだ。二人の名ソプラノが徹底して演じていて、流石だった。
最後の最後、短いスピーチの後に「音楽に寄せて」をソロで弾く。
しみじみと感謝をこめて紡ぐピアノの音が感動的だ。

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LPレコードはしっかりした箱に入った2枚組で、当日のプログラム冊子の現物が付録としてついている。
LPに収録されなかった曲目もそのまま書かれているが、出演者サインなども載っていて、音楽ファンにとって宝物になりうる仕様。
昨今のダウンロード販売やストリーミングでは決して味わえない感覚だ。
そのままCD化されたものも何度か再発されていたが、LPの宝物感には叶わない気がする。
名演奏家、最高の伴奏者の遺産として長く残したいセットだと思う。
posted by あひる★ぼんび at 19:15| Comment(4) | 音楽

2017年07月23日

ついに今年もキャンプ参加者全体会

今年のキャンプは当初から参加者の目途がうまく立たなかった。
それでもどうにか参加者全体会を迎えることができた。
必要と思うから計画する、そしてその計画を 実現しようという努力有ればこそ、行きたい人の熱意あればこそのキャンプだ。

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夏になれば「やるのが当たり前」だったキャンプだが、ここ何年かかなりハードな葛藤を含みつつだった。
対象の会員数が少ない上、今年は大学生・高校生が全滅。青年役もけっけのみ・・・。
自分はキャンプスタートの日程決めの時点でアウトだったし、説明会もディキャンプも仕事の都合があわず参加できなかった。
キャンプは自分にとっては37年間の恒例行事なわけで、いつかまたしっかり関わりたいと願っている。
今年の実長は中2のまゆ&けい。
二人にとっても、小学生たちにとっても意義ある夏になるといいな、と思う。

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全体会はゲームをしたり、去年のDVDを見たり、持ち物説明と分担、キャンプ中のメニュー決め、買出しの計画、ファイヤーのダンス練習など盛りだくさん。
キャンプ近しの独特の高揚を思い出す。
昔の自分、特に関わり始めた最初の10年ぐらいは、ひたすら緊張感と闘う毎日だった。
食事も喉を通らず眠れない日々。
仲間を信頼していれば苦悩はない??・・・いや、それはちがう。
自分が担うべき責任は自分以外は誰も代われない。
その責任の重圧は明らかに楽しい気分を越えていたが、毎年やりきれていたのは、子ども達の存在と、その人生に関われる喜びだけだった。
僕は「キャンプ」が好きなのではなく、子ども達と行動するのが好きなのだ。改めてそう思った。

******

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プランターに撒いた(・・・というより投げ捨てた)金柑とオレンジが少しずつ伸びている。
外装改装中なので薄暗い玄関でゴメンなさいって感じだが・・・この生命力に驚嘆と感服。


posted by あひる★ぼんび at 23:42| Comment(0) | 劇場

2017年07月22日

プライの19回目の命日に

プライが没したのは1998年7月22日。69歳になったばかりだった。
この年、ニューヨークでレヴァインとのリサイタルから帰国後、体調に多少の違和感はあったようだが、フローリアンとのコンサートも持つなど、相変わらず活発にステージを行っていた。
しかし、7月12日ミュンヘン近郊プリンツレーゲンテン劇場でのリサイタルの後、心臓発作で倒れ昏睡状態に陥った。それから10日後、家族や親戚が見守る中、永眠したという事だ。
その死は早かったが、こうして「生涯現役歌手」「いつも家族と共にあること」という大きな2つのポリシーを実現できたわけだ。

晩年の写真を見ると、数々の生活習慣病を抱えていてもおかしくなさそうな雰囲気で、過密スケジュールとそれに伴う無理不摂生がどれだけ健康を削いだかが伺える。
楽天性と深刻のふり幅の大きい彼の思考の中で、音楽や家族についてはストイックになれても、健康状態については「私には危機を乗り越える才能がある」を口実に疎かにしてしまったようだった。

来年は没後20年。西洋では没後○年より生誕○年が重要視されるので今のところ特に情報は入ってこない。
たぶん、再来年の「生誕90年」には何らかのアクションがあると信じている。
ザルツブルク、バートウラッハ、シューベルティアーデ(ヴィーン、ホーエネムス、ニューヨーク)、数々の来日公演記録…年間100回を越えるリサイタル、オペラ公演、メディアへの出演…多数の未発表音源や映像が残されているはずで、それらの公開を心待ちにしている。

さて、プライの経歴の中で、必ず取り上げられながら、本人があまり触れることのない音楽祭事業に「シューベルティアーデ・ホーエネムス」がある。
この音楽祭は、現在でも5〜10月に開催され、しっかり継続している。
その発起人がプライであることは、いまだ音楽祭紹介文にも健在だ。
計画時は「シューベルトの全作品演奏」「出来る限り作曲順に」そんなコンセプトだった。
しかし、実現した音楽祭はプライが想定した方向とは最初から違ってしまい、自身にとっては何かタブーめいた顛末になってしまったようだった。
この大音楽祭の「冠」として彼の名を看板に掲げることに何らかの不都合があったのか、この件はプライが音楽祭を去った後のインタヴューでも、自伝でも触れることがまるでなかったので、詳細は不明だ。

しかし、ホーエネムスを去った直後に始めたバートウラッハの「秋の音楽の日」について語る時、対比めいた発言がある。そこからホーエネムスでひっかかった点は想定できる。
ただそれは極めて事務的な、マネージメント上の課題を匂わせた。
バート・ウラッハでは「音楽を通じて集う親密な友人たちとの楽興の場」「人の声を伴う作品に特化し、毎年テーマを立て、それに基づいた全体プログラム」そして「地元の理解と安定した資金調達をはかる」・・・
つまり、ホーエネムスはそうならなかった、ということだ。
それは、シューベルトに特化した為、起こるべくして起きた問題、つまり、国際的に有名で愛好者の多い作曲家にもかかわらず、特化した定期音楽祭が「世界初」であった事。シューベルトが多彩なジャンルの音楽を多数残していて、世にそれぞれの「スペシャリスト」が溢れている事…。そのスペシャリスト達をまとめ上げるスキルなど当然持ち合わせなかった事。そして、これは大きいと思うのだが、行政の考えと音楽祭運営、出演者との温度差…つまりはそもそも、まだ40代半ばのスター歌手の手におえる仕事ではなかったわけだ。

プライがシューベルティアーデを始めた1976年は彼にとって多忙な年で、なんとか乗り切ったものの、完全に体調を崩し、77年は年始から夏まで休業を余儀なくされる。
夏にはステージに復帰するが、今度はホーエネムスのメイン会場に問題が起こっていて、数年後には余計な仕事が増える予感めいたものが彼を消耗させていたようだ。
1981年には音楽祭の運営からおりてしまい、以後は全くホーエネムスに近づかなかった。
プライは感情の起伏の激しい人ゆえ、有力者の逆鱗にふれたか、本当に何があったのかわからないが…状況からして「外してもらった」が正解なのだろうとは思う。
最初のステージは76年5月8日ホカンソンのピアノ、パーレイの講演を含んだレクチャーコンサート。最後は81年6月18日パーソンズと「美しき水車小屋の娘」
出演回数は76年5回、77年7回、78年6回、79年2回、80年1回、81年1回。
「この音楽祭の創立者ですよ」というにはあまりにも寂しいフェイドアウトだった。

なにやら「大人の事情」を感じる状況もあってか、この音楽祭でのプライ出演部分のリリースは少ない。
メジャーレーベルで公式にリリースされたのは1977年「重唱曲集」、
1978年ホカンソンとの「白鳥の歌」(通常の14曲だけ編集してリリースされたが、実際はザイドル4曲と秋も入れ、曲順をいじったプライ版だった)、
オペラ「サラマンカの友人たち」復元蘇演版のみだった。

そんな中、プライの様子が垣間見られる盤はこれ。
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シューベルティアーデ音楽祭
ホーエネムス1977年〜86年の記録


プライ他、演奏者多数

(AT LP5枚組 オーストリア輸入盤)




これは「地域限定販売品」で、当然流通は希少。
内容は1977年から1986年までのシューベルティアーデのまとめハイライト盤になっている。
出演者の多い巨大音楽祭のであるから、5枚のLPのうち、プライは1枚目A面に5曲(星、漁夫の生活、魔王、さすらい、酒の歌)2枚目A面に3曲(別れ、喜びと黄金のワイン、光と愛)のみ。
寂しい限りだが、最初の10年で区切ってもプライのステージは数えるほどだったし、この音楽祭にはあまたの著名音楽家が集ったのだから、仕方ないだろう。
セット内にはクリスタ・ルートヴィヒ、エディト・マティス、ロベルト・ホル、エッダ・モーザー、ヴァルター・ベリー、アーリン・オジェー、ヴェルナー・ホルヴェークなど、この年代のリートのスペシャリスト達の名が連なっている。
特にホルはプライの分大活躍といった感じだった。また、女声ではマティスの比率が高い。
実際、これらのコンサートライヴは貴重であり、編集の手が入っていない生々しさと温度感が素晴らしい。

発売レーベルAustriaTabakは、この当時はオーストリアでの煙草独占企業だった。
歴史ある老舗ではあったが、1990年代以降は民営化されたり買収を受け、現在はなんとJTI(Japan Tabacco international)の系列会社となっている。
この会社のロゴはホーエネムス音楽祭初期から見られる。愛煙家プライらしいスポンサーだと思う。
それにしてもシューベルトの肖像に社名入りタバコ入れを持たせてしまう大胆さには驚く。嫌煙家が増えた今だったらクレームがつきそうだ^^;

ホーエネムスでの公式録音は基本的にDGが担ったようだが、音源自体はオーストリアが国として管理していることだろう。できれば、音源の劣化前にどうにか一般発売して欲しいところだ。
プライをはじめ、この音楽祭の初期メンバーが次々と逝去している現在、この宝を無にしてはいけないと、つくづく思う。
posted by あひる★ぼんび at 23:26| Comment(2) | プライ

2017年07月15日

高学年例会・・・再び霊界?!

今回の高学年例会は千葉有卯助さんによるひとり語り「怪談真景累ヶ淵」。
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作品は三遊亭圓朝原作の因縁噺で、安政6年に書かれた全97章の大作。その中から事の発端と、子孫に続く因縁エピソード計4編を語ってくれた。
三遊亭圓朝の怪談噺では「牡丹燈籠」や「四谷怪談」が知られているが、これらはどれも単なる怨念ではなく「因縁」と「情念」が強く描き出されている。この日本の伝統的ホラーの形態は世界的にインパクトを与えていると聞く。
有卯助さんの若々しい「語り」は、ベテラン落語家の噺とは趣が異なり、幾分、現代に寄せたのかスプラッター要素が強調されていたようだが、まあ、それとて意味のない西洋グロとは全く違う。
高齢の方も大人も子どももその話術に引き込まれた。
ただ、SEを兼ねた音楽はもっと薄いか、なくてもいいと思った。
静寂は闇と同じく、最大の演出である・・・と思うのだが。
出入り口はこんなふう。
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終演後はいつものようにみんなで感想を書く。
少し言葉が難しかったと思うが、伝わっていたようだ。
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埼玉はカラ梅雨。あまりジメジメしていない怪談を楽しめた夏の初めだ。

さて、物語に出てきた「小塚原」は歴史上関東最大の刑場で、明治に廃止されるまで、処刑のほか刀の試し切りや腑分けも行われた場所だった。総計20万人以上がここで処刑されたという。
現在の南千住駅の近くだが、自分が幼い頃、浅草の生家に行くルートのひとつで、近くをよく歩いた。
もちろん、現代では何もないわけだし、誰からも土地の歴史については聞かされていなかったが、ここを通るのがイヤだった。鼻の奥で嗅覚とは少し違うバランスで感じる奇妙な臭気と悪寒で、なぜか不機嫌になった。
人は死しても想念が残るとすれば、この土地のみならず東京下町はすごい場所、ということになる。
感じるか感じないかは人それぞれなのだろうけれど・・・。
posted by あひる★ぼんび at 23:33| Comment(0) | 劇場

2017年07月01日

2017年のこどもまつり

仕事の合間に「こてさしこどもまつり」を覗いてきた。
子ども数が年々減り、しかも今日は雨天、道路は渋滞。
なにやら嫌な条件がそろってしまった。
実際、集まりは良くはなかったが、係の子ども達がほどよいゆるさで関われるぐらいの数で、結果的にはこれはこれで良かったのかもしれない。

射的。露店のような頑張っても届かないストレス設定はない^^
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ダンボール迷路。
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毎年人気の「おばけやしき」
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ぜーんぜん恐くない!と言いながら(って当たり前だ)きゃあきゃあ楽しそう。
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工作コーナー。ひたすら木っ端をトントントン♪
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2階にもコーナーがあって、異世代交流が繰り広げられていた♪
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エンディングはくすのき燕さんの腹話術。
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バスの時間の関係で最初だけしか見られなかった。

継続は力。本当にそう思う。「こども劇場」もこういった行事の実行委員さん達もそう信じて続けている。
かつて前政権の事業仕訳で「こども夢基金」は「廃止相当国庫返納」に仕訳けされてしまったが、ずるずる実行されないことが幸か不幸か、今でも廃止されずに続いている。
対価のある成果が見えないのがこういった子どもの文化。
合理主義とあいいれないのも子どもの文化。
でもそこに傾けるエネルギーは未来への投資、子どもたちの笑顔は最高の報酬でもある。
最近、仕事の多忙と体調不良でまるで関われなくなってしまったけれど、僕ももう少し頑張りたい。

posted by あひる★ぼんび at 22:59| Comment(0) | 劇場

2017年06月26日

プライのヴォルフ・アイヒェンドルフ

山歩きが好きで、ドイツの深い森を愛好したプライは、その風景をふんだんによみ込んだアイヒェンドルフの文学に愛着を持っていた。
その詩が「リート」になる時、より強靭な生命を得たと感じたことだろう。
歌謡性と幻想のバランスの良いシューマンの諸作品と、ドイツ語の響きやその心理の奥を読むような、リートの醍醐味を感じさせるヴォルフの諸作品は特に好きだったようだ。
彼のリート録音の初期のグループの中心にそれらがあったのも納得できる。
プライは1952年にリートリサイタルを開始している。レパートリーは彼の感性にマッチしたシューベルト、そしてレーヴェとシューマンの有名曲。
そこにヴォルフを加えるべく勉強を続けていた。プライとして自然に歌うことのできたシューベルトに比べると、ヴォルフの少々屈折した世界は細かい分析と綿密な練習が必要だったのだろう。

彼はまず、アイヒェンドルフとイタリア、スペインから手を付けている。
このリート・デヴューから60年代初めのプライの歌唱は、幾分声に頼って情緒に流れる傾向があった。
その特徴は、口うるさい評論家の批判のターゲットにされがちではあったが、それは常に「歌を聴く喜び」を与えてくれるものだった。
美声であるからこそ、湧きだす感情や淡いメロディに込めたロマンの香りを感じ取ることができる。
後に声に落ち着きを加えてからは、旋律より言葉の比重が高く演劇的なメーリケへの付曲を多く歌うようになっている。
いずれもプライの甘く若々しく、なおかつ深い声が、かくもヴォルフを深刻さと難解さから掬い上げているのが、作曲家と演奏家の時を隔てた幸福な邂逅と言えるだろう。

ヴォルフはシューマン以上に集中的(偏執的?)な作曲方法をとるのが常だったが、「アイヒェンドルフの詩によるリート集」は作曲時期に比較的幅がある。最初期は1880年、連作集を計画するも頓挫、1886〜88年に再び取り組むが、連作扱いにはしなかった。各曲に気分の共通性はあるものの、有機的に綿密に動機を結び付けたり、調性を綿密に配置して全曲に統一感を持たせる配慮はない。したがって「美しき水車小屋の娘」や「詩人の恋」のように、全曲を通して歌われることが絶対条件ではなく、リサイタルやアルバムでは数曲が抜き出され、自由に配置されることが多い。

プライ1回目の「アイヒェンドルフの詩によるリート集」
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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(18曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
ギュンター・ヴァイセンボルン(ピアノ)

(COLUMBIA 10in.LP ドイツ輸入盤)




収録しているのは、一般的に知られる全20曲から女声用2曲を省いた18曲。
リリースは10インチ(25p)モノラル盤だった。
ジャケット上に録音データがなく、いつ録音されたものか正確には掴めないが、後の資料等から1957年〜58年、ベルガーの歌唱と組み合わせた「イタリア歌曲集」と同じ頃のものと思われる。
50年代は、こういうふうに1人の歌手が1人の作曲家の作品をコンプリート的に録音するというアルバムがやっと登場し始めた時期だった。
ドイツ敗戦で頓挫したドイツリートプロジェクト以来、33と1/3回転12インチ、10インチ盤が普及して実現しやすくなったのだ。
また、天才歌手ディースカウの登場と、すでにピークを過ぎてしまった大御所ラウハイゼンに代わり、幅広いレパートリーを持つムーアや、若手のヴァイセンボルンらが活躍を始めた時期でもあった。
この盤は「イタリア歌曲集」同様、再発売の機会に恵まれなかったようで、他種はまるで見かけない。
まとまった形では埋もれたままで、CD化もされていないのが惜しまれる。

東芝が60年代終わりにリリースした巨大プロジェクト「ドイツ歌曲大全集」のヴォルフの巻の中で、20曲中前半10曲をプライのこの1回目の録音で収録している。「郷愁」以降後半10曲はディースカウの録音を使用している。すでにヴォルフについてもスペシャリストの域だったディースカウを差し置いてプライに占有させるわけにはいかなかったのだろう。
もちろん、ディースカウは非の打ち所のない立派な歌唱なのだが、こうして並べると、解釈と落ち着きではディースカウ、しかし、声の幅や勢いの点ではプライが勝る。
そして全く異なる色彩の風景が広がっているのを感じる。それを実感したセットだった。
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ドイツ歌曲大全集第9巻〜ヴォルフ第2集
〜メーリケとアイヒェンドルフの詩によるリート

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(ソプラノ)
ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
ヘルマン・プライ(バリトン)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ハンス・ホッター(バスバリトン)
(東芝EMI LP4枚組 国内盤)


このBOX以外では、各種のオムニバスやコンピレーションに1〜4曲、バラバラに収録され必ず顔を出す録音だった。そんな「穴埋め素材」のような扱いはCD時代に入っても変わらない。
当時のプライの艶やかな声と率直な感情表現、ヴァイセンボルンの鮮やかなタッチが高評価を受け、愛聴する人も多かったようだ。そんなふうに、演奏の存在価値は誰からも明白だが、この扱いは何か軽く見られているようで、はなはだ残念だ。


同リート集2回目の録音は1968年と70年。ピアノはコンラート・リヒターだった。
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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(20曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
コンラート・リヒター(ピアノ)

(EMI LP 国内盤)





こちらは前回同様女声用2曲を省き、そこに遺作2曲を加えている。
解釈としては基本的な変更はないようだ。美声はそのまま、リズムが流れてしまうことがなくなり、多くの聴き手が期待するプライの姿が明確になっている。
1960年代後半から共演回数が多かったリヒターだが、このコンビでの録音物はそれほど多くなく、リサイタルライヴ盤と名曲集などが短い期間にDECCAに数点残されただけだった。
プライは常に「共に歌うピアニスト」を求めたが、その意味でもリヒターとは相性が良かったようだ。
この盤は「忘れがたき名演奏」として取り上げる評論家も多い。
1971年、2度目の来日記念盤としての「最新録音」のリリースだった。
この日本盤LPのライナーでは「ドイツ歌曲大全集」に収録した旧録音との比較が述べられているが、この新盤を圧倒的に褒めているわりに、あちこちのオムニバス盤で耳にできるヴォルフ録音はこのリヒターとのものではなく、1回目のものが多かった。
充実度ではこの録音のほうが上かもしれないが、若々しい瞬発力と鮮やかさの点からそうなったのだろう。
しかもこの盤がCD化されたのは追悼盤としてが初めてであり、その後の再発もない。
ヴォルフは、日本人にはやはり高いハードルなのかもしれない。

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ヴォルフ:アイヒェンドルフの詩によるリート(20曲)

ヘルマン・プライ(バリトン)
コンラート・リヒター(ピアノ)

(EMI 国内盤)




音の印象がLPとCDではかなり異なるが、そこは一長一短…マスターは今後劣化していくだろうから、まあこのタイミングでCD化されたのは大きな意味があったと思う。

その後、フィリップスのエディションでも数曲取り上げているが、まとまったものはリヒターとの盤を最後に、晩年になってもついに録音しなかった。
プライは「リートもオペラの各役も、歌うにふさわしい年齢があるものだよ」と言っていたことがある。
プライ自身「ヴォルフのこれらのリート集には若者の声がふさわしい」と考えていたフシがあり、そのため一定年齢を越えてからは歌うことを避けたようだった。
全曲網羅主義でなかったプライらしいと思う。

posted by あひる★ぼんび at 23:23| Comment(12) | プライ

2017年06月24日

キャンプ実行委員会進行中

今年もキャンプ実行委員会が発足。
対象者の減少とレギュラーメンバーの多忙、時代自体の大変化で年々実行が困難になる中、それでもやりたい気持ちを持ち寄って、こうして続けている。貴重な行事のひとつだと思う。

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かつての100人規模、50人規模と現在の20人前後(ひと班規模)のキャンプが同じ方法で運営できるわけではない。
でも、やりたいと思う内容そのものは変わらないのだから、それが難しいのだ。
その難しさをどうクリアするかを話し合う場にもなりそうだ。
筏遊びはとっくに出来なくなり、打ち上げ花火禁止が一般的になり、直火の炊事が出来る場も減った。
キャンプファイヤーも難しくなりつつある。
昔キャンプで魅力だった部分が規制で蝕まれていく。
行う側の良識と良心に基づいて実行されていた内容は、現在は通用しなくなっている。
続けてきたキャンプは「仲間と共に自然に親しむ」ものだが、親しむといっても「自然」つまり「環境」にとっては必ずしも優しくはないのは事実。それでも、そういう自然へのごめんなさいを通して、その大切さや愛しさを学ぶ。そして、多世代で行動することで「生きること」を学ぶ。

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僕は今年のキャンプについては、説明会もディキャンプも当日も参加できない。
とても残念だ。

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まもなく、いわゆる「共謀罪」に関する法律が施行される。
反対派の不安は拡大解釈で、すべて杞憂であると言い切る政権だが、果たしてそうだろうか。
世の中はどう動くのだろう。
posted by あひる★ぼんび at 23:56| Comment(0) | 劇場