2020年09月06日

思い出のレコードからI〜若きフェラスの演奏

続けて、前記事ペナリオと同時期に購入のもの。

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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op.35,
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調Op.64


   クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
   フィルハーモニア管弦楽団
   コンスタンティン・シルヴェストリ(指揮)
(セラフィム LP 国内盤)




実は、最近ネットオークションでその2枚を落札し、再鑑賞の機会を得たので、この記事を書いている。
ペナリオのグリ&ラフもこのフェラスのメン&チャイも、CDを買い直すことはしなかった。
「これでなくては…」というインパクトではなかったというよりは、レコードで満足できたことや、次々に現れる新盤からのチョイスを優先してしまったためだろう。

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独奏のクリスチャン・フェラスは1933年生まれ。1982年に49歳で没したフランスのヴァイオリニスト。
フェラスは若い頃は、並はずれた技量と、端整なルックスでスター奏者となり、EMIやDGに多数の録音を残した。
ただ、神経質な性格が災いして、過度の飲酒癖と鬱病をかかえていた。
自宅ビルから投身というショッキングな人生のピリオドを迎えるまで、コンサートは続けたものの、世間の演奏評価は安定しなくなっていたようだ。
この盤の録音は1957年。ここから感じる「自由な歌心」は光っていて、今も色あせることはない。
この後の一連のDG録音の、メーカーや指揮者を忖度してしまったようなものより、ずっと良い演奏に感じた。
「良さ」というのは演奏精度とか録音の状態だけではない。フェラスが上り調子だった時期のこの盤は、とにかく演奏することに喜びが溢れているようで、美しく颯爽としている。
メンデルスゾーンのロマンティックな…例えば第1楽章第2主題のような部分での独特の粘りと夢見るような解釈は自分の好みにぴったりだった。全体に活発な演奏で、翳りなく爽やかだ。
チャイコフスキーは一般的な版(アウアーらの手による改竄版、つまり適度にカットが施され、編成も現代オケにあわせてある)で、演奏されている。結構目立つカットがあるが、それさえ気にしなければとても聴きやすい演奏だ。初めて聴いた頃は他を知らないこともあり、違和感がなかった。

メンデルスゾーンの協奏曲は、当時、中2の鑑賞教材になっていた。授業で聴く1年前にレコードを買って聴いていたことになる。小学生の頃、父や母とレコード屋に立ち寄ると、「ねえねえ、これどんな曲?」などと、主題を鼻歌で歌ってもらった。また曲の印象を細かく訊いたりもした。まあなんというか、迷惑だったろうに、よく嫌がらずに相手をしてくれたなあ、と今更に思う。だからこの曲も低学年の頃から鼻歌で知っていた(笑)
また、中学生ともなれば、ヨーロッパの中での「ユダヤ系」の苦難について、いくつもの本から知識を得ていた。ところが、教科書の解説は何を学ばせようとしているのか不明な内容だった。
「メンデルスゾーンは裕福な銀行家の子息で、音楽も明るく伸びやかで幸福感にあふれている」とか。
まあ、貧乏作曲家よりはずっと安定していたのは確かだが、民族問題を匂わせるのはご法度だったのだろう。
19世紀中くすぶり続け、20世紀に入ってからはユダヤ排斥で演奏禁止・楽譜焚書までおこるわけで、そんなことも含めて教える勇気は、多分教育界にはないのだ。

それより何より、フェラスを知らない方は、ぜひ、この盤をきいてもらいたい。
カラヤンとのDG盤ではなく、このシルヴェストリの誠実なサポートの、この盤を聴いてほしい。

posted by あひる★ぼんび at 21:11| Comment(0) | 音楽

2020年08月29日

思い出のレコードからH〜ペナリオの協奏曲録音

自分の小遣いでレコードを買い始めた当初は、レギュラー価格の盤に手を出すことはなく、廉価盤シリーズからチョイスしていた。
最新録音がないとか、ジャケのデザインが落ちるとか、そんな短所はあったものの、1970年代のいわゆるLP全盛期においては、それまでに結構「名盤定番」評価を得たものだったり、演奏者の知名度と実際レベルのバランスのいいものが多く、入門者には最適だった。
中学生の自分が3,4番目ぐらいに購入したのがこれだった。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
グリーグ:ピアノ協奏曲

   レナード・ペナリオ(ピアノ)
   ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
   エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)
(セラフィム LP 国内盤)





ペナリオは1924年ニューヨーク州バファローに生まれ、ロスで育ち、2008年にカリフォルニア州ラホヤで没した生粋のアメリカン・ピアニスト。
ラフマニノフの追悼演奏会で2番を弾いたのは彼であり、作曲家以外による最初の協奏曲全曲録音も彼だった。また、映画「旅愁」で彼の演奏が使われ、世間の認知度を高めたことも特筆だ。
グリーグについては、ダラスの演奏会で急なピアニストのキャンセルで困っていた指揮者ユージン・グーセンスが、たまたま「この曲なら知っているよ!」と言う当時12歳のペナリオの言葉を真に受け、大抜擢。見事に代役を務めあげ、注目を集めたというエピソードがある。実際は「聴いたことはある」程度だったらしいが、短い練習期間での公演成功であり、やはり天才だ。1950年代になると、彼のレコードはギーゼキングと並び常に「売れる」ものだったという。
いかにもアメリカな話だが、そんないわくつきの2曲が聴ける盤である。
2曲とも名曲中の名曲であり定番の名演も多く、これは決して「これでなくては」という演奏ではない。
今、改めて聴いてみると、この演奏自体は民族色が希薄で、テンポも凭れずサラリとしている。
しかしそれがかえって作品の持つ味わいを醸し出しているようだった。ペナリオの、明るい音色がとにかく爽やかだった。彼は自由にポップな感覚でテンポを揺らすのだが、ラインスドルフは常に冷静で崩れない。
潤いのない録音なのだが、それはこの場合マイナスには感じず、重くなることを防いでいるようだった。

ラフマニノフの2番はその3楽章コーダがFENラジオ(いわゆる旧進駐軍放送)の夜のクラシック番組のテーマ曲になっていて、当時、番組パーソナリティを担当していたカーメン・ドラゴン氏の流暢な英語と共に、中学生には充分すぎるほどのインパクトと多彩な楽曲を提供してくれていた。自分の場合、基本的な楽曲の知識の入口はこの番組だったとも言える。
この盤、ラフマニノフもグリーグも特に第2楽章が美しかった。
それこそ、このジャケ写のイメージはぴったりで、夕日に煌めく水面を思わせた。これより以前、父所有の盤で聴いたルービンシュタインの演奏で感じた「悲哀」や「孤独感」はなかった。もっとさっぱりとしている。
その感覚は今聴いても基本的に変わらない。
両曲とも冒頭が強インパクトなので、そこに耳がいってしまいがちだが、派手さのないこの演奏は、全体バランスで聴かせているのがわかる。なんだ、地味じゃないかと言わずに、じっくりと聴き込むにはいい演奏だと思う。実際、この演奏が今の音楽趣味の1つの入口になったほどの、自分にとっては名盤なのだ。

posted by あひる★ぼんび at 14:20| Comment(0) | 音楽

2020年07月11日

プライの誕生日

1929年7月11日、プライはベルリンで生まれた。
父の名はヘルマンプライ、祖父の名もヘルマンプライ。
どうやらプライ家の家督継承者の名は代々へルマンだったようだ。
ビスマルクを信奉する、大きな精肉商社を営む厳格な父と、音楽好きの優しい母。
学齢になるとすぐに全寮制の名門校に入学し、神学やラテン語、そして音楽を学んだ。
やがてドイツは思想も価値感もナチス党に独占され、彼も自動的にヒトラーユーゲントに所属させられた。
しかし父へルマンはアンチヒトラーで、息子に届いた召集令状を握りつぶし暖炉にくべてしまったほどだった。終戦間際だったからまだ良かったが、へたをすれば逮捕厳罰だったろう。

プライは芸術家として芸術のために歌ったのではない。
音楽への限りない愛情の具現。
常に聴き手に喜びや感動を与えられる歌い手を目指した。
聴き手の裾野をひろげようという努力は、テレビや音楽映画出演。リサイタルの構成や編曲による普及の工夫など、それこそ人生の最後までその方針は曲げなかった。
多分、父譲りの頑固さ--

ヴォルフ「あばよ!」
https://www.youtube.com/watch?v=fDsz2pSRtec

posted by あひる★ぼんび at 13:03| Comment(7) | プライ

2020年04月04日

プライ晩年「水車小屋」ギター新編曲の試み

19世紀始め、対ナポレオン戦争後の反動期。文化芸術活動の社会的な制約は凄まじいものがあったようだが、それでも市民階級のエネルギーは充実しはじめていた。フォン・ヴェーバーやシュポア、そしてシューベルトのリートの数々は中流市民階級の「社交場の気楽な音楽」として、ギター伴奏でも楽しまれていた。
ピアノに比べ音量のないギターは歌手側にも負担は小さく、伴奏・歌唱、双方それなりの難易度調整が容易だったのだろう。
そういった多くの編曲は出版されることなく、あるいは正確に記譜すらされずに消費・消滅したようだが、いくつかは現在も聴くことができる。
プライは、「ギター・リート」については、70年代のフィリップスリートエディションではジルヒャーのみとりあげている。
彼は、「ギター・リート」が、ビーダーマイヤ―時代の流行やシューベルト音楽の受容を考えるうえで重要であると捉えていた。
しかし、現代人が音楽ホールのコンサートで聴くのに適しているかは別問題だとわかってもいた。
ピアノの深い表現力に比べ、ギターはあまりに貧弱だった。
音符を音価通りにただ弾いたのでは、ピアノリートの芸術性には届きようもない。
プライはしばらくこのスタイルに手を出さなかった。
80年代になると、シュライアーが名ギタリスト・ラスゴニックと、エレクトローラに「美しき水車小屋の娘」全曲、アルヒーフにフォン・ウェーバー、カプリッチョにロマン派リート集…と、ギター・リートを数多く録音しはじめる。
他の歌手もコンサートでとりあげることがあり、プライは目ぼしいものは聴いていたようだ。

1994年、プライはギタリストベンジャミン・ヴァデリィとニューヨークで邂逅、新しい意欲に目覚めることになる。
それはまさに「シューベルトのリートをビーダーマイアー時代の流行スタイルでステージに上げること」だった。
ギタリスト・ヴァデリィの覚書によると、プライとの最初の出会いの時、とりあえず持って行った3曲「野ばら」「夜曲」「漁夫」を初見で合わせ、最初の2曲をすぐに気に入った様子だった。しかし「漁夫」は「フラメンコ風」に再編曲することを希望したという。
「私はピート・タウンゼント(元ザ・フーのロックギタリスト)と共演している君のステージに感銘をうけたんだ。ぜひああいうスタンスでシューベルトをやってほしい。世の評論家が色々言ってくる?そんなことは君は気にしないでいいよ。」
こうして、95年のニューヨークのシューベルティアーデで共演し、高評価を得ている。

1997年、「美しき水車小屋の娘」のギター版をバートウラッハのステージに上げる計画を立てた。
そのプロジェクトの練習時、一般的に入手できる楽譜で歌い始めたプライは10曲目まで極めて上機嫌だった。
ところが11曲目で急に「×××」←ロックミュージシャンが言いそうなかなり汚い罵りのあと、歌うのをやめたという。
ピアノパートをできるだけ忠実にギターに移植した場合、中央のキイを動かすと、ピアノでは可能でもギターではできないことが多い。厚みを得るためにギターの中低音を多用すると、圧倒的に音域が不足し、上げると軽くなりすぎる。高声よりに書かれたオリジナルゆえの不整合。この曲でそれが顕わになったのだという。
すぐに楽譜を探し、試行錯誤の編曲作業が始まった。
この版はバートウラッハで初演され、大成功だったという。
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ヴァデリィの話では、バートウラッハで印象的だったのは、プライはステージに上がる直前に「またあとで会いましょう」と言ったのだそうだ。
これから共演するのに何故?と思ったが、すぐに理解した。
プライはステージに踏み出した瞬間から粉ひき職人になっていて、最後の拍手の後に「やっと戻ってきた」。
そして最後に「何て素晴らしい旅だった」の一言…。
こういったプライの音楽に対するストイックな情熱、ステージでの「憑依」に大きな衝撃を受けたという。

プライは、この版をより磨き歌いこみ、自然なものにすることや、オケ版「冬の旅」のワールドツアー、そしてオケ版「白鳥の歌」の構想を実行に移すことなど、いくつものプランを練っていたという。
しかし、圧倒的に時間が足りなかった。
最後の一連のプロジェクトのひとつだったこの演奏、録音か映像が必ず残されいると思われる。
できることなら、視聴してみたいものだ。

posted by あひる★ぼんび at 22:43| Comment(6) | プライ

2020年03月29日

桜と雪

昨年末、遠くから聞こえてきた感染症は、新型コロナ禍となって、自分たちを襲っている。
地球は広いようで狭いのだ。
自分の仕事も多大な影響を受けてしまっている。
基本的になす術を持たないわけで、早期の収束を願うのみだ。
******
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3月21日の駅近くのポトマック桜(ワシントンDCからの里帰り移植)。
樹齢が高いので、ここ数年、咲きが悪かったが、今年はまずまず持ち直していた。

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3月28日、天気はイマイチだが、今年はいまだ桜は咲き続けている。
家のまわりは桜が多く、毎年「ほとんど人のいない静かなお花見スポット」だ。

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そして、今日は夜明け前から雪。
季節を違えた雪は、なんだか寂しい。
posted by あひる★ぼんび at 23:47| Comment(6) | 日記

2020年02月24日

思い出のレコードからG〜プライのパイロット盤

あっという間に2月も終盤。
またまたこのブログの更新が滞っていました^^;
新年のご挨拶もせず、申し訳ない・・・

*********

これはここでも何度か話題に出したことのある販促盤。中学時代に買った。

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 シューマン:「詩人の恋」
 マーラー:「さすらう若人の歌」

ヘルマン・プライ(バリトン)
レオナード・ホカンソン(ピアノ)
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(フィリップス LP 国内盤)




「詩人の恋」は超がつく有名曲だから、楽譜が入手しやすい。リート鑑賞入門者にとっては最適な教材といえるだろう。しかしもちろん、シロウトが本格的に歌うのは無理で、即座にシューマンの技法に色々な意味でノックアウトされる。
「さすらう若者の歌」も、カラフルで描写的な音色が音楽自体の難解さを超越している。民謡風の佇まいなのに、歌と管弦楽のバランスは複雑で、声も楽器パートの1つと思えるほど、縦の関係が重視されている。

この盤を買ったのは、高校受験の年だった。
音楽を聴きこんだりドイツ語を読みとる努力をする時間があるのなら、受験に役立つ勉強をするべき、という時期だったのだが、両親は何も言わなかった。
19世紀ヨーロッパの芸術や文学への興味はすでに自分を飲み込んでいた。だからすぐに「詩人の恋」は詩を暗記してしまった。「さすらう…」の詩はハイネに比べると散漫な印象で、韻や語の選び方が独特で覚えずらく、あえて深入りしなかった。あとで知ったが、この詩はマーラーが「こどもの不思議な角笛」の延長のようなスタイルで創作したものらしい。今読むと、かなり名作コラージュになっていて、若きマーラーの文学的な「憧れ」の具現のようにも感じる。

この盤は購入後間もなくから高3ぐらいまで、多くの友人や先生に貸し、随分あちこち旅をしていた。
その為、さすがに盤面が荒れてしまい、数年ののちに買い直したほどだ。
なぜ、この盤だったか。それなりの理由がある。このホカンソンとの「詩人の恋」は「リーダークライスop24」やシューベルトリート選集と組み合わせたレギュラー盤も出ていたのだが、それらはどれも最後の第16曲がB面になっていて、不自然だった。片面に全曲収録したのは、この販促盤だけだった。30分越えのカッティングは音に影響するものだが、曲の一貫した流れを断ち切らない為には絶対に「これ」だった。

言うまでもなく「詩人の恋」も「さすらう若者の歌」も恋のときめきと破局、昇華を描いた作品。
「詩人の恋」の原詩「抒情的間奏曲」の主人公の年齢設定はわからないが、作品自体がハイネ26歳前後なので、だいたいそれぐらいの主人公ということだろう。
「さすらう若者の歌」は原題がLider eines fahrenden Gesellen「ある遍歴職人の歌」。
Gesellenということは、主人公は徒弟は終えていて、おそらく20代前半ということになるだろう。
両曲とも、つきまとう死の影やどこか老成した悟りを感じるのは時代性だと思う。

以前、このブログで「詩人の恋」はシューマンの「冬の旅」と書いたことがあった。
それはハンプソンによるこの曲集の初版「20のリート」についてである。
ハンプソンは実に苦々しく厳しい解釈を聴かせてくれた。
しかし、ここでのプライの歌唱には、そういった悲壮感や諦念はどこにもない。喜びも悩みも悲しみも前向きに描き出されていて、生命力に溢れている。
遅いテンポと丁寧な発音で、歌い飛ばすことなく物語を噛みしめていて、とても素直に聴こえる。
こういった、死や不幸の予感を排したまっすぐな雰囲気には賛否もあろうが、当時のプライの、他者には(先輩ホッターにも、比較されがちなディースカウにも)真似できない美声歌手プライの個性だった。当時の彼の歌は、素直なシューマンとか、親しげなブラームスとか、いつも独特なアプローチになっているのだ。
また、この盤は録音も残響の具合がソフトで美しく、程よい空気感が心地よい。

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あとひとつ、演奏とは関係ないが、同梱封入の「フィリップスベスト100選」のカラーリーフが、なかなか良い。
あの頃はなんでもなかった広告の、小さな懐かしいジャケット写真の数々が、素敵な思い出を呼び起こしてくれ、45年の年月を遡らせてくれるのだった。
posted by あひる★ぼんび at 00:48| Comment(4) | プライ

2019年12月28日

2019年クリスマス、シュライアー逝去

ペーター・シュライアーが25日に亡くなった。
1935年7月、マイセン生まれ。
言うまでもなく、第二次世界大戦後のドイツ楽壇を支えた大歌手の一人なのだが、情報量は意外な程少ない。社会主義体制だった東ドイツ時代の経歴の公開が限定的だということもあるだろう。
この辺はかの国のアーティストすべてにあてはまること。ただ、彼の場合、壁の崩壊のあと、HJロッチュやOスウィトナーと違い、スパイを疑われて活動が制限されるようなことはなかった。
むしろ「当局」という縄をとかれたことで、歌手・指揮者として自由に世界中を飛び回れるようになっていった。

彼の声は硬質な細身の個性的なもので、一聴すればすぐにわかる。
決して大きな声ではないのに、オーケストラ伴奏であってもそれを貫くような遠達性を持っていた。
特定の単語に癖があったり、低音が極端に弱く、またフォルテでは時にヒステリックに感じ「schreier(金切り声でわめく)」という名前そのものだと揶揄するアンチも湧いた。
楽壇や業界の、第2のヴンダーリヒを求める要望からか、イタリアオペラやポップスまで歌ったが、彼は万能歌手ではなかったようだ。残念ながらそれらにエンタメ的な閃きは感じなかった。
しかし、声を必要以上に張る必要のない、小編成の器楽伴奏やピアノリートでの端正な表現は独特の存在感だった。また宗教曲での彼の均整の取れた表現はいつも神々しいほどだった。

2000年6月にオペラから引退。その際、2005年に引退すると決め、日本では2005年11月に最終公演を行った。同年12月のチェコ公演をもって歌手活動から完全引退した。
…なのだが、SWR2の企画のオムニバス盤「WIEGEN LIEDER1に2009年8月ライプツィヒでの新録音が収録されている。(この盤は隠れた名盤だと思う。ここにはコボウやカウフマン、トレーケル、プレガルディエン父子らも特別録音を行っている、もう、マニア垂涎の1枚なのだ)

シュライアーの「人生の中で、音楽のない時間は意味がない」「その日の演奏会は翌日の為のアイドリングでもある(実際はアインジンゲンという言葉だが、意図はそう捉えられる)」という言葉や、来日時も移動中の車でも歌っていたという話から、ストイックというより、歌に憑りつかれた人生だったわけだ。
そんな人が10年以上沈黙するわけはない。ここ数年は糖尿病とその合併症との戦いだったようだが、そうなるまでは教育活動は続けていたとの事。2009年の声を聴く限り、何の衰えも感じない。
あるいはどこからか新録音がでてくるかもしれないと思っている。
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自分はシュライアーさんの歌でシューマンやメンデルスゾーンの魅力を知りました。
多くの喜びと感動をありがとうございました。
どうぞ安らかに・・・。

posted by あひる★ぼんび at 23:49| Comment(2) | 音楽

2019年11月08日

ローテンベルガーのリートアルバム

アンネリーゼ・ローテンベルガーは1926年生まれ、2010年に83歳で亡くなったドイツのソプラノ。戦後ヨーロッパの音楽界の黄金期に活躍した名歌手の1人で、1988年という早い段階で引退してしまったので、円熟を聴くことはできなかったが、EMIに残された数々のオペレッタの録音は現在も世界中で愛聴され続けている。
歌だけではなくTV出演にも積極的で、数本のレギュラー番組を持っていた。それらはどれも明るく流麗なナレーションが心地よく、音楽の楽しさを伝えていたという。フィルムによるTV放送という性格上、残っているものには限りがあり、全貌は知り様がないのだが・・・それでも個人が録画したいくつか映像をYoutube等で楽しむことができる。

ローテンベルガーはドイツオペラとオペレッタ出演に歌手活動の主軸があった。
しかし、リートリサイタルも世界各地で行っていて、評価も高かった。
ただ、製品化されたリサイタル盤となると決して多いとはいえない。
本人が内省的な曲より、明るいものを好んだこと、そして同時期に活動する同じ声域の歌手が多かった事もあるだろう。1910年代生まれのシュヴァルツコプフ、30年代の生まれのマティスやヤノヴィッツ、アメリングの間を繋ぐ世代のトップ的存在であり、リートの復興を支えた1人として、もっと評価されても良いと思う。
彼女の歌をあらわすキーワードは「歌う歓び」と「声の温かさ」。
残された録音を聴くと、音楽的にも、そこにあたる姿勢も、プライに近いところがあるのかな?と思えた。
理屈をこえた部分に存在している「歌」。
特に伴奏の音量と張り合う必要のないピアノリートからは、彼女の自然な声の表情を聴きとることができる。
オーケストラ相手では、時に気張りすぎて幾分歳より老けて聴こえることもあったが、ピアノリートにその心配はない。可憐さと深さがいいバランスで響いてくる。

ro155.jpg「ローテンベルガー名唱集」
   シューベルト:岩の上の羊飼い
          流れの上で
   マイアベーア:羊飼いの歌
   シュポア:6つのドイツ語歌曲

アンネリーゼ・ローテンベルガー(ソプラノ)
ギュンター・ヴァイセンボルン(ピアノ)
ゲルド・シュタルケ(クラリネット)
ノルベルト・ハウプトマン(ホルン)
(EMI LP 国内盤)



この盤に集められた曲は、クラリネットorホルンの助奏付のリートで、表現上は純粋なピアノリートより歌謡的で、なおかつ外に向かうエネルギーを強く持つもの。
A面にはマイアベーアを挟んで、シューベルトの名作2曲が置かれている。
最初の「岩の上の羊飼い」は名盤名演奏が多い曲なので、何かと不利な部分がありそうだ。
だが、ホルン付の「流れの上で」は女声によるものは珍しい。少し強めの声で、決然とした表現をとっているので、この曲がベートーヴェンへのオマージュ(旋律線が「英雄」の第2楽章をモチーフとしている)であることがよくわかる。
アメリングのもの(CBS)より寧ろ、適正かもしれないと思えた。
B面はシュポアの「6つのドイツ語歌曲」。
シュポアは言う。「テキストを真剣に受け取るなら、大きな困難を持っている。しかし、声がクラリネットと競うことができるほど美しければ、心を奪うような効果をあげることができる・・・」
そんな風に、作曲者自身が外面的な美の重要性を宣言してしまったサロン風の軽さのある「歌謡」なのだが、まさにそのことがディースカウやシュヴァルツコプフをこれらの作品から遠ざけた。
(逆にプライは積極的にステージに上げていたというのが面白い)
ローテンベルガーはクラリネットと共に歌い競い、この作品の楽しさを伝えている。
どの曲にも余計な装飾は一切いれず、素直に歌っている。音楽に「陽」と「陰」の両面があるとすれば、彼女は常に「陽」を意識して組み立てている。
聴き手も素直にその喜びに浸るのが正解だろう。


posted by あひる★ぼんび at 23:49| Comment(2) | 音楽

2019年10月17日

コルンゴルトの死の都

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897- 1957)が、ベルギーの詩人ローデンバックの「死都ブリュージュ」を原作とした脚本に付曲したもの。作曲家が23歳の時の作品である。
モラヴィア生まれのコルンゴルトは、幼少期から天才少年として評判を呼び、発表する作品はどれも高評価を得ていた。1938年にアメリカに亡命するまで、ヴィーンを中心に活躍を続け、数々のオペラを発表した。
その一つの頂点が「死の都」である。
1930年代以降、ナチス政権下での彼は、ユダヤ系であるせいで弾圧を避けることが出来なかった。
亡命以降はハリウッドで活躍。映画音楽作曲家として名を馳せることとなった。
亡命にあたり、多くの作品を失ったわけだが、それらの多くは支援者によって復元や修復がなされ、消滅を免れた。この不幸中の幸いは、当時人気の作曲家だった所以と言えるだろう。
しかし戦後、純音楽作曲家としてヴィーンで復権をはかるも、すでにその音楽は「時代遅れ」であり、ドイツ文化圏では映画音楽は下流とみなされていたこともあり、ハリウッドでの高評価に反して黙殺に近い仕打ちをうけてしまう。
失意と苦悩の中、再びアメリカに戻り、1957年に脳出血で逝去。なんとも寂しい人生の終わりだった。

「死の都」のストーリーはこんなふう。
第1幕
*若者パウルは、愛妻マリーを失うが、その死を受け入れられない。
パウルはマリーを偲び、自宅に「名残部屋」を構え肖像画や遺髪などを陳列している。
*友人フランクはパウルに現実の生を考えろと説く。しかしパウルは「マリーはまだ生きている!」と言い張り「街でマリーに再会した。じきにここに来るだろう」と言う。
*間もなく、若く美しくマリーそっくりの踊り子マリエッタが家を訪れる。
*パウルは彼女のことをマリーと呼ぶ。事情のわからぬ彼女は否定。
*マリエッタは誘惑するように歌い踊るが、やがてマリーの肖像画を見つけ、自分はその代わりなのだと悟り、家を出て行く。
*亡妻への思いとマリエッタへの興味に心を引き裂かれるパウル。
*マリーの肖像画から彼女の亡霊があらわれ、「私を忘れないで」と言う。その後すぐにその姿はマリエッタに変わり「自己を失わず自分の生き方を通しなさい」と諭す。
<第2幕>
*マリエッタの家の前を徘徊するパウル。
*友人フランクが現れる。彼もマリエッタの虜となっていた。フランクが彼女に受け入れられた証として見せたマリエッタの家の鍵を、パウルは奪い取る。
*マリエッタが舞台仲間たちと通り沿いの水路に船で現れる。彼らはパウルのことを皮肉りはしゃいでいる。
*彼らは『悪魔のロベール』の稽古をはじめる。マリーの清楚さをマリエッタに重ねていたパウルは、不貞娘を演じようとすマリエッタを諌める。そんなパウルを囃し立てる舞台仲間たち。
*マリエッタは「これはパウルとの個人的な問題だから二人だけにしてくれ」と言う。
*マリーの幻影を打ち消すことに執念を燃やすマリエッタ。
*ついにパウルは誘惑に負け、彼女と一夜を共にしてしまう。
<第3幕>
*勝ち誇った様子のマリエッタ。パウルは誘惑に負けた自分を恥じる。
*マリエッタは、パウルの目をさまそうとマリーの遺髪を持ち出し、からかうようにてもてあそぶ。
*激嵩したパウルは遺髪の束を奪い返し、その遺髪でマリエッタを絞め殺してしまう。
*我に返ったパウルは、マリエッタの遺体にすがり、つぶやく。
「彼女も本当にマリーそっくりになってしまった」
・・・
*家政婦ブリギッタが「お客様がお忘れ物の傘を取りに戻られました」と告げる。
*パウルはふと目を覚ます。マリエッタの姿はどこにも見当たらない。ずっと幻を見ていたのか?
*ついにパウルはマリーとの思い出のつまった街と屋敷を離れ、新しい暮らしへ踏み出すことを決意したのだった。

まさかの夢オチ物語!!
どこからがパウルの幻想なのだろう?不安定な世相を反映したような奇談であり、オカルトっぽさもある。
映像作品としてうまく演出すれば「世にも奇妙な物語」風に面白いものができそうだ。
この作品は大戦をはさんで、上演はほとんどなくなっていたが、1970年代にコルンゴルト復権の機運が盛り上がり、1975年6月にラインスドルフが全曲盤を録音すると、ぼちぼちながら再演にとりくむ劇場も出てきた。
ただ、積極的に取り組まれないのは、Rシュトラウス風の大きく構えたオーケストレーションに加え、楽器の種類の多さと、パウル役の歌手の力量が極端に要求される為、難しいからだろう。そんな難しさがある割に、作品自体は求心力が幾分不足していて、割にあわない。そうなると今後も残念ながら頻繁に舞台にかかる作品にはならない気もする。

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コルンゴルト:『死の都』全曲
 ルネ・コロ(パウル)
 キャロル・ネブレット(マリエッタ/マリー)
 ベンジャミン・ラクソン(フランク)
 ヘルマン・プライ(フリッツ) 他
 テルツ少年合唱団 バイエルン放送合唱団
 ミュンヘン放送管弦楽団
 エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)
(RCA CD2枚組ドイツ輸入盤/LP3枚組米国盤)



ラインスドルフによる世界初の全曲録音。
ラインスドルフはこういった「知られざる作品」を絶妙なバランスで聴かせるのが得意だったようだ。
このブログでも先にシューマンの「ファウストの情景」(2度録音)やコルネリウスの「バグダッドの理髪師」をとりあげているが、どれも歌手達がマエストロを全面的に信頼してついてきているのがわかる演奏になっている。
コロとネブレットはこの難しそうな役を見事に、そして甘美に演じきっている。また、プライはパウルをおちょくる役として第2幕にちょっとだけ登場する。彼の声で有名な「ピエロの歌」が聴けるのが嬉しい。

posted by あひる★ぼんび at 23:31| Comment(2) | プライ

2019年10月07日

ベーマーヴァルト♪

久々の更新。
本格再始動まではもう少しかかるかもしれないけれど、まずは軽く^^

プライは冗談好きで基本「上機嫌」ながら、気性の変化が激しく、癇癪持ちと言われていた。
地雷、起爆スイッチが多い性格は厄介な気もするが、クレンペラーやシューリヒトとも関係が良好であったというから、年長者に可愛がられるタイプだったのだろう。
しかし、近い世代となると様相は変わり、共演の多かったHシュタインとは何度か大喧嘩もしているし、ブレンデルやバイロイトのヴォルフガング・ヴァグナーとは険悪だったわけで、まあ、全部含めて人間プライの面白さだと思っている。
さて、そんな中でのカール・ベーム。
気難しいとか、とにかく偏屈な老巨匠と、アーティストの間でも一般聴衆からも捉えられていたベームだが、プライとは生涯良い関係を築けていた。共演も数多く、モーツァルトのフィガロ役は彼の推薦あっての成立であったとも言われている。
(喉への負担が大きいとして、それまで歌ってこなかったこの役のオファーを断らなかったのは、本人の意思を越えた大きな力が働いたと想像できる)

ベームの誕生日を祝う公開放送のVTRがあったので貼っておく。1979年8月27日のものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=TXHxf7MWZpk
(youtubeなので消えてしまっていたらごめんなさい。)
若干、画像に乱れがあるが、アコーディオン弾き語りの姿は貴重な映像だ。
デビュー前、連合軍キャンプ(主にソ連)で日銭を稼いでいた頃の姿がどんなふうだったか、ここから想像するのも楽しい。
曲は「ボヘミアの森深く」の替え歌。
ボヘミアの森=ベーマーヴァルト(ベームの森)
若々しいプライ、そして元気そのものの笑顔のベーム。
翌年、日本でのフィガロ公演のベームに比べてもとても若く見える。
幸せで楽しい時間は人を輝かせるものなのだと、改めて思った。

もうひとつ。
オペレッタの巨匠、ロベルト・シュトルツと共演した番組。
慈しむような優しいシュトルツのピアノにのって、プライは持ち前の温かい声に憧れをいっぱいにこめて歌っている。世代差も格の上下もない、音楽へのひたすら深い愛情を感じる演奏だ。
「父の家の前に菩提樹が立っている」

https://www.youtube.com/watch?v=Tk2HKw62fpU

父の家に菩提樹が立っている
家の前にはベンチが置いてある
私がそこに立つとき
菩提樹は再び音を響かせる
親愛なる懐かしい古い歌
私は夢の中でいつもそれを聴いた・・・


ここでの2人は、大巨匠と若手歌手というより、本当の父子、祖父と孫、といった感じに見える^^


posted by あひる★ぼんび at 23:05| Comment(3) | プライ